フィツジェラルドのレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
主人公ニックの視点で描かれるアメリカ東部社会の表と裏。ニックの隣人ギャツビーは豪邸に客を招き毎日のようにパーティーを開いている。突然ニックはパーティに招待されギャツビーと近しい関係性を気づくがこれはギャツビーの目的のため。それはニックの親戚であるデイズィと会うこと。ギャツビーはかつてデイズィと恋をしていたが退役後オックスフォードに行くこととなり連絡しなくなるもの一途に思いを抱いていた。そんな中デイズィが近くに住んでいることを知り再会するためにニックと親しくなりついにデイズィと再会する。そんな中デイズィとギャツビーがドライブ中にある女性を轢き殺してしまう。その女性はデイズィの夫トムの不倫相手であった。轢き殺された女性の夫は犯人を探し回りギャツビーを復讐のため銃殺、そして自殺してしまう。ニックは人間関係に嫌気がさしてしまい田舎へと戻るとこで終わり。
ニックはもともとニューヨークのような煌びやかな社会に憧れを抱いていたが住んで生活して見てデイズィやトム、ジョーダンたちが冷酷な人間であることに気づき社会の裏に嫌悪感を抱いていく。ギャツビーも成金ではあるがそれはかつて愛したデイズィに会うという一途な思いのためでありニックもそれを認めているためあいつらとは違うと言っているのが印象的。 -
Posted by ブクログ
この作品は、先輩に「読んでみな」と勧められた本だった。先輩は、ギャツビーの生き方に敬意を示し、「ギャツビーのようにならないといけない」と語っていたが、正直に言うと、読み終えた今もその言葉にはあまり共感できていない。
まず、この本は読むのが本当に大変だった。読んでいても、今何が起きているのか、なぜこの人物はこう言ったのかが分からない場面が多く、ゴッドファーザーを初めて観たときの感覚に近かった。登場人物は自分の気持ちをはっきり説明しないし、言葉の裏や沈黙に意味が込められている。そのため、戦争の時代背景やアメリカンドリームといった前提知識がなければ、物語を追うこと自体が難しい。実際、ChatGPTに「なぜここでこうなっているのか」を聞きながらでないと、理解が追いつかなかった。
感想として最も強く残ったのは、ギャツビーの「過去を再現しようとすること」への異常なまでの執着だ。過去の幸福を信じ、それを美化し続けることで、ここまで人は自分を変えてしまえるのかと驚いた。戦争という極限状況の中で、自分自身と向き合う時間が増え、その結果、記憶の中の幸福が膨れ上がっていったのかもしれない。このような現象は、現代を生きる自分たちにも起こりうることだと思う。
一方で、その執着を原動力に、対岸に家を建て、毎週末パーティーを開き、「気づいてほしい」と待ち続ける姿には、どこか女々しさやこじらせた印象も感じた。ギャツビーの行動は純粋であると同時に、盲信的でもあった。
デイジーについては、正直なところ、特別な期待は抱かなかった。彼女がギャツビーを選ばず、結局はトムと生きていくであろう結末にも、「そういうものだろう」と納得してしまった自分がいる。そのため、ギャツビーのような生き方を尊敬できるかと言われると、正直難しい。ただし、どちらが美しいかと問われれば、ギャツビーの方なのかもしれないとも思う。
生きていると、現実と理想のどちらを優先すべきか分からなくなる瞬間がある。現実的に生きるだけではつまらないが、現実が見えているからこそ、理想を口先だけで語ってしまうこともある。一方で、本当に理想を信じ、その芯に沿って行動している人もいる。どのスタンスが正解なのか、人間が長く生きる中でも、まだ結論は出ていないのだと思う。少なくとも自分は、まだその答えを知らない。
また、ニックのトムに対する感情は、個人的に自分と父との関係を重ねてしまった。物語の終盤、ニックが自分の感情を抑え、トムと握手する場面は、正月に父から投げかけられた、こちらの気持ちを十分に想像していない言葉に対して、言い返したい思いを飲み込み、やり過ごした自分の姿と重なった。そのとき、自分も父に対して想像力を失った「大人」になってしまったのではないかと、少しだけ憐れみのような感情を抱いたことを思い出した。
ギャツビーは、自分を信じ、まっすぐに理想を追い続けた人物だったが、そうした人間性はこの物語の中では死んでしまったように見える。一方で、世界と自分を一つの視野で捉えられる者だけが、生き残っているようにも感じた。多くの悲劇があったとしても、今ある幸せを踏みしめ、自分の中身を育てていく必要がある
この作品から、そうしたことを学んだ -
Posted by ブクログ
久しぶりに『ベンジャミン・バトン』を見たらずいぶんカットされているにもかかわらず進むのまったりで『フォレスト・ガンプ』のマイナー版って感じであんまり乗り切れなかったので原作を読んでみることにしました。
50ページのお話を3時間近い映画にするってのはなかなかに難しいやね。映画はこの本のほとんど翻案っていうくらいでした。また映画ではより現実に近い形にしないと見る人を説得できないとも踏んだのでしょうね。たとえばいきなり70歳のお爺さんが生まれてくるとかねぇ。
たしかに本でもそこは違和感あるけど映像がないぶん脳みそはすんなり受け入れちゃった。それでもすっげぇおもしれーとはならなかったな。私的に1番ハマったのは異邦人でした。この世界の嫌らしさが存分に書き連ねられていました。というかこれ前に読んだわ。そんときもやっぱり楽しく読んだっけ。 -
Posted by ブクログ
短編を読もう!第三弾はフィツジェラルド。
たくさん短編を書いてる中、新潮文庫では選りすぐりの6遍を収録。
「氷の宮殿」は南部に住む女の子が北部にすむ婚約者について行く話。南北の違いがよく表されていたように感じた。
「金持の御曹司」は、何でも手に入ると思い込んでいる青年が、愛は手に入れられないと悟る話。上流階級の話は新鮮だった。
「乗継ぎのための三時間」は内容を書くとネタバレになっちゃうので…。でも1番面白かったかも。短いので乗り継ぎの時間に読める!
「バビロン再訪」は過去の失態により別居している娘ちゃんを引き取って育てたいと、親戚と話し合いをする話。結論は、なんだかやるせなかったな。
ここまで、スタインベック、フォークナー、フィツジェラルドとアメリカの短編集を続けて読んだけど、フィツジェラルドは自分にとっては異色だったな。黄金期のアメリカでも人間の弱みは変わらない。
読んだフィツジェラルド
なし
読みたいフィツジェラルド
『グレート・ギャッツビー』 -
Posted by ブクログ
ネタバレ世田谷の駒澤にある「snow shoveling」のblind book「美しき、光と影」というキャッチコピーに惹かれ、手に取った。
ギャッツビーの夢、見かけ上の栄光と、それと対局にある彼自身の精神の闇、不安定さを感じさせられ、まさに「美しき、光と影」を感じた。
生前は、多くの人を家に招き盛大なパーティをしていたギャッツビー、しかし彼の死後、葬式には、彼の父と語り手のキャラウェイ、そして書斎にいた男しか来なかった。
愛するデイジーすら訪れなかったのである。
見かけ上の煌びやかさ、華やかさにはなんの意味もない。周りに人がいることが、必ずしも、人望があるということではないのだと気付かされた。
良い時に寄ってくる人ではなく、自分自身が困難な時、辛い時にもそばに居てくれる人を大切にしたいと思ったし、思いもよらぬ人が自分を大切に思ってくれていることもあるんだなと思った。
彼は、彼の夢であるデイジーを手に入れることができないまま、悲劇的に人生の終わりを遂げた。それでも彼は、もしもう一度機会があったとしたら、この結末をわかっていたとしても
同じ道を歩むような気がする。
そんな彼の情熱は少しばかり羨ましい気持ちにもなる。
-
Posted by ブクログ
言葉の扱いが魅力的だと思った人の愛読書だと知り購入
今まで海外文学はシェイクスピアしか読み切れたことがなく、他の小説は読む度に挫折していたが、時間をかけてでも読み切れた。モチベーションが違ったのだろう。
読む前は翻訳独特な言葉選びを期待していたが、読み始めるとドンドンその世界に魅せられて、言葉選びの面白さに注目できなかった。次に読むときはしっかり注目して読みたい。
読んでいるだけでまるでその場にいるように思えた。季節の空気感、雨の冷たさ、現代よりは優しいけれどやはり暑い夏、それが終わるのに妙に寂しく思える秋の始まり。
そこで生きて、近くに生きる他人のような気持ちで読むことができました。
この本による感情の起伏は激しくなかったけれど、確かに心が揺れる、寂しさを強く感じる本でした。