上原善広のレビュー一覧
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日本人で初めてWGPという陸上の世界大会シリーズで2位となった槍投げ選手、溝口和洋さんのノンフィクション本。一人称であるが、実際は10年以上インタビューした作者が書いている。
気に入らない記者を見つけて追い回してボコボコにしたり、朝まで女性と過ごしそのまま日本選手権に出て優勝したりと無頼派のエピソードが有名な選手だが、この本の面白さはそこではない。
800gの棒を如何に遠くに投げるか、を徹底的に論理的に考え鍛錬していることに面白さがある。例えば槍投げは筋肉量が多い欧米人に有利な競技と捉え、身長と筋肉量で及ばない日本人は死ぬ気で筋トレした上で助走や投げ方の技術を磨くべきと考え必死にトレーニングする。ソックス一つとってもこれは自分に適しているか、と考え軸足になる左足はロング、右足はショートソックスにして足の固定感を向上させた。今では左右非対称なソックスは主流だが、溝口さんが始めたらしい。このように溝口さんは、全ての常識を疑ってトレーニングしていた。トップアスリートは、頭脳を絞った上で心技体が求められる。 -
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ネタバレ「こうして一人で路地をまわる旅を続けていると、ふらりと一人の男が突然に訪ねてきて話を聞かれるだけでも、路地の人々にとっては、時に身を切られるように辛いことであろうと思ってしまうのだ。そう思うと、いたたまれない気持ちになる。路地をまわり始めて十○年以上になるが、あまりにも気持ちが重く、胃をいためて一年間どこの路地にも出られずにいたこともあった。
だったらこんな、傷口に塩をなすりつけてまわるような旅などしなければいいのにと、自分でも思わないこともないが、不器用な私はいつまでも、このような人の心のひだを覗き込むような旅しかできないでいた。いくら同じように身を切ったとしても、路地の人にとって、それは所詮、他人の血であった。」
西村賢太ってこんな感じだよなあと思ったら西村賢太が後書き書いてた
雰囲気があってすごく好きだなあと思ったけど被差別部落のルポルタージュだからこんな感想を持ったことを言ってはいけないのかなと思ったけど、西村賢太が「感傷的に描いている」と言ってたからこの感想でいいみたい
これを読んだどこかの編集者から小説の依頼も来たみたいだから、やっぱり書き方が上手なんだろうな
西村賢太の後書きも面白かったので
「被差別部落が、"路地"とも称されることは、これまで全く知らなかった。〜だから、そうした予備知識がなく本書のタイトルを眺めた場合、或いはこれを気のいいお散歩エッセイ風の内容に思う人も少なくないように思う。スローライフ提案型の、いかにも素っとぼけた味わいを意識した紀行文と思う人もあるだろう。
が、本書はそんな虫酸の走る、毒にも薬にもならぬようなヤワな駄本ではない。その内容は戦慄を覚える程に毒となり、具合が悪くなるまでの強い薬となり得るものだ」
私これすごく好きだった
こんなシンプルな装丁の小さな本にこんなに広い物語が詰まってると思わなかった
誰かに読んでほしい -
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上原 善広
(うえはら よしひろ)1973年大阪府生まれ。ノンフィクション作家。大阪体育大学卒業後、ノンフィクションの取材・執筆を始める。日本各地の被差別部落を訪ねた『日本の路地を旅する』で、2010年第41回大宅壮一ノンフィクション賞受賞。2012年、「孤独なポピュリストの原点」(特集『「最も危険な政治家」橋下徹研究』、新潮45)で第18回編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム賞大賞受賞。『一投に賭ける』2016年度ミズノスポーツライター賞優秀賞を受賞。著書に『路地の子』、『発掘狂騒史』など多数。
徳島のある駅に降り立ち、一番寺へ歩いていこうとしたとき、突然見知らぬ女が詰め寄ってきてこう言った。 「遍路すると不幸になりますよ。真言宗は密教だから、遍路なんてやめた方がいいですよ」 これから遍路に出る者に対して、ずいぶんな歓迎だった。 後にわかったのだが、四国遍路では時おり「遍路すると不幸になる」と説教されることがある。おそらく他宗派を邪教とする、熱心な新宗教の信者ではないかということだった。そうと知っていたら確認したのだが、このときはただ面食らって通り過ぎてしまった。
私が遍路を歩こうと思ったのには、いくつか理由がある。 一九九〇年代、四国遍路は何度目かのブームを迎えていたが、信仰心の 欠片 もない私は、馬鹿々々しいことだと斜に構えていた。 しかし四八という歳にもなれば、そのようなわだかまりは小さなものになっていた。歳をとって、どうも自分は恥さらしの人生を歩んでいるようだと、 諦観 するようにもなった。恥さらしとはつまり、遍路に出たと聞いた周囲の人が「やっぱり」と思うような人生のことである。 遍路に出ようと思った直接のきっかけは、睡眠薬依存から脱するための運動療法だった。
四国遍路が成立した背景には、この地が、訪ねることが難しい四国という 僻地 にあることが大きく関係している。江戸時代はもちろんだが、交通の便が良くなった現代においても、不思議なことに四国はそう簡単に行けるところではない。現代においても、四国への道のりは依然として精神的な僻地感を 拭いきれないでいる。 だから昭和三〇年代(一九五五~六四) 以降、交通の便が良くなって大きく変わったのは、四国までの距離感よりも、徒歩でしかできなかった四国遍路が車やバスでできるようになったことだ。それまで徒歩で二、三ヵ月かかっていた巡礼が、一〇日ほどで回れるよう劇的に変化した。そして高度経済成長をへて生活が安定してくるようになると、歩き遍路もきれいで清潔なイメージへと変化してゆく。 戦前までの四国遍路といえば、まだ歩いて回る人が多かった。当時は業病とされたハンセン病をはじめとして眼病、足の障害などの治癒を願って回る者も多かったし、口べらしのために四国遍路に出される者も多かった。遍路で生計を立てている者が多くいたのだ。
「いろいろあるけど、たとえばオヤジ(組長) にこれで遊んで来いと言われて五〇万もらったら、パチンコ屋に行く。パチンコ屋もグルで、大箱を毎回出してくれるが、それは置いといて、わざと負けた振りする。それでわざと札束を出して客に見えるように数えてると、パチンコで負けた女がすり寄ってくるんだ。一緒に飯でも食べようと誘ってくるが、忙しいからと断ると、一万貸してほしいと必ず言ってくる。それで貸してやると、次もまた返さずに借りにくる。そこでしっかりハメて、肉体関係をもつんじゃ。女もよくわかっとる。大抵はよう返さんから、ソープに沈めるなりして金にして、オヤジに五〇万だけ返すんじゃ」 「つまりギャンブル依存症の女性を狙うんですか」 「そうよ。その他にもまだいろいろある。あるときはフィリピンの女を三人ばかりワンルームで管理したりな。やりたいときはトイレでやるからセックスには困らん。一人一日六〇〇〇円は稼ぐから、三人で一万八〇〇〇円。オヤジに八〇〇〇円渡すから、ワシは一万の 儲け。とっかえひっかえ女とセックスして、何もしなくても一日一万は入ってくるというわけだ。
「確かに、同和地区ちゅうのは旧遍路道沿いにある。じゃのに同和と遍路が関係ないのは、そりゃあ昔は同和が番太(警備) やっとったからやろう
「だって生活遍路というのは、昔から何か陰のある人が多かったでしょう。なぜ遍路を始めたのかと、こちらから訊くこともないし、訊いても本当のところは答えないというか、答えられない人が多い。もともと遍路している人に『なぜ』と訊くのはタブーだとされているくらいじゃからね。生活遍路に限らず、遍路に出る人はみな何かあるから遍路をする。何もない人は遍路になんか出ない。ましてや生活遍路は、やっぱりいろいろあったから遍路しながら野宿生活することになったわけでしょう。だから幸月さんが犯罪者だと聞いたときは、まあちょっとは驚きましたけど、そういうこともあるだろうなと思っただけでした。
ハンセン病や身体障害などで、若いうちから故郷を追われて遍路になった者の中には、 歪んでしまって不良遍路になる者もいたが、そうした者も住民や 僧侶 の信仰によって立ち直ることも 稀 にはあったし、延々と寺巡りをするのに絶望して極道になる者、またはそのまま道端に 斃 れる者もいた。そうした意味では遍路は一種ゆるやかな自殺行為という側面もあったが、少なくともどのような道を選ぶかは遍路自身にゆだねられている。
鑑別所では自由に本を読むことができたので、このとき飛躍的に勉強が進みました。いろんな本を読み 漁りました。もともと字が読めなかった父の代筆をするくらい活字が好きだったことが幸いしたのでしょう。難しい漢字も、書道もすべて鑑別所や刑務所で学びました。
その後は九州を転々としながらヤミの売人をしていましたが、この頃、ヤクザと関係をもつようになりました。詳しくは話せませんが、いろいろありました。 別府 駅で知り合いのヤクザの女に声をかけたところを逮捕され、大分刑務所に三年ほど入ることになりました。鑑別所を入れれば、これが二度目の刑務所だ。
人間はもともと矛盾に満ちた存在なのだから、行動に矛盾が生じるのは不可避なのだが、幸月の罪を追及する立場にある検察官と裁判官にはまるで通じる。
「通常のお遍路は、事件の罪を償った後に、それを悔いて行うものだと思う。被告は罪をおかしたまま遍路をしており、しかも『両親の供養と自分の苦行』のためだと供述している。
「お遍路をする人は誰しも陰をもっています。お遍路の心は同行二人であり、自分自身と向き合って反省するということなので、罪を償う前でも良いのだ。
──拝啓 朝夕は秋冷の候とは申せ日中は暑さつづきです。不肖遍路幸月の逮捕・拘禁と世間をお騒がせし皆さまに大変な御迷惑・御不興を与えました。心から深くお詫び申し上げます。 私にとって事件は十二年前のことであり、六年間にわたる遍路生活は両親の供養、自らの死に場所を求めての行でありました。思えば私が被害者を刺した時に激しく争われて握っていた包丁を取り落しました。 其の時落ちた包丁の先が丸く曲がり、其の後再び私は刺したが刺さらず断念しました。 之 は私が包丁を故意に曲げたものでも偶然でもない。私がそれ以上、危害を加えられず被害者の一命をも取り止めました。 今、私は神仏の啓示を見た思いです。人の一生は 棺 に入るまで解らぬと申します。私は運命を受諾し傷害を与えた罪を償いたいと思います。六年間の遍路生活は野宿で苦難でしたが幸福でした。お大師さまがいたからです。これからもお大師様と二人です(二〇〇三年九月二一日)
──身元引受人以外、住所氏名他人は一切記載することが出来ないので、年とともに御世話になった知人恩人の名前や住所がおぼろに消えていくのが哀しい。八十二才にして初めて辞書を買いました。お陰でいまは書くのが楽しみです。般若心経などの写経をしています。独居房ですのでお隣さんに迷惑にならないよう読経しています。扇風機の風もどこ吹く風、頭はボーッとなり胸や腹のあたりに汗が滲み溜まり、ブリーフの上部は濡れっぱなしになり乾くひまもありません(二〇〇五年七月一九日)
──連日の猛暑です。ここ堺でも毎日三十五、六度です。三畳一間に 団扇 一本、廊下側は鉄扉三十センチのガラス二枚分の窓では涼しい風は望めません。五時に身体 拭き一回、水の節約で厳しい規則です。そんな中で昨日、抹茶アイス、今日はコカ・コーラ一本支給されました。年に一度の 娑婆 を味わっています。八月一日に大阪刑務所長賞を受け取りました。何でも三年間懲罰なし無事故の褒賞だそうです。老齢ですが運動を心がけ、体調は 頗る快調です。 私が六年間過ごした遍路道で出会った人々との 絆、交わした握手は人の心を握るのと同じことでした。 或る日、私は遍路中に高知市から数日かけて高岡町を歩いていた。ふとしたことからさそいにのり、高岡町から 青龍寺 へ車にのり向かう 筈 だったのに、高知市のはりまや橋近くで放り出されていた。車で来た道をまた高岡へ歩き始めた。秋の日は暮れはじめていた。うしろから来た車の婦人に声をかけられた。「お遍路さん何処へ行くんですか」訳を話した。この道は青龍寺には遠回りになります、送ってあげましょうと云われ青龍寺近くで降ろして頂く。厚くお礼を述べると婦人はお布施ですと千円を渡された。そして婦人は石鎚山の行者であった父から絶えず諭された言葉があるといった。「お布施をさせて頂いてありがとうございました」と言える人間になれと。そう告げられて婦人は去られた。 刺した手です祈る手です 幸月(二〇〇七年八月二八日) -
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四国遍路のダークサイドに焦点を当てて言及した本。
その中でも草遍路の方々についての話が特に面白かった。
10年ほど前に私自身、通しで歩き遍路をしたのだが、度々草遍路の方々と出会う事があった。
どういう経緯で草遍路をしているのか尋ねたかったが、もちろんそんな度胸はなく、結局接点を持つ事のないまま遍路を終えてしまった。
話しかけることすら憚れる草遍路の方々に直撃インタビューをしたり、行動を共にしていた筆者の度胸には感服する。
本書はどうしても暗い展開に行きがちだが、お遍路は悲しい物語ばかりではない。
歩き遍路を通して運命の伴侶と巡り合って家庭を持って遍路宿を営んでいる夫婦であったり、病気がきっかけでお遍路を始めて完治して仕事をバリバリがんばっている人も少なからずいるということは本書を手に取った方々には知っておいていただきたい。
光と闇の物語が交差するこの混沌こそ、四国遍路の醍醐味だと改めて気付かされた。 -
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著者の断薬の記録。
私の周囲には、長期的に精神薬をとっている人がいますが、断薬・減薬できたという話は聞いたことがありません。
やろうとしている人はいるのですが、かなり大変みたいで、「減薬をあきらめた」という人もいます。
ほんの小さな化学物質のカタマリなのに、ほんの少し削っただけでも脳が異変を起こす。
そんな恐ろしい物質って、なかなかないですよね。
著者のように一ヶ月温泉でデトックスできるような状況の人なら、ぜひ転地療養で、一気に断薬できるといいなと思いますね。
だいたいが、生活がある、仕事がある、物理的に、経済的に無理という人ばかりです。
そりゃあそうですよね・・・
医者に処方された精神薬が限界まで増えて、減らすために入院する人もいます。
かんたんに薬に手を出さないように周知して欲しい・・・ -
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ネタバレ解放教育の全盛期から衰退までを検証したルポルタージュ。筆者の回顧も交えた河内の実践→八鹿高校事件・世羅高校事件→同和教育・解放教育の現状と再び筆者の回顧という構成。
その発展があくまでも「国家権力」を後ろ盾にしていたが故に可能となったものであり、またこれに付随する様々な歪みや悲劇があった事実を析出しながらも、今日でも語り継がれるべき何かがあったことに迫った一冊。タイトルの「今日もあの子が机にいない」は1950年代に再興した同和教育の学力保障運動のスローガンから取られたものであり、ここに筆者の解放教育への眼差しが集約されていると思われた。 -
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『発掘狂騒史』(上原善広著、新潮文庫)は2017年の文庫だが、2014年の『石の虚塔』の文庫化。
2000年の旧石器捏造事件についても書かれてある。
また群馬県の岩宿遺跡を発掘した在野の研究家、相澤忠洋のドラマチックな生涯についてよく書かれていた。旅芸人の父は旅に出て、母がある日家を出てから、兄弟は離れ離れで親戚に預けられる。出征直前の母との再会もあったが、戦後は自転車で行商をしながら石器を拾い集め、やがて発掘に熱中して妻子や生活を返り見ず、資産家の女の援助を受けるなどという話。日本には旅芸人などの定住しない人たちの文化というものが確かにあったというのは、宮本常一などもいう通りで、そうした昔の力の発現もどこかにはあったのだろう。
捏造事件については特異な粘着性のある子弟関係の歪みといった印象。 -
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東京生まれ東京育ちの自分は、ほぼ同和問題とは無縁の生活を送ってきたが、何故か、惹かれる。不謹慎なのは承知してるが、怖いもの見たさや、知らない世界を教えてくれるような気がする。
人間の本質なのか、人より優位に立ちたいという思いが、差別を産み、より弱いものいじめに走る。なんともやりきれない。
作者は、何を求めて「路地」をさまようのか。本書を読んでも分かるような分からんような。仕事柄、「路地」に行くこともままあるが、そこでの対応には、やはり気を使うこともある。同和も人権も言葉としてはあまり好きではないが、要は、差別する人の心の有り様が問題なんだろう。今の国際情勢は差別がものすごく進んでいる気がするが、何れも、自分の正当性を声高に叫んでいるのだろう。
日本が、国内的に真の解放を成し得ることが出来れば、世界的にも今の情勢を変え得る処方箋を示せるかもしれない。 -
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あぶらかす・フェジョアーダ・ガンボ、そしてフライドチキン。今では一般的な市民権を得たものも多い各地の「ソウルフード」は、かつて差別と貧困に苦しめられた人々が知恵と工夫で編み出した食べ物だった。
関西の被差別部落地域、アメリカ南部、ブラジル、ネパール……と世界各国を旅しながら食べ歩いたソウルフードにはいくつかの共通点があり
・加工調理に手間がかかる
・味に癖がある/食べづらい
・そのため本来は加工の途中で廃棄されていた
・(おもに宗教観に基づき)「穢れ」と見なされている
材料だということ。それに手間暇をかけ、あるいは味付けや香辛料で工夫を施して出来上がった料理だということが挙げられる。
そして彼らはそれを「ソウルフード」として愛着や誇り、または複雑な感情を内包しつつ愛しているということ。
中には、もともと貧しいアメリカ南部黒人奴隷の食べ物であったフライドチキンのように、ファストフードとして世界中で愛されているもの、マストな名物料理としてガイドブックに掲載され、知られているものも少なくない。
筆者自身も被差別部落の出身であり、各地で問題意識を忘れずに被差別の歴史や現状のルポを行っているが、それ以上に「本場本物のソウルフードを味わいたい」という食欲を忘れていないため、重すぎない内容になっていてバランスが保たれている。
その中にあってやはりネパールやロマの話は重く、考えさせられることは多い。