上原善広のレビュー一覧
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著者の上原善広は自ら被差別部落出身であることを公表しているジャーナリスト。知らなかったが、いろいろ毀誉褒貶のある人らしい。
文中では被差別部落のことを一環して「路地」と記載されているが、これは中上健次に習ったものらしい。浅学なはらそのような呼称があるとは知らなかった。
内容的には1章の路地の食文化を扱った部分は流石に読み応えがあるが、2章移行のアイヌや沖縄に関する部分はご当地グルメレポートの域を超えたものではないかなぁ・・・
アイヌや琉球の食文化というのは差別と まったくの無関係とはいえないだろうが、差別云々以前に元から独自の文化を持つ民族な訳で、その食文化を語るうえで被差別部落や在日朝鮮人とは少し違うものがあるのではないだろうか。 -
Posted by ブクログ
被差別部落の出自を持つ著者は「二本の路地を旅する」で幾多の賞を取り、西村賢太からも絶賛されている、
どんな無頼漢かと想像していたが、まっとうなルポ、まっとうな主張だ。文章はそこまでうまくない。
ただしルポの場合は、その拙さが逆に現場感を生み出している。本書は、差別語を著者の個人的体験や取材に基づき解説し、批評していく。
1)差別するのは言葉ではなく、人である。
2)汚いものに蓋をすれば、それは内向し鬱屈していく。
3)歴史的、慣習的な語句は残すべき
4)言葉は歴史であり、文化である
これが根本的な彼の考えで、言葉としてすでに差別的なものは消えていくべきだが、言葉は歴史を背負っており、つまらぬ人権意識で葬れば、本来言葉が持っていたまっとうな意味や知恵は失われていく。
「一度失った言葉を取り戻すのは容易ではない」と上原は語る。
逆に言えば、こうした禁句は禁句だからこそ実に生々しく、本来の姿から遠く離れた化物になってしまったのだろう。
ネット言論が飛び交うようになったため、言葉を言葉として使うのはますます難しくなる。
(著者はネットに疎いらしく「チョンは最近はめったに使われることはない」などと書いている。リサーチ不足ではあるが、ルポライターらしいネット下手が逆に信頼できる)
一方で、本来の意味で使用するケース自体が少なくなっている。エタヒニンももはやほとんど存在しないのだ。
だから、結果的に差別用語は消えていかねばならないだろう。ともかく、やはり被差別民がこうしたことを淡々と書いたことは意義深い。
知識として。
穢多と非人は仲が悪かった。非人は足を洗えば一般人に戻れる。江戸時代、乞食は諜報活動も担っていた。
幕末の内戦には身分を上げてやると言われて参加した被差別民が多かった。バカチョンのチョンは「一人前以下」の意である。
死体や興行が被差別と絡むのはよく分かるが、なぜ竹細工や石切までもがエタなのだろうか。
それは士農工商の工ではないのだろうか。 -
Posted by ブクログ
当事者である著者でないとできない紀行。そして、いまだに残っているところもあることに純粋に驚く。東京だと、あの辺りが昔そうだった、くらいで今の住人はそんなに関係なく(たぶん)、本人が言わない限り分からない(と思う)。けど、この本を読むと、この地区は何戸、とかあって。戸数が分かるって‥消えてないんだな、と。居住地と名字で地元の人はわかる、と西日本の人から聞いたことはあるけれど、本当にそうなんだ、、息苦しいな、、
ルポとしては、前半は普通に読んでいけるんだけど、後半になるにつれて事件やヤクザ、著者の前科者の兄の話が出てきて重苦しい。その辺は私小説的。 -
Posted by ブクログ
(01)
現代の日本の風景を考える上で,本書に現わされた内容は興味深い.
歩いていると,不思議な風景に出会うことがある.不思議さとして直観されるその風景には事情がある.その事情の一脈を「路地」として解きほぐしている.
文庫版解説の西村氏が氏らしく「知らなかった」と告白しているように,私も路地という呼称のこのような用法を知らなかった.中世都市に起源があるとされる狭い街路を指示する路地を考える上でも,この命名が再考を促す問題の範囲は,ことのほか広い.
「部落」という用語は,今でも地方に残るが,それは国土にある人の住む場所場所のおおよそ全てを含んでいた.「路地」についても同じことがいえ,それは近代日本になされた都市的な集住地のほぼすべてを網羅していたともいえる.その意味で,「日本の路地」は,ほとんど「日本の都市」(*02)と言い換えて,本書を読んでもよいだろう.
(02)
本書には,差別がその内部で階層化されている様子も描いている.エタと非人の関係もそうであるし,上下という路地内路地であるとか,職業間や路地間での競合的対立的な構造は,階層化される傾向にある.
この問題を敷衍し,帰納したときに得られる仮説は,すべての日本人や日本人が住む地域は,程度の強弱はあれ,何者かによって差別されていた/いるということである.逆にいえば,この階層化を駆け上ろうという欲望や衝動が近代の都市化に具体的な関わりをもっている.
本書では,具体的な字名クラスの地名を避けているが,それでも本書に現われる地名の多くは,列島的な広がりで派生されるほどの重要な要素を含んでる.
その点でも,本書には,路地だけでなく,路地外をも囲いこむ示唆が盛り込まれている. -
Posted by ブクログ
・聖路加国際病院の訪問看護師は病棟勤務後配属される。訪問看護科には医師がいない。(入院時の主治医が各訪問先の医師であるため)看護師の個々人の判断が必要。
・聖路加国際病院の訪問看護ステーションは公衆衛生看護部→訪問看護科を経てできた。
・看れる患者は遠方でも対応する。(聖路加国際病院に入院されていた方が遠方の人もいるため)
・長期療養できる病院が廃止されつつあり、訪問看護が必要になってくる。
訪問看護は病院に比べて、一人一人をしっかりと看れることはとてもいいことだと思う。また、病院より家で看取られたい患者も多くニーズを応えている。今後、訪問看護の需要が増えてくる可能性を感じた。