上原善広のレビュー一覧
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被差別部落の出自を持つ著者は「二本の路地を旅する」で幾多の賞を取り、西村賢太からも絶賛されている、
どんな無頼漢かと想像していたが、まっとうなルポ、まっとうな主張だ。文章はそこまでうまくない。
ただしルポの場合は、その拙さが逆に現場感を生み出している。本書は、差別語を著者の個人的体験や取材に基づき解説し、批評していく。
1)差別するのは言葉ではなく、人である。
2)汚いものに蓋をすれば、それは内向し鬱屈していく。
3)歴史的、慣習的な語句は残すべき
4)言葉は歴史であり、文化である
これが根本的な彼の考えで、言葉としてすでに差別的なものは消えていくべきだが、言葉は歴史を背負っており、つまらぬ人 -
Posted by ブクログ
当事者である著者でないとできない紀行。そして、いまだに残っているところもあることに純粋に驚く。東京だと、あの辺りが昔そうだった、くらいで今の住人はそんなに関係なく(たぶん)、本人が言わない限り分からない(と思う)。けど、この本を読むと、この地区は何戸、とかあって。戸数が分かるって‥消えてないんだな、と。居住地と名字で地元の人はわかる、と西日本の人から聞いたことはあるけれど、本当にそうなんだ、、息苦しいな、、
ルポとしては、前半は普通に読んでいけるんだけど、後半になるにつれて事件やヤクザ、著者の前科者の兄の話が出てきて重苦しい。その辺は私小説的。 -
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(01)
現代の日本の風景を考える上で,本書に現わされた内容は興味深い.
歩いていると,不思議な風景に出会うことがある.不思議さとして直観されるその風景には事情がある.その事情の一脈を「路地」として解きほぐしている.
文庫版解説の西村氏が氏らしく「知らなかった」と告白しているように,私も路地という呼称のこのような用法を知らなかった.中世都市に起源があるとされる狭い街路を指示する路地を考える上でも,この命名が再考を促す問題の範囲は,ことのほか広い.
「部落」という用語は,今でも地方に残るが,それは国土にある人の住む場所場所のおおよそ全てを含んでいた.「路地」についても同じことがいえ,それは近代日 -
- カート
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試し読み
Posted by ブクログ
・聖路加国際病院の訪問看護師は病棟勤務後配属される。訪問看護科には医師がいない。(入院時の主治医が各訪問先の医師であるため)看護師の個々人の判断が必要。
・聖路加国際病院の訪問看護ステーションは公衆衛生看護部→訪問看護科を経てできた。
・看れる患者は遠方でも対応する。(聖路加国際病院に入院されていた方が遠方の人もいるため)
・長期療養できる病院が廃止されつつあり、訪問看護が必要になってくる。
訪問看護は病院に比べて、一人一人をしっかりと看れることはとてもいいことだと思う。また、病院より家で看取られたい患者も多くニーズを応えている。今後、訪問看護の需要が増えてくる可能性を感じた。 -
Posted by ブクログ
差別用語とされる言葉と、その歴史的背景を紹介したもの。
言葉狩りの問題にはとても興味があります。自分の親世代の人が普通に使ってる言葉が差別用語に認定されてたりして驚きました。
筆者が作品中で何度も主張している通り、差別する意図をもって使えば言葉は差別語になるし、何でもかんでも規制すればいいというものではないと思う。明らかに差別的な言葉は規制されて当然だと思うけど、行き過ぎた自主規制には言い知れぬ不気味さを感じる。とはいえ、テレビや雑誌では発信側が「差別的な意図はなかった」と言っても受け取る側が不快に思ったらもうそれは差別語になってしまうんだろうなぁ。そう考えると、余計なトラブルにならないように