岡潔のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
本書は、岡潔さんが近頃の日本人の情緒のあり方について問題意識を持ち、そのあるべき姿を様々な側面から語られています。
その教養の幅の広さから専門的で分からない内容の話に入ることも多かったのですが、一つ一つの事柄に対し、岡さん本人が感じていることを率直で丁寧に綴られていることが印象的でした。「情緒」が働くというのはこういうことなのかな、ということを感じさせてくれる文体で、学ぶことに対して純粋な姿勢がよく伝わる本でした。
私自身、今まで会ってきた優秀な人は共通して「がむしゃらさ」といった雰囲気ではなく、自然でしなやかな雰囲気があると思いつつも、日常では把握しきれない何かがあると感じていました。そ -
Posted by ブクログ
日本古来の美しいものは情緒から成り立っているという考え方をとき、古き良き日本人の心や生き方を重んじていることを強いメッセージ性として感じる一冊であった。
そしてその日本古来のの美しさ根底を揺るがしている近年の日本教育について世の中に警鐘を鳴らし続けていたのも特徴的であった。今まで日本から生まれていた素晴らしい技術やアイデアが徐々に世界で頭角を現さなくなってきたのも日本の教育が戦後西洋的型に無理やりはめ込まれたからだという考えも一理あると考えさせられた。
今の自分に特に刺さったのは以下の2文である。
「ある時期は茎が、ある時期は葉が主に伸びるということぐらいは戦時中皆かぼちゃを作ったから知って -
Posted by ブクログ
人の中心は情緒である という書き出しで始まる
日本文化の特性がこの情緒を土台に組み立てられていることや、それがいかに美しい心情を生み出してきたかを様々な側面から論じている。
そして昨今の教育制度がいかにこの情緒的中心が失われ、それによって子供たちの創造性が阻害されてきたか警鐘を鳴らす
特に前半はあるべき日本人観のようなものが書かれていて名著。日本有数の数学者が書いている点も大変興味深い
情緒とは自然が人間に差し出してくれるもの を指していると解説にあった
人の人たる道をどんどん踏み込んでいけば宗教に到達せざるを得ない。
人の悲しみがわかること、そして自分もまた悲しいと感じることが宗教の本 -
Posted by ブクログ
ただのメモ
無明≒小我≒西洋的な自我
人は自己中心に知情意し, 感覚し, 行為するものであるが, 自己中心的な行為しようとする本能のことを無明という.
岡潔は無明をおさえれば, やっていることが面白くなってくるというが, これは無明を超えた真の自分の心, ユングでいう自己から俯瞰してみるということなのだろうか.
一番面白かったのは, 数学が抽象的になってしまったという話だった.
感情的に矛盾するとしか思えない二つの命題を共に仮定してもそれが矛盾しないという証明が出てしまったことにより, 知情意の知のみの領域へ入り込んでしまった. 矛盾するというのは情であり感情の満足であるが, これが納得 -
Posted by ブクログ
情緒を磨きなさい。今の教育は急かしすぎている。人の中心は情緒であるからゆっくりと健全に育てなければならないのだ。そうでないと数学も人も社会の心もわからないのだ。損得感情抜きに、自分がこれだと思う直観を大切に理路整然とした行いをしなさいー現在の教育問題にも通ずる大数学者の人間論。
自明のことを自明としてみて(=純粋直観)、少しも打算を伴わない理路整然とした行い(=善行)を人生の中で大切にしていたい。
10年後、子育ての際にも参考にしたい。
「数学の本体は調和の精神である」とポアンカレーはいう。数学者である岡潔がこんなに素晴らしい人間論をかくものだから、数学にも興味が湧いてしまった。 -
Posted by ブクログ
〈本から〉
自然の感銘と発見とはよく結びつくものらしい。
自然の風景に恍惚としたときなどに意識に切れ目ができ、その間から成熟を待っていたものが顔を出すらしい。そのときに見えたものを後になってから書くだけで、描写を重ねていけば自然に論文ができあがる。
情操が深まれば境地が進む
何事にもよらず、力の強いのがよいといった考え方は文化とは何のかかわりもない。むしろ野蛮だと呼ぶべきだろう。
「楽しむ」というのが学問の中心に住むことにほかならない。
理想とか、その内容である真善美は、私には理性の世界のものではなく、ただ実在感としてこの世界と交渉を持つもののように思われる。
略
理想とはおそろしく