岡潔のレビュー一覧

  • 春宵十話

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    現代の視点からは、さすがに偏っているな(公に白黒ハッキリさせることが好まれない、という意味で)と感じさせる部分はあるものの
    日々の忙しさや効率一辺倒の思考回路で生活している人なら
    「あー…そうだよなぁ」
    と、自分の心を今一度振り返ってみたくなる一冊になり得そう。
    教育者は一読しておくべし!かも。
    先述の通り、極端さは否めないものの、
    その表面的な文面の奥底に、今もこれからも明らかに大事な「何か」が潜んでいるように思えてなりません。

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    2025年08月28日
  • 人間の建設

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    数学は理論的に筋が通っていたとしても感情に訴えられなければ数学とはいえない。なるほどなぁ。。たしかに、数学という枠組みの中で論理が一貫していなければいけないという伝統?があるのは知っていたが、いわれてみればそれと同等くらいに「美しさ」も追求するのが数学だなと思う。そういう意味で数学は完璧で、数学者も完璧主義的なところがあるのかなと思った。

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    2025年08月11日
  • 人間の建設

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    むっっっずーーーーーーー!笑
    頭のいい人たちってこんな会話をするんだ、できるんだ。。。。すごい。。。
    けど、理解できるようになるまで何回も読み直したいなと思いました。

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    2025年05月22日
  • 人間の建設

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    天才同士の対話、と聞くと思わず尻込みしそうになるけれど、扱われているテーマはとても普遍的で、人間の学び、創造の根源について考えさせられる
    数学・批評論だけに留まらず、芸術、特に絵画についての意見交換を楽しく読んだ

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    2025年05月15日
  • 春宵十話

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    「人の中心は情緒である」から始まる本書は、随所で情緒の重要性を強調している。感情や心、精神といった言葉ではなく、あえて「情緒」が重要だと述べている点が肝なのだろう。一般的に情緒は、何かに触れた際に生じる様々な感情や心の動きを指すことが多い。しかし、その説明だけでは捉えきれない、より深いニュアンスがあるように感じる。本書で用いられている「情緒」も、一般的な意味合いとは異なるようだ。

    私自身は、「情緒」という言葉に自然との繋がりを強く感じていた。自然そのものや、自然の美しさを謳う詩に触れたときに湧き上がる心の動き。木々や草花を見て美しいと感じる心、百人一首や漢詩を読み、揺さぶられる感情。それらは、情の緒が自然と確かに結びついているような、そんなイメージだった。

    本書における「情緒」も、そのような自然との繋がりを意味しているのだろうかと考えていたところ、解説で見事な表現に出会った。「『自然が人間に差し出してくれるもの』を上手に受け取って生きるための通路」。なるほど、情緒とは「自然への通路」なのだ。この表現によって、私が抱いていた「情緒」のイメージがストンと腑に落ちた

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    2025年04月21日
  • 人間の建設

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    小林秀雄と岡潔の対談。
    痺れるほどの知性。
    ただ自分には正直半分も理解できたとは言い難い。
    何かに突き抜けたひとたちというものは、あらゆることを見通せるものなのだろうか。

    日本人は欧米の個人主義を真似るのをやめて、小我を捨てるべしという考え方は、奇しくも昭和史の中で半藤一利さんも似たようなことを仰っていた。
    もっと研鑽を積んでから読み返したい。

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    2025年04月06日
  • 数学する人生(新潮文庫)

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    数学者という人たちがどんなものなのか、興味を持って読む。頭の中のキャンバスに絵を変えていくように問題を解いていくという、なんも参考にはならない情報。うらやましいなと。

    哲学的な考察が興味深い。自分というものは物理的な自分ではない。そんな狭い自分の定義のなかから楽しみや幸せを生み出すことはできない。そうではなく、自分が興味を持った、その対象を含めて自分なのである。花を思えば、その花を含めて自分なのである。そのものの見方によれば、生きることの面白さは格段に広がる、と。

    突き詰めて考える人なのだな。

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    2025年03月23日
  • 岡潔 数学を志す人に

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    数学を志す人にという副題ですが「数学はアビリティだけでできるものではない。人間としてでき上がらねばだめだ」という著者の言葉のとおり、人の情緒や美の話が主となっています。
    中でも信頼と存在について語られた『天と地』がよかった。「それがあなたの心の夜明けなのです」で終わるかっこよさ。持っている数学者のイメージと違うのではないでしょうか。

    仏教の話は微妙だなと思っていたら、解説に「おもしろくない」とバッチリ書かれていて笑ってしまった。解説も含め一冊として楽しめた本でした。

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    2025年02月02日
  • 人間の建設

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    批評家小林秀雄と数学者岡潔の対談。
    今の感覚からするとうーん、と思う部分も多々あるが対談の端々から感じる知性の瑞々しさや柔らかさからはキラキラと光るものも多く感じる。
    特に「情緒」≒「直感」の考え方はとても面白く感じた。

    あと小林秀雄がどうしても岡潔とベルクソンを引き合わせたい感が面白かった。

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    2024年12月04日
  • 人間の建設

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    「〔岡〕昔の(日本の)国家主義や軍国主義は、それ自体は、間違っていても教育としては自我を抑止していました。だから今の個人主義が間違っている。自己中心に考えるということを個人の尊厳だなどと教えないで、そこを直してほしい。
    《中略》 神風の恐しさは見たものでなければわからない《中略》ものすごい死に方をしている。」(p.119)

    「〔岡〕私は日本人の長所の一つは、《中略》神風のごとく死ねることだと思います。《中略》 あれができる民族でなければ、世界の滅亡を防ぎ止めることはできないとまで思うのです。」(p.139)

    「〔小林〕特攻隊というと、批評家はたいへん観念的に批判しますね。悪い政治の犠牲者という公式を使って。特攻隊で飛び立つときの青年の心持になってみるという想像力は省略するのです。」(p.140)



    批評家・小林秀雄と数学者・岡潔の対談。

    話題が広範に渡り、無限の知の泉が2つ湧いているかの如く。
    岡氏の専門である数学と物理学との関係、ベルクソンと時間概念に焦点を当てた哲学議論、ピカソやゴッホなどの絵画芸術 、ドストエフスキーとトルストイに関するキリスト教とロシア文学論、など。

    哲学史や美術史から物理学の簡単な解説まであり、登場人物も多いので、手元に置いておくと、ちょっとした「大人の百科事典」のように使えそうだ。


    その中で特に印象的だったものを、ここの冒頭に引用した。
    戦後の個人主義とそれを基礎とした教育制度についての問題提議である。

    個人主義の反対概念として、特攻のような「自己を捧げる」行動については、バーリンやラインホールド・ニーバーが主張した「(宗教道徳に基づく)自己犠牲の精神」と通ずるものがある。

    また、「特攻ができる日本人でなければ、世界の滅亡を防ぐことはできない」という岡氏の言葉は、タルコフスキー監督の映画『ノスタルジア』を想起させた。
    世界を救うために自らの命を擲つ2人の男性の物語だ。

    近代思想のメインストリームである単純な個人主義礼賛・全体主義批判では、特攻とは若者の未来を奪う許されざる戦法と批判される。
    現代の日本では、自分も含めて、そういうパターンがどこかに染みついているが、それは思考停止でもある。
    それをずばり指摘した小林氏の、「悪い政治の犠牲者という公式を使って」と言う言葉は、あまりに核心をついている。

    この対談の当時、両氏のように問題提議する賢人がいたことは、社会の財産であったと感じた。
    「自己犠牲」というテーマは今後さらに掘り下げたい。



    この本はたまたま飲みつつ読んだが、知的な肴のおかげで大変良い時間を過ごせた。
    茂木健一郎は解説で、本書について、「声に出して読みたい対話」「音楽に似ている」と語っていたが、飲酒で程よく脱力した脳にすっと吸収するような読み方も悪くなかった。
    そのような体験を提供してくれる読書は素晴らしい。
    酒の肴になるような、知性溢れる本が他にも無いものか、と探してみたくなった。



    蛇足であるが読書メモとして、
    去年読んだ小林秀雄の『本居宣長』は「失敗作」という評判であることを読後に知ったのだが、本著で小林氏が『本居宣長』執筆のくだりから、
    「この頃、仕事をしていて、とんでもない失敗をするかもしれないなと、いつでも思う」
    と自ら予告しているのには思わず吹いた。
    作家の永井龍男と小林秀雄が友人同士、ということも知り、洒落た2人にもほのぼのした。

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    2024年11月15日
  • 春宵十話

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    「人間の建設」を読んで岡潔をもっと知りたくなって。明治は金で岡の時代を銅だと評し、同時代に警鐘を鳴らしている。そうなると果たして現代は。「人間の建設」で触れられた"世界の知力が低下してきている"の意味が分かる。金言に溢れている。

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    2024年08月04日
  • 人間の建設

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    ネタバレ

    友人に勧められて。

    小林
    …誰でもめいめいがみんな自分の歴史をもっている。オギャアと生れてからの歴史は、どうしたって背負っているのです。伝統を否定しようと、民族を否定しようとかまわない。やっぱり記憶がよみがえるということがあるのです。記憶が勝手によみがえるのですからね、これはどうしようもないのです。これが私になんらかの感動を与えたりするということもまた、私の意志ではないのです、記憶がやるんです。記憶が幼時のなつかしさに連れていくのです。言葉が発生する原始状態は、誰の心のなかにも、どんな文明人の精神のなかにも持続している。そこに立ちかえることを、芭蕉は不易と読んだのではないかと思います。(p.133)
    ベルクソンの「物質と記憶」にその後言及。

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    2024年08月02日
  • 数学する人生(新潮文庫)

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    最終講義の章にこの本の全てが詰まってる気がする。ここだけでも何度も読んだら面白い。

    後半ほとんどの生い立ちのところは面白くなかった

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    2024年05月09日
  • 人間の建設

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    知や意思はいかに説明しても、情は納得しない。直観(感情の満足・不満足)なしに情熱は持てない。裏打ちのないのを抽象的という。しばらくはできても、足が大地をはなれて飛び上がっているようなもので、第二歩を出すことができない。

    欧米人の指導層には小我をもって自己と考える欠点がある。日本人の長所の一つは神風のごとく死ねること。あれができる民族でなければ、世界の滅亡を防ぎとめることはできない。無明がはたらいているから、真の無差別智、つまり純粋直観がはたらかない。欧米人の特徴は目は見えないが、からだを使うことができる。目を閉じて、からだはむやみに動きまわっている。いつ谷底に落ちるかわからない。日本がすべきことはからだを動かさず、じっと坐りこんで、目を開いて何もしないこと。

    奈良の博物館。正倉院。破れたきれの展示を丹念に長い間見た後に、外へ出てみると、どの松を見てもいい枝ぶりをしている。自然は何を見ても美しい。

    自然科学の世界(例:相対性理論の時間・空間)は自然言語では説明できない。言葉にならない。数学言語が必要になる。

    数学は印象でやるもので記憶はかえって邪魔になる。

    おか・きよし 岡潔
    『人間の建設』1965

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    2024年04月28日
  • 数学する人生(新潮文庫)

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    数学という研究をしてきた、岡潔さんは、戦後を生きる為に必要だった、宗教に出会い、それを自身の生活の中に馴染ませ、生きようしていた事がわかる。
    岡潔さんのいう、外界と自身が溶け合っていく事が、宗教的であるという説明が、何となく腑に落ちた。メンター的存在がいたらと私自身思ってはいるもののなかなか出会う事ができない、しかしながら、岡潔さんのように先人達から学ぶという在り方もあるのだなぁ、と思ったが、なかなか読解力と理解力が必要なのだろうと想像できる。

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    2024年01月10日
  • 数学する人生(新潮文庫)

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    土井善晴先生の書籍からまさかの岡潔へ
    松尾芭蕉や日本絵画、情緒についてなど数学以外にも深く通じていて、数学だけではない、視野広さと考えの深さがとてつもないと感じる
    岡潔の生涯からなにか1つでも気づきを得たくなってきたので、さらに読んでみようと思う

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    2023年11月26日
  • 春宵十話

    購入済み

    ただ咲く

    スミレはただスミレらしく咲いていればいい。なぜ咲くのかなどは考えない。これは世界に対する絶対の信頼が為せる技だと思う。世界は美しくできている。数学もまた。

    #感動する

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    2023年10月01日
  • 春宵十話

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    読み終え、まず思ったことは、岡先生が今生きておられたら国の行く末に絶望するほかないだろう、ということでした。

    本書で明かされる岡先生の案じた日本の教育の乱れや西洋化一辺倒でアイデンティティを失いつつある日本人の在り方。数十年の時を経てその通りになっている部分もありつつ、加えて、近年ではAIの普及も手伝って情緒を排したとて正解にたどり着ける選択肢が増え、成果を効率的に得るビジネスハックが隆盛していますが、岡先生はまさにこのような観念的な世相こそ危惧しておられたのではないでしょうか。

    そういった国を憂う考えが展開される中、教育を扱ったトピックが非常に多く、岡先生は教育に日本再生の望みを託されていたのだと思います。特に「情緒」「情操」「道義」は本書でも重ねて使用される最も重要なキーワードだと思います。

    教育への言及の中でも秀逸なのが、本書の中盤にある「道義教育の根本は悲しみがわかるということで、幼い子供には悲しみの感情が最も教えにくい。だから、小学校に入るまでは人が喜ぶからこうしなさいと教えられても、人が悲しむからこうしてはいけないとは教えられない。」(意訳)という考察でした。これは現代社会にも通ずる鋭い考察だと思います。

    何事にも情緒が中心にあって学びや教育があるという岡先生のシンプルな考え方を以って現代を捉えた時、まさしく情操/道義教育をなしに悪趣味な刺激や動物的な教育に子ども達が晒された結果が、今現在の半狂乱の世相に繋がっているのではないか、と考えると裏付けがないのに妙に納得がいってしまうのは不思議なものです。

    本書では一部、かなり偏った主観的な意見、データに基づかない意見も多々あり、現代の感覚では受け入れられない言葉遣いも見受けられます。しかし、それでも読者を立ち止まらせ考えさせてくれるような力を本書は大いに秘めていて、日本人とは何か知る上で今こそ読む価値のある書籍だと思いました。

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    2023年07月31日
  • 春宵十話

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    【読もうと思った理由】
    直前に読んだ「人間の建設」は、岡潔氏と小林秀雄氏の対談を一冊の本にしたものだが、非常に読み応えがあり、また感銘を受ける箇所も多かった。二人ともそれぞれに特徴があり、小林秀雄氏にも当然興味を持ったが、僕は岡潔氏に、より惹かれてしまった。一般的に数学とは、論理的な学問と言われている。ところが岡氏は、数学にしてもどんな学問にしても、その中心にあるのは「情緒」である、つまり、心なんだと訴えている。岡氏が情緒にそこまで固執する理由を理解したく、また、岡潔氏本人にも興味がかなり湧いてきた。晩年には数学の研究のみならず、思想家として数多くの随筆(エッセイ)を残した。岡氏の代表作として名高い、本書「春宵十話」を読んでみたくなった。

    【岡潔氏って、どんな人?】
    1901年4月19日、大阪府で生まれる。しかし、育ちの故郷は和歌山県橋本市。若い頃から学問の才能を持ち、小学校のころは飛び級などもしていたそうである。その後、旧制粉川高校、旧制第三高校を卒業。旧制粉河中学校3年の時に、父親の書斎からクリフォードという数学者が書いた『数理釈義』という本を偶然見つけて読んだことにより、数学に熱中していくようになる。毎日、本の中に記載されている定理を、画用紙と定規とコンパスを使い証明していたという。 1922年には京都帝国大学理学部(今の京都大学理学部)に入学し卒業。おかしな行動が目立ち始め、変人と言われるようになってきたのもこの頃からという。卒業後は同大学講師、教授とエリートの道を進んでいく。生涯の伴侶となる小山みちともこの頃に結婚をした。

    1926年ごろからフランスのガストン・ジュリアという数学者の論文にハマり、論文が擦り切れるほど読み込んだ。このことから留学することがあれば、絶対ジュリアが教鞭をとっているフランスのソルボンヌ大学に行くと決めていた。 その願いが叶い、1929年から3年間フランスに留学する。ここで岡はソルボンヌ大学に在籍し、ジュリアに師事しながらひたすら数学を研究していく。その熱中ぶりは数学以外の雑務は一切せず、食事も一日に一回しかしてなかったほどであった。そんな中、岡はある一つの研究題材にであう。それが生涯を通して向き合うことになる「多変数函数論」であった。これはこの頃注目され始めたが、難しすぎるため誰も手に付けていない、まさに岡のためにあるような題材であった。

    このフランス留学の時期には一本の論文も書いていないが、これに出会えたことが岡にとっての最大の収穫であった。 また、この頃に生涯の親友となる物理学者であり、後に世界で初めて雪を人の手で作ることに成功する中谷宇吉郎、その弟であり考古学者である中谷治宇二郎と出会う。宇吉郎とは下宿先で筋違いの部屋を取り、毎晩のように語り合った。そして兄を頼りに単身で渡仏してきた治宇二郎とも出会う。治宇二郎とは特に仲が良く、岡は治宇二郎との出会いを「フランスでの私の最大の体験であった」と語っている。宇吉郎が研究のためベルリンへと去った後は二人はほとんど一緒にいたという。 

しかし、治宇二郎は突如結核に倒れてしまい研究の中断を余儀なくされた。病身の彼を献身的に支え続けたのが岡と、フランスに合流した岡の妻のみちであった。二人は国から渡される留学費用を節約するため狭いアパートに移り、余りを治宇二郎の医療費と生活費にあてた。また、治宇二郎を一人でフランスに残すわけにはいかないと考えた岡は留学期間を延長してもらい、治宇二郎と共に帰国した。

    帰国後は広島の大学に勤務する。4年を過ぎたころに岡はある事件を起こしてしまう。それは川沿いを歩いていた二人の中学生を襲い、彼らから学帽に靴、書籍を盗んだのである。この事は被害者の父兄に訴えられ岡は逮捕されてしまう。さらにこの一件が新聞に大きく報道されてしまった。医者は岡を「過度の勉強により、神経に異常をきたした」と診断する。 この頃に岡は「クザンの第二問題」という多変数函数論の非常に難しい問題を研究していた。これは現代数学の根底をなす非常に重要な分野であり、後に「岡の原理」と名付けられた。しかし、これが難しすぎたために精神を病んだというのである。実はこの事件の3か月前に治宇二郎が病により34歳の若さで死亡している。治宇二郎を失った衝撃も少なからずこれに影響していると考えられる。 

この事件や精神状態により、大学を休職、後に辞職を余儀なくされ無職となった岡は、故郷の和歌山にて13年間にも及ぶ数学研究のみの生活に入る。この間、職もなかったため持っていた田畑を売り、奨学金のみで生活していた。一時期、北海道の大学で一年ばかり教職についたが、基本的には和歌山で生活した。研究が進むうちに生活は一層苦しくなり、家族五人のために土地や財産を次々に売り払い、ついに住む家もなくなり、村人の好意でやっと物置を貸してもらいそこに住んでいた。1945年の敗戦直後の食糧難の時代にはイモをつくり、イモをかじって飢えをしのぎながら、研究に取り組んだ。 

この期間で岡はとある記録をつけており、それは起床した時の精神状態を「プラスの日」と「マイナスの日」に分けるというものである。プラスの日は知識欲が頭の底からどんどん湧き、身の回りのあらゆるものを考察しまくるのだが、マイナスの日は布団から起き上がることすらできず、無理に起こそうとすると激怒する。このため、岡は今でいう、躁うつ病であったと考えられている。 

そんな岡を支援し続けたのが友人たちである。フランスで出会った中谷宇吉郎は、岡の精神状況が悪化したと聞けば、自分が療養に来ている静岡の温泉に岡を呼び療養させたり、「雪の結晶の研究」で得た賞金を、岡に送金し続けたりした。旧制第三高校時代の同級生であり、京大教授であった秋月康夫は岡の相談によく乗ったり、岡の世界的評価のきっかけとなった論文をフランスの学術誌に掲載させることに尽力したり、職がなかった岡のために奈良女子大学の教授に岡を推薦したりした。 これらの人たちの協力により岡は、研究に専念でき、ついに世界に名が知られることになる。

    世界に研究が認められたことにより、岡の名は一躍有名になる。そして1960年には文化の発展や向上にめざましい功績を挙げた者にのみ授与される、最高の栄典である文化勲章を受章する(同年の受賞者は作家の吉川英治など)。なお、これだけでなく業績が認められた後の岡は、様々な勲章を受け取っている。 その後は、職場でもあった奈良女子大がある奈良に移住し、日本人の心についての哲学書や随筆を著したりしながら、数学の研究をし続けた。 1978年3月1日に奈良で死去。享年76歳。妻のみちも後を追うように三ヶ月後に死去している。

    【本書概要】
    「情緒の中心がそこなわれると、人の心は腐敗する。社会も文化もあっという間にとめどもなく悪くなってしまう」——数学者として世界的な難問を解き天才と呼ばれた岡潔は、一方で思想家としても多大な影響を残した。日本の文化を培ってきたのは自然に根ざした「情緒」であり、戦後急速に西欧化が進む中、その伝統と叡智が失われることに鋭い警鐘を鳴らす。本質をみつめる精神の根底を語る代表的名著。

    【感想】
    「人の中心は情緒である」
    上記は本書“はしがき“の冒頭の一文である。本書を読んでいると、「情緒が大切」ということが、それこそ何度も出てくる。著者の岡潔氏は本気で、「人間が生きていく上で、最も大切なことは情緒である」と、信じきっているのが伝わってくる。そもそも「情緒」って、感情とイコールなんだっけと、ふと思った。

    岡氏は決して感情とは書かずに、情緒と書いている。認識が間違っていたら、まずいなと思いwebで調べてみた。webの辞書には、「事に触れて起こるさまざまの微妙な感情。また、その感情を起こさせる特殊な雰囲気」とある。大筋では合っているが、少し違う。微妙な感情と、感情を想起させる雰囲気か…。なるほど、僕が感じた感情との違いは、もちろん感情は大事だけれども、その感情が動く為のきっかけになるトリガーが、大切なんだと僕は感じた。

    人と人とのコミュニケーションでも、相手がいま、どう感じているかや、相手の気持ちに寄り添うことなど、コミュニケーション本などを読むと、どの本にでも書いている。大多数の人が分かっていることであるから、恐らく普段のコミュニケーションにおいて、「これぐらいは配慮してくれるだろう」とか、「これぐらいはしてくれるだろう」という期待は、大抵の人がしているのではないだろうか?そこで自分が行った行動が、相手の期待する範囲内であれば、多分相手の心(感情)は動かない。だから相手の心を動かすのが、難しいのだろうなと思った。

    じゃあ逆に、相手の感情を揺さぶれるほどの行動ってどんな行動かを考えた時に、岡潔氏が祖父から受け継いだ言葉が、ようやく胸に染み渡った。その言葉は「人を先にして、自分を後にせよ」だ。この言葉って、「ただ謙虚に生きよう」って、軽い言葉ではなかった。実は「人間の建設」にも、この祖父の言葉は書いていた。よく考えれば、このことを徹底的に実施していた行動を、岡潔氏の人物紹介のエピソードの中に、僕自身が書いていた。

    フランス留学時に中谷治宇二郎氏が結核に犯された時に、自分や奥さんの住まいを狭いアパートに移し、お金を浮かした。その浮いたお金で留学期間を1年延長し、自分や妻のことなど完全に後回しにして、献身的に看病するなど、なかなか普通の人には出来ないと思う。それを岡潔氏が出来たのは、幼い時に祖父から口酸っぱく言われた、「自分のことは後回しにして、人のことを先にしろ」という格言を、徹底して実直に実行し続けたからなんだろう。

    実際その際に中谷氏のために尽くしたことによって、その後、自分が人生で最もピンチになった時に、その兄である中谷宇吉郎氏に、長年に渡り金銭的援助をしてもらえたことにより、最大のピンチを乗り越えている。それは、見返りを期待して実施した打算的善行ではなく、心からの尽力であることが、お兄さんに伝わったからであろう。それが岡潔氏が「人間の建設」でも、本書「春宵十話」でも、再三にわたって伝えていた「情緒を大切に」(思いやりを大切に)ということなんだなと実感した。

    そういえば、僕が今までで最も感銘を受けたビジネス書(コミュニケーション本)が、デール・カーネギーの「人を動かす」だ。その本に載っているエピソードで、特に好きなエピソードがある。それは、アンドリュー・カーネギー(鉄鋼王)のエピソードだ。かなり有名な話なのでご存知の方も多いと思うが、アンドリューが自分の墓石に刻んだ言葉が、「おのれよりも優れた者に働いてもらう方法を知る男、ここに眠る」だ。自分が死んだ後までも、自分のために働いてくれた人を持ち上げるなんて、人を褒めることに心底徹底しているなぁと、恐れ入ったことを思い出した。

    まさか。もしかしてと思い、webで調べるとあった。墓石ではないが、生まれ故郷の紀見峠に岡潔氏を称えた顕彰碑に、かなり大きく彫られている。「人を先にして、自分を後にせよ」と。それを見つけたとき、心底痺れた。

    【雑感】
    次は予定通り、三木清氏の「人生論ノート」を読みます。この本はだいぶ期間が空いてしまいましたが、以前読んだ本、「行く先はいつも名著が教えてくれる」で、名著として紹介していた本です。哲学者としてもハイデカーに師事していたとのこと。初読みの著者だが、期待して読みます。

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    2023年07月07日
  • 春宵十話

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    ある先生のお薦めに従い読んでみたもの。ところどころ難しく感じる箇所があり、読みこなせた感じがしないのは、おそらく私の教養が足りないせいだろう。具体的な話は面白く読んだが、感覚的な話については表面的な言葉は理解できてもピンとこない箇所があった。数学と心の関係も、よく理解できない。でも、上手く言葉にならないが、面白い人だなぁと思う。天才というのは凡人には理解しきれないのだと感じてしまうが、それでも知りたいという興味をそそられる。強烈なほどに自分がある人は面白い。

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    2023年04月25日