岡潔のレビュー一覧
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「〔岡〕昔の(日本の)国家主義や軍国主義は、それ自体は、間違っていても教育としては自我を抑止していました。だから今の個人主義が間違っている。自己中心に考えるということを個人の尊厳だなどと教えないで、そこを直してほしい。
《中略》 神風の恐しさは見たものでなければわからない《中略》ものすごい死に方をしている。」(p.119)
「〔岡〕私は日本人の長所の一つは、《中略》神風のごとく死ねることだと思います。《中略》 あれができる民族でなければ、世界の滅亡を防ぎ止めることはできないとまで思うのです。」(p.139)
「〔小林〕特攻隊というと、批評家はたいへん観念的に批判しますね。悪い政治の犠牲者と -
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ネタバレ友人に勧められて。
小林
…誰でもめいめいがみんな自分の歴史をもっている。オギャアと生れてからの歴史は、どうしたって背負っているのです。伝統を否定しようと、民族を否定しようとかまわない。やっぱり記憶がよみがえるということがあるのです。記憶が勝手によみがえるのですからね、これはどうしようもないのです。これが私になんらかの感動を与えたりするということもまた、私の意志ではないのです、記憶がやるんです。記憶が幼時のなつかしさに連れていくのです。言葉が発生する原始状態は、誰の心のなかにも、どんな文明人の精神のなかにも持続している。そこに立ちかえることを、芭蕉は不易と読んだのではないかと思います。(p. -
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知や意思はいかに説明しても、情は納得しない。直観(感情の満足・不満足)なしに情熱は持てない。裏打ちのないのを抽象的という。しばらくはできても、足が大地をはなれて飛び上がっているようなもので、第二歩を出すことができない。
欧米人の指導層には小我をもって自己と考える欠点がある。日本人の長所の一つは神風のごとく死ねること。あれができる民族でなければ、世界の滅亡を防ぎとめることはできない。無明がはたらいているから、真の無差別智、つまり純粋直観がはたらかない。欧米人の特徴は目は見えないが、からだを使うことができる。目を閉じて、からだはむやみに動きまわっている。いつ谷底に落ちるかわからない。日本がすべき -
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二度挫折して、三度目の正直で読み切りました。
150Pくらいの薄い本なのですが、体力使いました。
「難しい」とは何か?
「わからない」とは何か?
これらを考えさせられました。
世の中の事を大体わかった気でいましたが、全然そんなことはなかったですね。
この本は読んでいるうちに(100P超えたあたりから)癖になるところがあります。体力ある時にもう一度読み返したいと思います。
お二人(小林氏、岡氏)は文系と理系とで全く異なる世界で生きてきたのに、波長が合っている様子がうかがえます。とても不思議。
お二人の住んでいる世界感が同じだからなんだと思います。
反対に、私は「住む世界が違う」って、こうい -
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読み終え、まず思ったことは、岡先生が今生きておられたら国の行く末に絶望するほかないだろう、ということでした。
本書で明かされる岡先生の案じた日本の教育の乱れや西洋化一辺倒でアイデンティティを失いつつある日本人の在り方。数十年の時を経てその通りになっている部分もありつつ、加えて、近年ではAIの普及も手伝って情緒を排したとて正解にたどり着ける選択肢が増え、成果を効率的に得るビジネスハックが隆盛していますが、岡先生はまさにこのような観念的な世相こそ危惧しておられたのではないでしょうか。
そういった国を憂う考えが展開される中、教育を扱ったトピックが非常に多く、岡先生は教育に日本再生の望みを託されて -
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【読もうと思った理由】
直前に読んだ「人間の建設」は、岡潔氏と小林秀雄氏の対談を一冊の本にしたものだが、非常に読み応えがあり、また感銘を受ける箇所も多かった。二人ともそれぞれに特徴があり、小林秀雄氏にも当然興味を持ったが、僕は岡潔氏に、より惹かれてしまった。一般的に数学とは、論理的な学問と言われている。ところが岡氏は、数学にしてもどんな学問にしても、その中心にあるのは「情緒」である、つまり、心なんだと訴えている。岡氏が情緒にそこまで固執する理由を理解したく、また、岡潔氏本人にも興味がかなり湧いてきた。晩年には数学の研究のみならず、思想家として数多くの随筆(エッセイ)を残した。岡氏の代表作として