岡潔のレビュー一覧
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岡潔 「 一葉舟 」 著者の宗教観を論じた本。
「その人は その人の心である」
*大脳前頭葉という口から 心の糧を取り入れる
*大脳前頭葉で エキス化して 心の中に貯える
*心の糧が 心になっていく→その人の過去が増えていく
エキス化とは
*知は存在化(印象化)される=浮いたものはとれる
*情は本質化される=例えば 顔からおしろいがとれる
*感覚は浄化される=自他弁別本能がなくなる
*意志は霊化される=盲目的な部分がなくなる
無差別智とは
*人の知情意、感覚に働く力〜この力が働いていることを その人自身 意識しない
*無差別智は 真我に働く→小我は それを妨げる
*無差別智の道は 捨〜 -
Posted by ブクログ
表題作の春宵十話には、数学者・岡潔の人生が語られている。そこには一般的なイメージでしか数学を知らない私には驚くようなことがたくさん書いてあった。
なによりもまず、人の中心には情緒がある、数学を成立させているのもこの情緒である、というのが岡さんの主張である。「芸術の目標は美の中における調和、数学の目標は真の中における調和」といった表現もあった。私個人の言い方になってしまうが、数学というのが人間の生の営みからすればごく限定された自意識の中でやるものと思っていたけれど、この本を読むと、それは人間の知られざる領域までを駆使した肉体的・総合的な営みであり、どこか自然の中に投げ出されているようですらあっ -
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岡潔の名前を見ると、つい手に取ってしまう。『春宵十話』も『春風夏雨』も角川ソフィアから発売されたことが実に嬉しい。
数学の教科書に写真が載っていたほど有名な数学者なのだが、こうした著作を読んでいると、日々ほのぼのと、しかしながら心の眼は炯炯とした変わったおじいさんである。
私が、岡潔に惹かれるのは、読んでいると自分の感じていることを一つ外側から見つめることが出来る時間に出会えるからだと思う。
思う、とか、感じる、と言うことの大切さを改めて実感出来るのである。
美しさというものの見つめ方、心というものの在り方、それらを分かりやすく伝えられることにいつも驚く。
難しい言葉でごにょごにょ言う -
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この度、角川ソフィア文庫から『春宵十話』と『春風夏雨』が同時に出版されたと聞いて、すぐに手に取った。
岡潔の著作と出会ってまだ日が浅いなりに、この人の文章は本当に味読しなくてはならない気持ちになる。
偉大なる数学者が、「ひと」というものを語る時、なんとその愛情豊かなことか。
小我=無明に囚われてはいけない、と繰り返し岡潔は説く。
心が在って、自然が有る。
けれど、ともすれば我々は無明に感けてしまう。それほどに、人間の持つ欲の力は強大で魅惑的なのである。
岡潔が数学と向き合う、その様を、恐らく私は一生経験することがないのではないか、と感じている。
けれど、持つべき心構えを知るというこ -
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キーワード「情緒」。「情緒」で語る文化、宗教、教育論その他随想いろいろ。各所に「日本人の」「日本民族の」といった枕詞が見え、ナショナリズム・軍国主義的な思想か? と思われるフシがある。著者自身は「軍国主義的なところは少しもない」(p.127)と断言するが、「表現の自由」にも否定的だったりする(p.155「好きな芸術家」)。
私自身の興味関心としては、表題の「春宵十話」以外の文に目の止まるところが多かった。特に義務教育に対する批判は、現在進行形の課題としてほぼそのまま活かせる改善点として読めると思う(本書の初版発行は昭和44年11月。執筆時期は不明ながら結構昔の文だが…)。
122ページ(「 -
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記念すべき100冊目
昔の人の本は難しい
数学者やのに情緒を大切にしている
昔の日本人って“初めて知り合った人と意気投合して帰りにウイスキーをプレゼントした”的なノリがあるけど現代やとあんまりないよな。
現代人は経済合理性・損得、相手の迷惑、メタ視点とかで視野を狭めて人と接することが難しくなってる気がする。インザメガチャーチの視野を狭める活動は公式に視野を狭めていいと与えられたもので、現代は与えられたり、公式や権威からやってもいいと許可を与えられないと何かをできなくなったのかもしれん。
本来は禁止されてなければやっていいのに、小中高の学校教育で許可されたことだけやっていい教育(精神改造 -
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感情、記憶、情緒。
これらの言葉の理解が深まった素敵な対談。
理性を使った、知の結晶のように思えてた数学。ただこの本を読んで認識がガラッと変わった。数学者の、わかるという感覚や、これが発見であるというセーブポイントの付け方は、人間の情に依るもので。さらにはそれを積み上げられたという事実が、情が個人を横断するものだという証拠で。情を持ってでしか人は進んでいけないという確信を、知や意ではなく情に腹落ちした。
個人という言葉を一貫して小我と呼ぶ岡潔に、西洋の限界に気づこうぜ日本人!の継承魂を感じた。
やはり仏教は情を理解する上で避けては通れなさそう。
つぎは岡潔の仏教系の本を読もう。
小林さん -
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“読め”はするが、本当に読むことが、難解であると感じる一冊だった。おそらく自分の知識量では解像度が低いだろう。例えば、ドストエフスキーとトルストイの対比について論じられているとき、もちろん作品のことについても論じられるのだけど、作品のあらすじしか知らない自分にとっては、特に解像度が低い。そういった意味では、この本で述べられている、物語を読み、人物を知り、数学を少し学んだりして、また本書を読んでみると新しい観点や、発見があるだろうから、今後も読み返したい。本書の素人目線の感想としては、岡先生がこんなに文学に関わっているとは知らなかった。私にはまだ、問題さえ理解もできないような問題を解決した大数学