岡潔のレビュー一覧
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シブい(随筆)
かかった時間 不明
数学者(かなりすごいらしい)岡潔の随筆。新聞に連載されたもの? プラスアルファ?
内容の半分くらいは、非常に前時代的で、頭の固いおじいさんの説教。曰く、日本から情緖が失われている、だとか、女性の顔がキツくなっている、だとか、今の教育は間違っている、だとか。
残りの半分くらいには、数学者(かなりすごいらしい)としての自分を作っているのは何か、数学とはどのような学問か、自分の場合に学問的ひらめきはどのように訪れたか、が綴られており、個人的にはこの部分がめちゃくちゃおもしろい。特にこの人の場合? 他の人も? 数学的インスピレーションが文学や芸術に支えられているようで、文学論や芸術論なんかにも筆が進んでいる。
そして、頭の固いおじいさんパート(顔はともかく、情緒と教育)も、数学者パートと併せて受けとれば、前時代的ではあるけれど、説得力がある。
たしかにな、と思う。
いずれにしろ、数学者パート(生い立ち、ひらめきかた、芸術を含む)がおそらく唯一無二でとてもよい。
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数学者岡潔が毎日新聞紙上で連載し人気を博していたエッセイ集。「私は数学なんかをして人類にどういう利益があるのだと問う人に対しては、スミレはただスミレのように咲けばよいのであって、そのことが春の野にどのような影響があろうとなかろうと、スミレのあずかり知らないことだと答えて来た。」全然次元は違うが勝手に勇気をもらっている。「すべて成熟は早すぎるより遅すぎる方がよい。」糸井さんも同じような趣旨のことを言ってた、じっくりと農業のように対象に取り組め。「緻密さが欠けるのは一切のものが欠けることにほかならない。」神は細部に宿ると同じ意味か?「本だって読むことより読みたいと思うことのほうが大切」合間合間の時間こそがひらめきを生む。
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岡潔 「 一葉舟 」 著者の宗教観を論じた本。
「その人は その人の心である」
*大脳前頭葉という口から 心の糧を取り入れる
*大脳前頭葉で エキス化して 心の中に貯える
*心の糧が 心になっていく→その人の過去が増えていく
エキス化とは
*知は存在化(印象化)される=浮いたものはとれる
*情は本質化される=例えば 顔からおしろいがとれる
*感覚は浄化される=自他弁別本能がなくなる
*意志は霊化される=盲目的な部分がなくなる
無差別智とは
*人の知情意、感覚に働く力〜この力が働いていることを その人自身 意識しない
*無差別智は 真我に働く→小我は それを妨げる
*無差別智の道は 捨〜考え抜いて最後は捨てることが目的
社会問題の根底に 情緒の未発達がある〜日本は元々 情の国
*情=アガペー(無償の愛)、大いなる慈悲
*情緒=時のエキス→過去や永遠の世界に私たちを導く→人とは その人の過去のエキスの総和
小我と真我
*自分を小我と真我に分ける
*仏教は 小我を離れて 真我に帰れ と教えている
「すぐに役立つ仏道とは自覚である」 -
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岡潔の名前を見ると、つい手に取ってしまう。『春宵十話』も『春風夏雨』も角川ソフィアから発売されたことが実に嬉しい。
数学の教科書に写真が載っていたほど有名な数学者なのだが、こうした著作を読んでいると、日々ほのぼのと、しかしながら心の眼は炯炯とした変わったおじいさんである。
私が、岡潔に惹かれるのは、読んでいると自分の感じていることを一つ外側から見つめることが出来る時間に出会えるからだと思う。
思う、とか、感じる、と言うことの大切さを改めて実感出来るのである。
美しさというものの見つめ方、心というものの在り方、それらを分かりやすく伝えられることにいつも驚く。
難しい言葉でごにょごにょ言うのではなく、親切で勤勉であれ、とはっきり諭してくれる。
書物とは素晴らしいと思うのは、岡潔の言葉がそこに在るということだ。
何年経っても消えない言葉と、私は向き合っているんだなあと嬉しくなる。
どこかで何かがカチッとはまって、次に進めるようになる。
良い本は、沢山読むべきである。
そうして成り立つ自分というものが生きていることで、誰かに何かが出来たらと思う。 -
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この度、角川ソフィア文庫から『春宵十話』と『春風夏雨』が同時に出版されたと聞いて、すぐに手に取った。
岡潔の著作と出会ってまだ日が浅いなりに、この人の文章は本当に味読しなくてはならない気持ちになる。
偉大なる数学者が、「ひと」というものを語る時、なんとその愛情豊かなことか。
小我=無明に囚われてはいけない、と繰り返し岡潔は説く。
心が在って、自然が有る。
けれど、ともすれば我々は無明に感けてしまう。それほどに、人間の持つ欲の力は強大で魅惑的なのである。
岡潔が数学と向き合う、その様を、恐らく私は一生経験することがないのではないか、と感じている。
けれど、持つべき心構えを知るということは、日々の中でなにか大切なことでもある。
上手く言葉にできないことを、岡潔は丁寧に言葉にしてくれる。その思いの熱さに触れるひとが、増えるといいと思う。
「すべて文化と呼ばれるものには、ある程度無明が働いている。それは人類の進化の現状ではある程度肯定しなければならないものらしい。仏教の人たちがすすめているような、生死に無関係な所に文化を開くというほどには人は進歩していない。」
寺田寅彦や中谷宇吉郎も登場するのだが、決して別世界を見つめる人たちではないのだ。
同じ場所にいながら、そして一見情緒とは縁遠いように感じられる学問が、実はこころに繋がっている時、なんだかいつも感動させられる。 -
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キーワード「情緒」。「情緒」で語る文化、宗教、教育論その他随想いろいろ。各所に「日本人の」「日本民族の」といった枕詞が見え、ナショナリズム・軍国主義的な思想か? と思われるフシがある。著者自身は「軍国主義的なところは少しもない」(p.127)と断言するが、「表現の自由」にも否定的だったりする(p.155「好きな芸術家」)。
私自身の興味関心としては、表題の「春宵十話」以外の文に目の止まるところが多かった。特に義務教育に対する批判は、現在進行形の課題としてほぼそのまま活かせる改善点として読めると思う(本書の初版発行は昭和44年11月。執筆時期は不明ながら結構昔の文だが…)。
122ページ(「義務教育私話」)にある、学科の分類と対応する学年の理想を述べた箇所が興味深い所。「こころ」(算術、歴史、国語、修身など)・「自然」(理科・地理など)・「社会」の3学科にわけ、小学校では主に「こころ」の学科を教え、「自然」は“有無の分別”がつく五・六年生に扱うのがよい。「社会」は“自他の区別”が必要となり、これは一種の本能「自他弁別本能」なので、下手に教えないほうがよい、とする。
歴史や修身(今に置き換えるなら道徳)を「こころ」の一部としているが、これは「社会」と切り離して教えられるものだろうか? …など、疑問点はあるけれども、義務教育(というより小学校)で「社会」を教えないには一部納得。
「社会」の何たるかを知識として教え込むよりも、その時間をつかって自由に遊ばせる。そうすることで、親兄弟・友人・近所の人々との付き合いをどのようにしていくべきか――「自他弁別本能」に根ざした社会性――が身に付く、というものだ。
…ただ、「お金」と「仕事」については、子ども同士で遊んでいるだけでは目に入ってこないから、これらについては「自然」と同様に高学年では扱うべきかな、とは思う。 -
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記念すべき100冊目
昔の人の本は難しい
数学者やのに情緒を大切にしている
昔の日本人って“初めて知り合った人と意気投合して帰りにウイスキーをプレゼントした”的なノリがあるけど現代やとあんまりないよな。
現代人は経済合理性・損得、相手の迷惑、メタ視点とかで視野を狭めて人と接することが難しくなってる気がする。インザメガチャーチの視野を狭める活動は公式に視野を狭めていいと与えられたもので、現代は与えられたり、公式や権威からやってもいいと許可を与えられないと何かをできなくなったのかもしれん。
本来は禁止されてなければやっていいのに、小中高の学校教育で許可されたことだけやっていい教育(精神改造)を施された結果だと思う。自分事に対してはもっと視野を狭めていきたい。 -
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感情、記憶、情緒。
これらの言葉の理解が深まった素敵な対談。
理性を使った、知の結晶のように思えてた数学。ただこの本を読んで認識がガラッと変わった。数学者の、わかるという感覚や、これが発見であるというセーブポイントの付け方は、人間の情に依るもので。さらにはそれを積み上げられたという事実が、情が個人を横断するものだという証拠で。情を持ってでしか人は進んでいけないという確信を、知や意ではなく情に腹落ちした。
個人という言葉を一貫して小我と呼ぶ岡潔に、西洋の限界に気づこうぜ日本人!の継承魂を感じた。
やはり仏教は情を理解する上で避けては通れなさそう。
つぎは岡潔の仏教系の本を読もう。
小林さんが、対話相手としての力不足感を感じる。そして、後書きが茂木健一郎なのが嫌すぎる。 -
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“読め”はするが、本当に読むことが、難解であると感じる一冊だった。おそらく自分の知識量では解像度が低いだろう。例えば、ドストエフスキーとトルストイの対比について論じられているとき、もちろん作品のことについても論じられるのだけど、作品のあらすじしか知らない自分にとっては、特に解像度が低い。そういった意味では、この本で述べられている、物語を読み、人物を知り、数学を少し学んだりして、また本書を読んでみると新しい観点や、発見があるだろうから、今後も読み返したい。本書の素人目線の感想としては、岡先生がこんなに文学に関わっているとは知らなかった。私にはまだ、問題さえ理解もできないような問題を解決した大数学者の岡先生の知らない一面を知ることができて、とても面白かった。「情緒」も解像度は低いとはいえ共感できるところもあったし、素読教育や、思考時の言語化についても共感した。しかし、岡先生はナショナリズムが強い方なのだろうかそれとも小我と大我について深い思索を重ねた末の結果なのだろうかわからないが、小我を去ることで、特攻ができると論じられていたところにはいささか疑問と嫌悪感を覚えた。また、自己中心的な個人主義への見解も現代の感覚からは受け入れ難い。一方、小林先生に対する私の印象は、『様々なる意匠』の印象だったが、本書ではいろいろなことについて語られていて、自分にとっては新鮮であった。