あらすじ
「生命というのは、ひっきょうメロディーにほかならない。日本ふうにいえば“しらべ”なのである」科学から芸術や学問まで、岡の縦横無尽な思考の豊かさを堪能できる幻の名著。待望の復刊!解説:茂木健一郎
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私なりの「情緒」の解釈を書き残す。
岡潔の思想が、自身が元々考えていた「創作論」にかなり深く接続し、僭越ながら、似たような事を考えて言語化されている先人がいた事に驚愕かつ感涙でした。
不勉強でした。
知人から「好きそうだ」と薦めて頂き、その本(『春風夏雨』とは別)と、他にも岡潔の著作を三冊一気読みしました。
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「情緒」は、どのように身体に立ち上がるのか。
世界と身体の接触から、
知覚が立ち上がり、情緒となり、やがて記憶になる。
情報や知識が、身体を通過して経験になる。
経験が、知覚や感情や記憶と結びついて、地下水脈のように流れ続ける。
それを、情緒と呼ぶ。
そして、ある日、思いもよらない場所で遇う。
「情緒」が、世界を深く受け取る。
何十年も前の経験が、別の場所で、別の言葉や素材に触れて、
それまで自分の中にあったものが、別のものとおのずから遇うことで、突然ひとつに繋がる。
文中で引用されている、
道元の「正法眼蔵」にこんな言葉があります。
「心身を挙して色を看取し、心身を挙して音を聴取するに、
親しく会取すれども、鏡に影を映すが如くには非ず。
一方を明らむれば、一方は暗し」
「一個の不思量底を思量する」
「不思量底、如何が思量する」
「非思量」
「即是恁麼人、何愁恁麼事なるべし‥‥‥」
800年前の文章ですが、
自身の、知覚や認識についての考えに驚く程重なり、身震いしました。
時空を超えて、道元に遇う。
想像力と創造力を持って、
恁麼の側にい続けたい。
まだ名前のないものが現れてくる、その"ありよう"を感じ取ること。
この世界にある、まだ見ぬ美しい真理への衝動的な創作意欲を持ち、それを全身全霊で面白がること。
世界にひらいていたいと思う。
Posted by ブクログ
数学者であり、教育者であり、思想家であった岡潔。戦後の日本の世相にふれるなかで感じた憂いとは、これからの日本の進む道とは。
岡潔の遺した言葉は、力強くかつ自由である。その文章を読むたびに、頭で理解することより、心で感じることを求められているような気がする。
Posted by ブクログ
大数学者、岡潔氏のエッセイ。
仏教に造詣が深く、仏教的視点で、自己について、善行について、日本の現状についてなど様々な問題について語っている。
彼の純粋な「情緒」にふれると、精神が浄化されるようだ。
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この度、角川ソフィア文庫から『春宵十話』と『春風夏雨』が同時に出版されたと聞いて、すぐに手に取った。
岡潔の著作と出会ってまだ日が浅いなりに、この人の文章は本当に味読しなくてはならない気持ちになる。
偉大なる数学者が、「ひと」というものを語る時、なんとその愛情豊かなことか。
小我=無明に囚われてはいけない、と繰り返し岡潔は説く。
心が在って、自然が有る。
けれど、ともすれば我々は無明に感けてしまう。それほどに、人間の持つ欲の力は強大で魅惑的なのである。
岡潔が数学と向き合う、その様を、恐らく私は一生経験することがないのではないか、と感じている。
けれど、持つべき心構えを知るということは、日々の中でなにか大切なことでもある。
上手く言葉にできないことを、岡潔は丁寧に言葉にしてくれる。その思いの熱さに触れるひとが、増えるといいと思う。
「すべて文化と呼ばれるものには、ある程度無明が働いている。それは人類の進化の現状ではある程度肯定しなければならないものらしい。仏教の人たちがすすめているような、生死に無関係な所に文化を開くというほどには人は進歩していない。」
寺田寅彦や中谷宇吉郎も登場するのだが、決して別世界を見つめる人たちではないのだ。
同じ場所にいながら、そして一見情緒とは縁遠いように感じられる学問が、実はこころに繋がっている時、なんだかいつも感動させられる。
メロディーの深め方
情緒のメロディーを深める。これによって世界から歓びを得ることができる。どんなに世界が素晴らしくても、メロディーを奏でる琴線緩んでいては、メロディーは響かない。メロディーを深める方法を筆者は伝えたいのだと感じた。
Posted by ブクログ
最近生まれた初孫と同じ誕生日の著名人を調べていたら岡潔の名前が出てきた。十数年前に「春宵十話」を読んだがあまりピンとこなくて古本屋に手放してしまったが、今回改めて本書と春宵十話を購入した。
岡潔は大数学者として有名だが、数学に没頭している状態と禅の世界の本質は同じという。自我を抑止して大自然の無差別知の働くに任せること。小我(無明)を離れて大我に生きること。無差別知の情的内容は心の悦び、知的内容は純数直観、真我の心は慈悲心だという。
本書における氏の言葉は、直観に導かれ体験に裏付けられているので、自由で確信に満ちながら教条的でなく詩的である。