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数学は論理的な学問である、と私たちは感じている。然るに、岡潔は、大切なのは情緒であると言う。人の中心は情緒だから、それを健全に育てなければ数学もわからないのだ、と。さらに、情操を深めるために、人の成熟は遅ければ遅いほどよい、とも。幼児からの受験勉強、学級崩壊など昨今の教育問題にも本質的に応える普遍性。大数学者の人間論。
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Posted by ブクログ
いつだって私のバイブル、指南書である。日本語をここまで美しく書ける数学者はこの人くらいだろう。日本の未来を憂いて様々なことを書いているが、本人が今の日本を見たらどう感じるのか。私は常にそう考えている。
情緒を磨きなさい。今の教育は急かしすぎている。人の中心は情緒であるからゆっくりと健全に育てなければならないのだ。そうでないと数学も人も社会の心もわからないのだ。損得感情抜きに、自分がこれだと思う直観を大切に理路整然とした行いをしなさいー現在の教育問題にも通ずる大数学者の人間論。 自明のことを自明と...続きを読むしてみて(=純粋直観)、少しも打算を伴わない理路整然とした行い(=善行)を人生の中で大切にしていたい。 10年後、子育ての際にも参考にしたい。 「数学の本体は調和の精神である」とポアンカレーはいう。数学者である岡潔がこんなに素晴らしい人間論をかくものだから、数学にも興味が湧いてしまった。
〈本から〉 自然の感銘と発見とはよく結びつくものらしい。 自然の風景に恍惚としたときなどに意識に切れ目ができ、その間から成熟を待っていたものが顔を出すらしい。そのときに見えたものを後になってから書くだけで、描写を重ねていけば自然に論文ができあがる。 情操が深まれば境地が進む 何事にもよらず、力...続きを読むの強いのがよいといった考え方は文化とは何のかかわりもない。むしろ野蛮だと呼ぶべきだろう。 「楽しむ」というのが学問の中心に住むことにほかならない。 理想とか、その内容である真善美は、私には理性の世界のものではなく、ただ実在感としてこの世界と交渉を持つもののように思われる。 略 理想とはおそろしくひきつける力を持っており、見た事がないのに知っているような気持ちになる。 略 基調になっているのは「なつかしい」という情操だといえよう。これは違うとすぐに気がつくのは理想の目によって見るからよく見えるのである。そして理想の高さが気品の高さになるのである。 情緒の中心の調和が損なわれると人の心は腐敗する。 社会に正義的衝動がなくなれば、その社会はいくらでも腐敗する。これがいちばん恐ろしいことである。 「衣装して梅改める匂いかな」と蕉門の句にある。およそひきしめるものはすべてみな礼に属するといってよい。礼を抜きにすることはなれることであり、ここからやはり獣性がはいってくるのである。 数学教育の目的は決して計算にあるのではない。かたく閉じた心の窓を力強く押し開いて清涼の気がよく入るようにするのにあるのだ。数学教育は大自然の純粋直感が人の子の情緒の中心によく射すかどうかに深くかかわっているのであって、計算が早い、遅いなどというのは問題ではない。 アンリ・ポアンかれー 「数学の本体は調和の精神である」 数学の目標は真の中における調和であり、芸術の目標は美の中における調和である。 「浅きより深きに入り、深きより浅きに戻る心の味なり」 (芭蕉)
ここで語られる教育論や、情緒とそこに根差す情操と言ったものは今もって説得力があると感じる。 数学と芸術の類似性についての語りは、あぁこの人天才なんだな、と感じる次第であるが、実際に物事を深く探求するといことは、そうした境地に近づくといことなんだろう。その意味で、文学を含めた芸術に批評的であるというの...続きを読むは、何かを極める上でも必要な資質なんだと理解した。
著者、岡潔は、この本の中で「なつかしい」という言葉を多用している。そして、数学は情緒であるという。岡潔は、日本的情緒が失われることを今でなく、ずいぶん昔に危惧している。でも、私個人としては、この本の読後感としては、のどかで、温もりを感じ、こころが洗われた。そして、過去のこととは思えなかった。同時に生...続きを読むきている生々しさがあった。 また、芥川龍之介や夏目漱石、ドストエフスキーといった文豪を好みにしているところが私と一致していたことに驚きを感じた。
"こんな本に出合えることが、読書をやめられない理由の一つ。 自分自身がこれまでの人生の中で、ありとあらゆる外界と接触して培ってきた感覚と、本書の著者である数学者の岡さんのものは、全然違うもの。 新たな視点、気づき、驚きを与えてくれた。岡潔さんの目線と同じ場所に到達するには、まだまだ精進が足...続きを読むりない気がする。 人間を見つめる視点、日本人をとらえる感覚は、深く洞察したうえで到達する高みにあるようだ。数学と芸術はとても似ているという感覚は、今の自分には持ちえない感覚だ。また、前頭葉の使い方で戦前と戦後では日本人の顔までも変化しているという観察など、思いもつかない。 人の顔なんて、それぞれで、こんなもんだなぁと思うだけ。俯瞰して大きな時間軸で観察していないと気が付かないし、思いもしないようなことが、この本にはいっぱい書いてある。 繰り返し読み返し、言葉をかみしめて、読んだ時の自分が感じた感覚を大切に生きていきたい。"
世界大戦後の日本を憂慮して教育に関して自身の経験を交えつつ書いたエッセイ. 読み始めたときは数学者とは思えないほど表現力に富んだ柔らかな文章だなと思ったが,数学者だからこそ,特に筆者の言う"情緒"に富んだ方だからことこのように興味深い文章が書けるのだと納得した. 歴史や昆虫採集な...続きを読むど,幼いころから多方面への興味を筆者がもっていたことが興味深かった.一方で集団行動,詰め込み教育に重きをおく現状では筆者の言う真の智が生まれることは難しいのではないかと感じた. 何度も再読したいし,友人にもおすすめしたい一冊.
世界的数学者・岡潔(1901~1978年)の代表的な随筆集で、1963年に発表され、その後何度も復刊を重ねているロングセラー。(本書は2006年光文社文庫で復刊) 岡潔は、京大時代には後のノーベル賞学者の湯川秀樹や朝永振一郎に講義を行い、広中平祐のフィールズ賞受賞業績にも影響を与えたといい、また、自...続きを読む身の数学上の業績は、西欧の数学界ではそれがたった一人の数学者によるものとは当初信じられなかったほど、強烈な異彩を放つものであったという。 また、岡氏は、日本人のもつ「情緒・情操」の大切さを繰り返し述べ、本書以外にもそうした思いを綴った多数の随筆を残しており、一般にはむしろそうした実績で有名かもしれない。 「人の中心は情緒である。・・・数学とはどういうものかというと、自らの情緒を外に表現することによって作り出す学問芸術の一つであって、知性の文字板に、欧米人が数学と呼んでいる形式に表現するものである。」 「数学の目標は真の中における調和であり、芸術の目標は美の中における調和である。どちらも調和という形で認められるという点で共通しており、そこに働いているのが情緒であるということも同じである。だから、両者はふつう考えられている以上によく似ている。」 「文化の型を西洋流と東洋流の二つに分ければ、西洋のはおもにインスピレーションを中心にしている。・・・これに対して東洋は情操が主になっている。・・・木にたとえるとインスピレーション型は花の咲く木で、情操型は大木に似ている。」等 「数学は美しい」とは数学者がしばしば口にするフレーズであるが、日本の数学界には優れた数学者が現れるべきして現れていることを実感する、素晴らしい随筆集である。 (2008年4月了)
11冊目『春宵十話』(岡潔 著、2006年10月、光文社) 1963年2月に刊行された、大数学者・岡潔による随筆集の新装文庫版。表題作を含む23篇を収録。 数学とは学問芸術の一種であり「情緒」がわからなければそれを理解することは出来ない。絵画、文学、音楽、仏教など、知識よりも情操の教育の重要性を説く...続きを読む岡の言葉は、勉学がただの受験勉強になってしまっている現代にこそ広まって欲しい。 〈よく人から数学をやって何になるのかと聞かれるが、私は春の野に咲くスミレはただスミレらしく咲いているだけでいいと思っている〉
漠然とした研究者としてのイメージや実際の刊行時に比べると文体に関しては一切の古臭い部分がなく整然と読みやすい。 それでいてエピソードや周辺の人物を見るにやはり時代の隔たりを感じずにはという感覚にもなる。 主義主張の筋に関しては、現代にも尚交わされる議論であるために賛否があるものだろうが、一つの道を...続きを読む突き進んだ先人の言葉として受け取りたい。
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