松本俊彦のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
自身の興味のある領域とも似通う部分がありなかなか教訓となる内容だった。医者はともかく精神科医ならば読んでおいて損はない。
個人的に、依存症も過食摂食障害も反社会的行動も手段は違えど全て愛情の飢餓を代償しているに過ぎないと思っている。
しかし、その大元を辿ることを大半の医者は放棄せざるを得ないのが今の医療の現実であるとともに、患者もまた辿られることに恐怖を覚えている。
そのジレンマとどう向き合っていくかが精神科医の勘案すべき所なのかもしれない。
✏一般に若さとは心の可塑性の高さを意味し、精神科治療においてプラスに働くことが多いが、依存症治療にかぎっていえば必ずしもそうとはかぎらない。むしろ若さとは「失うもののなさ」を意味し、ともすれば、破滅に向かって真っ逆さまに転落するかのような自己破壊的な行動につながりやすい面もある。
✏しかし、ひねくれ、挑戦的な表現とはいえ、人に対する絶望をあえて誰かに伝える、という矛盾した行為そのものが、「人とのつながり」を求める気持ちの表れとはいえまいか?
✏彼の指摘はまさに正鵠を射ていた。説教や叱責といったものは、それこそ彼の周囲にいる素人の人たちが無償でやっていることだ。それと同じものを、いやしくも国家資格を持つ専門家が有償で提供してはいけない。
✏浮き輪を投げて、彼らが陸地を目指して泳がなかったとしても、そのことに関して私たちはどうにも責任のとりようがない。しかし、それは無責任とは違う。当事者の健康さを信じ、相手の「心の自由」を保証するがゆえの配慮なのだ。
✏なにしろ、依存症という病気は本質的には「治りたくない」病だ。
✏これはもはや治療ではない。営業、いや誘惑といったほうがよいかもしれない。
✏依存症は否認の病といわれているが、実は、心的外傷後ストレス障害にもまた否認の病としての特徴がある。トラウマを抱えた患者の多くは、「悪いのは自分、だから、罰として、毎晩こんなつらい思いをしなければならないんだ」と思い込んでいて、このうえ自分が「病気」に罹患していると認めるのは、ただでさえどん底状態の自尊心をさらに傷つけることになりかねない。だから否認するのだ。
✏「心の痛みを身体の痛みに置き換えているんです。心の痛みは何かわけわかんなくて怖いんです。でも、こうやって腕に傷をつければ、「痛いのはここなんだ」って自分に言い聞かせることができるんです。
✏要するに、安心できない場所では自傷行為さえできない、ということなのだ。自傷行為は、少しならば安心できる環境、多少は自分の苦痛を理解してくれる人がいるかもしれない環境で起こる現象なのである。
✏少年矯正の世界から学んだことが二つある。一つは、「困った人は困っている人かもしれない」ということ、そしてもう一つは、「暴力は自然発生するものではなく、他者から学ぶものである」ということだ。
✏人は誰しも生産的な存在でありたいと願う動物だ。
✏断言しておきたい。もっとも人を粗暴にする薬物はアルコールだ。さまざまな暴力犯罪、児童虐待やドメスティックバイオレンス、交通事故といった事件の多くで、その背景にアルコール酩酊の影響があり、その数は覚せい剤とは比較にならない。
✏多くの国でアルコールが許容されているのは、おそらく二つの理由によるのだろう。一つは、その歴史の長さと社会浸透度ゆえであり、もう一つは、現状の世界では、「ワインは神聖なるキリストの血」と見なす宗教的世界観が主流だから、というものだ。
✏この世には「よい薬物」も「悪い薬物」もなく、あるのは薬物の「よい使い方」と「悪い使い方」だけである、ということだ。
✏この答えには続きがある。「悪い使い方」をする人は、必ずや薬物とは別に何か困りごとや悩みごとを抱えている。それこそが、私が医師として薬物依存症患者と向き合いつづけている理由なのだ。
✏先輩の一人はある格言を教えてくれた。曰く、「内科医はなんでも知っているが何もできない。外科医はなんでもやるが何も知らない。精神科医は何も知らないし、何もできない」。
✏ラベリングにはさしたる意味はない。彼女の生きざまというか、痛みに満ちた人生の物語を理解していれば、それで十分寄り添える。
✏そのときようやく気づいたのは、ご婦人の「手のかからなさ」とは、実は、援助希求性の乏しさや、人間一般に対する信頼感、期待感のなさと表裏一体のものであった、ということだった。
✏切れ味のよい、「あの薬のおかげで救われた!」という効果が自覚できる薬は、長期的には好ましくない。そして、その人が抱える心の傷が深刻なものであればあるほど、劇的な効果をもたらす薬は危険である。そう考えるからだ。
✏「法に触れることは、「ダメ。ゼッタイ。」」という道徳教育が、日本人の「逮捕されずにハイになる」ことへの執念を育んだともいえるだろう。
✏アディクション(依存症)の反対語は、「しらふ」ではなく、コネクション(つながり)
✏「アヤナイ」は「相手とのあいだに垣根を作らない。相手を自分のことのように思う」という態度なのだ。 この言葉は、そのときの私たちにぴったりだった。支援者/被支援者、あるいは専門家/当事者という垣根を越えて、音楽という「化学物質なしの酔い」を介してつながっていたからだ。 -
Posted by ブクログ
薬物は善か悪かでなく、依存してしまう人の背景を炙り出すのが大事という事。
これは薬物に限ったことでなく、世にある出来事は氷山の一角で水面下には、そこに至る多くの事象があるのだ。ある一面を捉えて判断するのは表面的な解決に過ぎない。根本を見つめるのが重要だ。
そう考えると植え付けられた薬物依存症の方への見方も変わる。そしていかにゾンビの印象を植え付けられてきたかも感じた。負の印象操作に繋がることをする側も気を付けないといけない。正しいと思っている分、ややこしい。
お酒に対してはネガティブな主張であったが、こちらも使い方次第。お酒は、おいしいご飯を更に美味しくさせるし、楽しい時間を更に楽しくしてくれる。そういう“使い方”をしたい。
と、いうことをいろいろ考えされられるので良い本だったと思う。 -
Posted by ブクログ
自傷に関する本をたくさん書かれているそうで、この本は当事者に向けた初めての本。
自傷する人は10代の10%いるということに驚いた。そう言われてみると、自分も小学生〜中学生の頃にどうにもならない苦しみ・怒りを自分にぶつけたことを思い出した。
自傷と言っても刃物で手を切るだけが自傷ではなく、壁を殴ったり、頭をぶつけたりなど、自分の身体が傷つく行為はそれにあたると聞いて、自傷という言葉がさす範囲が広がった。
私自身は刃物はないけれど、腕に爪を立てたり、捻ったりしたことがあり、その時の感情が本書に書かれていた通り、とてつもない心の苦しみを紛らわす効果があったような気がした。
よく「リストカットする人は結局死ぬ気なんかないんだ」という声を耳にするけれど、そういった態度が余計に相手を傷つけ、自傷行為がエスカレートして最悪の場合は死に至ることもある。
身体の痛みは心の鎮痛薬ということが理解できると、きっと自傷の人に対する理解が深まり、優しくできるようになると思う。 -
Posted by ブクログ
備忘録。
薬物依存症の自己治療仮説。薬物依存症の原因は、「もっと快感を」という正の強化ではなく、苦痛の緩和という負からの脱出にあるというのは、納得感のある仮説。だから、薬に対する規制を強化するだけでは、依存症問題は解決しない。欧米の大麻などの違法薬物取締緩和のベースにある考え方だと思うが、薬物依存が広がってきたら、日本でも緩和の議論が必要になるのかもしれない。
ネズミの楽園の実験。独房のような檻に入れられたネズミ16匹と、仲間と自由に交われる楽園におかれたネズミ16匹。独房ネズミはモルヒネ水を飲み、楽園ネズミは水を飲む。でも、独房ネズミを、楽園に移すと、モルヒネ水じゃなくて、本当の水を飲みはじめる。
社会的動物である人も、孤独に追い詰められて、モノでその孤独を癒そうとする訳ですが、移される楽園があれば、モノで孤独を癒そうという行動が減るかも。確かに、そうかもしれない。 -
Posted by ブクログ
自傷がどのように自殺に繋がるか、それを如何に周りが防ぐかについての本。
私は首吊り自殺未遂で現在精神病院に医療保護入院中、19歳です。
自分は自傷経験無しでの自殺未遂だったから自分に当てはまる部分は少なかったけど、周りの子に当てはめてとても参考になった。特に、初手に「そんな事されたら悲しいでしょ」って言葉を使うのは援助希求能力の妨げとなることはもっと知られるべき。そう言われるって分かったら確かに自傷行為を報告しづらくなる。何より自傷行為を把握する事が第一って認識。
信頼できるような大人になれるように頑張ります。助けを周りに繋げられる能力、真っ先に否定しない。3人に1人もその条件を満たす大人が居るとは思えない。一般的な意味で「信頼出来る大人」は結構居るけど、適切な対応を取れる大人が3人に1人は居ない……(´・ω・`)