苅谷剛彦のレビュー一覧
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ポジティブリスト
こんな風にできたらいいな、と思うことを次々書いていくと、完璧な人間が育つという考え
ネガティブリスト
最低限のことだけ書いて、あとはほっとけ。
日本の教育はポジティブリスト主義になっている。英語はその例。
どんどんポジティブリストは長くなるが、現実には子どもだけでなく教師側のキャパシティにも限界がある。
何かを入れ込んだ時、何かがこぼれ落ちていることを忘れてはいけない。
子どもの可能性は無限で、小さい時はなんでもできるというような神話があるが、犠牲になっている何かは必ずある。
リスニング試験についての話は面白かった。50万人の受験生のために専用の機械をつくり、何度も -
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教育学分野における新書とは独特の雑味があると感じる。およそ200ページに抑えることができない本来の研究内容を割愛しすぎ詰め込みすぎるがゆえに曲解や誤解を招きえると感じる。その点から非常に残念に感じた。
アメリカの大学はあまりに規模が大きすぎて、正直なところ誰も理解しえていないものと考える。アイビーリーグを含め本当に上位中の上位について、日本との高等教育の比較で語られることがある。日本の大学についても同じ読みとり方がされており、ますます高等教育の現状を掴み損ねると感じている。そういう半面もう少し研究対象としての肥沃な大地が広がっているとも捉えられる。いずれにせよ、本書ではアメリカの大学、ニッポ -
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「ゆとり」とは、誰にとってのゆとりか。勉強しない子がますます勉強しなくなる。子供中心主義の幻想。自由に好きなことができる授業→喜ぶのは勉強がほとんどわかっていない生徒であった。教育改革って、その時代の子供への実験みたいなものだな。ゆとり世代と言われる私達は、まさしく被検体だったわけである。ならば一層、今後の教育がどうあるべきか私達は考えていかなければならない気がする。教育ってほんとに大事だと思うんだけど、大事にするべきところとその周辺にあるものがごちゃ混ぜになってる。学力に焦点を当てるのか、楽しい授業に焦点を当てるのか。楽しい授業、ほんとにそれは楽しいのか。なにが残るのか。なにも残らないのか。
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ネタバレ「日本と違って…という国では…」と語る批判は日本におけるインテリジェンスの常套句になっている。教育も同様に語られることが多い。日本の教育はそれほど悪くない、ということを再認識しつつも増田ユリヤさんのようなジャーナリストが多く日本の教育を語っている現状に憂いを感じます。刈谷剛彦さんは、諭すように対話を続けるのですが、何となくしっくりこない増田さんの言葉を読んでいると憂いがまします。どこかに理想の国があり、自分探しに奔走することはあながち「正しくないな」と思わせる本。刈谷剛彦さんは良いことも言ってはいるが、だから具体的にはどうしましょう?と思わず突っ込んでしまいたくなることもあったので☆3.
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Posted by ブクログ
ネタバレ[ 内容 ]
戦後教育において「平等」はどのように考えられてきたのだろうか。
本書が注目するのは、義務教育費の配分と日本的な平等主義のプロセスである。
そのきわめて特異な背景には、戦前からの地方財政の逼迫と戦後の人口動態、アメリカから流入した「新教育」思想とが複雑に絡まり合っていた。
セーフティネットとしての役割を維持してきたこの「戦後レジーム」がなぜ崩壊しつつあるのか、その原点を探る。
[ 目次 ]
プロローグ 平等神話の解読
第1章 対立の構図と問題の底流
第2章 戦前のトラウマと源流としてのアメリカ
第3章 設計図はいかに描かれたか
第4章 「面の平等」と知られざる革命
第5章 標準化