幸田真音のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
髙橋是清のキャリアはとてもユニークだ。
近代日本を支えた偉人たちは、何れもユニークなキャリア(特に海外留学、渡航経験)を持っているが、高橋是清のそれは、輪をかけた程にユニークだ。
その事実を知り、この時代だからこそ、政治、金融界の頂点に昇りつめることができたのだろう、と思ってしまう。
言い換えると、若い頃は失敗の連続なので、現代に生まれてきていたら、日本でキャリアアップをすることは先ず無理。(おそらく、海外で活躍することを選択せざるを得ないと思う)
彼のキャリアの特徴は、チャレンジすることを厭わないこと(それを良しとするマインド)。それは失敗から学ぶことができる、ということにも繋がる。
これは若くに渡米したこと、そして苦難なものであったことと関係があると思う。
彼にとっては、地位、年齢、国籍のハードルは極めて低かった。少なくとも怖さではなかった。
当時の日本には、そのような人材が必要であった、希少だった。そして、当時の偉人と言われる政治家、事業家は、ある意味変人であった是清を受け容れる度量があった。(受け容れる度量、というよりも、それは時代の要請であり、それを当時の偉人が理解していた)
そして、彼が楽観家であった、というのも大きな特徴だ。それは生まれながらにしての人格という側面もあると思うのだが、多くの経験をしている(肝が据わっている)、論理的に考えている、ということから生まれてくるものだと感じた。
日露戦争勝利の裏には、当然の如く、国家としての資金調達があったわけで、その具体的な状況について知ることができたことは収穫。
歴史の裏には必ずMoneyがあり、本著では、その動きを著者が専門的な観点からも触れている。
また、金融行政家としての不況、恐慌への対応、軍部との対立、これは、座学だけでは到底対応できず、現場経験、そこから得られる知識、また、英語を通じての内外の人脈が大きく活きていることに注目したい。
髙橋是清は、2.26事件で暗殺されるのだが、軍部の暴走が日本の歴史を変えてしまった、という事実は高橋是清のキャリア、考え方を知るにつれ、改めて強く心に刻まれた。
以下抜粋~
・訴えたのは、英米が許容できる範囲内においての日中の経済的同盟関係の構築だった。
中国の国民を尊重し、彼らの国家統一に協力することで、日中両国は経済面で西欧に対応できる第三の存在となるべきだと考えていた。
二十一カ条の要求など、軍事的な圧力は、中国におけるナショナリズムを刺激し、半日感情を煽るだけでなく、さらにはそうした二国間の緊張関係に対抗する、米英からの警戒行動に繋がるという悪循環を指摘したのである。
・是清は全部で十三項目に及ぶ高橋是清内閣改造私案を掲げた。
枢密院の改革、外交調査会の廃止、陸海軍大臣の文武官併用により参謀本部および軍令部をその下に置くこと、陸軍配備の半減、普通選挙の採用、物価の引き下げ、地租や営業税を地方費として各府県に教育補助費の財源を与える、シベリア撤兵と日露通商の開始…。
当時にしてはあまりにも過激で拙速、何よりも党の支持基盤を逸脱するようなものというほかなかった。
是清は、常に直球で速球勝負。
・こうした軍事的行動は、だが、国内では熱狂的に支持されたのである。大正時代に芽生えたデモクラシーを背景に、恐慌下における生活苦によって、国民心理が徐々に過激な方向性を持ち始めていた。大恐慌を経て保護主義に走る亜米利加の関税制度や、日系移民への迫害行為などが報道されるにつれ、強い日本を標榜する軍に救いを求めるのも無理ないことだった。
・(川田の是清の評価)現状を正しく把握し、その問題点を冷静な視点で分析する。そのうえで、自由かつ柔軟な発想と、周到な策を以って、果敢に、しかも現実的に解決していく。 -
Posted by ブクログ
感想は下巻で。
以下抜粋~
・和喜次(是清)と鈴木知雄が学んだのは、紐育より来日していた医師でもあり、宣教師でもあるジェームス・カーティス・ヘボンである。前年より横浜の居留地で施療院とともにヘボン塾を開き、ヘボン式ローマ字表記法を考案。
・「いいへ、日本人は真っ先に辞書を買っていました。英語を勉強するんです。それに較べると、中国人はなにをおいても貯金ですって」
帰国する者たちと入れ替わりに、今度はその兄弟や親戚が、寄せては返す潮のごとく、亜米利加に渡ってくるというのである。
・共立学校の若き校長であり、英学教師であった是清とこのころ接点を持った若者たちは数知れない。
洋画家であり美術教育にも貢献する黒田清輝、帝国海軍軍人の秋山真之、明治を代表する俳人正岡子規、作家の島崎藤村などのほか、やがて海軍大将となり内閣総理大臣ともなる岡田啓介のように、後年になって是清自身が関わる政治の場面で再会する教え子たちもいた。
・今回同行(渡航)するのは、串田万蔵や吉田鉄太郎といった若者たち。串田はのちに三菱銀行の会長となる青年だ。
・巴里二日目の朝になるのを待ちまねるように、日本公使館に蜂須賀公使を訪ねた。
このとき是清は、一人の男と出会う。
その名は原敬。
・(川田の是清の評価)現状を正しく把握し、その問題点を冷静な視点で分析する。そのうえで、自由かつ柔軟な発想と、周到な策を以って、果敢に、しかも現実的に解決していく。 -
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山崎種二の一生を描いた本。 現在のヤマタネと山種美術館、既に合併で無くなった山種証券の設立の話。相場師として、関東大震災、第二次世界大戦をくぐり抜けた立ち振る舞いの物語。かなり倉庫で眠って板が読み始めたら、思わずのめり込み。電車で読んでいて降りる駅を乗り越しました。(笑)
種二が借金を背負って上京し、親戚の開米商店に丁稚奉公し、苦労して店を立ち上げ、震災で無にした後の立ち上げていくところはなかなか大変であるがしっかり復活。その後に川合玉堂、横山大観などと交流し美術品を収集したことが戦後に山種美事術館の収集品となるとは。一度この美術館へぜひ行ってみたくなった。