青木純子のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
1913年オーストラリア。英国から着いた船にたった1人で名前すら言わぬ少女が乗っていた。少女はオーストラリア人夫婦に引き取られネルと名付けられた。1900年ロンドン。孤児のイザベラは弟と2人でケチで意地悪な夫婦の下で過酷な仕事を強いられていた。ある日立派な馬車がイザベラを迎えに来た。ずっと探されていた貴族の家の娘だと言って。2005年オーストラリアのブリスベン。カサンドラは祖母ネルを看取った。祖母は英国にコテージを遺してくれた。1975年ネルは英国に向かい、コテージを買った。2005年カサンドラは謎を追う。なぜネルはコテージを買ったのか?祖母は誰だったのか?なぜひとり船に乗っていたのか?なぜそ
-
Posted by ブクログ
とある実業家の道楽的思い入れにより改築に次ぐ改築が繰り返された広大な屋敷、フォーリーハウス。
財政難により競売にかけられた屋敷はユダヤ人シコルスキー一族に買い取られ『ホテルネヴァーシンク』として一時代の輝きを放つ。
半世紀に渡る隆興と凋落の裏にはシコルスキー一族の決して美しいばかりではない営みが息づいている。
ホテルとしての絶頂期に起きたネヴァーシンクでの男児失踪事件の真相究明を細い軸にしながら、歴代の関係者の物語で各年代の場面を構成する形式。
必ずしも失踪事件の謎が前面にあるわけではなく、あくまでもネヴァーシンクを取り巻く歴史絵巻。
本筋とは関係のなさそうな挿話が、伏線かと思いきや本当に全 -
Posted by ブクログ
ロバート・B・パーカーのスペンサー・シリーズの初期作品の一つである『キャッツキルの鷲』というタイトルはなぜか忘れがたいものがある。さてそのキャッツキルという地名だが、「キル」は古いオランダ語で「川」の意味なのだそうだ。古いオランダ語。うーむ。
ハドソン川に沿ったいくつかの土地の名には「キル」が付いてるらしい。この作品の直後にぼくが読むことになるアリソン・ゲイリン著『もし今夜ぼくが死んだら、』の舞台が、実はニューヨークに注ぐハドソン川流域の架空の町ヘヴンキルなのである。「キル」の意味を教えてくれたのはそちらの翻訳を担当している奥村章子さんで、彼女が巻末解説でそのことを教えてくれたのだ。これ -
Posted by ブクログ
ネタバレキャッツキルが舞台と聞けば、スペンサーシリーズの『キャッツキルの鷲』のオールスター銃撃戦をすぐに思い出すがそれは置いといて…
青木純子さん訳ということで、ケイト・モートン作品ぽいものを予想していたが、少し軽い感じでとても読みやすい。
それほど長くはないのだが、時間を積み上げ、重要な登場人物も多く、視点も変わるので物語の厚みを感じた。特に最初の移民時代はわずか70年前。現代とこんなに近いのにこんなことがと驚く。
某所でたくさんオススメされていて面白いのは確かですが、ラストの曖昧さ、犯人の目星のつきやすさなど、文芸寄りかと。
結末をぼかすのは好きではないなぁ。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ2005年、オーストラリア。祖母を看取ったカサンドラは、葬儀の席で大叔母たちから実は祖母のネルが養子だったことを知らされる。驚くカサンドラだったが、ネルはもうひとつ謎を遺していた。オーストラリアから遠く離れたイギリスのコーンウォールにコテージを所有していたのだ。「これをカサンドラに遺贈する。いずれその意図を理解してくれることを願って」と書き残したネルの足跡を追って、はるばるコーンウォールのトレゲンナという村にたどり着いたカサンドラは、かつて貴族の邸宅だったブラックハースト荘で貴族の令嬢と童話作家と画家が過ごした日々にネルの出生の秘密が隠されているのを知る。百年の時を行き来しながら、一人の女性の
-
Posted by ブクログ
イギリスから船でオーストラリアに渡り、一人置き去りにされた少女。いったい彼女は何者で、何が起きたのか。過去と現在を行きつ戻りつしながら、過酷な運命に翻弄される一族の秘密が解き明かされていく。
時代を大きくさかのぼりつつ語り手が何度も変わるため、人物関係を頭のなかで整理するのにひと苦労。それでも、ところどころ挿入される童話の真の意味を考えたり、少しずつ解き明かされていく悲しい過去によってそれぞれの人物像が浮かび上がっていく過程は、古典を読んでいるかのような心地よい読書となる。
たぶん、子どもの頃にオーソドックスな海外の物語を読んで、異国の主人公たちに憧れた空想好きの元少女たちに愛される作品な -
Posted by ブクログ
ネタバレ何となく面白そうだと思って買った本だったので、最初は「過去や現在、視点さえも行ったり来たりするので、読みにくにかも、、、」と思っていたが、そんなことはなかった!
出だしから刺すのかい!と思ったけど、ドロシーの過去を考えたとしたら、そうなるよね、と
読んでいるうちに、段々とドロシーがえげつない感じになってきて、ローレルの幼少期の母であるドロシー像とはかけ離れていたのも、そもそもが違うからとも考えられるような、、、
最後の章のジミーに、何とも言えない気持ちになった
結婚してからのヴィヴィアンは、初期は少しでも楽しかったのだろうか、やっぱりそんなことはなかったのだろうか。
そんな中でドロシー