武富健治のレビュー一覧
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ネタバレ 購入済み
流石の迫力
流石、絵の迫力が凄い。
やめられなくて、一気に読んだ。
ミステリに慣れている人には、もう少しビックリしたかったというか、
伏線が素直すぎると思った。 -
購入済み
中二病全開
中二病という単語が20年以上たっても現役であることからわかるように、中学生時代は精神的に不安定な年代である。自分自身を振り返ってみてもそんな気がする。
この不安定な中学生相手の教師の奮闘を描いた作品なのでいやでも熱くなる。
絵柄もどんどんヒートアップしてややホラー漫画の雰囲気さえ出てきた。 -
購入済み
中学時代を思い出す
どちらかといえば面白くなかった周辺がガサガサごたごたした中学時代を思い出させるような作品。
鈴木先生の教師としての熱意と人間としての感情のせめぎあいが恥ずかしさを伴った実感として感じられる。
絵柄は相変わらずきつめのタッチ。 -
購入済み
所謂普通の教員の話
大半が、本当に教育現場では役に立たない教員の対応。
いくつも「それポイント外れてる、それ許しちゃ教育じゃない」って点があるので、全く実戦に向かない。
所謂“普通の教員”の物語。常に無能扱いされる現代の、普通の善意の市井の住民である彼らの一般的にある愚痴。 -
Posted by ブクログ
ーむ、これは確かにおもしろい。11巻一気に読んだ。おもしろくて、一方であまりに歪で異様な作品でもある。
典型的な学園マンガ、教師マンガのフォーマットを忠実になぞり、中学生に起こりがちな代表的なテーマを取り上げながら、その実、なにひとつとして提示しない。そこにあるのは、学校という広く合意された安定的な舞台装置とその上に巧妙に配置されたキャラクターとで構成されたジグソーパズル。読み手は、鈴木先生とともにパズルに挑み、ピースのひとつひとつを埋めていけばいい。取り上げられたテーマの持つ意味そのものは不問に付され、いかにしてそのゲームをクリアするかのみがフォーカスされる。教室とは学びの場ではなく、そこでプレーヤーがゲームを繰り広げるフィールドなのだ。だから、この作品と比較されるべきは過去の教師マンガや学園まんがではなく、カイジやライアーゲーム、あるいはデスノートといった作品群であるべきだろう。90年代のセカイ系的な閉塞に対する超克としてのゼロ年代バトルロワイヤル系の系譜を考えるのがしっくりくる。
ここで見逃せないのは、この作品の主人公が鈴木“先生”であり、決して生徒ではないということ。鈴木先生は確かに、生徒、あるいは他の教師と並置されるゲームのプレーヤーである。しかし、そうであると同時に、ゲームの観察者であり設計者であり制御者でもある。ここで、鈴木先生は、教室というフィールドにおいて、神の視点、神の手を持つ。鈴木先生自身が述べているように、教室は設計者や制御者にとって”実験”の場でもある。すべてを制御できるわけではないが、他のプレーヤー(特に生徒)よりも高い制御可能性を持つ。いわばシムシティの市長のような存在といえる。だから、鈴木先生は、単なるプレーヤーではなく、読者や作者といったメタレベルにより近しい。ここが、通常のバトルロワイヤル系とは大きく異なる点といえる。そして、こうした役割を主人公に与えることによって、教室というフィールドが極めて動的な場所として機能することとなる。
ただし、鈴木先生に多くの役割を担わせた結果、ゲームのフィールドは外的環境からは隔絶された閉鎖系としてしか機能できなくなってしまったのは、作品の弱点でもある。学校、教室というゲームフィールドは、時間的にも空間的にもより大きなゲームフィールドのモジュールでしかなく、本来ならば外部に開かれ相互に作用するべきもののはず。それが学校、あるいは教室を完結した箱庭に留めてしまったがために、伝統的なフォーマットを完全に書き換えるまでには至らなかった。そこは非常にもったいないところだと思う。
さらに、もうひとつ、ヒロインである小川蘇我美を絶対的な存在として描いてしまったことは弱点というより大きな失敗だと思う。あれだけ完璧に近いキャラクターとして描いてしまえば、それはもうゲームのプレーヤーにはなり得ない。 途中からはゲームのクリアを、小川のキャラクターに大きく依存してしまっている。最終話に至っては、もうデウス・エクス・マキナと言ってもいい結果になってしまった。
とはいえ、この伝統的なフォーマットを大胆に換骨奪胎しさらにメタレベルでの制御可能性まで付与すること、これはこの作品がもつ優れた現代性といえる。したがって鈴木先生の倫理や姿勢に感動したり反発したりという反応ほど度し難い誤読はない。この作品は主張や回答といえるようななにものをも持ちあわせていないし、その必要もないのだから。