チョン・セランのレビュー一覧
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「背負ってさしあげますよ」「それはだめだよ」「体のでっかい孫が孝行していると思って、そうしてください」
セフンのような思いやりを持ってこんな行動ができたなら。
「ずっと差別されずに育ってきたから、差別を見たときにこれは差別だってすぐにわかるのよ。自分の持ってる資源でできることをやってるだけなのに、何だっていうの?」
有能で責任感の強いソラの言葉に胸がすく思いがする。
「おばさん、助けて」会ったこともない人だ。でも、ジョンビンのママなら助けてくれると思った。大人が必要だった。
まだ幼いジョンビンとダウンの物語が優しくて切ない。
客観的で、でも細やかで、人間の善意のようなものが51人の物語を貫いている。
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作者チョン・セランは一九八四年生まれ(私は同い年)、この本が韓国で出版されたのは二〇二〇年、日本語版の出版は二〇二二年一月。私にとっては同時代感バッチリの小説だ。面白かった。
タイトルのシソンは、シム・シソンというおばあちゃんの名前。訳者あとがきから彼女を紹介している部分を引用すると、「朝鮮戦争の中で家族を皆殺しにされたが、海外に渡って第二の人生を切り拓いた勇気ある女性。男性芸術家の暴力によって惨憺たる目に遭うが生き延びて、ユーモアを忘れずにたくさんの仕事をし、二度結婚して四人の子供を育て、世の評判をものともしなかったおばあちゃん。美術評論をはじめ数々の随筆を書き、各種メディアに登場しつづけ、日記が出版されるほどの有名知識人」という設定の架空の人物だ。特定のモデルはいないようだが、オマージュされている人物はいるようで、そのあたりはあとがき及び訳者あとがきに詳しい。これも興味深い。
その女傑ともいうべきおばあちゃんが亡くなって十年経った今、が物語の舞台。長女のミョンヘが、「今年はお母さんの祭祀(チェサ)をハワイでやります」と妹・弟夫婦やその子どもたちに呼びかける。祭祀とは、日本でいう法事にあたるような韓国の伝統的な行事なのだが、たくさんの料理を作ったり細々としたしきたりに従ってそれを並べたりというシチ面倒くさい準備を、一族の女性たちが行う。そして儀式に参加するのは男性だけ、というものだそうで、シソンは存命中に「長女には、私が死んでも祭祀をするなんて了見は起こすなと言ってある」と発言し、メディアを沸かせた。祭祀をしないことだけでなく、長女に言ってあるという点も型破りなのである。息子もいるのに。
かくしてハワイへの家族旅行及び祭祀が執り行われるのだが、シソンの子孫たち(韓国語ではシソンは「視線」を意味する言葉と同じ読みらしい…からシソンの子孫は駄洒落にはならない?)による弔い方が本当に素敵なのだ。一同がホテルに揃うと、ミョンヘは次のように発表する。
「命日の夜八時に祭祀を行います。十回忌に際して一度だけやるわけですが、古くさいお膳を整えるようなことはやりません。各自そのときまでに、ハワイを旅して嬉しかった瞬間、これを見るために生きてるんだなあという印象深い瞬間を集めてくることとします。その瞬間を象徴するものでもいいし、ものでなく、経験自体を共有するのでもいいんです」
このあと、各々が自由に数日を過ごし、祭祀を行い、帰途に就くまでが小説の中身だが、彼らの独白やシソンの書き残した文章の断片の引用を通して、読者は二十世紀を生き抜いたシソンの半生をも知っていく。それが見せてくれるのは、現代を生きる子や孫(や私たち)が直面している問題の根っこでもあるが、でもそこにシソンがいたということ自体が、与えてくれる希望も見える。シソン個人がすごい人だったんだとか、その人の娘だから強いんだろうとか、そうとも言えるけれどそれだけでもない何かを、勝手にこちらが感じれば感じたもん勝ちだよね、なんて。
文章表現もとても素敵で、読むのを止めたくなくてメモしなかったので覚えてないけれど、ハッとするフレーズがたくさんあった。他の作品も読みたい。 -
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『闇に包まれた穴の底には、龍が横たわっているような気がした。(中略)年寄りたちの言うには、そうした穴は龍が冬眠をする穴ぐらだそうで、龍は夏になると穴からはいずり出てきて天空に飛び立ち、冬になると再び穴に舞い戻ってくるという。穴の付近の雪が解ける理由は、龍の吐く息が穴から噴き出してくるせいらしい。ぼくはその言い伝えを知っていたので、穴の底でひとりぼっちにさせられたとき、龍に食われてしまうんじゃないかと怖くてたまらなかった』―『ラシャムジャ/穴の中には雪蓮花が咲いている』
「絶縁」というテーマのアンソロジー。村田沙耶香が作品を寄せているというので読んでみたのだけれど、その他のアジア圏の作家の短篇にも魅せられる。中でもチベット語で創作活動をしているという中国青海省海南チベット族自治州生まれのラシャムジャという作家の作品は、地方出身の主人公による地元の幼馴染の思い出と都会で失望感を味わう自身の境遇の対比の問わず語りなのだが、その対比の中にある地方と都会あるいは自然の中に生きることの多面性と都市化された環境の中の画一的な生活の効率性の対比という構図が多重露出的に描かれ、知らない筈の土地に対する郷愁を呼び起こす。まるで台湾の呉明益の小説かと思わせるような作品で、特に惹かれた。
日本、シンガポール(マレー語)、中国、タイ(南部)、香港(広東語)、中国(チベット語)、ベトナム(南部)、台湾(広東語)、韓国の作家が並ぶのだが、国籍は必ずしも作家の特徴を典型的に表象する訳ではないのだと(アンドレイ・クルコフの「優しい死の天使」の中で国民性と国語の関係について言われていたことを思いだすが)判ったようなことを言いたくなる。それが編んだ人の意図であるのかは定かではないが、母語がその国の標準的な言語である作家と方言を含め母語が標準的言語ではない(もちろん、書き言葉では口語ほどの違いは出ないだろうけれど)作家の立ち位置の違いが、「絶縁」という言葉から連想されるものの違いになって表れているようにも見える。例えば、村田沙耶香の「無」(日本語)や郝景芳の「ポジティブレンガ」(北京語)では絶縁は「個人」の感情から主に湧き上がる「違和感」に由来する。その違和感を感じさせるものの正体は「社会」という捉えどころの無い、あるいは実態の無い相手であり、その実態の無さを二人の作家は空想科学小説風のディストピアとして描く。基本はミヒャエル・エンデの「モモ」あるいはジョージ・オーウェルの「1984」に似た物語。一方で、その国において少数民族と呼ばれる人が用いる言語で書かれたラシャムジャの「穴の中には雪蓮花が咲いている」(チベット語)やアルフィアン・サアットの「妻」(マレー語)が描く絶縁は違和感ではなく「孤立」に由来するものであり、少数派としての視点を通しての社会への隔絶感はあるとは言え、対象は個人の顔をしている。もちろん個人はその社会における多数派という立場を代表していると読めるのだが、社会の制度そのものというよりは立場を利した強者への拒絶感が孤立を生む(生ませる)という構図が共通してあるようにも思う。
そのように要約してみると、ベトナムやタイにおける南北対立の構図や、香港、チベット、台湾における「中央」との対立の(それらは往々にして官民の対立でもある)構図といった社会的課題が「違和感」を「拒絶」へと高める一因となっているのだろうかと考えたりもする。だからと言って日本の村田沙耶香や中国の郝景芳や韓国のチョン・セランが何も社会的課題を描いていない訳ではないが、敢えて言えばこの三人の作家の描く主人公には個人が能動的に「絶縁」をすることの可能性がある一方で、他の作家の描く主人公には「絶縁」を受動的に許容する他選択肢が無いようにも見えるという違いがあると言えばよいだろうか。
もちろん、違和感であろうが、孤立であろうが、向き合っている社会に対する個人の信条との対立という構図に変わりはない訳で、それは突き詰めれば個人の持つ正義感とでも呼べばよいような硬質の言葉に帰結するように思うが、それを声高に叫ぶことを必ずしも善しとしない態度が、不思議なことにどの物語の主人公にも共通して認められる。日本では最近若年層の対人関係におけるとみに「温和」な態度が話題となったりもするが、格差間の弱い側に属しがちな若い世代はどの社会でも同じような傾向にあるということを示しているのだろうか。だとすれば、ポピュリズムに支配されつつある世界の中で「対立」の構図を越えた新しい関係性を産み出す萌芽をそこにみることも出来るのかと思ったりもする。
『私くらいの世代のことを、私は、心の中で「リッチナチュラル世代」と呼んでいる。世代それぞれの生き方や性格の流行を、心の中でこっそり名付けるのが好きだ。私より上の「過剰浪費快楽世代」には理解できない、ぱっとみて楽しそうな浪費や快楽ではないものにお金をかけている世代なので、「ずいぶん地味ねー! 人生楽しまなきゃ!」と九条さんに言われたりしてしまう。一方、「安定志向シンプル世代」からみると、無駄遣いに思えるような高いインテリア家電に手を出したりして、戸川さんに、「え、あれ買ったんですか、すごいですね」と少し引かれてしまったりする』―『村田沙耶香/無』
そしてそんな硬質の思考を紡ぎがちな作品が多い中、やはり村田沙耶香のデフォルメし架空の社会に投影された現代の写し絵は、その一見するとぶっとんだような語り口とは裏腹にいつも通りの世界観を強烈に放っていて、秀逸なのだった。 -
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日本の作家と共作しませんかと問われた韓国の作家チョン・セラン氏が「アジアの若手世代の作家が同じテーマのもと短編を書くアンソロジーはどうか?」と編集部に逆提案。それで編まれたのが本書だとか。
今回のテーマは“絶縁”。人によって、国や地域によって、こんなにもいろんな“絶縁”があり、それぞれが自分だけの「生」に翻弄されながらそれでも生きていくしかないのだな…。誰かに代わってもらうわけにはいかないものね。
作品ごとに作者紹介に加えて訳者解説やあとがきがあるのがうれしい。世界が広がるような一冊でした。テーマを変えたり執筆者の顔ぶれを入れ替えたバージョンも読んでみたい! -
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ネタバレ宇宙規模の恋愛。ハナの恋人キョンミンは、少年ぽく、いつもハナをおいて好奇心のおもむくままにさっさと旅立ってしまう。それが、隕石落下事故があったカナダからの帰国後別人のようにハナを大切にして優しくなる。実は、カナダから帰ってきたのは二万光年離れた星から望遠鏡でのぞいて見えたハナに恋をしてやってきた宇宙人だった!本物のキョンミンは、自分についての情報と交換に宇宙フリーパスを手に入れて銀河系の外を探検中?!新しいキョンミンは、40パーセント位鉱物でできているらしい。最初は到底受け入れられないハナだったが、結局は宇宙規模の愛を与えてくれる新キョンミンと幸せな結婚生活を送る。そして、年をとり最期のときのどんでん返し。永遠の愛?楽しそうだ。
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初めての文芸誌?ムック本?
普段は絶対読まない時代小説っぽいものとか、知らないラッパーのエッセイとか、ここでしか読めないものが読めて嬉しい
ゴートくんかわいい
佐原ひかりの『出せなかった手紙』が好きだった
七年前、あっちゃんに出会った人魚
会う約束をしていたけどあっちゃんは忘れちゃってるみたい
あっちゃんに教えて貰った文字で書き残しておく手紙
小さい頃、母がオバQに扮して、利き手じゃない方で書いてくれた手紙を思い出してちょっと泣いた(ずっと信じていた)
人魚の書いた文字が、オバQの文字にそっくりだった気がしたから
私はそのころからマメだったので、貰った手紙は全て残している、マメでよかった
ひとりひとりの記憶と繋がって本は面白くなるから、楽しみ方がみんな違うっていうのを強く実感した作品だった -
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僕は小説を読むようになってから、人を好きになったんですよ──。
小説を読むのは好きで、これまでも何百と読んできましたが、この度初めて文芸誌を読みました。
装丁もポップな雰囲気で、文芸誌を手に取るときのハードルも低く感じましたし、何より価格が510円(税込)というコスパの良さ。
半月くらいかけてゆっくり楽しませてもらいました。
個人的には、『小川哲 / 嘔吐』『冲方丁 / 週末の愛』『島本理生 / 愛することを知らない子は』が好きでした。
他の『GOAT』も積読してるので、また少ししたら読んでみようっと。
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ジャンル、国境を越える豪華執筆陣の文芸誌
紙を愛してやまない《ヤギ》にちなんで名づけた、《Greatest Of All Time(=かつてない)》文芸誌が誕生!
ジャンルや国境を越えて豪華執筆陣が集結しています。
○特集「愛」
【小説】 西加奈子 小川哲 市川沙央 パク・ソルメ 島本理生 冲方丁 麻布競馬場 葉真中顕 芦沢央 チョン・ヨンス 長塚圭史 嶋津輝 戸田真琴
【対談】 Awich×細谷功 小池真理子×東出昌大 藤ヶ谷太輔×川村元気
【短歌】 朝吹真理子 小佐野彈 高瀬隼子 スケザネ
【 詩 】 最果タヒ 井戸川射子 大崎清夏 水沢なお 小原晩 青松輝
【哲学対話】 永井玲衣×『GOAT』編集部
【エッセイ】金原ひとみ アフロ(MOROHA) 塩谷舞 チョン・セラン 町田そのこ ワクサカソウヘイ
【インタビュー】 一穂ミチ
○『GOAT』×monogatary.com 文学賞 [選考委員長:加藤シゲアキ]
総応募数753作から大賞受賞作を誌上で発表!
○私の「GOAT本」
上白石萌音 けんご 斉藤壮馬 鳥飼茜 夏川草介 三宅香帆
○出せなかった手紙
彩瀬まる 佐原ひかり
○短編小説
尾崎世界観 蝉谷めぐ実 安壇美緒 乗代雄介 八木詠美 大木亜希子
野崎まど
〇特集「読書バリアフリーをめぐる旅」
稲泉連 滝口悠生
その他、特大企画多数!
【編集担当からのおすすめ情報】
定価は「GOAT」(ゴート)の名にちなみ、510円(税込)。
読者プレゼントとして、野崎まど×GOATコラボの「ゴートくんブックエンド」も!
本書はアクセシビリティに配慮した本です。視覚障害・肢体不自由などの理由で必要とされる方に、本書のテキストデータを提供いたします。本書巻末よりお申し込みください。