ハン・ガンのレビュー一覧
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Posted by ブクログ
ハン・ガン『すべての、白いものたちの』(斎藤真理子訳、河出文庫)読書ノート
2024年ノーベル文学賞受賞作。韓国人として、アジアの女性作家としても初めての受賞である。
書誌と構成
原題『흰』(2016年)。65の短い断章。三部構成。
「1 私」
「2 彼女」
「3 すべての、白いものたちの」
白いものの目録から始まる。おくるみ、うぶぎ、しお、ゆき、こおり、つき、こめ、なみ、はくもくれん、しろいとり、しろくわらう、はくし、しろいいぬ、はくはつ、寿衣。誕生から死までの弧を、白いものでなぞっている。
語り手は破壊と再建を繰り返した街(ワルシャワを思わせる)に滞在する。母が22歳のとき一人で産んだ最初の子は、早産で二時間しか生きられなかった。タルトックのように色白の女の子だった。その姉が生きていたら、自分はこの世に生まれていなかった。「私」は自分の生を姉に貸し与える形で、この本を書く。
感想
Audibleとは相性がよくなかった。最初に聴いたときは、いくつかのエピソードのつながりがつかめず、もう一度聞き直した。断片が独立していて、音だけで追うと途切れやすい。
それでも一回目から印象に残ったのが、「私は姉が欲しかった」の項だった。そこから全体がつながった。会ったことのない姉への、はっきりした欲求が、白いものの羅列を一つの祈りの方向へ向けた。あの箇所がなければ、ただ美しい断章の連なりで終わっていたかもしれない。
印象
自分の感受性を試されるようで、書きにくい本である。言葉は静かで凝縮されていて、白いものの質感は確かに残る。雪、塩、米、骨、霧、白い笑い。それぞれが短いながら独立した美しさを持っている。
しかし、ノーベル賞を取るほど感動できたかと問われれば、微妙だ。詩的な完成度は認める。生と死のあわい、白の両義性(純粋さと喪、誕生と残骸)、破壊された都市と一度死んだ命の重ね方は、よく考えられている。それでも、胸の奥まで揺さぶられるというより、距離を置いて眺める感覚のほうが強かった。
ハン・ガンの他の作品が持つ、身体の痛みや歴史の重さに比べると、こちらはより内向的で、個人的な層に降りている。それが美しくも、やや閉じている印象を与える。再聴してつながったあとでも、その感じは残った。
読む(聴く)こと自体が、傷にガーゼを当てるような作業になる本だとは思う。ただ、自分にとっては、その作業が十分に自分のものになったとは言い切れない。 -
Posted by ブクログ
息をのむほどに美しく
どこかヒリヒリとした痛みが伴う
圧倒的な文学の世界に酔いしれました♡
ハンガンさん好きだわ〜♡
表題作をはじめ収録されているのは
生きることの息苦しさや
人間関係のなかで傷を抱えた人々の
静かな営みを描いた物語_
ハンガンさんの紡ぐ言葉は
とてもひんやりとしていて静謐…
登場人物たちの「孤独」や「生」の痛みが
リアルに胸に刺さりました!
ある日突然
植物になっていく妻を描いた世界観など
現実と幻想のあわいを漂うような
不思議で切ない余韻がたまらなく良かった〜!
生きることは
きっと傷を負うことと同義なのかも…
これからもハンガンさんの作品を
追いかけていきたいです♪ -
Posted by ブクログ
ネタバレまず著者名が良い。これだけで半分勝利したようなもの。アンマン、ガンマン、「ハン・ガン」。完璧な4文字。漢字も「韓江」で象徴的だ。更にノーベル文学賞受賞――もはや読まずとも名作。次にあえて読点で区切った意味深長なタイトル。これで興味を惹かないわけがない。駄目押しの神秘的かつ微妙に慈愛を醸し出している表紙は、目にした時点でうっすら感動するだろう。でも「ノーベル賞受賞」の帯は最高にダサい。せっかくのオーラを打ち消している。
詩のようで日記のようで私小説でありそれら全てを成す、流麗で無駄のない文章は惹き込まれる。
しかしある種のコンセプトが見えてくると、少しつまづく。
中途半端に意図が解るために、説得力が弱まってしまった。
これは曖昧なままの方が面白かった。
ともかく全体としては「響く」「打つ」というより、ゆっくり滲透するような文章が良い。
内容を一言でいうならピース(peace)ということだろう。
生命の尊さみたいなことは感じられるが、所詮白さを失った便所の壁の落書きな自分には理解不可能な私的領域の話ではある。
二章の「彼女」は、あるはずだった姉の生を、作者の生と同化させ姉目線でシュミレートしていると読んでいたが、どうやら誤読で姉が語り手となり、作者の人生を見守っている叙述であるらしい。
なんにせよそれは脳内で作り上げた架空の人物を下敷きにした妄想にすぎず、結局、どこまでも作者の腹話術、イタコ芸なのでは?という疑惑がある。
一度も会ったことの無い死者の気持ちなど解るはずもなく、逆に会ったことがある場合で考えたら、白からは遠ざかってしまう。
その個性を白いものとするのは傲慢と偏見ではないか。
勿論相手の立場で考えることは重要なのだが、この場合は対象を想像している自分自身の声、意識の焦点が結ぶ像なのだ。
だからその意識的な感情の操作――強引な喪失感の生成疑惑と、それを使って感傷に浸る自分に酔いしれているような感じは作為的で若干鼻につくが、そこで「白いものとは何か?」という思考のあることが重要になる。
様々なモチーフから、生と死、破壊と再生、無垢、純粋、鎮魂、願い、一瞬の儚さ、永遠などのメタファーみたいなのはなんとなく、わかるのだが、これはワルシャワで見た映画のあらすじが象徴しているが、最も強く連想するのは、二度と戻らないもの、戻れない地点、失われた生命や瞬間であると思う。
誰しも最初は白いものとして誕生する。
しかし、この社会で生きていると絶え間なく人を傷付け、傷付けられる。
むしろ汚し汚されることは一般的で、あげく推奨されている。それが無理な者は退場になるほどだ。
そうして白いカンバスは、無残なことに〈やりすぎたジャクソン・ポロック〉のようになってしまうだろう。
だから白さを取り戻すべく、白いものについて考える。しかし儚く消えた生命の白さが、自己の存在を上書きし肯定してくれるとは思えない。
本作のコンセプトにある欺瞞は原作者亡き後に作られ続ける、形骸化した長期引き伸ばし作品などにも通じている。
意思を継いでいる、生きていれば褒めてくれるはずだ、こう考えるだろうと言っても、それは偽物作りの正当化であり、外野が儲けるためにやりたい放題やっている、という構図しかない。またそれを評価する者も外野である。
時を止めたものはそこで終わるしかなく、それを無理矢理に動かすというのは傲慢であり冒涜なのだ。
白いものを塗りつぶす。それが本来不可逆であるはずの、歴史というものの性質なのかもしれないが。
白いものは届かない時間の中で、白いままそこにあるから、貴重なのであって、姉や死者の白さは継承されない。失われた白さは戻らない。
人は他人で、それぞれ生き方があり、それは肉親さえもそうで、姉にも姉の人生が本来あったはずだ。
だからコンセプト的には、作者のイタコ芸になってしまうが、それと分かつ着想が「白いもの」なのだろう。
実用的なイタコ芸に「白いもの」は無駄な部分だ。しかしこの無駄なことを考える、その無意味さが意味を持つ。
到達できない座標の確認で、今居る座標が確かなものになる。
自己の足場(自意識と言って良いか)が安定することで、他の存在を認めることができる。その想像力が人を謙虚にさせ、他者へのリスペクトに繋がる。
そうやって世界はいくらか平和に近づく。
まあそう上手くは行かないだろうが、レイ・ブラッドベリが『華氏451度』で言う余暇とはそういうことではないのか。
思考の余白、その白を埋めないことの可能性。
本作品はある意味、アンチ情報供給過剰社会みたいな内容だ。
そこでは、自分に直接関係の無い情報にひたすら反応している。それは「白いもの」への思索と同様に実際的な意味では無駄といえる。
しかしその「無駄」の中身は大きく違う。
自分と関係する、しかし絶対に手の届かない領域への思い。
それは与えられた信仰ではない。自己の存在確認作業による一つの発見、創造だ。
最終的に「白いもの」は作者と別れ天に昇って行くのだろう。 -
Posted by ブクログ
読み終わった後の訳者の解説で読み方がわかった
また再読したら大分印象が変わると思う
ここまで抽象的に感じる小説ははじめて
文章が綺麗だなと思った、けど、綺麗を感じる文章が原文で読めないのはすこしもどかしかった
ネイティブじゃないと本当の綺麗さはわからないから難しいけども
「もう少し経ったら、残りの部分も完全に透き通ってしまうだろう。翼はもはや翼ではないものになり、蝶はもはや蝶でないものになるだろう。」
「産着が寿衣になった。おくるみがひつぎになった。」
アジア初のブッカー国際賞作家による奇蹟の傑作が文庫化。おくるみ、産着、雪、骨、灰、白く笑う、米と飯……。朝鮮半島とワルシャワの街をつなぐ65の物語が捧げる、はかなくも偉大な命への祈り。 -
Posted by ブクログ
突然言葉が出なくなる。
私ならどうするだろう。こんなに静かに暮らせるだろうか。生活に困らないだろうか。
読後小説に色々思いをはせていて気付いたこと。この本の中では主人公達は名前がない。彼女と彼のままだ。友人や哲学者には名前があるというのに。私には最後まで二人が淡い印象な理由のような気がする。
前半は彼と彼女の幼少期から今までの話が章を分けて語られるんだけど、ギリシャ語の先生が彼とリンクするのに時間かかった(タイトルで気づくよ普通)。
二人の半生が今の二人の土台になっているのは間違いなく。人は過去を引きずって生きていくものなのか。
後半はあるアクシデントをきっかけに二人が急接近することになるのだが、言葉を失った彼女と視力を失いつつある彼の未来は明るいようでも不穏のようでもあり、そこは読み手が自由に想像したらいいと思う。
強く感じたのは音や言葉や文字そのものへの執着。私は生きてきて言葉や話す事や文字そのものに対して思うことなんてほぼ皆無の人生。思い出そうとしても子供の名付けの時くらいしか真剣に向き合ったことはないから彼女の生い立ち自体が軽い衝撃。
今までハンガンさんの比較的新しい本を数冊読んだだけだが、少し今の作品とは違って詩的要素が強かったりするのかなぁ。最近でた本の方が小説の色がする。そしてこの作品でも冬の匂いがする。