ハン・ガンのレビュー一覧
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詩の素晴らしさに出逢わせてもらい星5。
この本を通して教えてもらったこと。↓
詩においては“美しい”とは、そのものの(あるものや事柄)について良さを表さない。台無しにする言葉でもある。
“美しい”と言う一言はかけがえのなさを表せる。唯一無二のそのものの様子やあらゆるどんな比喩を失うほどの完璧さを表すのだけれど。それ故にディテールや本来持つ個性を表現しないが故に大切な物を同時に失わせてる。
そこにこの言葉の素晴らしさと残酷さと完璧さが表現できる。とても深い想いを巡らせられている言葉だと感じました。
光に彩色色彩が。その様な表現の様。
ですが、私は“美しい”を知っています。
とても大切な -
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以下、ネタバレ含みます。
最初の三分の一くらい、視点の切り替わりが分からなくて、書かれているものが分からなくて、読み飛ばすように急いでしまった。
合わなかったかな、と思いかけて。
ギリシャ語講師が、登山とスイスに訪れるくだりを読みながら、夏目漱石の『門』を思い出した。
彼は、そこに救いを求めていたのだろう。
けれど、もともと、救いなんて、誰かが与えるものではないのかもしれない。
かと言って、自分で見出せるものでも、ないのかもしれない。
「中動態」という表現がしっくりくる。
することと、されることで、分かたれない世界。
そこで、私自身の立ち位置が決まったのか、エンディングに向けて -
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冒頭では、これが済州四・三事件につながるなんて思いもしなかった。
とかエラそうに書いてるけど、済州四三事件とかまったく知らなかったし。こんなに近い国なのに。
小説本編にも注意書きは多いが、「訳者あとがき」はほぼこの事件の経緯、解説。
本編より細かい字でみっしり。情報量とその内容の深刻さ、残酷さに圧倒された。
となるとウィキペディアとか見ちゃうよね。でまたドシッとくる。
タイトル「別れを告げない」は、作品中では映画のタイトルとして出てくるけど、「哀悼を終わらせない」という意味だと著者がはっきり述べているそう。
幻想的な場面展開も詩人ならではかな。
さすがノーベル文学賞受賞されただけある。
斎藤真 -
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舞い散る雪が、死者たちの頬にうっすらと積もり、白く覆ってゆく。
等しく生者の頬にも降る雪は、刺すような痛みの感覚を残して、溶け去ってゆく。
痛みと熱が生の証というならば、死は痛みの喪失と引き換えに、無限の沈黙の中に消えるということなのか。
いや、例え肉体が凍りつき、もはや唇は閉ざされたままだとしても、死者には消えぬ痛みの記憶が残っている。
死者には、語るべき言葉がある。
だから、別れを告げない。
雪は溶けて海へと流れ、空に昇って雲となり再び一ひらの雪片として地上へ戻ってくる。
過去と未来は循環し、死と生は共にある。
そんな地点ををつなぐのは、悲しみと嘆きの言葉だけじゃない。
「あなたにはわ -
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一度読んだだけでは到底理解は出来ない。
視力を失っていくギリシャ語講師(男)の回想と
ある時から言葉を発することが出来なくなったギリシャ語受講生(女)の回想が続いて行く。
冒頭と結末が同じなので二人がいかに交わっていくのかという話ではあるのだが、恋愛模様とは全く違う。
哲学論と詩のような文体が入ることにより、物語より深い不思議な体験を味わえる。
始めはそれが、読みにくいし、全く理解出来ず苦痛だったのが、慣れとともに心地良くなり次第には独特な言葉の禅体験をしたような晴れやかな気持ちになっていた。
傷を抱えた者が世の中に馴染めず、かといって落としどころを見つけて合わせて生きていくのも苦しい。
二分 -
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読みながら少したじろぐ。なぜハン•ガンさんは、異郷のゆかりもない僕に対して、抱え込んだ孤独を、疼き続ける痛みを告白するのかと。
僕には、受け止めるだけの度量も、分かち合う優しさもないというのに。
だが、彼女は決して弱音を吐いて、己の傷や悲しみを嘆き訴えているのではなかった。
むしろ、誰からも助けの手が差し伸べられなく、独りで耐えるしかない痛みに押し潰されたときでさえも、消え去ることのない強さが人の内には秘められている、そう静かに告げていたのだ。
人は自らの意志で、身体や生活を律して前へ進んでいるいると思い込んでいるけれど、果たしてそうだろうか。
心がたとえ悲しみを求めていても、
理性が抑 -
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中動態。プラトンのイデア論。使われていない言葉のギリシャ語(言葉の古層の比喩か)。目が見えなくなる男性。言葉を失った女性。若き日の初恋の破綻(男性)。裁判で負け子どもを手放す(女性)。ドイツから韓国に、母親と妹との別離、距離を隔てた地での親友(男性を愛している?)の死(男性)。ドイツでは異物としての視線にさらされる(男性)。その二人はソウルのカルチャースクールのギリシャ語講座で教え・教えられる関係にある。
なんという複雑に錯綜した構造の小説だろう。執筆に2年間かかったのも頷ける。
離別を経験し、見えなくなり、発声ができなくなっているからこその出会い(溶け合い)。
そして、この二人を描写し -
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ネタバレ肉体に受ける血の流れる傷の他に、罪悪感や後悔や喪失感も紛れもない傷。
この本に収録されている七編の主人公や登場人物たちほどでなくとも、それらの傷は多くの人にあると思う。
もちろん、私にも。
読んでいて、登場人物たちの傷と共に自分の古い傷を改めて意識する。
登場人物たちはたとえば表題となっている「回復する人間」ではタイトルどおり傷から回復するのだろうか?
どうやって?
目が離せなくなる。
だが、彼らは必ずしも回復するわけではない、と私は思う。
ただ、登場人物たちは自らの傷との向き合い方、折り合い方を通して私たちがそれぞれ持つ傷に寄り添う。
傷を抱えたわたしに寄り添う。
それは同じような痛みを感 -
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視力を失いつつあるギリシャ語講師と言葉を話すことができなくなってしまった女性。
どちらもコミュニケーションにあってほしい機能が損なわれつつあったり、損なわれている。
だが、目が見え、言葉を話すことができるからといって、わたしたちは互いを本当に理解し合えているのだろうか。
その意味で、ギリシャ語講師もギリシャ語を学ぶ女性も他人ではない。
繊細で美しくたおやかなハン・ガンの詩人の言葉で描かれるそれぞれの置かれている状況や胸のうち。
それをたどりつつストーリーを追えるのはどこか贅沢なことに思える。
問題は何一つ解決したわけではないし、二人もやはり分かり合えているわけではない、たぶん。
にもかかわらず