ハン・ガンのレビュー一覧
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一度読んだだけでは到底理解は出来ない。
視力を失っていくギリシャ語講師(男)の回想と
ある時から言葉を発することが出来なくなったギリシャ語受講生(女)の回想が続いて行く。
冒頭と結末が同じなので二人がいかに交わっていくのかという話ではあるのだが、恋愛模様とは全く違う。
哲学論と詩のような文体が入ることにより、物語より深い不思議な体験を味わえる。
始めはそれが、読みにくいし、全く理解出来ず苦痛だったのが、慣れとともに心地良くなり次第には独特な言葉の禅体験をしたような晴れやかな気持ちになっていた。
傷を抱えた者が世の中に馴染めず、かといって落としどころを見つけて合わせて生きていくのも苦しい。
二分 -
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読みながら少したじろぐ。なぜハン•ガンさんは、異郷のゆかりもない僕に対して、抱え込んだ孤独を、疼き続ける痛みを告白するのかと。
僕には、受け止めるだけの度量も、分かち合う優しさもないというのに。
だが、彼女は決して弱音を吐いて、己の傷や悲しみを嘆き訴えているのではなかった。
むしろ、誰からも助けの手が差し伸べられなく、独りで耐えるしかない痛みに押し潰されたときでさえも、消え去ることのない強さが人の内には秘められている、そう静かに告げていたのだ。
人は自らの意志で、身体や生活を律して前へ進んでいるいると思い込んでいるけれど、果たしてそうだろうか。
心がたとえ悲しみを求めていても、
理性が抑 -
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中動態。プラトンのイデア論。使われていない言葉のギリシャ語(言葉の古層の比喩か)。目が見えなくなる男性。言葉を失った女性。若き日の初恋の破綻(男性)。裁判で負け子どもを手放す(女性)。ドイツから韓国に、母親と妹との別離、距離を隔てた地での親友(男性を愛している?)の死(男性)。ドイツでは異物としての視線にさらされる(男性)。その二人はソウルのカルチャースクールのギリシャ語講座で教え・教えられる関係にある。
なんという複雑に錯綜した構造の小説だろう。執筆に2年間かかったのも頷ける。
離別を経験し、見えなくなり、発声ができなくなっているからこその出会い(溶け合い)。
そして、この二人を描写し -
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ネタバレ肉体に受ける血の流れる傷の他に、罪悪感や後悔や喪失感も紛れもない傷。
この本に収録されている七編の主人公や登場人物たちほどでなくとも、それらの傷は多くの人にあると思う。
もちろん、私にも。
読んでいて、登場人物たちの傷と共に自分の古い傷を改めて意識する。
登場人物たちはたとえば表題となっている「回復する人間」ではタイトルどおり傷から回復するのだろうか?
どうやって?
目が離せなくなる。
だが、彼らは必ずしも回復するわけではない、と私は思う。
ただ、登場人物たちは自らの傷との向き合い方、折り合い方を通して私たちがそれぞれ持つ傷に寄り添う。
傷を抱えたわたしに寄り添う。
それは同じような痛みを感 -
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ここ3ヶ月ほどの間に『すべての白いものたち』『菜食主義者』『そっと静かに』の3冊を読みハン・ガンさんに強く惹かれる自分と向き合う充足した時間を過ごしてきました。
『回復する人間』は詩的で静謐な文章が美しい『すべての白いものたちの』と同じ斎藤真理子さんが翻訳された短編集です。
初出年月日の1番古い「火とかげ」が7つの短編のうち最後に掲載されていて2003年初出。韓国でのタイトルにも使われたこの作品が、韓国の文芸評論家シン・ヒョンチョルに「この本の関心事は(中略)〈傷と回復〉だ」と言わしめた7つの物語のいずれの基底ともなっているテーマが2003年の時点で作者にとって重要でその後ほぼ10年に亘り深く -
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特に「火とかげ」が印象に残った。私も去年は茶碗を持つのもきついくらい両手が痛くて使えなかったから投影して読んでしまった(ハンガンさんもこれを執筆していたころ手が痛くてタイピングが出来なかったらしい)。画家の主人公は、事故で手に痛みが残り絵も描けなくなるし夫との関係もうまくいかなくなる。そんな彼女を支えてくれるものは、昔登山をした時偶然あった男性との記憶とQという画家の絵。記憶だけで残る男性と友人ソジンが繋がって、ソジンの子供が飼ってる前足を切断したトカゲからまた足が再生されていく描写で主人公に細い光が差し込みだすのがわかる。
トカゲの手が再生するように、最後、主人公は以前と違う手法で絵を描い -
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ネタバレハン・ガン・コレクション
私の女の実
著者:ハン・ガン
訳者:斎藤真理子
発行:2026年6月15日
白水社
初出:
「私の女の実」 創造と批評(1997春号)
「日暮れどきに犬たちはどんな気持ちだろう」 創造と批評(1999年夏号)
「赤ちゃん仏」 文学と社会(1999年夏号) 第25階韓国小説文学賞大賞受賞
「ある日彼は」 世界の文学(1998年夏号)
「赤い花の中で」 作家世界(2000年春号)
「九つの物語」 文学トンネ(1999年冬号)
「白い花」 ハイテル文学館(1996年夏、インターネット)
「線路を流れる川」1996年春号
著者がノーベル文学賞に選ばれたのは2024年。本書 -
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なんとなくわかるようでむずかしい、後書きがあったことで理解ができた部分もあり助かった。
読み終わりは確実に残る余韻に不安と安心がまざってざわりとするが、祈りによるものか、あたたかく血の通った希望みたいなものも私の中に置いていった。
うつくしいものほどこわい。
美術館に置かれたそれぞれの白い展示を次々に見て歩く、名残惜しいけど歩みを進める、そんな感覚でページを進め、すぐに読み終わった。
においや感触すらも伝わってくるような言葉選びと作者の柔らかでやさしい思考がつまっている。
自分がこの世に生きていること、そんな偶々の出来事、わかっていても生活に注目して見落としている祈りや問いかけ。
日々のあ -
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詩人の言葉で綴られた短篇集は、その一篇一篇が「九つの物語」だけでなく、長めの詩のよう。
哀しみの通奏低音はあるものの、必ずしも哀しいわけではなく、色のない痛みみたいなものがある。
同じ経験など一つとしてないのに、読み終えて自分自身が身を削ぐような経験をしたように思う。
「誰がどうしてどうなった」という物語には収まらない展開は形自体も詩のよう。
比較的初期の中・短篇集ということで、「菜食主義者」を出すまでもなく、のちのハン・ガン作品の萌芽を感じられて、それも嬉しい。
最初のあいさつやあとがきに作者の謙虚で控えめな人柄がうかがわれて、親しみを感じるし、桜庭一樹の解説も斎藤真理子による訳者あとがきも -
Posted by ブクログ
何か不思議な小説だなと思った。勿論、この小説を貫く骨格は1948年の「済州島4・3事件」とそれに伴う南側の警察、軍、右翼組織による多数の一般市民無差別虐殺。
最初は、キョンハが見た悪夢から「済州島4・3事件」の真相、真実を描き、人間の愚かさ、残虐性をこれでもか言うぐらい強調するのかと思って読んでいたが、第1部は親友のインソンの頼みで吹雪の済州島へ行って小さなインコを助けようとする話。そこでは、「済州島4・3事件」に関わる虐殺の話は重要ではあるが、主要な話ではない。しかしキョンハの猛烈な吹雪の中でインソンの家を目指す描写は、キョンハの思い出と悪夢、インソンの治療と思い、そして吹雪の中でバスを待つ -
Posted by ブクログ
話すことができない女性と、視力を失いつつある男性。二人はギリシャ語教室で、生徒と教師として出会う。
二人は身体的な喪失だけでなく、それぞれの人生で大切な人を失った痛みも抱えている。
ボルヘスやギリシャ哲学に詳しければ、この作品の構造やモチーフをもっと深く読み解けたのだろう。例えば古典ギリシャ語の「中動態」は、二人と彼らを取り巻く世界との関係性を考える上で重要な鍵になっているように思えた。残念ながら私にはそこまでの知識はなく、その奥行きを十分に味わい切れたとは言えない。まるでアトリビュートを知らずに西洋絵画を鑑賞しているような、もどかしさも残った。
最終章の番号は「0」。そこには、喪失を抱