ハン・ガンのレビュー一覧
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Posted by ブクログ
以下、ネタバレ含みます。
最初の三分の一くらい、視点の切り替わりが分からなくて、書かれているものが分からなくて、読み飛ばすように急いでしまった。
合わなかったかな、と思いかけて。
ギリシャ語講師が、登山とスイスに訪れるくだりを読みながら、夏目漱石の『門』を思い出した。
彼は、そこに救いを求めていたのだろう。
けれど、もともと、救いなんて、誰かが与えるものではないのかもしれない。
かと言って、自分で見出せるものでも、ないのかもしれない。
「中動態」という表現がしっくりくる。
することと、されることで、分かたれない世界。
そこで、私自身の立ち位置が決まったのか、エンディングに向けて -
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舞い散る雪が、死者たちの頬にうっすらと積もり、白く覆ってゆく。
等しく生者の頬にも降る雪は、刺すような痛みの感覚を残して、溶け去ってゆく。
痛みと熱が生の証というならば、死は痛みの喪失と引き換えに、無限の沈黙の中に消えるということなのか。
いや、例え肉体が凍りつき、もはや唇は閉ざされたままだとしても、死者には消えぬ痛みの記憶が残っている。
死者には、語るべき言葉がある。
だから、別れを告げない。
雪は溶けて海へと流れ、空に昇って雲となり再び一ひらの雪片として地上へ戻ってくる。
過去と未来は循環し、死と生は共にある。
そんな地点ををつなぐのは、悲しみと嘆きの言葉だけじゃない。
「あなたにはわ -
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読みながら少したじろぐ。なぜハン•ガンさんは、異郷のゆかりもない僕に対して、抱え込んだ孤独を、疼き続ける痛みを告白するのかと。
僕には、受け止めるだけの度量も、分かち合う優しさもないというのに。
だが、彼女は決して弱音を吐いて、己の傷や悲しみを嘆き訴えているのではなかった。
むしろ、誰からも助けの手が差し伸べられなく、独りで耐えるしかない痛みに押し潰されたときでさえも、消え去ることのない強さが人の内には秘められている、そう静かに告げていたのだ。
人は自らの意志で、身体や生活を律して前へ進んでいるいると思い込んでいるけれど、果たしてそうだろうか。
心がたとえ悲しみを求めていても、
理性が抑 -
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ネタバレ肉体に受ける血の流れる傷の他に、罪悪感や後悔や喪失感も紛れもない傷。
この本に収録されている七編の主人公や登場人物たちほどでなくとも、それらの傷は多くの人にあると思う。
もちろん、私にも。
読んでいて、登場人物たちの傷と共に自分の古い傷を改めて意識する。
登場人物たちはたとえば表題となっている「回復する人間」ではタイトルどおり傷から回復するのだろうか?
どうやって?
目が離せなくなる。
だが、彼らは必ずしも回復するわけではない、と私は思う。
ただ、登場人物たちは自らの傷との向き合い方、折り合い方を通して私たちがそれぞれ持つ傷に寄り添う。
傷を抱えたわたしに寄り添う。
それは同じような痛みを感 -
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ここ3ヶ月ほどの間に『すべての白いものたち』『菜食主義者』『そっと静かに』の3冊を読みハン・ガンさんに強く惹かれる自分と向き合う充足した時間を過ごしてきました。
『回復する人間』は詩的で静謐な文章が美しい『すべての白いものたちの』と同じ斎藤真理子さんが翻訳された短編集です。
初出年月日の1番古い「火とかげ」が7つの短編のうち最後に掲載されていて2003年初出。韓国でのタイトルにも使われたこの作品が、韓国の文芸評論家シン・ヒョンチョルに「この本の関心事は(中略)〈傷と回復〉だ」と言わしめた7つの物語のいずれの基底ともなっているテーマが2003年の時点で作者にとって重要でその後ほぼ10年に亘り深く -
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特に「火とかげ」が印象に残った。私も去年は茶碗を持つのもきついくらい両手が痛くて使えなかったから投影して読んでしまった(ハンガンさんもこれを執筆していたころ手が痛くてタイピングが出来なかったらしい)。画家の主人公は、事故で手に痛みが残り絵も描けなくなるし夫との関係もうまくいかなくなる。そんな彼女を支えてくれるものは、昔登山をした時偶然あった男性との記憶とQという画家の絵。記憶だけで残る男性と友人ソジンが繋がって、ソジンの子供が飼ってる前足を切断したトカゲからまた足が再生されていく描写で主人公に細い光が差し込みだすのがわかる。
トカゲの手が再生するように、最後、主人公は以前と違う手法で絵を描い -
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ハン・ガンさんの作品は、
息をするように静かで物悲しい。
問題を抱えていても何も解決しないまま生き続ける、そんな人たちの人生が描かれている。
斎藤真理子さんの解説も良い。
短編ごとに解説が書かれていて、解説を踏まえてもう一度読み返すことで、物語が違った見え方になる。
【赤い花の中で】という作品では主人公の少女が「彼」という一人称で語られる。読んでいて違和感があったけど、解説で「朝鮮語は日本語に比べて男女の役割語が薄く、また評論や報道記事などでは女性に「彼」を用いることが珍しくない」と書かれていて、驚いた。小説ではあまり用いられないらしいが、あえて「彼」を使うことで出家をする主人公の強さが表現 -
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この読後の余韻をどう表現したらいいのか…
積くんが最近面白かった本として教えてくれたので手に取った1冊でした
詩的で抽象的で寂寞感にあふれた、まさに“白”という色のイメージぴったりなひんやりとした本
3つの章で構成される本著は、すべての章を読み終えた後、筆者本人によるあとがきと解説を読み終えることで完結する1冊のように感じました。
1章でえがかれる詩的で美しい文章から2章へ入っていったときの違和感というか、どこか引っかかる感じ。この本自体が散文的で半分(?)エッセイっぽいという1章での印象がミスリードになってたなんて…。
あまり言うとこの本の奥行きが狭まってしまうので、あとはみなさん