藤沢令夫のレビュー一覧
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「いかなる神も信じておらず、アテネの青年をそそのかして伝統的な信仰から離脱させた」として、ソクラテスは「毒杯を自分で飲む」の刑に処されることに。友人クリトン「逃亡の準備したから逃げて。あなたは判決が間違っていると主張しているのに、なぜ刑罰を受けるのか」。ソクラテス「裁判は不正だが、脱獄もまた不正。脱獄は善ではない。不正されても、不正の仕返しをしてはいけない。ただ生きるのではなく、善く生きることが大切」。プラトンPlato『ソクラテスの弁明・クリトン』BC399 (97)
ポリス。人々は市民共同体として共通のルールの下で協力する一方で、名誉・名声を得る競争をしている。弁論術で他人を操作したいと望んでいる。しかし、私たちは名誉・名声よりも、魂に配慮すべき。魂は不死で、死後に審判を受ける。プラトンPlato『ゴルギアス』BC4世紀
昔々、人間には男男、女女、男女、の3種類の性があった。人間は球体の体をしていて、二つの性が背中合わせになっていた。二つが合体して倍の能力を持っていた人間は、慢心して神さえ恐れない振る舞いをした。神は罰として人間を2つに分離した。こうして(半身の)男と女が生まれた。人間はかつて合体していた半身を求めてやまない。それが愛である▼肉体的な愛よりも精神的な愛の方が優れている。肉体的な愛はなく精神的な愛のみの同性間の愛など。プラトン『饗宴』
※男女おとこおんな(アンドロギュノス)。
すぐれた人間による統治(アリストクラティア)が理想。すぐれた人格的な素質と卓越した実践能力の持ち主(哲人)が、経験や感覚の堕落した世界から人々を真理へ導く(5-17)。感覚の世界に生きる人々は洞窟の中で、灯に照らされて壁に映る影(偽の姿)を見ている(7-1)。統治する者は、彼ら蒙昧な民を洞窟から連れ出し、まばゆい光、真の姿を教える。すぐれた人間による劣った人間の支配であり、強者による弱者の支配ではない。すぐれた男とすぐれた女を交配させ、生まれた子は公営の育児所で育て、すぐれた人間集団を維持する▼統治する者は私有財産の保有を認められず、生きるのに必要な分だけ報酬が与えられ、民を幸せにするために奉仕する(3-22)。蒙昧な民は欲望の奴隷であるから政治に関わるべきではない▼民主政はダメ。平等で好きなように生きる自由が強調され、無秩序になる。民主政は貧者による政治に陥る。貧者は目先の欲望に囚われ、理性的な判断はできない。ペロポネソス戦争で民主政アテネは王政スパルタに負けた。師匠ソクラテスを処刑したのも民主派の連中だ。プラトンPlato『国家Republic』BC375 (96)
※アテネ・スパルタがペルシアを撃退BC449。ペリクレスBC443。アテネがスパルタに敗北(ペロポネソス戦争)BC431。衆愚政治。民主派による裁判でソクラテス刑死BC399。プラトン国家BC375。プラトン死去BC347。
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すべての人は徳への資質を備えているが、一部の人はとくに自然(環境)への適用に優れており、徳の獲得・精神の向上に熱心であり、より人間的に完成している。レオ・シュトラウスStrauss『自然権と歴史』1953 (60)
市民としての徳(節制・勇気・知恵・正義)を身に着けた人々による指導が理想。精神的に卓越した人々が指導することで、独裁や専制に対抗できる。レオ・シュトラウスStrauss『都市と人間』1964 -
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ネタバレソクラテス とすると、有益であるという点にかけては、正しい思わくは、知識に何ら劣らないわけなのだ。
メノン しかし、ソクラテス、これだけの差はあるでしょう。つまり、知識をもっている者はつねに成功するけれども、正しい思わくをもつ者のほうは、うまくいくときと、そうでないときがあるという点です。
ソクラテス どうして?つねに正しい思わくをもっている者は、いやしくもその思うところが正しいあいだは、つねにうまくいくのではないかね。
メノン そうでなければならないようですね。すると、どうも私には不思議になるのですが、ソクラテス、もしそうなら、いったいぜんたいなぜ知識は、正しい思わくよりもずっと高く評価されるのでしょう?またこの二つが、それぞれ別のものとして区別される理由はどこにあるのでしょう?
ソクラテス どうしてそれが君に不思議に思えるかわかるかね。それとも、ぼくが言ってあげようか?
メノン ぜひ教えて下さい。
ソクラテス それはね、君がダイダロスのつくった彫像に注意したことがないからだよ。もっとも、君たちに国にはもともとないもかもしれないが。
メノン いったい何を考えて、そんなことを言われるのですか?
ソクラテス あの彫像もやはり、しっかりと縛りつけておかないと、逃げて走り去ってしまうが、縛っておけば、じっとしているということさ。
メノン それで?
ソクラテス ダイダロスの作品を所有していても、それが縛りつけられていないならば、ちょうどすぐ逃亡する召使と同じことで、あまりたいした値打ちはない。じっとしていないのだからね。しかし、縛り付けられている場合は、たいした値打ちものだ。なにしろ、たいへん立派な作品だから。―ところで、何のつもりでこういうことを言うかというと、ぼくは正しい思わくのことを考えているのだ。つまり、正しい思わくというものも、やはり、われわれの中にとどまっているあいだは価値があり、あらゆるよいことを成就させてくれる。だがそれは、長い間じっとしていようとはせず、人間の魂の中から逃げ出してしまうものであるから、それほどたいした価値があるとは言えない―ひとがそうした思わくを原因(根拠)の思考によって縛りつけてしまわないうちはね。しかるにこのことこそ、親愛なるメノン、先にわれわれが同意したように、早期にほかならないのだ。そして、こうして縛りつけられると、それまで思わくだったものは、まず第一に知識となり、さらには、永続的なものとなる。こうした点こそ、知識が正しい思わくよりも高く評価されているゆえんであり、知識は、縛りつけられているという点において、正しい思わくとは異なるわけなのだ。
メノン ほんとうに、ソクラテス、何かそういった事情にあるもののようですね。 -
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疲れるがすごい(まだ半分) 紀元前でこれか〜すごいわ。ギリシャ哲学と名前はよく聞くけれど、その一端に触れたのは始めて。理論として現在でも通用する、というか人間社会の本質を射抜いていることに驚嘆。
正直理解しきれないところ、屁理屈こねてるなーと思うところはたくさんあるけれど、電気もガスも当然無い、社会システムが未発達であったはずの時代において、これだけの事が考え抜かれていることに感嘆。
正義とは何か、という問から国家のあり方に入っていき、個人が自分のすべきことを徹底して行う社会、人物を共有する社会を理想としているけれど、これは社会主義につながる理解でいいんだろうか。 -
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ネタバレ哲学というものはやはり難しい…
だけれどもこれぐらいだと、
とっつきやすくはなるのかな…
ただやはりそれでも独自の表現はあるけど
確かに、徳は残念なことに
教えることはできない代物でしょう。
結局のところ教えられても
それを自分で会得しなければ意味ないわけで
それをしない人には意味がないのです。
それは悪人を善人に変えることが難しいのと
一緒なのかもしれませんね。
この中にはあ、と思えることが多いと思います。
先入観がいかに危険か、
それはこの貴重な知の源を
処刑により消し去った
ある人物の発言がまさにそれでしょう。
ただ哲学ですので… -
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ネタバレ若いときにこんな古典をあまり読んでなくて今回初プラトン。何年か前に買って積んでいたのをやっと1冊解消。
二千四、五百年前の異郷という時代・地理的距離もどのくらいのものか、日常生活の感覚の何がどう違うのか同じなのかつかめない。
弁論の評価とはいえ恋の口説き文句(しかも時代状況から少年愛、いまから見るとBL的前提だ)という卑近な話題から始まるあたりに親しみが持てる。そして論理的に推論し常識・直感に反した主張に至ったのをいったん高く評価しかけるもソクラテスがはたと考え「恋ってそんなにくだらないことなくない?神様の賜物じゃん?真理を求めるのと同じ崇高な精神じゃん?」と異論を高らかに詠い上げる。かじり読みや耳学問とはいえ近現代思想の華麗にねじれた、まさにプラトンなどへの批判を含むような話をいくつか見聞きしてきた者の目から見ると、ひねくれてるような純朴すぎるような。しかしなんかおもしろいなという気もする。定評ある古典の一つのようだがいまひとつ消化不足感。繰り返し読まないと良さが汲めないのかもしれない。
語る言葉に対して書いた言葉を低めるくだりが終わりごろにあるが(デリダなどが批判した話か?)、訳者の藤沢は他ならぬ著者プラトンが幾多の書物を書き綴る苦労を知ったうえでの自戒だと指摘していてああそういう理解もあるなと思った。 -
Posted by ブクログ
30年前くらいに読んだものの、再読。
そのきっかけは、
・対話という手法への関心
・「プラトン主義からの離脱」が個人の哲学的テーマ
ということなんだけど、もっとも直接的には、デリダの「プラトンのパルマケイアー」という論文で「パイドロス」を論じてあることを知って、関心をもったこと。
うーん、やっぱり、デリダの解釈、無理あるよ。まあ、脱構築って、正しい解釈ではなく、テクストの無数の読みを可能とすることなんだろうから、その無理矢理の手腕にただ驚嘆していればよいのだろうが。。。
内容自体への感想としては、面白いたとえ話しがいくつもあって、楽しかったというところ。イデア論としては、主著「国家」とともに成熟段階のものだけど、理論的な「国家」よりも、こちらのほうが感覚的で心にしみる。
が、この本、なんか字が小さいね。老眼になりつつあることを発見した。 -
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ソクラテス先生若者と恋と弁論について議論の巻。
恋についてと弁論について、
二つのテーマを扱っているように見えるが、
藤沢令夫先生のあとがきによると、
哲学という一つのテーマで一貫しているらしい。
恋は狂気と同じではあるが、
偉大なものは狂気から生れるとしているが、
弁論は正しくないことも
もっともらしく見せるための方法。
ついでに文章はどんな相手にも
同じ答えしか言うことの出来ない
欠陥品とソクラテス先生は手厳しい。
ソクラテス自身は著作が全く残っていないため、
本当にそういう考えの持ち主だったんだろうけど、
プラトンは師の思想を継承して哲学するために
師が否定した文章という方法を
用いることをどう思っていたんだろう。 -
Posted by ブクログ
エマニュエル・レヴィナスさんが「これは読んでおくべき」と推奨された3冊の哲学書の一冊である。
後の二冊はヘーゲルさんの『精神現象学』とハイデッカーさんの『存在と時間』
恋する者のはなしから始まって、狂気や神的なものの効用、ものの考え方、書くということの優劣、語るべき言葉を持つことの困難さやそのことを目指すことの尊さまで余すことなく見事に書かれた書物なのだろうと思う。
思うと書いているのはわたしにはまだわからないからで、その大事さを感じることができるといいなぁという期待というか望みというかそんなものをもてるだけだからである。
いずれまた読み返してみなければと、思っているうちに死んでしまうのかもしれない。
Mahalo -
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メノン:徳は人に教えることのできるものなのでしょうか?
ソクラテス:その前に、そもそも徳とは何かを考えてみよう。
メノン:はい、わかりました!で、結局のところ、徳は教えられうるのでしょうか?
ソクラテス:(唖然)
・プラトンの遊び心が感じられる小品。それはともかくとして、ソクラテスは、結局メノンの天然ぶりに押されてしまい、徳とは何かを定義することなく、徳は教えられうるかについて検討する羽目になる。
・仮に徳が知識だとしたら、徳は教えられうるものであるし、徳の教師だっているはずだ。しかし、実際には徳の教師など存在しない。したがって、徳は教えられうるものでもなければ知識でもない。徳は、教えられることのできるものではないが、他方、生まれつき備わっているものでもない。
・それでは、いったい徳はどのようにして身につけることができるのか。ここでソクラテスは、唐突に「徳は神の恵みによって備えることができる」と結論づけて、一方的に対話を打ち切って立ち去っていく。
・まるでキツネにつままれたような読後感を味わったのだが、訳者解説がその後味の悪さを和らげるのに一役買っている。本書は、主題が多岐にわたる他のソクラテスの対話篇と比べて、主題(=徳について)が終始一貫しているため、論旨を追いかけやすいのではないかと思う。