藤沢令夫のレビュー一覧
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概要は知ってしまっていたのでどんなものかが分かればよい程度で捉えていたが、なかなかどうして、想像以上に面白かった。
結末を知っていてもなお楽しめる。これが演出の力か。
巻末の解説にもあるが、各登場人物が良かれと思って行動することによって少しずつ真実が明らかになっていく構図にワクワク感があり。
また予言を避けようとして、結果的に予言の通りとなってしまうという無情さもまた心を打つ。
複雑なのは、真実を知らねば、オイディプスはイオカステや子供たちとも幸せに暮らせていたという点。
ただ、その真実が明らかになってしまったが故に苦しみ、自殺し、光や未来を閉ざしてしまう。
それならば、真実など知らない方 -
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テーバイ国のライオス王は神から「お前は自分の子に殺される」と神託を受ける。怖くなったライオス王は生まれたばかりの息子オイディプスを野獣がうろつく森に捨てる。捨てられたオイディプスは羊飼いに助けられて、子のいないコリント王に献上される。オイディプス、コリント王子として育てられ成長。ある日、オイディプスは神から「お前は父を殺し、母と交わる」と神託を受ける。オイディプス、おぞましい神託を回避しようと隣国テーバイ(じつは生まれ故郷)へ逃げる。途中、傲慢な老人に会い、侮辱されたので殺した。それが父ライオスだったが、オイディプスは知らない。テーバイに入り、スフィンクスを退治した功から、オイディプスはテーバ
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テーバイの王オイディプスは国に災いをもたらした先王殺害犯を追及するが、それが実は自分であり、しかも産みの母と交わって子を儲けていたことを知るに至って自ら目を潰し、王位を退く。アポロン神の残酷な神託から逃れようとすればするほど、父子ともに神託のとおりに陥っていく救いようのない悲劇。
そもそも文字で楽しむものではないので、機会があれば舞台で見てみたい。とにかく筋立てが恐ろしくよく出来ている。が、単なる物語ではなく、「哲学」である。これがギリシア悲劇の奥深いところ。オイディプスは優れた人間で、しかもヒーローであるが、己れが“何者か”を知らない。人々のために災いの真相を解き明かそうとして、実は自分が災 -
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「いかなる神も信じておらず、アテネの青年をそそのかして伝統的な信仰から離脱させた」として、ソクラテスは「毒杯を自分で飲む」の刑に処されることに。友人クリトン「逃亡の準備したから逃げて。あなたは判決が間違っていると主張しているのに、なぜ刑罰を受けるのか」。ソクラテス「裁判は不正だが、脱獄もまた不正。脱獄は善ではない。不正されても、不正の仕返しをしてはいけない。ただ生きるのではなく、善く生きることが大切」。プラトンPlato『ソクラテスの弁明・クリトン』BC399
ポリス。人々は市民共同体として共通のルールの下で協力する一方で、名誉・名声を得る競争をしている。弁論術で他人を操作したいと望んでいる -
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ネタバレソクラテス とすると、有益であるという点にかけては、正しい思わくは、知識に何ら劣らないわけなのだ。
メノン しかし、ソクラテス、これだけの差はあるでしょう。つまり、知識をもっている者はつねに成功するけれども、正しい思わくをもつ者のほうは、うまくいくときと、そうでないときがあるという点です。
ソクラテス どうして?つねに正しい思わくをもっている者は、いやしくもその思うところが正しいあいだは、つねにうまくいくのではないかね。
メノン そうでなければならないようですね。すると、どうも私には不思議になるのですが、ソクラテス、もしそうなら、いったいぜんたいなぜ知識は、正しい思わくよりもずっと高く評価され -
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ネタバレ哲学というものはやはり難しい…
だけれどもこれぐらいだと、
とっつきやすくはなるのかな…
ただやはりそれでも独自の表現はあるけど
確かに、徳は残念なことに
教えることはできない代物でしょう。
結局のところ教えられても
それを自分で会得しなければ意味ないわけで
それをしない人には意味がないのです。
それは悪人を善人に変えることが難しいのと
一緒なのかもしれませんね。
この中にはあ、と思えることが多いと思います。
先入観がいかに危険か、
それはこの貴重な知の源を
処刑により消し去った
ある人物の発言がまさにそれでしょう。
ただ哲学ですので… -
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ネタバレ若いときにこんな古典をあまり読んでなくて今回初プラトン。何年か前に買って積んでいたのをやっと1冊解消。
二千四、五百年前の異郷という時代・地理的距離もどのくらいのものか、日常生活の感覚の何がどう違うのか同じなのかつかめない。
弁論の評価とはいえ恋の口説き文句(しかも時代状況から少年愛、いまから見るとBL的前提だ)という卑近な話題から始まるあたりに親しみが持てる。そして論理的に推論し常識・直感に反した主張に至ったのをいったん高く評価しかけるもソクラテスがはたと考え「恋ってそんなにくだらないことなくない?神様の賜物じゃん?真理を求めるのと同じ崇高な精神じゃん?」と異論を高らかに詠い上げる。かじり読 -
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30年前くらいに読んだものの、再読。
そのきっかけは、
・対話という手法への関心
・「プラトン主義からの離脱」が個人の哲学的テーマ
ということなんだけど、もっとも直接的には、デリダの「プラトンのパルマケイアー」という論文で「パイドロス」を論じてあることを知って、関心をもったこと。
うーん、やっぱり、デリダの解釈、無理あるよ。まあ、脱構築って、正しい解釈ではなく、テクストの無数の読みを可能とすることなんだろうから、その無理矢理の手腕にただ驚嘆していればよいのだろうが。。。
内容自体への感想としては、面白いたとえ話しがいくつもあって、楽しかったというところ。イデア論としては、主著