藤沢令夫のレビュー一覧
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プラトンの著作で僕が一番好きな本。
この本の題名になっているパイドロスとスーパーおじいちゃん(ソクラテス)との対話編。
「自分に恋している人ではなく、自分に恋していない人に身を任せるのがよい。」そんな恋愛論からこの本は始まります。
恋についての3つの説話から派生して、魂について、弁論術について、文字の弊害、真実、愛知者(哲学者)について対話が続いていきます。
これがとても面白く刺激的。
まったく紀元前に書かれたとは思えない。
訳も読みやすく古くささを感じさせません。
とてもおすすめ!
注:イデア論をそのまま信じると形而上学的な悩みに陥る方はウィトゲンシュタイン(青色本)などを読むとよいです。この本は哲学を治療することに役立ちます。「家族的類似」の考え方や「語の使用」について学ぶことで悩みがスッキリすると思います。 -
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プラトン最大の対話篇。
正義から始まり、国家、真実在、教育、芸術、魂を対話によって哲学する。
2000年以上たっても何も変わっていないのだなあとつくづく感じる。イデアはどこか天上界にあるのではない。洞窟の比喩が間違って解釈されてしまっている。イデアは、見るー見られるの関係と同じく、知るー知られるの関係によるものなのだから、ほかでもない、自分自身の思推の力によってしかたどり着けないもの。
優れた芸術は常に感覚による模倣だから、真実在へ思考する力を養う教育において大きな役割を果たすが、模倣であることからは逃れられない。ワイルドのいう「芸術は人生そのものではない」や「外観で判断できないような人間」「善良さとは自身との調和状態」といった言葉の意味がよりクリアに入り込んできた。
特に話題としては上がっていないが、一巻初めの、年を取ることについてのさりげない言葉もとても味わい深いものがある。
本編で語られているように、真実は単調かつ素朴に語られるものだから、読んでいて一部の逃げる隙もなく、ストレートに言葉が伝わってきた。池田さんが「プラトンは素直すぎる」というのを肌身で感じた。
自らの力で、真実を求めることをこれからも決してやめない。 -
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「その国において支配者となるべき人たちが、支配権力を積極的に求めることの最も少ない人間であるような国家、そういう国家こそが、最もよく、内部的な抗争の最も少ない状態で、治まるのであり、これと反対の人間を支配者としてもった国家は、その反対であるというのが、動かぬ必然なのだ」(p109-110)
・この認識を土台として、支配者となるべき者は、金銭や名誉に関心がなく、かつ優れた人間でなければならないとする。すなわち、哲学者が支配者となるか、支配者が哲学するかのいずれかでなければ、国家はうまく統治されない。
・この哲人王が支配する極度に理想的な国家との対比として論じられる、他の政体(寡頭制→民主制→僭主独裁制の変遷)についての記述は、不気味なほどその後の歴史と符合している。富を寡占する支配者への反発から民主制が生じ、自由が秩序を崩壊させた結果として僭主独裁制が生じるというプラトンの予言は、市民革命と全体主義によって見事に的中した。
・まさに西洋思想の源流とも言うべき一冊。詭弁のオンパレードに辟易するところはあるが、それも人間社会の基本的諸要素の全てが合理化を経ないで未整理のまま抱合されているがゆえのこと。そこから救い出すべきものは決して少なくはない。 -
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・「熱でふくれあがった国家」(p141)を「理想国」に浄化するための方法を考察することが本書の中心テーマ。
・良い国家を作るためには良い教育が必要で、教育に悪影響を及ぼすものは徹底的に排除されなければならない。さらに、病弱な者は治療せずに死んでいくに任せ子孫も残してはならない一方で、有能な男女間には可能な限り多くの子種が作られるべきだ。そして、国家は有能な少数の者が支配するべきであり、国民全員が国家のために苦楽を共有すべきである。
・言論統制と優生思想と少数支配と滅私奉公とに基づいたこの「理想国」は、プラトンの死から幾千年後の20世紀になってようやく実現した。「もしそのような国制が実現したとすれば、その当の国家にとってすべてがうまく行くだろう」(p399)というプラトンの夢想は果たしてどうであったか。
・個人的には第2巻のグラウゴンの問いかけが本書最大の山場であるように思う(プラトンの中に既に社会契約説の萌芽があったことには驚いた)。「不正がバレなければ、正義よりも得ではないか」と冷厳たる事実を突きつけられたソクラテスは、真正面からこれに反論することはできず、倫理的見地から反駁せざるを得なかったという点も興味深い。 -
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ネタバレ「なんであるか?」(本質)と「いかなるものであるか?」(属性)の区別は重要。
例となるものをどんどん出していく。
例をだして、それとも君は違うと考えるのか?
話に飛躍がない。一つずつ進歩して行く。
人間には、知っていることも知らないことも、探究することはできない。知っていることであれば、人は探究しないだろう。その人はそのことを、もう知っているので、このような人には探究など必要ないから。また知らないことも人は探究できない。何をこれから探究するのかさえ、その人は知らないからである。
主張の方法
知識の何にもまさる重要性を、「よさ」を生むものという観点から主張しようとする。
例を交えて説明している。
徳は、教えられるものではなくて、優れた者から優れたことを教わり自分の中で噛み砕いて行く時に、培って行くものなのではないか?
知識は正しい考えよりもはるかに価値の高いものであり、何によって知識は知識で、正しい考えは正しい考えでありお互い別のものとなるのか、私には不思議に思います。メノン
正しい考えもまた、或る程度の時間留まっていてくれる場合には、立派であり、あらゆる優れたよいことを成し遂げてもくれる。しかしそうした考えは、長時間留まってはくれないで人間の魂から逃げ出してしまうので、したがって人がこれらの考えを[事柄のそもそもの原因にさかのぼって、その原因から考えて]原因の推論によって縛りつけてしまうまでは、たいした価値はないのだ。
知識は、正しい考えよりも価値が高くわ、また、知識が正しい考えと異なるのら、「縛られている」という点によるのである。 -
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哲学の入門書として「ソクラテスの弁明」と同じ程優しく読めると言われるプラトンの著作。
「徳は教えられうるか」というテーマで対話がすすめられています。
そして、魂の不死や想起についても触れられています。
「人間は、自分が知っているものも知らないものもこれを探求することはできない。というのは、まず、知っているものを探求するということはありえないだろう。なぜなら、知っている以上、その人には探求の必要はないわけだから。また、知らないものを探求するということもありえないだろう。なぜならその場合は、何を探求すべきかということも知らないはずだから」
というソクラテスの言葉が非常に不思議に思われます。 -
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「徳は教えられるか」を主に話しているが、一番面白かったのは、想起説。
ソクラテス:ぼくは徳とはそもそもなんであるかということを、君と一緒に考察し、探究するつもりだ。
メノン:なにであるかわかっていないとしたら、どうやってそれを探究するおつもりですか?もし、探り当てたとしても、それだということがどうしてあなたにわかるのでしょうか?もともとあなたはそれを知らないはずなのに。
ソクラテス:つまり、「人間は、自分の知っているものも知らないものもこれを探究することはできない。というのは、まず、知っているものを探究するのはありえないだろう。なぜなら、知っているのだ。ゆえに、その人には探究の必要がまったくない。また、知らないものを探究するということもありえないだろう。なぜなら、その場合は何を探究すべきか、ということも知らないはずだから」ということかね?
メノン:よくできていると思いませんか?よくないか指摘できますか?
ソクラテス:できる。というのは、僕は神々の事柄について知恵を持った男や女の人たち(たとえば、ピンタゴラス)から次のことを聞いた。すなわち、「人間の魂は不死なるものであって、ときには生涯を終えたりする――これがふつう『死』と呼ばれている――ときにはふたたび生まれてきたりするけれど、滅びてしまうことはけっしてない」。
このように、魂はいっさいのありとあらゆるものを見てきている魂がすでに学んでしまっていないようなものは、何ひとつとしてない。よって、徳というものが何であるのか、それがそうであるということは、わかるはずだ。ある一つのことを想い起したこと――このことを人間は「学ぶ」と呼んでいる――その想起がきっかけになり、他のすべてのものを発見することもありえる。つまり、探究するとか学ぶということは想起することにほかならない。
イデア論の根はこれかなーと思います。
たとえば、「生きる意味とはなにか」と探す。
でも、なぜ生きる意味があると思うのか?
それは、全くわからないものなのに。仮にわかったとしても、なぜそれが真であると思うのか?
ソクラテスは、ここで「魂」を出してくる(ここで面白いのが、ソクラテスはすべてのことを疑ったのに、「魂」の存在を疑わなかったこと)。
「人間の魂は不死であり、生々流転する。魂はありとあらゆるものを見てきている。したがって、魂がすでに学んでしまっていないようなものは無い。」
人間の魂。では、一番初めの人間には、誰の魂が入ったのか?
その魂は、どこで、ありとあらゆるものを見たのか?どこからきたのか?
疑問。魂なんていうものを信じていいのか!
さて、多くの哲学者は普遍的なものを探してきた。いまだに見つかっていない。
でも、なぜ、「普遍的なものが存在する」と思うのか?
わからないものなのに。もしその「普遍的なもの」が見つかったとして、どのようにそれが真だとわかるのか?理論?科学?
なぜ、それが理論的・科学的にわかるのか?
魂が知っているから、それを見つけたら思い出すんだ。
って考えると、なるほどなー。
(まっちー) -
Posted by ブクログ
ネタバレ徳とは何か、どういう性質で人に教えられるものかどうかを探ります。
今回ソクラテスと対話するメノンは傲慢なところがなく好感が持てる青年です。
この話の中では、魂が既に学んだことを「想起する」という考え方が出てきます。
ソクラテスは言います。
「知らないものは発見することもできなければ探求すべきでもないと思うよりも、我々はよりすぐれた者になり、より勇気づけられて、怠け心が少なくなるだろうということ、この点についてはもし僕に出来るなら、言葉の上でも実際の上でも大いに強硬に主張したいのだ」
正しいか正しくないかはともかく、想起説を信じる方が実践において有益であるというこの考え方は好きです。
また、知だけでなく「正しい思惑」も人を正しい行為に導くものであると言う。
ソクラテスらは徳は知では無さそうだという結論を出しているから(これはプラトンの意見のようですが)、この「正しい思惑」が徳と密接な関係がありそうです。
そしてこれは神の恵みによってもたらされるのだろうと推測しています。
個人的には徳が何であるかより何であると信じるかが大事だと思うので、判断を神にゆだねるというか、神の意志を反映するような自分の直感や良心にまかせるのが良いのかなと思う。 -
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上巻の終盤で放たれた超弩級の思想(哲人統治、イデア論など)に引き続き、下巻も読みどころ満載である。有名な《善のイデア》や《洞窟の比喩》は、下巻の割と早い段階で語られる。下巻の中盤では、国家の諸形態の分析がなされる。名誉支配制国家、寡頭制国家、民主制国家、独裁制国家のそれぞれの特徴を論じたこの部分は、ある意味、最大の読みどころかもしれない。特に、「民主制国家が堕落したらどんな現象がみられるようになるか」「民主制から独裁制への移行はどのようにして達成されるか」を論じた部分は圧巻。下巻の最後は、正義の報酬として有名な《エルの物語》で締めくくられる。ここは哲学というより物語(神話)として興味深い。
・《哲人王》による《善のイデア》を希求する政治(≒ユートピア思想)
・エリート層による大衆の統制(≒民主主義の否定)
・エリート層における私有財産の禁止(≒共産主義)
・エリート層における妻女と子供の共有(≒優生学的思想)
…など、私には容認しがたい極論も多いのだが、「衆愚政治へと堕落した民主主義への批判」や「僭主独裁政治への批判」など、現代人必読の警告と思われる箇所も多い。その主張の是非はともかく、形而上学的にも政治学的にも西洋思想の原点となった著作である。 -
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現在を生きる自分はそりゃあもう沢山の物語に囲まれています。それなのに遥か昔のギリシアで書かれた物語が今でも人々の心を掴むことは良いものに時代は関係ないということを示してくれているのでしょう。自分はなにも懐古主義者というわけではありませんが時の洗礼を受けてもなお人々に読み継がれてきた作品はやっぱり充分な魅力をたたえていると思っています。
今は昔と違い手軽に本を読めるようになり読者の層も広がっていますね。そのせいか教養、あるいは文化としての読書から娯楽のためだけの読書になっている気がしてなりません。もちろんそれが一方的に悪いことだとは思いません。けれどもこのような風潮の中でギリシアの偉大な作品たちのように時代を超えて人々を虜にする物語が生まれるかどうかには疑問が残ります。そしてもしそういったものが生まれないとしたらそれはすごく寂しいことだと思います。
これから、いったいどのように本と向き合ったら良いのでしょうか。売れる作品だけが世に蔓延りまだ見ぬ名作が陽の光も浴びぬうちに埋れているようで、すごく寂しく感じます。って何様。 -
Posted by ブクログ
恋している男よりも恋していない男に抱かれろ!と少年(!)に説くリュシアスの衝撃的な言説に見事に喰いついたソクラテスが、パイドロスと真夏のお花畑の木陰で物語るという図式です。(笑)神に憑依された(!)ソクラテスは詩的な調べで「恋」(エロース)についてのいくつかの見解を披露してパイドロスを翻弄する。(笑)結論、「恋は狂気」。
だが実はプラトンはこの話を発端に、詭弁に走りがちな弁論術を批判し、ディアレクティケーを駆使して真実そのものを把握し議論せよという結論を導きたかったのだ。
そういえばいつもよりもソクラテスの詭弁的言説も少ないような・・・。(笑)
ムゥサの後裔たる蝉の鳴くもとで語られる、不死なる魂転生の人生観(?)と、善悪?2者を象徴する2頭馬車の行き先をめぐる対決の物語は本書の大いなる見どころだ。
文字の発明が、口伝の基本たる記憶力の妨げとなるという見解には眼から鱗が落ちました。そういえばワープロ機能のおかげで漢字、書けなくなったな。(笑)
話の成り行きがぽんぽん変わるので、うっかりすると論旨を見失いがちなり、自分も翻弄されたクチです。(笑) -
Posted by ブクログ
絶対と信じていた現実があっけなく崩れていく恐怖。おぞましい罪の上に生きていた自分。これまでの人生は何だったのか?
でも、これって他人事かな?
人生は、そのほとんどが不確実な地盤に立っている。
ソポクレスが「コロノスのオイディプス」を遺してくれて良かった。
「暗い不義の臥床が、父上に失明を招いたのだ」『リア王(福田恒在訳)』これって昔話のお約束みたいなものなのかな。
人は皆、彼らが当然知らなければならないことをすべて知っているということは、到底できるものではない。自分一人だけでは、求めている事柄のすべてを見つけることができないのは確実だ。