藤沢令夫のレビュー一覧
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「徳は教えられるか」を主に話しているが、一番面白かったのは、想起説。
ソクラテス:ぼくは徳とはそもそもなんであるかということを、君と一緒に考察し、探究するつもりだ。
メノン:なにであるかわかっていないとしたら、どうやってそれを探究するおつもりですか?もし、探り当てたとしても、それだということがどうしてあなたにわかるのでしょうか?もともとあなたはそれを知らないはずなのに。
ソクラテス:つまり、「人間は、自分の知っているものも知らないものもこれを探究することはできない。というのは、まず、知っているものを探究するのはありえないだろう。なぜなら、知っているのだ。ゆえに、その人には探究の必要がま -
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ネタバレ徳とは何か、どういう性質で人に教えられるものかどうかを探ります。
今回ソクラテスと対話するメノンは傲慢なところがなく好感が持てる青年です。
この話の中では、魂が既に学んだことを「想起する」という考え方が出てきます。
ソクラテスは言います。
「知らないものは発見することもできなければ探求すべきでもないと思うよりも、我々はよりすぐれた者になり、より勇気づけられて、怠け心が少なくなるだろうということ、この点についてはもし僕に出来るなら、言葉の上でも実際の上でも大いに強硬に主張したいのだ」
正しいか正しくないかはともかく、想起説を信じる方が実践において有益であるというこの考え方は好きです。
また、 -
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上巻の終盤で放たれた超弩級の思想(哲人統治、イデア論など)に引き続き、下巻も読みどころ満載である。有名な《善のイデア》や《洞窟の比喩》は、下巻の割と早い段階で語られる。下巻の中盤では、国家の諸形態の分析がなされる。名誉支配制国家、寡頭制国家、民主制国家、独裁制国家のそれぞれの特徴を論じたこの部分は、ある意味、最大の読みどころかもしれない。特に、「民主制国家が堕落したらどんな現象がみられるようになるか」「民主制から独裁制への移行はどのようにして達成されるか」を論じた部分は圧巻。下巻の最後は、正義の報酬として有名な《エルの物語》で締めくくられる。ここは哲学というより物語(神話)として興味深い。
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現在を生きる自分はそりゃあもう沢山の物語に囲まれています。それなのに遥か昔のギリシアで書かれた物語が今でも人々の心を掴むことは良いものに時代は関係ないということを示してくれているのでしょう。自分はなにも懐古主義者というわけではありませんが時の洗礼を受けてもなお人々に読み継がれてきた作品はやっぱり充分な魅力をたたえていると思っています。
今は昔と違い手軽に本を読めるようになり読者の層も広がっていますね。そのせいか教養、あるいは文化としての読書から娯楽のためだけの読書になっている気がしてなりません。もちろんそれが一方的に悪いことだとは思いません。けれどもこのような風潮の中でギリシアの偉大な作品た -
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恋している男よりも恋していない男に抱かれろ!と少年(!)に説くリュシアスの衝撃的な言説に見事に喰いついたソクラテスが、パイドロスと真夏のお花畑の木陰で物語るという図式です。(笑)神に憑依された(!)ソクラテスは詩的な調べで「恋」(エロース)についてのいくつかの見解を披露してパイドロスを翻弄する。(笑)結論、「恋は狂気」。
だが実はプラトンはこの話を発端に、詭弁に走りがちな弁論術を批判し、ディアレクティケーを駆使して真実そのものを把握し議論せよという結論を導きたかったのだ。
そういえばいつもよりもソクラテスの詭弁的言説も少ないような・・・。(笑)
ムゥサの後裔たる蝉の鳴くもとで語られる、不死なる -
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プラトンの「国家」。
政治に関心のある僕としてはずっと読みたいと思っていた本で、周囲からは「難しい」と言われていたのでなかなか踏み出せなかったが、勇気を出してその扉を開いた。
構成は上下巻2冊で、さらにその中で大きな話を1巻(章)ごとに区切っている。
プラトンの理想国家について考察をソクラテスと周囲の人物の対話を中心に描写しており、ソクラテスの問答法がいかなるものかが分かる。
国家を統治するものはいかなるべき者がふさわしいか。
そういった人物をどう教育していくか。
そのようなことを議論しながら理想国家への道を模索している。
プラトンの考えは国家の守護者(統治者)は優れた哲学者がなるか -
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絶対と信じていた現実があっけなく崩れていく恐怖。おぞましい罪の上に生きていた自分。これまでの人生は何だったのか?
でも、これって他人事かな?
人生は、そのほとんどが不確実な地盤に立っている。
ソポクレスが「コロノスのオイディプス」を遺してくれて良かった。
「暗い不義の臥床が、父上に失明を招いたのだ」『リア王(福田恒在訳)』これって昔話のお約束みたいなものなのかな。
人は皆、彼らが当然知らなければならないことをすべて知っているということは、到底できるものではない。自分一人だけでは、求めている事柄のすべてを見つけることができないのは確実だ。 -
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内容に入る前に一言…「長いんじゃ、ボケ!」 そして、対話のテーマが、柱である「国家論」「正義論」に留まらず、あらゆる方向に伸びてるのに巻数ごとのテーマ別の分類などが一切無いため、非常に読みづらい。まぁ、解釈書じゃないから原典に忠実でなければならないのはわかるけど…苦しかった。
さて、下巻では上巻の最後で登場した「哲人統治」の続きから。結局は真理や実在を愛する哲学者が、国を守る…というか支配するのに相応しいということでファイナルアンサー。トラシュマコスさんが陥落した今となっては、誰もソクラテスの意見に異を唱えません。「アナタノイウコトハタダシイデス」…そんな言葉ばかり繰り返してないでもっと -
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下巻の見所は、第7巻(洞窟の比喩)と第10巻(エルの神話)だ。哲学的象徴性と倫理的・宗教的深みの両方が味わえる部分であり、プラトンの思想の核心を理解する手がかりになる。
第7巻の「洞窟の比喩」は、本家プラトンよりも分かりやすく解説した本が世に出回っているので目新しさがないが、プラトンのイデア論の核心部で、人間の認識とは何かという問いに迫る部分。洞窟に捕らえられて影絵を見る囚人の喩えは、その語ろうとする認知論の本質以上に詩的な状況であり、何故だか私はうっとりしてしまう。
第10巻の(エルの神話)が私にとっては新鮮だ。
そのむかし、エルは戦争で最期をとげた。一〇日ののち、数々の屍体が埋薬のた -
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定番中の定番なので、少し違った読み方で感想を書いてみる。ソクラテスとの対話で序盤に登場するトラシュマコスのウザ絡みの意義についてだ。論破王ソクラテスの人に言わせて否定する弁論術を卑怯だと、相当な勢いで突っ込んでくる。今風に言えば成田悠輔やひろゆき相手に挑戦するみたいな感じだろう。
で、このトラシュマコスだが真正面から突っ込んで早々と本書から退場させてしまう。そのせいで議論の場が安全な空間に変質してしまい、そこからソクラテスの独壇場が始まる。
黙らされたことで「正義って、議論で勝ったほうの定義になるのか」という不信感が強まる。ソクラテスの論法はいわゆる勝ち負けを決する議論の進め方であり、必殺 -
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「正義とは何か、悪とは何か」を導き出すために、ソクラテスがその友人や弟子たちと対話していく話の、上巻。
これまで読んだ『ソクラテスの弁明・クリトン』と『パイドン』ではソクラテスの死の間際というタイミングであったのに対し、この国家は弁明・裁判から遡った時間軸になる。
そのためソクラテスの質問への回答や話しぶりではまだ悟りきったような部分がなく、それが故により親近感を湧きやすい。「死の直前」ならではの緊張感がないので落ち着いて読める印象がある。
「正義とは何か」、つまり「正しさとは何か」というのはテーマとして非常に難しい。人によって回答が違って当然と私には思われる。だからとてもこれと断言回答