河合香織のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
コロナ対策に関する提言で頻繁にマスコミに登場した「専門家会議」。3密とか、人との接触7割減とか、さまざまな提言を発信されました。その専門家会議は発足から約半年を経て、後継の組織へと引き継がれたのですが、その半年間に政権や厚労省などとどのようなやり取りがあったのかを追ったドキュメントです。
感染症の専門家であっても新型コロナは初めて遭遇する感染症で、”サイエンスは失敗が前提。新しい知見が出てくれば、前のものは間違いということになる。そういう積み重ねが科学であり、公衆衛生はエビデンスが出そろう前に経験、直感、論理で動かざるを得ない部分がある(本書より尾身先生の発言を抜粋)”という姿勢で臨まれたのに対し、政権や厚労省は”間違いたくない。誤ってはならない(無謬性の原則)”という姿勢で臨むため、どうしても両者の考え方には溝ができてしまう様子が克明に記録されています。
あくまで政権に科学的なアドバイスを与えるという立場で関わるはずだった”専門家会議”が、あたかも政策を決定している当事者と勘違いされるほどに前面に出ざるを得なかった事情、疲弊する経済界や自粛疲れの市民からのいわれのない誹謗・中傷を受けながらも”コロナ禍の収束に向けて何かできないか”と粉骨砕身で臨まれた様子が伝わってきます。
学者として譲れない部分と政権や行政とのすり合わせの中で妥協を強いらる状況への葛藤、感染症の専門家としての責任感や、どこまで政策決定に責任を持つのかという迷いとか、さまざまに変化していく状況下での専門家の皆さんの動きが鮮明に描かれています。コロナ禍がいまだ収束せず、多忙を極める専門家の方々の姿を、よく取材できたなぁ、と驚きを禁じ得ない印象です。
記者会見でよくお見掛けする尾身先生はかつてWHOで感染症対策の最前線を経験された方で、記者会見などでは一見クールな印象を受けますが、本書からは責任感の強さや使命感に燃える熱さが伝わってきて、この方が日本のコロナ対策の中枢にいて下さったこと、今も責任ある立場で関わって下さっていることが日本にとっての幸運ではないかとさえ感じさせられました。 -
Posted by ブクログ
対策案の考案、厚労省等の関係各所との調整、国民への情報発信などを、凄まじいスピード感で実行していった専門家の先生方に、敬意を表したい。
もどかしく感じたのは、省庁内部や、国と地方など、縦割りに伴う信頼関係の薄さ、連携不足であった。
特に、感染状況のシミュレーションに用いる感染者数等のデータを、地方自治体の発表資料から手作業で引っ張ってきていたことには衝撃を受けた。
最近になって、科学的には徐々に解明されてきているにも関わらず、ワクチン接種や医療体制拡充などの対策がなかなか進まないのも、各組織間の連携がうまく行っていないことも原因にあるように思う。
専門家会議に参加されていた先生自身による振り返りの著書等もあるようなので、読んでみたい。 -
Posted by ブクログ
読み始めた直後は、文章があまり上手くないのだと思った。読みながら、どこに着地するのかが全く想像出来なかったから。
でも読み進むうちに、この本は、これまで自分ごととして考えた事がなく、気づきもしなかったような答えのない何かへの無数の問いかけであり、本を閉じた時にどこかに着地できるようなものではないのだと気づいた。
本書は、命の選別についてのみ書かれた本ではなく、私たちの生きる社会全体の矛盾や、マイノリティへの見えない圧力を炙り出したものだ。
善も悪も幸も不幸も、誰も明確な線をひけないものを、私たちは社会を維持するために法律というルールで仕分け続けている。
そこで、法の抜け穴に落ち込んだ者は、あまりにも無力だ。
法治社会とは何の、誰のためのものなのか。
個人の幸福の追求は他者の犠牲がないと、成り立たないものなのか。そもそも他者とはどこからを言うのか。
いつも頭の片隅にありながら、罪悪感とともに見ないふりをした、焦燥感とともに溜め込んできた何かの蓋を開けられたような気がする。
著者が作中で使った「パンドラの箱」という言葉が読後感を端的に言い当てている。
私はただ、考え続ける事しかできない。 -
Posted by ブクログ
旧専門家会議は、特措法の下に無かったので、法律上立場が曖昧だったので廃止されて、その後に分科会に再編されたようです。(この辺の事情知らなかった)
普段メディアで目にするコロナニュースだと、扇動的だったりして見る度に右往左往だけしてしまいがち。
この本で昨年の6月まで活動していたコロナの専門家会議の中が、どう動いていたかが描かれていたので、これ読むとニュースから受ける印象が変わると思う。
SNSでは、批判一本槍な風潮も目につくけど、それぞれの組織の仕事のやり方や専門性の違い。
または、法律との兼ね合いが絡まって、これを普通の人が解きほぐして、運営を行うのは至難の業だという事が痛い程よく分かった。
どの組織についても顔が見えないと批判的に見がちになる。
-
購入済み
面白かったです
題名のウスケボーイスに惹かれて読み始めました。日本のワインがこのように苦難の時代を経て出来た事を知り、もっとワインのことを知りたいと思いました。
美味しく飲む事には変わりないんですけどね。
父も庭先でブドウを作ってますが、美味しいブドウを作るのは大変。水の管理や病気にカラス…
家に居ないなぁと思ったらブドウの棚の下で過ごしてます。
-
Posted by ブクログ
失ってなお、私の中に根を張る思い。
思い出になると思ったら甘かった。
執着ともちがう。ただ…。
いや、この先は書くまい。
ともかく、この本にさえ目が向かず、
やっと手が伸びる状況になり…。
ページを捲るのも苦しく、何日もかけて読んだ。
結果として…
押し付けがましくなく、良いブックリストである。
変に救おうともしていない。淡々と紹介されていく本。
本ごときでどうにかなるものかとは思うが、あれか、これかと差し出された中に、はっと読んでみようかと思うものがあるのはさすがだった。
筆者ご自身もかなりの読書家であろうし、選んだ本の抄録は、確かに、紹介された心理に添うものがある。
どれがあなたの苦しみに、伴走してくれるかは、わからないが…少なくとも、ろくに読んでいない本でなく、ちゃんと内容をわかって勧められる本ばかり、気になるものがあればご覧になると良い。
私が読書案内的な本を、無意識に好むのは、自分の気づかない、何らかの明かりを、こっちはどうかな?あっちはどうかな?と差し出され、自分がそれをためつすがめつする間に、自分でも色んな道を探って自分の心に降りていくからかもしれない。
まして、絶望している折。
本を読んでもマシにはならない。
まえがきを裏切って悪いが。
それでも…どうにか二週間でやっと一冊。息も絶え絶えでも読んだ私を、私は抱いてやりたい。
同じだ、という方がいらしたら…よかったらお試しあれ。変な前向きになる本より、ずっといいから。 -
Posted by ブクログ
著者の立場とか動機とかが最後の最後まで出てこないのに、著者の知りたいという切実感が半端なく、その気持ちの熱量によってぐいぐい読み進めてしまう。テーマそのものがセンセーショナルで、興味はあるがなかなかうかがい知れないことを知ることが出来、知的好奇心も満たせた。若くて美しい女性が著者だけに、この人もセックスワーカーなのかと勘違いして買った男性は多そうだ。僕はその点は誤解はなかったが、男性とのセックスを前にしたわくわく感を主語無しに書いてある部分はちょっと反則(笑)。
それはともかくとして、著者としての一線がちゃんと引かれているからこそ、下品にならず、知的読み物として、作品のバランスが保たれている。
障害と性ということに限らず、男と女の付き合い方、幸せのあり方、快楽と恋愛の違い、介護する側とされる側、日本と外国での性についての考え方の違い、老いと介護、行政の支援のあり方…など、さまざまなテーマが自然と内包されており、その点においてもこの本は奥が深い。
そして本の最後の最後、彼女の切実に行動していく動機の一端がエピソードによってちらっとだが開示される。その開示のされ方がさりげなく、それでいて効果的。ぐだぐだ書かないところが、ラストとして相応しい。
テーマの広がり、作者の切実感、証言によって浮かび上がっていく知らなかった事実、問題提議、シーンの切り取り方。どの点においても、素晴らしい。噂に違わず、名作だと思った。
と同時に書き手として対象とどう距離を置くのかという点でとても参考になった。だけどこの本以後、彼女はなぜ2冊しか本を出せてないんだろう。その点は気になる。 -
Posted by ブクログ
わたしはこの事件をよくおぼえている。つたえられたあらましがあまりに奇妙だったからだ。行方がわからなくなった、というのがたぶん第一報で、つれさられた、との続報がながれたのは、それからすこしあとだとおもう。報道された断片によれば、被害者は小学5年生、祖父母と叔父と暮らす10歳の女児で、加害者はその近所にすむ40代の中年男。女児がかえってこないので、家族が警察に相談し、逃亡、いや誘拐か、があかるみにでたのだけれど、といっても、どうやら交流は以前からのようで、かれらの小旅行は、今回がはじめてでもないらしい。しかも、おとずれた沖縄で、ふたりは親子だといつわり、男がはたらく運転代行業者の寮に住み込んでいた。それまでの逗留先では、少女がみずから宿帳になまえを記していたという。金銭を管理していたのも男ではなく、女児で、那覇行きのチケットを買ったのも彼女だそうだ。男にたいする少女のふるまいは、傍目にかなり傲慢だったともきく。そして一週間の滞在の後、保護された彼女は(家に)「帰りたくない」と訴えた。そのため一時的に少女を児童相談所が預かっているとのこと。一方、男は捕まって、関東の拘置所に移送された。「未成年者略取誘拐」それがかれにかけられた容疑だ。しかし、これは果たしてそんな仰々しい事件なのだろうか__________「帰りたくない 少女沖縄連れ去り事件」は、この風変わりな「誘拐」にやはり疑念をいだいた著者が、拘留中の容疑者、山田敏明と文通をかさね、面会に赴き、公判に通い、また、沖縄にとび、ふたりの足取りをたどって、かれらがそこで邂逅した人々をたずね、謎を解き明かそうとするルポルタージュだ。
鯉のぼりがゆらめく初夏の住宅街で、著者が老女に声をかける場面から本書ははじまる。彼女は沖縄滞在中、かれらが接触をもったひとりだ。「おばちゃん、わたしのお父さんと寝たいんでしょう」2年まえ、間借りしていた運転代行業者のコンテナで、ふたりと出会った老女は、唐突にそんな言葉をなげつられたという。面食らう彼女に少女は尚も迫った。「おばちゃん、うちのお父さんとセックスしたいんでしょう」さらには女性器の俗称さえ口にしたそうだ。たった10歳なのに、50歳のおばさんみたいになんでもしっているようだった、と老女は述懐する。なかなか衝撃的な序章だ。著者はそれから、かれらがあそびにいったプールや温泉施設、買いものをしたデパートやコンビニ、宿泊先のホテルやゲストハウスにも足をはこび、関係者から事情をきいていく。第4章まではその軌跡と、手紙のやりとりや拘置所への面会でつまびらかにされた山田の半生、被害者の女児、石井めぐ(仮名)とのふしぎな関係が、順をおって記されている。第5章は公判の記録、第6章はめぐの生い立ち、第7章はめぐを棄てて逃げた母、紗恵へのインタビュー、そして第8章が判決、最後に文庫版の追記として「それからのふたり」と題された後日談。解説の角田光代も書いているが、この構成はたいへん巧みで、読者の興味を常にひくよう、好奇心だけを満たしておわり、とはならないよう、かんがえつくされている。親に棄てられ、祖父母と叔父から虐待を受け、沖縄へ逃げた少女と、彼女をすくおうとした独り身の中年男。著者は当初そんな構図をえがいていたのらしい。わたしもまた、そうだった。なにもしらなかったから、うつくしいはなしだとすらおもっていた。
でも現実はちがう。とてもグロテスクだ。第5章をひらき、よみすすめるうちに、わたしはおもわず「あー」と声をあげてしまう。まだかすかにのこっていた、山田へのちいさな信頼が、がらがらと音をたててくずれていく。やたら饒舌なかれの独白によって、少女とのゆがんだ関係は、とうに露となっていたのだけれど、この期に及んでも、わたしは山田の、一片の良心をしんじたかったのだ。「かわいそうなめぐをすくいたかった」かれは手紙で、著者に幾度となく訴えていたのだから。そういいながら山田はめぐを利用していたし、保護者の立場をわすれ、女としての彼女に執着していたが、それは盲目的な恋心ゆえ、相手の奔放さに引きずられた部分もおおいにある、とかんがえられた。実際かれは、警察や児童相談所を何度もたずね、めぐへの虐待のことを職員や警官、女性市議に相談している。理性と欲望のあいだで、山田はゆれていたのだとおもう。とはいえ、公判以前に山田が告白したかれら、いや、かれの行状はすでにして正気の沙汰じゃない。まごうことなき性的虐待だ。しかし、著者にかたった以上のことはなかった、それが山田のわずかばかりの良心の発露だとおもっていた。でもうらぎられた。こころをいためるふりをしながら、かれはめぐの孤独な境遇、被虐経験につけこみ、弄んだあげく、ひらきなおった。「山田のおじちゃんは大嫌い」「もう二度とあいたくない」少女は警官にそう漏らしたという。「帰りたくない」のは、山田と一緒にいたいからではなかったのだ。そこで著者は問う。ではなぜ、めぐはそんな男についていったのか……。それが本書の主題だ。そこを掘り下げてほしくて、著者は構成を練ったのだろう。
公判の記録を第5章に、母へのインタビューを第7 章に、もってきたのがすばらしい。読者はおのずとそのことにおもいを馳せる。しかし、それについては山田の弁護人、鈴木さゆりの言葉がすべてかもしれない。「めぐちゃんは他のみんなが騒ぐほどじゃなくて、本当に普通の女の子なんです。特別すれていたり、女を利用してすごい子だと言われちゃうのはかわいそうです。そう言う人がいたら、じゃあ、あなたがその環境で生きてみろと言ってみたい。他の人だったら、耐えられなくてしぼんじゃうと思う。そのきびしい環境の中で、サバイバルしている。必死に生き延びようとしているんです」わたしがこの事件を「よくおぼえている」のは、顛末が腑に落ちない、不可解な点がおおすぎる、というだけはなく、女児に過度な同情をよせていたからだ(結局もとの家へもどらされたとしり、こちらで引き取れないか、などと、一瞬だが夢みたいなことも、かんがえたりした。いや、そうやって、いつものごとく事件を消費したにすぎないのだけれど)と同時に、憧憬と羨望を抱いていたからだ。少女時代、わたしはただ途方にくれていて、逃げたいといくら望んでも、なすすべがなかった。だからめぐの行動力と精神力、それに賢さがまぶしかった。著者も彼女の、そんなところに惹かれたという。切れ長の目と通った鼻筋、つんと尖ったちいさい顎、いわゆる美少女のめぐは、かわいいね、と誉められてもよろこばず「わたしはかわいいとはいわれたくない」そうぴしゃりといいはなち、憮然としていたらしい。将来はモデルになりたいのだそうだ。ぶかぶかのハイヒールを履いて、ウォーキングの練習する彼女のすがたを、事件の数年後、近所の人がみかけている。
めぐは今年で16歳。追記によれば、彼女はもう故郷にいない。ありったけの知恵と度胸で、人生をサバイブしていた、そしておそらくはいまもしている、よるべなき少女のことをおもうと、泣きたいような笑いたいようなきもちになる。 -
Posted by ブクログ
出生前検査で誤診を受けて結果ダウン症の子を出産した。その母親と誤診と生まれてきた子と誤診に対する賠償を問う裁判のドキュメント。裁判は壮絶。読んでいてどきどきする。ずっと「自分ならどうする?」を問われる。答えはひとつではない。
そもそも出生前検査は何のためにあるのか。命の選別をするための検査なら必要ないのではないか?
生命倫理を問われる内容でした。ダウン症のお子様を育てる大変さは想像すらできませんが、両親家族の葛藤がきっとあるのだろう。重い内容だけど、本にしてもらうことでこうして手に取り、知ることがたくさんありました。
読み応えがあります。 -
Posted by ブクログ
出生前診断で異常なしと言われたので出産したが
出産後に誤診だとわかり子供はダウン症児でした
そして合併症などで三か月後に死亡
夫婦は裁判をおこすのだが
この中でいろいろ今まで知らなかったことがありました
出生前診断で異常だとしても中絶はダメとか
でも普通に行われているらしい
それ以上に考えさせられるのが、診断が異常だった場合
即中絶の判断を下せるのかとか
ダウン症だから短命というわけでもなくでも子育ては
大変だろうなとも思う
またダウン症と知りながら引き取って子育てしてる
家族もいるらしい
また著者についてのことも書かれていて
いろんな意味で重いテーマの内容でした