河合香織のレビュー一覧
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新型コロナウイルス感染症が日本で発生・拡大し始めた初期から第1波の終息までの間、未知の感染症にどう対応すべきか誰もわからない中で、専門家として検討し発言していったコロナ対策専門家会議、その主要メンバーたちの言動・行動を追ったドキュメント。
素人目には、その後の新型インフルエンザ等対策有識者会議の下の新型コロナウイルス感染症対策分科会と主要メンバーが同じなので、組織がどう変わったのかも意識されにくいが、そういう仕組みについても触れられている。
それにしても、あまりにも最近のことで、記憶にも生々しいことで、専門家と政府との関係に関する違和感なども残っているが、その裏で、専門家会議が真摯に、しかも手弁当で検討を進めていたことには頭が下がる。 -
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新型コロナウイルス感染症対策専門家会議は政府に対し状況分析や科学的根拠を持って対策を提案するため2020年2月に設立された。同年6月、西村大臣からの唐突な廃止発表まで約5ヶ月間、「3密の回避」、「人との接触8割減」、「新しい生活様式」などを打ち出してきた。
本書は専門家会議の議論や葛藤の様子を会議メンバーや関係者の証言で振り返るノンフィクションである。議論の内容、政治や行政との溝と連携のあり方、市民生活への影響などについて、どのように考えていたかが生々しく伝わってくる貴重な一冊だ。
未知のウイルスに対して、手探りながらも高所大所からレベルの高い議論がなされ、庶民目線ではなかなか難解なところもあったが、いくつかのポイントは理解できた。それを以下に示す。
①政府、官僚組織には「国民の不安を煽ってはならない」という考え方と「間違うことがないという前提で物事を進める無謬性の原則」がある。対して、専門家会議の立場は「サイエンスは失敗が前提。新しい知見が出てくれば、間違っていたことを反省し、次に生かす。100%のエビデンスがなくても見解や提案として出せるものは出す」ということでスタンスが違う。
②政治家に求められるのは専門家の意見を聞いた上で最終的に国の責任で判断すること。今回課題になったのは、ある場合は専門家に意見を聞き、ある時は聞かないで決めてしまうという一貫性の欠如(尾身氏)
③国も大事だが、前線に立つキープレーヤーとなる知事の意見を聞かないと、暴走集団になってしまう(尾身氏)
④専門家の文章は論理的に見えて情緒的なところもあり、そのまま政策には使えない。一方、役人の文章はできないことを隠しがち。
⑤役所はパターナリスティック(父権的。強い立場にあるものが弱い立場にあるものの利益のためだとして、本人の意志を問わずに介入・干渉・支援する)な考え方なのに対し、西浦氏はベネフィットとリスクの情報を双方が共有するインフォ―ムドデシジョンを促すべきだという立場を取った。
⑥日本モデルはその都度アジャストすること。基本的な考え方は一貫しながらもその時々の状況や相手に応じて作成を変えていく柔軟さは中国やロシア、トランプ政権にはないよさ(尾身氏)
⑦専門家会議は特措法に紐付いていない法的に極めて不安定な組織であり危うい立場を余儀なくされた。対策の歪みや不満の矛先が彼らに向かい、脅迫されたり、警護がついたり、訴訟を起こされたり、一時的な入院生活を送ったメンバーもいた。政府が頼りなく「前のめり」にならざるを得なかったため、責められる立場になった。
⑧専門家会議の「卒業論文」で尾身氏は「前のめり」だったと認め、反省した。
全体を通して、専門家の方々のご苦労がよくわかり、それに比して「専門家の意見を聞いて考える」という決まり文句で巧妙に責任を回避してきた政府への憤りが再燃した。 -
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トランプ大統領の新型コロナウイルス感染症罹患のニュースはとても衝撃的だった。
一方、東京都の発表では、5月までに比べて6月以降の方が確実に死亡率は下がっているという。
今、新型コロナウイルス感染症がどのようなフェーズにあって、どう向き合っていけば良いのか難しいところだ。
確かな知識がほしい。
本書は、ウイルス学の世界的権威がコロナについて、これまでにわかって来たこと、分かっていないことを比較的冷静に伝える内容。
ほんとは、「正しい知識を身につけて、恐れることなくウィズ・コロナを実践してほしい」と、言いたいところだけど、これから起こることが予測できないので、「恐れることなく」とは言えないそうだ。
・ウイルスはランダムに変化しているだけ。ウイルスが生き残るために選んだ手段ではない。遺伝子が複製されるときの間違い。ちゃんと複製できれば変異しない。ウイルスに生き残る戦略などない。
・ワクチンには①生ワクチン、②不活化ワクチン、③サブユニットワクチンと3種類あるが、これらの従来型とは別に注目を集めているのが、「遺伝子ワクチン」(DNAワクチンやmRNAワクチン)。コロナのワクチンとして開発を目指している。
・拙速なワクチンの実用化は弊害も大きく、望ましくない。安全性を厳重に確認したワクチンであっても、一定の割合で、必ず重篤な副反応がある。もし実用化を急ぐあまり安全性をしっかり確認できなかった場合は、のちのち人が苦しむことになりかねない。
・また、ワクチンを接種することでADE(抗体依存性感染増強)という、病気がより重篤化する現象が起きることも懸念される。
・新型コロナウイルスの研究では、中国が先頭を走っている。
・インフルエンザと異なり、ウイルスの量と重症度の相関はない。
・ハムスターなどを用いた動物実験で、コロナの抗体はワクチンや治療薬に有効であることがわかっている。
・ウイルスに感染すると、免疫細胞が活性化され、増殖する。異物であるウイルスの排除に関わり、その役目を果たした細胞は死に絶える。後に残るものを「記憶細胞」といって、2度目の感染の際にこれがたくさん増えて、効率よくウイルスを排除する。これが免疫を獲得したといわれる状態。
・欧米に比べて感染者数が少なく、死亡率も低いことを根拠に、日本は特別だと思う風潮が見受けられるが、とても危険。第二次大戦の初期の空気に似ている。
・2020年10月から2021年2月までは特に注意が必要。
・近い将来、効果の高い抗ウイルス薬が見つかると、重症化する数は減る。
・断続的な流行は2〜3年続くが、ワクチンが開発されたコントロールできるようになるだろう。
・しかし、集団免疫を獲得するまではかなりかかる。
・コロナウイルスは70〜80%のエタノールか0.05%の次亜塩素酸ナトリウム(次亜塩素酸水ではない)で失活する。
・皮膚からは感染しない。手に触れてもよく手洗いすれば良い。
・新型コロナウイルスが人為的に作られた可能性は極めて低い。
・重症化には、遺伝子が関わっている可能性がある。
・気が緩んでいるから感染するわけではない。
・ペットにもうつる。不顕性感染なのでわかりにくいので注意。イヌよりネコの方が感染しやすい。 -
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多少、日本ワインに興味がないと「?」って感じの「岡本英史、城戸亜紀人、曽我彰彦」がワインと出会い、作るまでの物語。映画化もされている。
やっぱり少しおかしな(普通でない)人、計算しない(できない)人でないと、こんなワインを作ろうなんてしないんだろう。凡人かつ計算高い私には無理だ。
今も昔も飲み物や食べ物の宣伝手法は「体にいい」。本格ワインが入ってきたときも「甘くないものはまずいという認識であり、しかし、アルコールを添加していない天然のワインだから薬としての効用は高いという」という打ち出しだったようだ。少し前も「ポリフェノールは体にいい」で赤ワインが大ブームになった。
本書では、ワイン造りの方針をめぐって対立したと書かれていた曽我氏の弟、曽我貴彦氏も後に作り手として大成功した。そのワインも高い評価でかなりレアな一品となっている。元メルシャンの味村氏など、業界の著名人も登場。 -
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当時、大学卒業後だった著者が書いた取材をもとにしたルポルタージュ(デビュー作)。障害者にとって”無かった”ことにされる性の問題について切り込んだ内容。
河合香織さんの本を読むのは「選べなかった命」に続いて2作目となります。
時系列的にはこちらの方が「選べなかった命」より前になりますが、既に2018年「選べなかった命」を出版した彼女が、なるべくしてなった形だということがその文面から伝わってきます。
取材に際して葛藤する初々しさはありつつも、どこか真剣でひた向きな取材姿勢が伝わってくるようでもありました。
少し障害者について接点があったこともあり、私自身では「障害者=特別な人ではない」ということは明確なことだったのですが、皆さんのレビューを見る限り、そしてこの本を読む限り(少なくとも当時は)それが「当然ではなかった」ということが見て取れます。
障害者の歴史(というと語弊がありそうですが)について詳しく知らないのですが、この「障害者は性欲なんてないし、セックスだってしない。そもそもしたいとも思わないだろう」という考え方が一般的なこと自体、日本の「座敷牢」などの影響が色濃いのではと読みながら考えていました。障害者を人目に晒さない時代風景の中で、健常者と障害者の接点が限りなく少ない生活の中にあっては、「障害がある=我々とは違う特別な存在」として認識されやすかったのではないかと想像しました。
この本の著者(つまり取材者)が障害を持つ人々(取材される側)にとって「まだ純粋で学生を出たばかりの女性」だからこの内容を緻密に話してくれたのではないか、と考えたのは私だけでしょうか。
恐らく障害を持つ人々にとっては数えきれない差別の歴史が人生でしょうし、ある意味では「またそれ?」と思わざるを得ないような(著者からの)質問に対して、真摯に答えてくれたというのは一つにその取材者が親切だったというだけではなく、この取材者(著者)に対して彼らが「我々の気持ちをこの人ならわかってくれるかもしれない。だから何度も何度も話しては誤解を受けたり笑われたり軽蔑されたりもしたけれど、もう一度話してみよう」と考えた結果ではないかと思うのです。
「健常者だから大抵のことはできる」と、我々は恐らく殆ど全員が思っていると思いますし、その気持ちがないことには生きていけない心理的側面もあると思います。
しかし一方で「できるかどうかに健常者かどうか、は関係のない事柄」についても今一度深く考えてみても良いのではないだろうか。
そんな風に思った本でした。 -
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正直なところ、本のタイトルに対して助平な気持ちがあったから読んだ。50歳目前にして性欲は食欲や睡眠欲とあまり変わらない。10代や20代の頃は歳をとれば自然に衰退するものだと思っていたけど、今のところその様子はない。本能だから逆らえないとも思う。身体障害者と健常者の間でもそこに違いはないみたいだ。ただ、人の介助ないしでできるか否かは大きい。他人にオープンにすることではないからだ。ホントは誰もがしていることだ。どんな美男子や美少女だって。身体障害者と健常者にそこに違いはない。愛がなくてもしたいものはしたい。でも、「したいって」他人に言わないとできない障害がある人はむしろ潔い。
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自分とは異質なものに接すると、つい反射的に身構えてしまう。
多かれ少なかれ、人にはそういった傾向があるのかもしれない。
障害者は当然同じ人間なのだけれど、その見た目が異形だから、つい、自分とは違うという意識が働いてしまうのだろう。
分からないことは、怖い。
分からないことには、興味津々。
私も、純粋な興味からこの本を手にした。
でも、そうなのだ。
みんな同じ人間なのだ。
うわべで惑わされて、見えなくなっているけれど。
かといって、障害者の方の性の問題は、そうやすやすとクリアできるようなものではないだろう。
誰の性も、本来はごく個人的なことなのに、介助のありかたを一律化・一般化なんてできないだろう。
そもそも、本来は介助を考えること自体に無理があるようなことなのだろうから。
本当に難しい問題だと思う。 -
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非常に読みやすい文章で、この分野に特に知識とか持っていなかった僕でも容易に分かる内容でした…。
ヽ(・ω・)/ズコー
まあ、少々ショッキングというか、刺激の強い箇所もいくつかありましたけれども、障害者だって健常者同様、性欲はあるんだゾ! ってなことを知る上で最適な一冊かと思います…この本を読んだ人の中には「障害者にも性欲ってあるんですね!」みたいな感想を述べてきた人が居たとか…この感想自体にアレですね、我々健常者がいかに日常生活の中で障害者に会っていないかを物語るようですね…。
ヽ(・ω・)/ズコー
この人の本は他にも一冊あるみたいですから、そちらの方も賞味してみましょうか…そんな気にさせる一冊でした。おしまい。
ヽ(・ω・)/ズコー -
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ネタバレ日本では障害者の性は長い間タブー視されてきた。障害者にも性欲があることじたい一般的には十分認識されてこなかった。最近になって少しずつ語られてきている。しかし「セックスボランティア」はまくいっているわけではなく、受け手の障害者もみな悩みながらの試行錯誤。感情の処理ができなかったりれない感情が芽生えて妨げになったり周囲の理解が得られず苦しむことが多かった。「人権」の中に「セックスする自由」は含まれているのかな。考えさせられる問題だが売春行為、性を売り物にすること自体に抵抗があるため、どこまで人権として認められるのか難しい。性を「生理現象」の文脈で語られているとしたら本当に排泄介助同様に手袋着用、汚物バケツのセットで同性の介護もOKということだと思うが、そうじゃない。ファンタジーの要素も要求して、女性の介助者が裸で視覚的刺激も要求しながら「障害者のセックスも人権」と言われると「もともとそういう商売は誰にとっても道徳的にどうなんだ」といいたくなる。障害者もクソもないだろう、セックスは神聖なものじゃないのという話もあるわけで。自慰行為ができないから手伝ってくれというのもギリギリ理解できるが、国の税金を使ってまで?と思ってしまう。自慰行為を税金で…いかにもいかがわしい臭いがするが「差別」とか「人権」とか持ちだされると適切な言葉は浮かばないが、私の個人的な「正義」感が性にお金を介在させるのはなんとなく「ダメ」だと言っている気がする。もともと性というものじたいがそういう取扱い方をされるテーマだからだと思う。誰しもなんかしらの特徴なり個性なりハンディなり不平等なりを抱えて生まれてくるものだが、恋愛や性というものにおいてはあくまで個人の自由なような気がする。そこに国のなんたらが関ってくること自体が気味悪い。生活保護という制度は最低限の生活を保障する、でも「性」というものはそこに含まれるんだろうか?そんなものまで認めていいんだろうか?売春まで認めたことにならないか?いずれにしても「性」の問題はデリケートだ。性というものにどこまで人権が保障されるのか。障害者だけに偏る人権であってもいけないし、難しい。
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単なる性的な欲求の解放だけを求めているならば(簡単に言うと自慰行為のお手伝い)、男でも女でもおじさんでもおばさんでもいいはずなのです。それが、「若い女がいい」というところには、何かしらの付加感情とか付加欲求があるはずなのです。しかし、それが「今までタブー視されてきた障害者の性の人権のことだから」とうやむやにされている。そういう感じがした。「障害者だって性的欲求があるはずだ!健常な男性と同じように、その欲求を解消する権利があるはずだ!」と声高に叫ぶことはまあ意味があるとは思うのですが、その先が問題だと。障害者だからということで免除されているなにかもやもやとしたものが、ある、気が。