【感想】
コロナの罹患者を乗せたダイヤモンド・プリンセス号が横浜港に到着したのが2020年2月3日。あまりに急なコロナの襲来に、政府は慣れない対応に追われ、国民は不安と恐怖に駆られることとなった。
しかしそれからわずか数日後に、コロナ対策のためのアドバイザリーボードが厚労省内に設立された。WHOでSARS対策に携わった押谷、同じくSARS蔓延時にWHO西太平洋事務局長として指揮をふるった尾身など、感染症対策の専門家たちが厚労省から依頼を受け、アドバイザーとして組織を結成したのである。その後、このアドバイザリーボードの委員たち数十名が、そのまま内閣官房下の「新型コロナウイルス感染症対策専門家会議」に移ることとなった。これがコロナ初期に「3密」「最低7割、極力8割」という明確な言葉で国民に行動を促した「専門家会議」であった。
自分も本書を読むまで勘違いしていたのだが、専門家会議はあくまで「アドバイザー」としての立場であり、実際の政策立案にはタッチしない方針だったという。首相会見の際に、専門家会議代表として尾身氏が横で解説をしていたため、てっきり立案にまでガッツリ関わっていると思っていたのだが、実際にはテーブルを異にしていたらしい。
だが結果として、専門家会議は政府を越えて「前のめり」に情報を発信していくことになる。
その理由のひとつが、政府の対応の遅れだ。当然のことだが、専門家会議はあくまで「感染症対策」のみを目的とした組織であり、政府にその旨を助言するのだが、政府は財政・経済対策を念頭において公衆衛生政策のアクセルを踏まなければならない。必然的に関係各所への根回しが連鎖的に発生しうるため、緊急対策を講じたくても時間がかかってしまう。また、他政策との兼ね合い上、専門家会議の提案を100%飲むのではなく、実現可能なものとしてマイルドに修正する必要もある。そのため、どうしても専門家会議からしてみれば「遅く・弱く」なる。こうした事情を裏に抱えながらも、専門家会議は見解を国民に伝え続けたため、専門家会議がイニシアチブを取るように見える構図が出来上がってしまったのだ。
それならば政府が強く専門家会議を主導してまとめ役になればいいのでは、と思えてしまうが、実際には政府がリーダーシップを発揮しなかったのである。
例えば、専門家会議が「密閉・密集・密接」を避ける「3密対策」の見解を出したときのこと。その3日後の2月27日、安倍首相は突如「3月2日から春休みまでの全国一斉休校の要請」を宣言した。これは完全に寝耳に水であり、構成員の誰も聞かされていなかった。そもそも専門家会議の勉強会で「エビデンスが無い」と見送られた話である。
構成員の武藤は、「自分たちが前に出て、予想以上に目立ってしまった。そのことで、政治家が専門家を出し抜くようなイニシアチブを取ろうとする引き金になってしまったのではないか」と話している。要は政治的な面子を守るための争いの引き金になってしまった、というわけだ。
専門家会議の正しいあり方としては、科学的見地をもとに政府に有効性のあるアドバイスを行い、政府はそれを比較検討したうえで実効性のある政策を打ち出すことである。だが、そうした科学的なデータを無視して政治家の思惑に沿うようアドバイスを組み替えてしまっては、政策に一貫性が無くなってしまう。
また、このように専門家会議に諮らずに物事を進める場合もあれば、専門家会議が出した案について修正を求める行為も頻繁に発生していた。
例えば医療逼迫による人工呼吸器不足の試算について、厚労省は内容を削ってほしいと言い、専門家は譲れないと言う攻防が繰り広げられている。
内容をかいつまんで説明すると、大規模流行時に重篤患者数が増加すると、地域の人工呼吸器の数が足りなくなってしまうことが想定されていた。専門家会議が作成した図には、国内の10万人あたりの使用可能な人工呼吸器台数が赤実線で示されていた。
この赤実線について厚労省は「こんなものは入れる必要はない。入れてどうするんだ」と言い、西浦らクラスター対策班のメンバーは、事実だから書くべきだと反論する。厚労省は「それがわかったからどうなるんだ」と応じなかったという。
両者のスタンスが食い違うのは、官僚組織側は説明責任を負っているからだ。極端な話、役所は「本当にそうと言えるのか」と詰められ続けてしまえば、9割がた「そうなる」と思っていても、残りの1割の不確定要素を無視できずに「そうなる」とは言えなくなる。赤実線は資料の解像度を上げるためのデータであるのだが、不確定要素をわざわざ入れるのはリスクにつながる。かつ、赤実線が示されたところで呼吸器を増台する方法がなければ、いたずらに国民の不安を煽るだけだ。
確実なデータが揃ったうえでの意思決定でない限りは、国会で詰められる原因となってしまう。しかし、コロナという未曽有の事態に際して「確実」などあるわけがない。加えてサイエンスは失敗が前提であり、新しい知見が出てくれば、前のものは間違っていたとしてアップデートを繰り返しながら確度を上げていく分野である。
間違うことができない官僚組織と、最善を尽くしても間違うことが前提となる専門家の間の溝が、両者を一組織としてまとめることを困難にしていたのだった。
尾身「政治家は自分たちでリーダーシップを発揮したいという思いが当然あるに違いない。そもそも政府と専門家の意見が違うことがあっても当然だ。政治家に求められるのは、専門家の意見を聞いたうえで、最終的に国の責任で判断してくれることである。ただ、今回課題として残ったのは、ある場合には専門家に意見を聞いて、ある時は聞かないで決めてしまうという、一貫性の欠如だ」
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以上が本書の大まかなまとめである。
読んだ感想だが、抜群のノンフィクションだった。当時のコロナ対応の実態を知れるだけでなく、国と専門家との間のズレ・食い違いを余すとこなく描いた暴露本、としての読み方もできて非常に面白い。
本書が刊行されたのは2021年4月のコロナ第4波中だが、コロナ禍が終わったあとの今だからこそ、答え合わせのように俯瞰的に読むことができる。是非オススメの一冊だ。
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【まとめ】
1 義勇軍の設立
2020年2月初旬、未知のウイルスに感染した乗客の存在が判明したダイヤモンド・プリンセス号が、横浜沖に停泊させられたまま、乗客や乗員、医療関係者に感染を拡大させていた。
その恐怖の最中の2月16日、突如出現したかに見えた専門家会議は頻繁に独自の「見解」や「状況分析・提言」を出し、記者会見をして注目を浴びた。
専門家会議委員の押谷は、前向きの接触者調査――確認された感染者の濃厚接触者を探し出して徹底的に検査し隔離する対策――を行っても感染者が出てこないことに注目する。その時に、押谷はこのウイルスの重要な特徴――多くの人は誰にも感染させないが、例外的に1人が多数に感染させる例――がある可能性に気づいた。ということは、多くの人に感染させる集団(クラスター)を起こさないようにすることが流行を抑える鍵となる。
2月24日19時、専門家会議の見解が報道解禁され、「密閉・密集・密接」を避ける3密対策の原型が盛り込まれた。この日を境に、専門家会議は政府に対する助言組織を超え、「専門家会議」という新たな固有名詞を獲得し、のちにそのイメージは実態を離れてひとり歩きし始めることになる。
発表を重ねるうちに、専門家が対策を助言しているのではなく、決定しているかのような誤解が広がっていく。政府の政策決定プロセスが見えず、さらに専門家会議の議事録が公開されないこともあり、自分たちの命に関わる重要な決定から疎外された思いを感じ始める人も増えていった。そして本来は対策を決定する立場にない専門家会議が、批判の矢面に立たされることになっていく。
2 クラスター対策
押谷は、クラスターを見つけ出してその連鎖を止めるという対策を考案する。
押谷「このウイルスは完全に制圧することは困難です。ゼロにできない以上、ウイルスが多少社会の中で伝播していくことも許容しなければならない。一番の問題は、木を見て森を見ないことです。大きなクラスターを起こさなければ、多くの感染連鎖は自然に消えていく」
専門家会議が独自の見解を出した3日後の2月27日、安倍首相は国務大臣で構成する新型コロナウイルス感染症対策本部の会合の最後に、「全国すべての小学校、中学校、高等学校、特別支援学校について、来週3月2日から春休みまで、臨時休業を行うよう要請します」と述べた。
それまでに行われた専門家会議の勉強会でも学校休校については幾度も議論されてきたが、科学的なエビデンスがないとして、休校に賛成する構成員はいなかった。政府決定はあまりに急な方針転換であり、専門家会議の構成員は誰も知らされてなかった。
武藤は、「自分たちが前に出て、予想以上に目立ってしまった。そのことで、政治家が専門家を出し抜くようなイニシアチブを取ろうとする引き金になり、一斉休校につながってしまったのだとしたら、これからの政治と科学の関係は非常に難しくなる」
2月14日、札幌市で道内初の国内感染事例が判明し、道内の広範囲で感染源のわからない感染者が報告されていた。もはやクラスター対策だけでは流行を制御できないかもしれない。この病原菌の難しさが再認識された。
3月2日、専門家会議が北海道の分析を中心とした2度目の見解を出す。
〈この一両日中に北海道などのデータの分析から明らかになってきたことは、症状の軽い人も、気がつかないうちに、感染拡大に重要な役割を果たしてしまっていると考えられることです〉
最初の版では、「無症状」という言葉が入っていた。前回2月24日の見解では、専門家は「無症状」の文言を厚労省から外すよう指示され、いったんは削られたものの、最終的には復活したという紆余曲折があった。その無症状者からの感染について、厚労省は再び削除するようにと強く主張したのだ。
このことについて尾身は悩んでいた。科学的に見れば、この1週間あまりの間で無症状者が感染させるという見立てが変わったわけではない。無症状者からの感染は文書に入れたほうがいいという考えに揺るぎはなかった。
だが、厚労省は「国民が不安になる。さらにそれを国民に伝えたところで何かできるわけではない」と譲らなかった。
最終的には、感染現場である北海道の知事から「無症状という表現は外して欲しい」との要望があり、見送った。
もしも厚労省からの要望だけであったら、説得を試み続けたであろう。だが、現場からやめてほしいという声が強くあるまま強行突破すると、専門家と自治体との信頼関係が崩れてしまう。専門家の立場だけでなく、「感染症対策全体」のマネジメントを考えての決断だった。
3 感染拡大
WHOは3月11日、ついに世界的流行を認め、パンデミック宣言を発した。
日本政府の水際対策は遅れを取っていたため、押谷は渡航者に14日間の健康観察を行うことを進言する。専門家会議の構成員から出た意見をまとめ、「厚生労働省への要望」として提出した。しかし、厚労省からのメールで、指定された地域についていくつも修正が加えられる形となった。データも無しに特定の国が危ないと書くと、外交問題に発展する可能性があるからだ。
3日を争って緊急で取りまとめた「要望」だったが、ヨーロッパからの帰国者・入国者について2週間の待機が開始されたのは3月21日からとなった。さらに指定された地域以外全世界からの健康観察が行われたのは4月3日になってからだ。このタイムラグが感染拡大の一端になったと脇田は考えている。
「実際に対策がとられるまでに2週間ほどかかってしまったところは、自分の押しが弱かったところだと思っています。要望を出したあとに、もっと強く言わなければいけなかった。出すだけで満足してしまった部分があったのかもしれない」
それにしても市民に対する「見解」ならまだしも、厚労省に対する「要望」までも役所が事前に細かくチェックしたり、書き換えたりするのはなぜか。
齋藤「専門家の文章はそのまま政策には使えないこともあります。どうしても実際の政策に反映するには脇が甘いところがあります。論理的に見えて、情緒的なところもある。それがベストな解なのか、断言することで他の選択肢がなくなることもありえます。一方、役人の文章はできないことを隠しがちです。こうやって解決しろと書かれても、現実的にはできないことがいっぱいある。たとえば専門家会議など役所に近いところのクレジットで文章が出ると、メディアや国会からはなぜできないんだと責められ、その説明に追われて、本来やるべき対策ができなくなることを役所は懸念しています」
「『本当にそう言えるの?』と突き詰めていったら、8割方そうなるという見解すらも、エビデンスがないと役所としては出すことができなくなります。感染症の初期はエビデンスが十分にない一番難しいフェーズなので、躊躇なくスピード感をもって対策を行う必要がある。専門家といえど、政府の対策本部のもとに設置されている以上、まったく整合性がとれないことが書かれても困るのです」
4 緊急事態宣言発出
3月の3連休後、コロナ疑いの発熱相談外来の患者数が増え、重症患者の数も増大していた。3月下旬になると患者は病院からあふれる一歩手前になっていた。
日本医師会は、医療と医療従事者を守るために、専門家会議よりもさらに一歩前のめりであった。
日本医師会常任理事であり専門家会議構成員でもある釜苞は、3月30日に行われた日本医師会の記者会見で緊急事態宣言について、「爆発的に患者が増えてから出しても手遅れ。もう発出していただいたほうがよいという意見が専門家会議ではほとんどだ」と話した。専門家会議の構成員からは、「専門家会議の意見として正式発表する前に話されては困る」という批難があがった。しかし、前のめりにならざるをえないほどに、日本医師会には各地の医師会から医療逼迫の声が集まっていたのは事実である。
3月28日には、西村大臣と安倍首相の間で緊急事態宣言を出すことがすでに話し合われていた。残りはいつ発出するかだった。
4月5日、西村は尾身、押谷、西浦と緊急事態宣言に向けた非公式の話し合いの場をもった。西村にとって、この話し合いで一番印象に残っているのは、5日午前に西浦から示された、人と人との接触の「8割削減」についてであったと話す。
「8割の接触削減をするのは世の中の人にとって相当厳しいんじゃないか」と西村は思った。「しかもどうやって削減するのか個々人にはわかりにくい面もある。ただし7割削減では感染が収まるまでにもっと長い時間がかかるという話を聞きました。その後すぐに安倍総理と相談して、『専門家はこう言っているが、どうしましょうか』と話し合いました」
対して安倍首相は「8割では国民の理解が得られない」と反発。そこで『最低7割、極力8割』という言葉が採用された。
4月7日10時から基本的対処方針等諮問委員会が開かれ、緊急事態宣言が東京、埼玉、千葉、神奈川、大阪、兵庫、福岡の7都府県で5月6日まで発出されることが了承された。
小池都知事は3月25日に記者会見で「感染爆発重大局面」というパネルを掲げ、「ロックダウン」を防ぐために不要不急の外出を自粛するように呼びかけた。小池都知事の発言に対し西村大臣は、「都知事がロックダウンという言葉を使ったので、都市封鎖との混同ではないと誤解を解くために緊急事態宣言発出が遅れた」と言う。
だが、これに対して小池は「専門家が発信している言葉を引用しているだけ」と反論し、「物事は大きく捉え、明確なメッセージを出さなくてはならないのです」と自説を述べた。
尾身は言う。「サイエンスというのは失敗が前提。新しい知見が出てくれば、前のものは間違っていたということになる。そういう積み重ねが科学であり、さらに公衆衛生はエビデンスが出揃う前に経験や直感、論理で動かざるをえない部分がある。一方で役所は間違わない、間違いたくないという気持ちが強かった」
対して厚労省の正林は、このように説明する。
「一般論として役所には無謬性の原則はあります。ただ、緊急対応でやっていることに100パーセントはないでしょう。でもそういうことを言うと、国民がつらい思いをしているのに役人は怠けていると言われることもある。できるだけ間違わないように力を注ぎ、そして実効性があるように専門家と意見調整を行ったところはあります」
無謬性を背負う官僚組織と、最善を尽くしても間違うことが前提となる専門家の間の溝は、埋まることはなかった。
5 PCR検査拡大の是非と緊急事態宣言解除
緊急事態宣言が発出されてから、専門家会議に対する批判は日に日に高まっていた。それまでは未知の感染症に対して、科学的知見を発信する専門家会議に対する信頼感は大きかった。だが、いったん緊急事態宣言という大きなハンマーが打たれたあとは、外出自粛や休業要請など苦しい生活を強いられる人たちが増え、純粋に感染症のことだけを考えるわけにはいかなくなり、感染症対策と経済の両立が必要だという空気に変わっていった。
尾身含む専門家会議の構成員はPCR検査の拡大に肯定的であった。しかし、政府や都道府県のPCR検査の拡充は遅れている。市民の行動変容も進んでいない。そこで人々の意識を変えるために、4月15日、厚労省の記者会見室で西浦が中心となり、人と人との接触機会を減らす対策をやった場合とやらなかった場合の推計値を発表した。
「対策をまったくとらなければ、国内で約85万人が重症化し、その約半分が死亡する恐れがある」
押谷はこの件について「あの数字は言うべきじゃなかった」と述べている。
実は押谷は、このころ過労で入院している。押谷はPCR検査の拡大に否定的な立場であった。NHKスペシャルなどに連続出演した際に自らの意見を発表すると、「検査をしなかったことで感染が広がった」という批判が殺到するようになった。これが過労の一因であった。
結果的に緊急事態宣言は5月31日まで延長されることになるが、専門家会議の勉強会では緊急事態宣言の評価について激論があった。
延長をめぐって、政府から宣言の効果を検証したいという強い要望があった。だが、データ分析を行ってきた西浦は、今見ているデータは2週間前の感染状況を反映しているだけで、宣言期間内の最初の頃しかわからず、十分に目標を達成したか判断できないと主張していた。
対して尾身は、「エビデンスがないのはわかる。しかし、市民に理解してもらうためにはある程度方向性を示さなければならない。それには今までの常識や直感に基づいた何かしらのデータが必要だ』と西浦に猛反発した。
緊急事態宣言終了に向け、政府から出口戦略の考案について専門家会議に依頼があった。
尾身はクラスター対策班の鈴木に「どこまで感染者数が下がれば、クラスター対策ができるのか」と詰め寄った。鈴木は苦渋の表情でこう言った。「(10万人に対して)0.5です」
0.5なら本当にいいのかなんて誰にもわからない。しかし、大まかな解除基準を示さないと前に進まない。全国一律の数字を決める妥当性、ゼロコロナシフトへの切り替えの是非、緊急事態宣言の延長……、喧々諤々の議論が交わされた。
5月10日、尾身は官邸に行きこの数字を打診したが、政府からは「厳しすぎる」との意見があった。そのため最終的には「1週間単位で見て新規報告数が減少傾向にあること」「直近1週間の累積報告数が10万人あたり0.5人程度以下であること」を目安とし、「直近1週間の10万人あたり累積報告が、1人程度以下の場合には、減少傾向を確認し、特定のクラスターや院内感染の発生状況、感染経路不明の症例の発生状況についても考慮」すると決定。その後、諮問委員会の承諾を得て、北海道、埼玉、千葉、東京、神奈川、京都、大阪、兵庫の8都道府県を除く、39県を緊急事態宣言の対象区域から解除した。
6 専門家会議の解散
緊急事態宣言発出後から、専門家会議のメンバーは批判の矢面に立たされることが多くなった。構成員であり弁護人の中山は「弁護士でありながら専門家の暴走を止められなかった」として民事訴訟を起こされ、尾身は殺害脅迫を受け警察による警護がついている。脅迫状は他の専門家たちのもとにも届いた。
武藤は言う。「今まで新しい生活様式など専門家会議の発言が世の中から怒られたり、国会でも野党から追及されたり、なんで自分たちはこんなに責め続けられないといけないんだろうとずっと思っていました。でもこの論考を読んで、政府が頼りないから専門家が前のめりにならざるをえなかった、専門家が政府の責任を負わされたことに気づきました」
そこで武藤は牧原と一緒に、法的根拠のない専門家会議を解散し、特措法の下に新たな会議体を組織すべきという案を専門家会議に提出した。
5月25日、緊急事態宣言解除の際に安倍は尾身と共に会見を行い、「世界的にも極めて厳しいレベルで定めた解除基準を、全国的にクリアした」として、こう高らかに宣言した。
「我が国では、緊急事態を宣言しても、罰則を伴う強制的な外出規制などを実施することはできません。それでも、そうした日本ならではのやり方で、わず1カ月半で、今回の流行をほぼ収束させることができました。まさに、日本モデルの力を示したと思います」
たびたび首相会見に同席して発言してきた尾身だったが、牧原は「首相と一緒に会見をやらないほうがいい」と尾身に進言していた。
押谷は尾身に言う。
「尾身さんが役職を務めたWHOのRD(地域事務局長)はいわば総理のような役割。だから決定した事項に関してその理由を説明する義務があるが、今の立場では尾身さんは説明してはいけなかった。10万人あたり0.5人という算出基準は何かといった技術的なことはいいですが、尾身さんが総理に代わってなぜ○0.5人を選んだかということは説明してはいけないんです」
押谷はこのように考えていた。
「専門家が人の命に関わること、亡くなるのが100人なのか、1万人なのかという分かれ目にあるような決定をしてはいけない。僕らは選挙で選ばれたわけではない。そんな突然集まってきた専門家が人の命を預かって、政策を決めるような国のあり方っておかしいでしょう」
それまで尾身は自分が「前のめり」だとも思っていなかった。だが、WHOのRDの時には当然だった説明を行うだけで、専門家が責められることにも気づいていた。
尾身はふと我に返ったかのように笑った。
「WHOの時の癖が抜けなかったかもしれない」
解散・改組の理由を述べた「次なる波に備えた専門家助言組織のあり方について」という文章、いわゆる「卒業論文」を専門家会議が出したのが6月24日だった。
会見で脇田が、これまでの専門家会議の活動から見えた課題を説明した。
「本来であれば、専門家会議は医学的見地から助言等を行い、政府は専門家会議の提言を参考としつつ、政策の決定を行うものであるが、外から見るとわかりにくくなっていたのではないか。また、専門家による情報発信においても、あたかも専門家会議が政策を決定しているような印象を与えていたのではないかと考えます」
政府への提案としては、次の感染拡大に備え、専門家助言組織の責任範囲と役割を明確にする必要があること、政府のリスクコミュニケーションのあり方の検討、倫理的・法制度的・社会的課題など感染症対策の推進を通じて副次的に起こりうる問題を先取りして議論すべきだと話した。
尾身のもとには「卒論」会見後、「前のめりだなんて自分を卑下することを言わず、使命感をもって積極的にやりましたと言えばいいじゃないですか」と幾人もから連絡があったという。
尾身「でも私は前のめりだったと認めたほうがいいと思いました。自分たちのことは反省せずに、政府への批判ばかり言っていたら自画自賛だと思われる。我々も完璧ではない、反省すべきところは改めていくと伝えたかった」
専門家会議の特徴は、この反省すべきは反省できるという点ではないだろうか。間違ってはいけないと考える政治や行政とはそこが大きく異なっていたのだ。