河合香織のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
なんともう6年も前の出来事になってしまったのか、という思いと、遠い過去のように思えるような気分の間で読んだ。
当時、職場の国際課に籍を置いていた私は、年明けすぐ位には中国で新たな感染症が出たらしいよ、といううわさは聞いていた。
国際会議の準備に追われるなか、「誰かブレーキ踏んで!(国際会議を中止にして)」と思っていたのは事実だけど、でもここまで大きな出来事になるとは思っていなかった。
連日行われる閣僚会議というのか、各省のコロナ対策報告の資料がその都度送られてきていたが、気になるのは外務省や国交省の報告が先で、厚労省などは最後の方にちょろっと出てくるだけだったこと。
当初は水際で食い止めることこそが唯一の方針だったとしても、省庁の序列順の発表というのは部外者には違和感が残った。
コロナ対策専門家会議は、国の機関ではない。
感染症対策の専門家たちが、自主的に立ち上げた組織だ。
法的権限は何もない。
ただ、政府に提言し、政策の根拠としてほしいと。
けれど内閣の責任、省庁の面子などで、思うように対策を講じることはできなかった。
逆にマスコミの前で発言する専門家たちに対抗するように、政府は彼らに何の相談もなく学校の全国一斉休校や、布マスクの配布を決めた。
そんなことよりもっと優先してほしい政策があるのに。
厚労省に対して発信する文書ですら、厚労省からの書き直し指示(修文)が入る。
理由としては、きつい言い回しは国民が不安になる、やれる保証のないことを書かれては困る、等。
一番矢面に立っていたのは、副座長の尾身茂氏だが、彼は何度も役人や政治家と意見をすり合わせ、どこまでできるのか、何は譲れないのかを伝えあった。
が、「なぜ国民の暮らしに制限をかけるのか」「どんな権利があってそれをするのか」と、不平不満は彼のもとに集まる。
本来は政府が責任をもって主導していかなければならないのに、なぜ一個人が叩かれる?
尾身氏はWHO西太平洋地域事務局長としてSARS制圧をした時に、記者会見等の質疑応答に答えていた経験があるので、マスコミの前に出ることに疑問を持たなかったのだそうだ。
しかしWHO時代は責任者として行っていたことで、コロナに関しては内閣か厚労省が前に出なくてはダメだったと思う。
現在、後手に回ってしまった失敗は全て彼らの責任としてケリをつけられているような気がする。
また、緊急時であり個人情報も含まれるということで議事録の開示もままならなかったときに、モリカケ問題や『桜を見る会』などの安倍政権の文書改竄と同じ扱いを受け批判の対象になったという無念。
命懸けで、コロナの拡大を防ごうとした人たちへの評価が、低すぎるのではないかという思いが強くした。 -
Posted by ブクログ
本書の終盤、被告の弁護士が取材に答えている。
「人が生きること、死ぬことは本来法律が決めるものなのか?生命倫理や宗教が決めることでしょう」
これはわかる話である。法の論理と生命の倫理は相性が悪い。なんらかの法があるとして、必ずそれでは救われない者が現れる。法は決定をするからだ。勝訴、敗訴というが、ふつうに考えれば負けた者は救われない。なにかを決定するということは必ず暴力性を伴ってしまう。
そして、生命の倫理は決定との相性がすこぶる悪い。Aは生かしていいがBは殺してよい、などという決定はすべきではないし、少なくとも倫理的には不可能な決定である。
しかし、出生前診断で障害を持った子を妊娠していることが判明した場合、産むか中絶するか、という二択を迫られる。(なお、現実的には出生前診断はダウン症の判定に使われることが多く、そうだとわかればほとんどが中絶を選ぶそうである。)倫理的には不可能な決定を、そう少なくない数の人々が迫られているということだ。
本書は、その裁判の当事者らだけでなく、さまざまな立場から多角的に書かれている。その代わり、著者の考える結論は書かれていない。当然ながら自分も結論は出せない。この手のことは、裁判の判決文に則ると「極めて高度に個人的な事情や価値観を踏まえた決断」であり、一概にどちらが正しいとはいえないものである。
ただひとついえるとすれば、どのような決定をするにせよ、その決定には責任が伴うことは間違いない。責任=responsibilityというのは、語源を遡れば応答する能力ということだが、本書に出てくるさまざまな立場のひとびとの応答を読んでいると、それだけで彼女らの決定に対する責任は充分に果たしているように思える。 -
Posted by ブクログ
知らない世界を知る。
読書の魅力が詰まった一冊だった。
身体障害者、知的障害者の性という
一昔前までタブー視された課題に踏み込んだ傑作だと思う。
身の回りにいないから、知らない。分からない。
考えたこともない。無知なことが本当恥ずかしかった。
障害者も健常者と同じように、性欲がある。
人を好きになる。結婚をする。子供を産む。
どこか特別で、難しいことなのではと思ってしまうが、障害者や介助者は、当たり前のこととして、難しく考えない。
生きるとは性と向き合うこと、
性と向き合うとは生きることなんだと考えさせられた。
本が発売されたのは20年以上前で、
今とは状況が変わり、障害者の性に対する介助も前よりは充実し、理解されていると思うが、
周知はされてないとは思う。
福祉を考える上で、より広く知られて欲しいと
読後に切に想う。 -
Posted by ブクログ
【感想】
コロナの罹患者を乗せたダイヤモンド・プリンセス号が横浜港に到着したのが2020年2月3日。あまりに急なコロナの襲来に、政府は慣れない対応に追われ、国民は不安と恐怖に駆られることとなった。
しかしそれからわずか数日後に、コロナ対策のためのアドバイザリーボードが厚労省内に設立された。WHOでSARS対策に携わった押谷、同じくSARS蔓延時にWHO西太平洋事務局長として指揮をふるった尾身など、感染症対策の専門家たちが厚労省から依頼を受け、アドバイザーとして組織を結成したのである。その後、このアドバイザリーボードの委員たち数十名が、そのまま内閣官房下の「新型コロナウイルス感染症対策専門家会議」に移ることとなった。これがコロナ初期に「3密」「最低7割、極力8割」という明確な言葉で国民に行動を促した「専門家会議」であった。
自分も本書を読むまで勘違いしていたのだが、専門家会議はあくまで「アドバイザー」としての立場であり、実際の政策立案にはタッチしない方針だったという。首相会見の際に、専門家会議代表として尾身氏が横で解説をしていたため、てっきり立案にまでガッツリ関わっていると思っていたのだが、実際にはテーブルを異にしていたらしい。
だが結果として、専門家会議は政府を越えて「前のめり」に情報を発信していくことになる。
その理由のひとつが、政府の対応の遅れだ。当然のことだが、専門家会議はあくまで「感染症対策」のみを目的とした組織であり、政府にその旨を助言するのだが、政府は財政・経済対策を念頭において公衆衛生政策のアクセルを踏まなければならない。必然的に関係各所への根回しが連鎖的に発生しうるため、緊急対策を講じたくても時間がかかってしまう。また、他政策との兼ね合い上、専門家会議の提案を100%飲むのではなく、実現可能なものとしてマイルドに修正する必要もある。そのため、どうしても専門家会議からしてみれば「遅く・弱く」なる。こうした事情を裏に抱えながらも、専門家会議は見解を国民に伝え続けたため、専門家会議がイニシアチブを取るように見える構図が出来上がってしまったのだ。
それならば政府が強く専門家会議を主導してまとめ役になればいいのでは、と思えてしまうが、実際には政府がリーダーシップを発揮しなかったのである。
例えば、専門家会議が「密閉・密集・密接」を避ける「3密対策」の見解を出したときのこと。その3日後の2月27日、安倍首相は突如「3月2日から春休みまでの全国一斉休校の要請」を宣言した。これは完全に寝耳に水であり、構成員の誰も聞かされていなかった。そもそも専門家会議の勉強会で「エビデンスが無い」と見送られた話である。
構成員の武藤は、「自分たちが前に出て、予想以上に目立ってしまった。そのことで、政治家が専門家を出し抜くようなイニシアチブを取ろうとする引き金になってしまったのではないか」と話している。要は政治的な面子を守るための争いの引き金になってしまった、というわけだ。
専門家会議の正しいあり方としては、科学的見地をもとに政府に有効性のあるアドバイスを行い、政府はそれを比較検討したうえで実効性のある政策を打ち出すことである。だが、そうした科学的なデータを無視して政治家の思惑に沿うようアドバイスを組み替えてしまっては、政策に一貫性が無くなってしまう。
また、このように専門家会議に諮らずに物事を進める場合もあれば、専門家会議が出した案について修正を求める行為も頻繁に発生していた。
例えば医療逼迫による人工呼吸器不足の試算について、厚労省は内容を削ってほしいと言い、専門家は譲れないと言う攻防が繰り広げられている。
内容をかいつまんで説明すると、大規模流行時に重篤患者数が増加すると、地域の人工呼吸器の数が足りなくなってしまうことが想定されていた。専門家会議が作成した図には、国内の10万人あたりの使用可能な人工呼吸器台数が赤実線で示されていた。
この赤実線について厚労省は「こんなものは入れる必要はない。入れてどうするんだ」と言い、西浦らクラスター対策班のメンバーは、事実だから書くべきだと反論する。厚労省は「それがわかったからどうなるんだ」と応じなかったという。
両者のスタンスが食い違うのは、官僚組織側は説明責任を負っているからだ。極端な話、役所は「本当にそうと言えるのか」と詰められ続けてしまえば、9割がた「そうなる」と思っていても、残りの1割の不確定要素を無視できずに「そうなる」とは言えなくなる。赤実線は資料の解像度を上げるためのデータであるのだが、不確定要素をわざわざ入れるのはリスクにつながる。かつ、赤実線が示されたところで呼吸器を増台する方法がなければ、いたずらに国民の不安を煽るだけだ。
確実なデータが揃ったうえでの意思決定でない限りは、国会で詰められる原因となってしまう。しかし、コロナという未曽有の事態に際して「確実」などあるわけがない。加えてサイエンスは失敗が前提であり、新しい知見が出てくれば、前のものは間違っていたとしてアップデートを繰り返しながら確度を上げていく分野である。
間違うことができない官僚組織と、最善を尽くしても間違うことが前提となる専門家の間の溝が、両者を一組織としてまとめることを困難にしていたのだった。
尾身「政治家は自分たちでリーダーシップを発揮したいという思いが当然あるに違いない。そもそも政府と専門家の意見が違うことがあっても当然だ。政治家に求められるのは、専門家の意見を聞いたうえで、最終的に国の責任で判断してくれることである。ただ、今回課題として残ったのは、ある場合には専門家に意見を聞いて、ある時は聞かないで決めてしまうという、一貫性の欠如だ」
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以上が本書の大まかなまとめである。
読んだ感想だが、抜群のノンフィクションだった。当時のコロナ対応の実態を知れるだけでなく、国と専門家との間のズレ・食い違いを余すとこなく描いた暴露本、としての読み方もできて非常に面白い。
本書が刊行されたのは2021年4月のコロナ第4波中だが、コロナ禍が終わったあとの今だからこそ、答え合わせのように俯瞰的に読むことができる。是非オススメの一冊だ。
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【まとめ】
1 義勇軍の設立
2020年2月初旬、未知のウイルスに感染した乗客の存在が判明したダイヤモンド・プリンセス号が、横浜沖に停泊させられたまま、乗客や乗員、医療関係者に感染を拡大させていた。
その恐怖の最中の2月16日、突如出現したかに見えた専門家会議は頻繁に独自の「見解」や「状況分析・提言」を出し、記者会見をして注目を浴びた。
専門家会議委員の押谷は、前向きの接触者調査――確認された感染者の濃厚接触者を探し出して徹底的に検査し隔離する対策――を行っても感染者が出てこないことに注目する。その時に、押谷はこのウイルスの重要な特徴――多くの人は誰にも感染させないが、例外的に1人が多数に感染させる例――がある可能性に気づいた。ということは、多くの人に感染させる集団(クラスター)を起こさないようにすることが流行を抑える鍵となる。
2月24日19時、専門家会議の見解が報道解禁され、「密閉・密集・密接」を避ける3密対策の原型が盛り込まれた。この日を境に、専門家会議は政府に対する助言組織を超え、「専門家会議」という新たな固有名詞を獲得し、のちにそのイメージは実態を離れてひとり歩きし始めることになる。
発表を重ねるうちに、専門家が対策を助言しているのではなく、決定しているかのような誤解が広がっていく。政府の政策決定プロセスが見えず、さらに専門家会議の議事録が公開されないこともあり、自分たちの命に関わる重要な決定から疎外された思いを感じ始める人も増えていった。そして本来は対策を決定する立場にない専門家会議が、批判の矢面に立たされることになっていく。
2 クラスター対策
押谷は、クラスターを見つけ出してその連鎖を止めるという対策を考案する。
押谷「このウイルスは完全に制圧することは困難です。ゼロにできない以上、ウイルスが多少社会の中で伝播していくことも許容しなければならない。一番の問題は、木を見て森を見ないことです。大きなクラスターを起こさなければ、多くの感染連鎖は自然に消えていく」
専門家会議が独自の見解を出した3日後の2月27日、安倍首相は国務大臣で構成する新型コロナウイルス感染症対策本部の会合の最後に、「全国すべての小学校、中学校、高等学校、特別支援学校について、来週3月2日から春休みまで、臨時休業を行うよう要請します」と述べた。
それまでに行われた専門家会議の勉強会でも学校休校については幾度も議論されてきたが、科学的なエビデンスがないとして、休校に賛成する構成員はいなかった。政府決定はあまりに急な方針転換であり、専門家会議の構成員は誰も知らされてなかった。
武藤は、「自分たちが前に出て、予想以上に目立ってしまった。そのことで、政治家が専門家を出し抜くようなイニシアチブを取ろうとする引き金になり、一斉休校につながってしまったのだとしたら、これからの政治と科学の関係は非常に難しくなる」
2月14日、札幌市で道内初の国内感染事例が判明し、道内の広範囲で感染源のわからない感染者が報告されていた。もはやクラスター対策だけでは流行を制御できないかもしれない。この病原菌の難しさが再認識された。
3月2日、専門家会議が北海道の分析を中心とした2度目の見解を出す。
〈この一両日中に北海道などのデータの分析から明らかになってきたことは、症状の軽い人も、気がつかないうちに、感染拡大に重要な役割を果たしてしまっていると考えられることです〉
最初の版では、「無症状」という言葉が入っていた。前回2月24日の見解では、専門家は「無症状」の文言を厚労省から外すよう指示され、いったんは削られたものの、最終的には復活したという紆余曲折があった。その無症状者からの感染について、厚労省は再び削除するようにと強く主張したのだ。
このことについて尾身は悩んでいた。科学的に見れば、この1週間あまりの間で無症状者が感染させるという見立てが変わったわけではない。無症状者からの感染は文書に入れたほうがいいという考えに揺るぎはなかった。
だが、厚労省は「国民が不安になる。さらにそれを国民に伝えたところで何かできるわけではない」と譲らなかった。
最終的には、感染現場である北海道の知事から「無症状という表現は外して欲しい」との要望があり、見送った。
もしも厚労省からの要望だけであったら、説得を試み続けたであろう。だが、現場からやめてほしいという声が強くあるまま強行突破すると、専門家と自治体との信頼関係が崩れてしまう。専門家の立場だけでなく、「感染症対策全体」のマネジメントを考えての決断だった。
3 感染拡大
WHOは3月11日、ついに世界的流行を認め、パンデミック宣言を発した。
日本政府の水際対策は遅れを取っていたため、押谷は渡航者に14日間の健康観察を行うことを進言する。専門家会議の構成員から出た意見をまとめ、「厚生労働省への要望」として提出した。しかし、厚労省からのメールで、指定された地域についていくつも修正が加えられる形となった。データも無しに特定の国が危ないと書くと、外交問題に発展する可能性があるからだ。
3日を争って緊急で取りまとめた「要望」だったが、ヨーロッパからの帰国者・入国者について2週間の待機が開始されたのは3月21日からとなった。さらに指定された地域以外全世界からの健康観察が行われたのは4月3日になってからだ。このタイムラグが感染拡大の一端になったと脇田は考えている。
「実際に対策がとられるまでに2週間ほどかかってしまったところは、自分の押しが弱かったところだと思っています。要望を出したあとに、もっと強く言わなければいけなかった。出すだけで満足してしまった部分があったのかもしれない」
それにしても市民に対する「見解」ならまだしも、厚労省に対する「要望」までも役所が事前に細かくチェックしたり、書き換えたりするのはなぜか。
齋藤「専門家の文章はそのまま政策には使えないこともあります。どうしても実際の政策に反映するには脇が甘いところがあります。論理的に見えて、情緒的なところもある。それがベストな解なのか、断言することで他の選択肢がなくなることもありえます。一方、役人の文章はできないことを隠しがちです。こうやって解決しろと書かれても、現実的にはできないことがいっぱいある。たとえば専門家会議など役所に近いところのクレジットで文章が出ると、メディアや国会からはなぜできないんだと責められ、その説明に追われて、本来やるべき対策ができなくなることを役所は懸念しています」
「『本当にそう言えるの?』と突き詰めていったら、8割方そうなるという見解すらも、エビデンスがないと役所としては出すことができなくなります。感染症の初期はエビデンスが十分にない一番難しいフェーズなので、躊躇なくスピード感をもって対策を行う必要がある。専門家といえど、政府の対策本部のもとに設置されている以上、まったく整合性がとれないことが書かれても困るのです」
4 緊急事態宣言発出
3月の3連休後、コロナ疑いの発熱相談外来の患者数が増え、重症患者の数も増大していた。3月下旬になると患者は病院からあふれる一歩手前になっていた。
日本医師会は、医療と医療従事者を守るために、専門家会議よりもさらに一歩前のめりであった。
日本医師会常任理事であり専門家会議構成員でもある釜苞は、3月30日に行われた日本医師会の記者会見で緊急事態宣言について、「爆発的に患者が増えてから出しても手遅れ。もう発出していただいたほうがよいという意見が専門家会議ではほとんどだ」と話した。専門家会議の構成員からは、「専門家会議の意見として正式発表する前に話されては困る」という批難があがった。しかし、前のめりにならざるをえないほどに、日本医師会には各地の医師会から医療逼迫の声が集まっていたのは事実である。
3月28日には、西村大臣と安倍首相の間で緊急事態宣言を出すことがすでに話し合われていた。残りはいつ発出するかだった。
4月5日、西村は尾身、押谷、西浦と緊急事態宣言に向けた非公式の話し合いの場をもった。西村にとって、この話し合いで一番印象に残っているのは、5日午前に西浦から示された、人と人との接触の「8割削減」についてであったと話す。
「8割の接触削減をするのは世の中の人にとって相当厳しいんじゃないか」と西村は思った。「しかもどうやって削減するのか個々人にはわかりにくい面もある。ただし7割削減では感染が収まるまでにもっと長い時間がかかるという話を聞きました。その後すぐに安倍総理と相談して、『専門家はこう言っているが、どうしましょうか』と話し合いました」
対して安倍首相は「8割では国民の理解が得られない」と反発。そこで『最低7割、極力8割』という言葉が採用された。
4月7日10時から基本的対処方針等諮問委員会が開かれ、緊急事態宣言が東京、埼玉、千葉、神奈川、大阪、兵庫、福岡の7都府県で5月6日まで発出されることが了承された。
小池都知事は3月25日に記者会見で「感染爆発重大局面」というパネルを掲げ、「ロックダウン」を防ぐために不要不急の外出を自粛するように呼びかけた。小池都知事の発言に対し西村大臣は、「都知事がロックダウンという言葉を使ったので、都市封鎖との混同ではないと誤解を解くために緊急事態宣言発出が遅れた」と言う。
だが、これに対して小池は「専門家が発信している言葉を引用しているだけ」と反論し、「物事は大きく捉え、明確なメッセージを出さなくてはならないのです」と自説を述べた。
尾身は言う。「サイエンスというのは失敗が前提。新しい知見が出てくれば、前のものは間違っていたということになる。そういう積み重ねが科学であり、さらに公衆衛生はエビデンスが出揃う前に経験や直感、論理で動かざるをえない部分がある。一方で役所は間違わない、間違いたくないという気持ちが強かった」
対して厚労省の正林は、このように説明する。
「一般論として役所には無謬性の原則はあります。ただ、緊急対応でやっていることに100パーセントはないでしょう。でもそういうことを言うと、国民がつらい思いをしているのに役人は怠けていると言われることもある。できるだけ間違わないように力を注ぎ、そして実効性があるように専門家と意見調整を行ったところはあります」
無謬性を背負う官僚組織と、最善を尽くしても間違うことが前提となる専門家の間の溝は、埋まることはなかった。
5 PCR検査拡大の是非と緊急事態宣言解除
緊急事態宣言が発出されてから、専門家会議に対する批判は日に日に高まっていた。それまでは未知の感染症に対して、科学的知見を発信する専門家会議に対する信頼感は大きかった。だが、いったん緊急事態宣言という大きなハンマーが打たれたあとは、外出自粛や休業要請など苦しい生活を強いられる人たちが増え、純粋に感染症のことだけを考えるわけにはいかなくなり、感染症対策と経済の両立が必要だという空気に変わっていった。
尾身含む専門家会議の構成員はPCR検査の拡大に肯定的であった。しかし、政府や都道府県のPCR検査の拡充は遅れている。市民の行動変容も進んでいない。そこで人々の意識を変えるために、4月15日、厚労省の記者会見室で西浦が中心となり、人と人との接触機会を減らす対策をやった場合とやらなかった場合の推計値を発表した。
「対策をまったくとらなければ、国内で約85万人が重症化し、その約半分が死亡する恐れがある」
押谷はこの件について「あの数字は言うべきじゃなかった」と述べている。
実は押谷は、このころ過労で入院している。押谷はPCR検査の拡大に否定的な立場であった。NHKスペシャルなどに連続出演した際に自らの意見を発表すると、「検査をしなかったことで感染が広がった」という批判が殺到するようになった。これが過労の一因であった。
結果的に緊急事態宣言は5月31日まで延長されることになるが、専門家会議の勉強会では緊急事態宣言の評価について激論があった。
延長をめぐって、政府から宣言の効果を検証したいという強い要望があった。だが、データ分析を行ってきた西浦は、今見ているデータは2週間前の感染状況を反映しているだけで、宣言期間内の最初の頃しかわからず、十分に目標を達成したか判断できないと主張していた。
対して尾身は、「エビデンスがないのはわかる。しかし、市民に理解してもらうためにはある程度方向性を示さなければならない。それには今までの常識や直感に基づいた何かしらのデータが必要だ』と西浦に猛反発した。
緊急事態宣言終了に向け、政府から出口戦略の考案について専門家会議に依頼があった。
尾身はクラスター対策班の鈴木に「どこまで感染者数が下がれば、クラスター対策ができるのか」と詰め寄った。鈴木は苦渋の表情でこう言った。「(10万人に対して)0.5です」
0.5なら本当にいいのかなんて誰にもわからない。しかし、大まかな解除基準を示さないと前に進まない。全国一律の数字を決める妥当性、ゼロコロナシフトへの切り替えの是非、緊急事態宣言の延長……、喧々諤々の議論が交わされた。
5月10日、尾身は官邸に行きこの数字を打診したが、政府からは「厳しすぎる」との意見があった。そのため最終的には「1週間単位で見て新規報告数が減少傾向にあること」「直近1週間の累積報告数が10万人あたり0.5人程度以下であること」を目安とし、「直近1週間の10万人あたり累積報告が、1人程度以下の場合には、減少傾向を確認し、特定のクラスターや院内感染の発生状況、感染経路不明の症例の発生状況についても考慮」すると決定。その後、諮問委員会の承諾を得て、北海道、埼玉、千葉、東京、神奈川、京都、大阪、兵庫の8都道府県を除く、39県を緊急事態宣言の対象区域から解除した。
6 専門家会議の解散
緊急事態宣言発出後から、専門家会議のメンバーは批判の矢面に立たされることが多くなった。構成員であり弁護人の中山は「弁護士でありながら専門家の暴走を止められなかった」として民事訴訟を起こされ、尾身は殺害脅迫を受け警察による警護がついている。脅迫状は他の専門家たちのもとにも届いた。
武藤は言う。「今まで新しい生活様式など専門家会議の発言が世の中から怒られたり、国会でも野党から追及されたり、なんで自分たちはこんなに責め続けられないといけないんだろうとずっと思っていました。でもこの論考を読んで、政府が頼りないから専門家が前のめりにならざるをえなかった、専門家が政府の責任を負わされたことに気づきました」
そこで武藤は牧原と一緒に、法的根拠のない専門家会議を解散し、特措法の下に新たな会議体を組織すべきという案を専門家会議に提出した。
5月25日、緊急事態宣言解除の際に安倍は尾身と共に会見を行い、「世界的にも極めて厳しいレベルで定めた解除基準を、全国的にクリアした」として、こう高らかに宣言した。
「我が国では、緊急事態を宣言しても、罰則を伴う強制的な外出規制などを実施することはできません。それでも、そうした日本ならではのやり方で、わず1カ月半で、今回の流行をほぼ収束させることができました。まさに、日本モデルの力を示したと思います」
たびたび首相会見に同席して発言してきた尾身だったが、牧原は「首相と一緒に会見をやらないほうがいい」と尾身に進言していた。
押谷は尾身に言う。
「尾身さんが役職を務めたWHOのRD(地域事務局長)はいわば総理のような役割。だから決定した事項に関してその理由を説明する義務があるが、今の立場では尾身さんは説明してはいけなかった。10万人あたり0.5人という算出基準は何かといった技術的なことはいいですが、尾身さんが総理に代わってなぜ○0.5人を選んだかということは説明してはいけないんです」
押谷はこのように考えていた。
「専門家が人の命に関わること、亡くなるのが100人なのか、1万人なのかという分かれ目にあるような決定をしてはいけない。僕らは選挙で選ばれたわけではない。そんな突然集まってきた専門家が人の命を預かって、政策を決めるような国のあり方っておかしいでしょう」
それまで尾身は自分が「前のめり」だとも思っていなかった。だが、WHOのRDの時には当然だった説明を行うだけで、専門家が責められることにも気づいていた。
尾身はふと我に返ったかのように笑った。
「WHOの時の癖が抜けなかったかもしれない」
解散・改組の理由を述べた「次なる波に備えた専門家助言組織のあり方について」という文章、いわゆる「卒業論文」を専門家会議が出したのが6月24日だった。
会見で脇田が、これまでの専門家会議の活動から見えた課題を説明した。
「本来であれば、専門家会議は医学的見地から助言等を行い、政府は専門家会議の提言を参考としつつ、政策の決定を行うものであるが、外から見るとわかりにくくなっていたのではないか。また、専門家による情報発信においても、あたかも専門家会議が政策を決定しているような印象を与えていたのではないかと考えます」
政府への提案としては、次の感染拡大に備え、専門家助言組織の責任範囲と役割を明確にする必要があること、政府のリスクコミュニケーションのあり方の検討、倫理的・法制度的・社会的課題など感染症対策の推進を通じて副次的に起こりうる問題を先取りして議論すべきだと話した。
尾身のもとには「卒論」会見後、「前のめりだなんて自分を卑下することを言わず、使命感をもって積極的にやりましたと言えばいいじゃないですか」と幾人もから連絡があったという。
尾身「でも私は前のめりだったと認めたほうがいいと思いました。自分たちのことは反省せずに、政府への批判ばかり言っていたら自画自賛だと思われる。我々も完璧ではない、反省すべきところは改めていくと伝えたかった」
専門家会議の特徴は、この反省すべきは反省できるという点ではないだろうか。間違ってはいけないと考える政治や行政とはそこが大きく異なっていたのだ。 -
Posted by ブクログ
『』内は本文より抜粋。
●出生前診断の結果、医師の誤診によりダウン症ではないとの診断だったため産んだ子どもがダウン症だった夫婦が、ダウン症児自身が生まれてくるべきではなかったと起こした訴訟。著者は訴訟に違和感を覚え、原告の母親の弁を聞きたいとの気持ちが発端となった一冊。出生前診断の是非についてかなり考えさせられる。
その子は合併症で闘病の末三ヶ月で亡くなる。
概要だけを聞けば、「障害ある子を産んだこと自体が損失だった、弁償しろ」という乱暴な主張に取られかねない印象を受けるが、原告の母親の話を著者が丁寧に聞き出し、母親としての愛情や苦悩や煩悶を生々しく感じ取れる内容。かなり訴訟に対する見方は変わると思う。
例えば母親の主張の一つとして『中絶して生まれてこなければ、三ヶ月の闘病生活による苦しみはなかった』というものがあるが、これは紛れもなく子供に対する愛情がベースになっている。
●出生前診断に対する考え方は様々だが、最終的には"その命が生まれてくるかどうかを判断するのが親でいいのか"というところに行き着くのではないか。
胎児は生きたいという概念すらない。
生まれてくることによる苦痛と中絶により命を絶たれる苦痛は誰にも比べることができない。
つまりこの議論に誰も結論なんて出せないのではないか。
また、"ダウン症がなぜ槍玉にあがるのか"という問題提起もあるようだが、ダウン症が診断で正確にわかるからというだけと私は感じる。出生前診断をわざわざして選びたいと思っている親は、分かるのであれば全ての障害を調べた上で選びたい、というのが本音ではないだろうか。でも全ての遺伝情報が事前にわかるようになった場合、どこまでが普通でどこからか普通でない、のラインは誰が引くのか、どこで引くのか。
『子どもを育てていくのは親、でもどこまで親は意思決定できる?重い障害があれば生きていても苦しいことが多いかも知らない、でも中絶の痛みの方が大きいかもしれない。なぜ親がそれを決められるのか。
命を親が選べるものなのだろうか。選べるとしたらいつまでなのだろうか』
『どのような重度の病気や障害の胎児だったら中絶を認めていいのか認められないのか。その線引きは時代によって社会によって変わってくる』
写真家の幡野広志さんの考えで、私が感銘を受けたものとして"親は将来の子供から、子供自身を預かって育てているだけ"という概念がある。そうならば子供を生かすか殺すかは子供自身の選択を親が預かって代わりにするということになる。そして子供が生まれてきたい=将来生まれてきて良かったと思うかどうかは、親の育て方によるところが大きいと思う。生まれてきて良かったと思えるように、普通の子ですら育てられるかどうかわからないのに、まして障がいを持った子供にそう感じさせられるように育てる自信のある人はどれくらいいるだろう。
私はそんな覚悟はないし自信もない。そんな覚悟と自信がある人しか子供を望んではいけないのか。
●『障がいを理由として中絶する人がいることで、検査があることそれだけで、自分が殺されるような思いをして傷つく人がいる』
中絶される存在という事実が自身を打ちのめす辛さや存在を否定されるような悲しみは、私が想像する以上のものなのだろう。でも、中絶を選ぶ夫婦の苦しみや辛さ、障がいを持った子供を育てることに苦痛を感じる人たちの苦しみはわからない。当事者ではないから。出生前診断に反対している人たちの中にはダウン症児を受け入れ育てた人たちももちろんいるだろう。でもその人たちと、中絶を選んだ親は別人だ。やはり自身の経験則だけで出生前診断を否定するのは暴論に感じる。
ダウン症児を里子として育てた女性の言葉
『私は第三者の立場だから。実子だったらと考えると、実のお母さんを(里子に出したことを)否定することはできない』『自分の子だったらきっと嘆きの方が大きかった。普通に産んであげられず、我が子に悪いと思い、自分を責めていたかもしれない』
ダウン症児を23年育ててきた人の言葉
『可愛さはあるし年月もある。受け入れたというより慣れてきた。もし戻してもらえるなら元気な子にして欲しい。愛情はあるが産んで良かったとはならない。でも運命かなとも思う』
当事者からのこれらの言葉を見ても、"産んだら「産んでよかった」になる""受け入れて育てている人もいる"なんて言葉で安直に産んで育てることを勧めることなんて出来ないのではないか。
●以下印象的だったものを抜粋
『現実は本音(この障害を理由とした中絶を容認)と建前(子供の障害を理由にした中絶は違法)が乖離している状況。社会的批判を恐れてなかなか議論にならない。結果的にその矛盾を全て当事者である両親と医療者にだけ負わせるのはやめてほしい』
『子に障害がなかったとしても、そもそも育児に孤独を感じる母親が増えている。
特別なダウン症でなく、普通のダウン症を育てるお母さんはどんな子育てをしているか、情報はほとんどない』
『ダウン症でもなんでも絶対産むべき、中絶すべきなど、どちらでも強制する社会は窮屈』
『子供に障害があれば産まないと決意していた人もいた。障害があっても産んで育てている人もいた。障害のある子を引き取り育てている人もいた。どの人が立派だ、どの人は悪い、と誰が決められるものだろうか。その人それぞれの精一杯のところで出した答えは、唯一の答えだ』
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「出産も、子育ても、
自分の思い通りにいかない日々を積み重ねていく。
その時間から、人生も人も思い通りにはできない
というのを学んだ」
この言葉は、最愛のわが子が失踪し、
すべての力をかけて子を探した母が、
子の死を受け入れた時に語られた言葉。
圧倒されるというか、刺さるというか、
語彙力無さすぎて表現し難いのだけれど
残しておきたい言葉が他にもたくさんあった。
その一部↓
誰も好き好んで被害者になったわけではない。
不条理な暴力にあっただけだ。
その苦しみの上に、さらにスティグマを抱えて
生きていかなければならないのだろうか。
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私自身は、きっとこれからも間違い続け、
不完全な母であり続けるだろう。
また知らず知らずに、
子供を傷つけてしまうに違いない。
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人生は失うことの連続だった。
これからも大切なものを失っていくのだろう。
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いつかこの生を終える時が来るだろう。
その日はゆっくりと来るかもしれないし、
突然来るかもしれない。
それでも人間はこの世に生を受けた時点で、
終わりが必ずくる。
生まれてすぐなくなる子もいれば、
百二十歳まで生きる人もいるし、
悲しい終わり方もある。
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「花畑の花を踏みにじる権利なんて誰にもありません」
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その日の情景はいまだに忘れられない。
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子どもは母と一体化した相手ではなく、
自分の思い通りにならない他者である。
...
母は、人は、弱くても、不完全でもいい
この本は、そう教えてくれた。 -
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母親としての著者自身のことも折々に交えながら、DVを受けている母親、AID(非配偶者間人工授精)(+α)で子どもを授かった母親、突然失踪してしまった子どもの母親、難病の子どもを持った母親、児童殺傷事件の被害者の母親、中絶を経験した母親、レズビアンの母親、特別養子縁組で子どもを育てる母親、自死を選んだ母親など、様々な状況に置かれた母親を取り上げるノンフィクション。一般的なノンフィクションというよりは、文学的エッセイに近い文体。
かなり重い、壮絶な状況に置かれた母親がたくさん登場し、胸が苦しくなった。特に、子どもが失踪して後に白骨化した遺体が見つかったり、事件に巻き込まれて子どもが殺されてしまった母親の話は万感胸に迫るものがあった。一方、重度の聴覚障害を抱えながら難病の子どもを育てつつ、「産んでごめんねとは思わない」というユカコさんの話には希望を感じた。
また、多くの人の中に母親というものの「呪縛」が厳然としてあることも感じたが、本書で言われているように、そのような「かくあるべき」ということから解き放たれ、不完全さを受け入れるということも(夫など周りも含め)必要だろう。
本書では、いずれの話でも父親の存在感が薄いように感じたが、子どもを育てるという点で、授乳以外に父親も母親と変わるところはないはずであり、自戒も込めてだが、もっと子育てにおける父親の役割が高まっていくことが、「母親の呪縛」を解く上でも重要だと思う。 -
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一気読み。尾身副座長を中心とした専門家と内閣官房・厚労省のコロナ対策の連携を描く。官僚が無謬性の原則から思っていた以上に硬直していた。それは本来あるべき姿ではない。政策選択によって被害を被る国民の一部からしてみれば甚だ迷惑な話だろうが、間違いもあることを認めて、反省して次に繋げるという謙虚さを持つことが肝要なのではないか(理想論に過ぎないと言われそうだが)。コロナの状況に関する西浦氏のインフォームドコンセントと厚労省のパターナル的対策は科学者と政策担当者の違いを示していて興味深かった。どちらも正しいしどちらも間違っているので答えが出ない。
押谷さんのブリコラージュの話(p138)は特に大事だと思ったのでここに書いておく。
尾身さんはかなり多方向の圧力を捌いているはずなのに常に飄々としていたようで筑駒生らしいなと感じた(笑) 2021/5/19 -
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読むきっかけ:新聞広告で知り、専門家会議の運営に興味を持つ。
尾身氏をはじめとする専門家の矜持に低頭する。
以下、文中の尾身氏の心に響いた言葉。
「サイエンスというのは失敗が前提。新しい知見が出てくれば、前のものは間違っていたということになる。そういう積み重ねが科学であり、さらに公衆衛生はエビデンスが出揃う前に経験や直感、論理で動かざるをえない部分がある。一方で役所は間違わない、間違いたくないという気持ちが強かった。」
「リーダーは感情のプロである必要がある。リーダーとは何かといった本には、決断力やコミュニケーション、大きな方向性を示すことなどが書いてありますが、でももっとも重要で難しいのは、感情の、怒りのコントロールです。怒ったとしても、根拠のある怒りが必要だ。後で尾を引かないような怒り方をすることが重要です。」 -
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2020年の年明け以降、世界は新型コロナウイルス感染症に蹂躙された。
中国・武漢から始まり、世界へと滲みだした感染症は、多くの死亡者を出しながら、野火のように広がった。人と人とが触れ合うことで広がる感染症の性質から、多くの国で都市封鎖(ロックダウン)や活動・往来の抑制が行われ、経済にも大きな影響が出た。
現在のところ、日本では第五波がほぼ収束し、落ち着きを見せているが、世界全体では感染の再上昇が見られる国もあり、なお予断を許さない。
本書では、日本で、2020年2月~7月に設置された新型コロナウイルス感染症専門家会議の成立から解散までを追う。
先が見えない中で、構成員である専門家も、何度か「ルビコン川を渡る」決断をし、「分水嶺を越える」経験をする。誰も本当の未来が確実には予測できない中、専門知識を武器に、より良い方向へと社会の舵取りをしようという、それは必死の毎日だったのだ。
本書では、専門家会議の構成員の証言から、専門家会議がどのような経緯で発足し、中では実際、どのような議論が行われていたのかを再構成する。
専門家会議の前身である厚労省アドバイザリーボードができたのはダイヤモンド・プリンセス号が横浜に入港した2020年2月3日。構成員は12名。それがそっくりそのまま、2週間後に内閣官房付の専門家会議となった。
そもそも感染症は完全に防ぐことは困難であるうえ、相手は未知のウイルスである。どのような対策を取るのがよいのか、手探りが続く。
専門家会議としては、市民にわかりやすく科学的に正しい知識を伝えることが急務だった。
しかしそこにはどうしても政治が絡む。出そうとする文言にチェックが入り、せめぎ合いが続く。ここは譲って、ここは譲らない。感染症を抑えるために、市民にどのように伝えるのが効果的かを予測しながらの判断となる。
対策を取るにはまずデータ収集が重要なわけだが、ここからして非常にアナログだった。各自治体で書式が異なるうえ、基本は紙ベース。学生ボランティアなどがそれに眼を通し、必要な情報をピックアップしていく。まずは書式を揃え、情報を入手しやすい形にまとめる試行錯誤が続く。
個人情報であるため、取り扱いも困難である。データ分析をするために専門家がやってきたのに、権限がなくてデータにアクセスできないなどということも起こる。
また、当初使用されていた部屋は通信環境が充実しておらず、各々が持ち寄ったルーターで通信していた。何しろこの手のデータは重い。1ギガ、2ギガというものを数回やり取りしただけで、全員がWi-Fiにつながらなくなることもあった。これではオンライン会議も無理。スマホを数台並べてスピーカーモードにし、電話会議を行うことすらあった。
そんな中で、日本独自の三密回避やクラスター対策といった方針が決められていく。
感染が広まるにつれ、苛立ちは専門家に向けられることも増えていった。専門家の立場としては提言を行っているわけだが、記者会見などで具体的に話をするのは専門家であることが多く、どうしても注目が集まってしまう。
脅迫を受ける者が出る。心身を壊す者も出る。訴訟を起こされた者すらいる。ギリギリの状況で激務が続いた。
市民の側は、具体的な数字を欲しがる。緊急事態宣言が出た後、〇万人中、△人の発症者であれば解除できるといった形のものである。しかし、いくら専門家でも確実なことは言えないわけである。そこをどう判断し、どう落としどころを見つけるか。専門家の間でも激論が交わされる。
実のところ、専門家会議という組織には、その存在に法的根拠がなかった。
その中で、危機感から「前のめり」の強めの対策を訴えてきたわけだが、いささか無理が生じてきた。1つは専門家自身が政策を決定しているように受け取られる恐れがあること。もう1つは経済への影響が多大になり、感染症の専門家だけの議論では収まらなくなったこと。
専門家会議は解散の方向へと向かう。
2020年7月3日、専門家会議は廃止、以後、新型コロナウイルス感染症対策分科会として活動していくことになる。
本書の内容はここまでだが、周知のとおり、その後、GoToトラベルやオリンピックを経て現在に至る。
新型コロナウイルスパンデミックを総括するにはまだ早いが、手探り状態で進んでいた緊迫のドキュメントとして、読み応えのある1冊である。