河合香織のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
ネタバレ興味本位で購入。障害者への性関連の現状に興味があったのもあるが、それ以上にそういうことが現実として行われているのかどうか、従事している人はどう考えているのか、その辺に興味があって。
読んでみて、そんな軽い気持ちで読めるようなもんじゃないな、と思った。テーマとして非常に重い。まあある程度は予想されていたんだが、この『セックスボランティア』という題名から受ける軽さに比べて、内容は遥かに重い。これ、題名を変えたほうがいいんじゃないか?
感じたのは、障害者への性的支援を行う人たちってのは、基本的にはすごく真面目なんだな、と。当たり前だよね、その人のために尽くそう、その人のために自分の時間や時には身体を提供しよう、とするわけだから。すごく真面目ですごく優しい。そんな人たちだからこそ性的支援の重要性に気付きつつ、それを行うことに悩んでる。普通の性風俗とは異なり、お金のため、趣味のため、そういった割り切りが行えない。そこは本当にしんどいやろなぁ、と思う。
じゃあどうしたらいいのか。国はそこに金を突っ込むべきなのか?でも金のためだけにやる人を集めたら、サービスの質は落ちるだろう。(上から目線の言い方になるが)障害者のために、という思いがあるからこそ、その人に合わせてサービスを提供できるわけだし。そこがお金のため、になったとき、障害者に合わせた適切なサービスが提供できるのか。
途中で「日本の多くの人たちが、知的障害者や知的障害者の性や結婚に対して、否定的なイメージを持っている」という記述がある。「彼らを幼児視し、過小評価し、(中略)間違った考えや偏見をもたらしてきた」と続く。これは僕自身もそう。障害者が抱える一番大きな問題は、そういう社会の意識、周囲の反応、なんだろうな、と。
僕自身、そういう意識を持たないように、偏見はなくすように、というふうに思っているつもりだが、そう考える時点で偏見を持ってるんだよね、間違いなく。そして僕が性的支援をできるかどうか、と言われると、かなり難しい。特に同性に対してはなおのこと。
更に自分のパートナーができるのか。それを容認できるのか。無理だな、としか言いようがない。そこがこのサービスの難しいところだと思う。他のボランティアなら称賛されるのに、このボランティアは称賛されないからね。
これを読んでて、幸せな結婚をした障害者と健常者のカップルと、結婚後にすれ違いが増えた障害者同士のカップルが出てくる。どっちもあり得る話やなぁと思ってたんだけど、幸せなほうのカップルの話を読んでて、乙武洋匡氏を思い出したんだよなぁ。
氏も健常者の妻と結婚している。氏と、本書に書かれているカップルとは、非常に稀有な例なんじゃないだろうか。確かに美談になり得るだろうし、結婚した人にしてみたら「当たり前のこと」なのかもしれない。でもそれが、他の人たちには当たり前のことにはならないんだよね。明らかなる【非日常】。そのギャップが埋まれば、同じようなカップルはたくさん出てくる可能性はあるだろうが、ギャップを埋める方法が見つからない。
と、ここまで書いて、カップルが成立する要因の一つとして、男が障害者で女が健常者であることが必要なんじゃないか、と思った。
すごく乱暴に書くが、女性のほうが辛抱強くて優しくて母性が強いから、パートナーができないことも受け止め、受け入れ、対応してくれる。でも男は基本的にガキで狭量で自分勝手だから、自分の思い通りにならないことが続いたらもうやっていけなくなる。
逆に、仕事として割り切るのは男のほうがいいのかもね。そういう意味では、障害者向けの性サービスは女性向けのモノのほうが定着しやすいだろうし、発展もしやすいんじゃないかな、と思った。
最後に。
性的支援に関わらず、こうやって障害者への支援を行っている人たちは、もっともっと金銭的にも待遇的にも、報われないと駄目だと思う。そこに税金をもっと投入していくとか、ビジネスとしてどう展開していくのか、とか課題はあるだろうけど、こういうことをやっている人たちが報われないって、やっぱりきっついよ。
それは、社会の成熟度の一つなんじゃないだろうか。
追記
乙武氏のような『レアケース』を目指すべき『モデルケース』にはしちゃいけないな、と思う。モデルケースがハイレベル過ぎると、誰も辿り着けないし辿り着けないことで自分や周囲を責めることにつながりかねないから。
『理想的なケース』とするのはいいと思うけどね(理想的かどうかは別として)。 -
Posted by ブクログ
人間は誰しもが三大欲求を少なからず持っていると思う。
そんな中でも睡眠欲と食欲に比べて、性欲というものは敬遠されがちだったり、誰もが持っているということを否定されがちだったりする。
確かにそれの大きさには違いがあったりもするだろうけど、
この作品では、具体的に障害を持たれた方に対する性を満たすボランティア活動に関して目を向けている。この作品を見るまで障がい者が性欲をどのように満たすかや性欲を持っていることなんて考えたこともなかったが、この作品を通じて彼らの苦悩やボランティア活動の重要性を知った。
このボランティア活動には嫌悪感を抱く人も少なからずいると思う。
でも僕はこの作品を通じて、ひとりひとり誰しもが自由に生きられる世界は美しいなと思えた
上手に感情を処理できる人は、
むしろ少数派ではないだろうか・・・・・。
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Posted by ブクログ
ネタバレ統計データから人間の平均最大寿命は115歳と結論づけられている。125歳まで生きる確率は1万分の1未満。
人間の寿命は、生物学的年齢と回復力で説明できる。
55歳を過ぎるとがんの死亡率が上がる。チンパンジーやゴリラの寿命は60歳を超える。
ゾウは細胞数が多いのでがん化しやすいが、修復能力が高い。ヒトの細胞にゾウのDNAを移植すれば、最大寿命を延ばすことは可能かもしれない。
DNAの傷が蓄積されてしまうので、デロメアを伸ばせてもがんにはなる。
GLS1阻害による老化細胞を除去できる可能性がある。
老化はプログラムされているかも。
人間は240gのタンパク質を作り出している。それはなぜか。式年遷宮のようなモノではないか。
アルツハイマー、パーキンソン、ALS似共通しているのは、脳の細胞にタンパク質の塊ができること。オートファジーの活性が低下する。ルビコンが増えたため。腹八分目にするとルビコンが減る。
オートファジーは、睡眠、健康的な食事、腹八分目、運動、で活性化する。
慢性の炎症が起きる原因はストレスにもある。
ベニクラゲは何回も若返ることができる。
サーチュインの中でSIRT1を増やすと老化が遅れる。
NMNは究極の抗老化物質の可能性があるが、点滴は危険。
老化は病気か。病気でなければ研究は進まない。美容外科と同じ。
モーゼは120歳デシンだ。旧約聖書には人は肉に過ぎず、120年以上は生きないとされた。
エビジェネティクス時計は正確。
マウスは食事制限で寿命を延ばせるが、猿では伸びなかった。
脳は老化防止の関門。脳を変えると人も同じではなくなる。
アミロイドβやタウがたまっても神経細胞が死なない人が一定数いる。
認知症を事前に治療することが社会的に許されるか。
デュアルタスクが認知症予防に効果がある。
不老不死は楽園か。ずっと生きなければならないのは幸せかどうかわからない。
睡眠不足で加齢は加速する。
起きる時間を変えずに、少しずつ早寝にすると睡眠負債は解消できる。
運動は日課にする。夕方がいい。
午前中の光は体内時計を整える。
動脈硬化を以下に抑えるか。
一日に腕立て伏せと腹筋、スクワット200回を行う。
海馬は運動で機能が高まる。
脳の可塑性=80になっても、能力は磨ける。
後悔が残るくらいがちょうどいい。 -
Posted by ブクログ
★自分が母となり、自分の命よりも大切な存在ができることは、喜びも大きいが、苦しみも深いということを初めて知った。
★当時の私は子供を寝かしつけると、「自分はだめな母親だ」という気持ちに押し潰されそうになり、子供に謝りたくなった。なのに、子が起きている間には、反省も忘れて何もできないでいる。仕事と日々の生活で余裕がなかった。
→◎わかる。痛いくらい、目をそむけたくなるくらいこの気持ちがわかる気がする。仕事、両立、忙しい、それを言い訳にする自分が嫌になる。ダメな母親だ、そう思うくらいなら、仕事やめればいいのに。そう思いながらも、どちらも手放したくなくて、必死になってる自分がいる。必死になれるのは、なんだかんだ言ってやめないのは、支えてくれる周りがいるから。ありがとう
★大人として一個人として相手に対するのではなく、どこか男性へ精神的に依存していたところがあったように思えるというのだ。一体感が欲しくて、相手の価値観の中にあえて取り込まれていた。(中略)それは周りの人に尽くすような行為に思えるけれど、実は思考停止することで、自分が楽になりたかったのかもしれないと思い至った。
→◎夫であってもそうでなくても、男性であろうと女性であろうと、相手を頼ったり信頼するのと依存するのは違う。相手の価値観は認めるけど、自分がどう考えるか、の線引きをしっかりしておく。なんでもかんでも相手に合わせない。頭を使う。
★子のために生きる。それは美しい言葉のように思えて、母をがんじがらめにする呪いにもなりえる。
★守ってもらっているのは母親の方かもしれない。(中略)そんな自分でもありのままに受け入れてくれる、子供の存在に救われているのではないか。
★子のためにしばらく一緒にいようとも、あるいは別々の人生を歩もうとも、人が人と出会って一緒にいる時間は銀河の流れからすればほんの一瞬だ。だからこそ、全てを否定したくはない。今までのように目をそむけるのではなく、現実を直視してもなお、この時間は悲しいことやつらいことばかりではなかったのかもしれないと思うようになっていた。
→◎はーとこれから先どうなるかはわからない。夫婦関係だけでなく、自分たちの意思で終わりをつけるもの、そのすべてにおいてこう思えたらいいなと思う。すべてを否定しないこと。きっとそれまでの時間の中で、「よかった」って思える瞬間が必ずあって、そこに目を向けられる強さを持ちたい。もちろん、自分たちの手で「終わる」決断をしないことが一番なんだけど。
★「お互いに働いて助け合って、心を持った人と一緒にいることが一番幸せなんだよ」
→◎理解できないことも、言い方ほかにないのって悲しくなることもたくさんある。でも、私ははーと結婚出来て良かった。ありがとう。
★「住する所なきを、まず花と知るべし」(世阿弥)
→そこにとどまり続けることなく、常に変化し続けることが芸の本質。変化の中で新しさを作っていけ。
★時には誰かに甘えたい思いもあるけれど、私が皆を支えないといけない。そして、私も皆に支えられている。息子や娘に支えてもらって、夫や両親がいるから、生きていられるのだと。
★「私のおかげじゃなく、周りの人たちが助けてくれたおかげだよ。そして私もあなたたちのおかげで生きてこられた」人間は人の助けの中でいきてこられた。
★耳の聞こえないわが子に対して「ごめんね」とは思わなかった。母から耳が聞こえない子に産んでごめんねとかいわれていたら、障害をネガティブに受け取っていたかもしれない。自分にとってはそれが当たり前のこととして受け入れてきた。
→◎癌になった時、ママもパパも「ごめんね」とは言わなかった。もちろん二人のせいでないことなんてわかってるし、言われたいとも思ってなかったけど。でも「言わないでいてくれてありがとう」と思う。いわれてたらもっと被害者意識が植え付けられていたかもしれない。
志帆にも思う時もある、「こんなママでごめんね」と。でもきっと志帆にとっては今のこの我が家での生活が普通で、当たり前でスタンダードになってるから、それを謝られたらネガティブに受け取るだろう。謝りたいなら変えろ、と自分に思う。
★「いざとなったら私が育てるから大丈夫」最後の砦。(×あなたを選んで生まれてきた)
→◎こないだキム兄が言ってた最後の砦の話。極端でしょ、と思わないこともないけど、これが実は意外と安定剤になったりする。応援すること、頑張らせることがいつも正しいわけじゃない。努力だけでどうにもならないこともある。そんなときは応援するだけじゃなくて、そばでそっと支えたい。
★障害は変えられない。社会と自分の心持は変えられる。
★かなしみという字は「悲しみ」「哀しみ」だけではなく「愛しみ」とも書く。
→◎この本の中で一番響いた言葉かも。愛してるから、かなしみを感じることもある。ママとパパもそう思ってくれていたのかな。
★「人間が不幸なのは、自分が幸福であることを知らないから、それだけです」(ドストエフスキー・悪霊)
★どこにでもいる親が抱える、平凡でそして平和な悩み。「淡々と、毎日をただ淡々と、生活していく。その時間を大切にしたい」
★「子供は本当のことを言えないものだよ」
ただの一人の不完全な人間でしかないことを認められないから、私は苦しかったのだろう。そのことを認めてしまえば、別の向き合い方ができるのかもしれない。
私自身は、きっとこれからも間違い続け、不完全な母であり続けるだろう。また知らず知らずに、子供を傷つけてしまうに違いない。それでも、「あなたのために」という言葉だけは言わないようにしたいと誓った。
そして知ったのは、本心を話すためには親子の会話があれば安心なわけではないということだった。問題を話し合うだけではない、何気ない日々の穏やかな会話、時間の積み重ねが足りなかったのかもしれない。何気ない風景や気持ちの動きをゆっくりと向き合って共有する時間。それは幼いころに私が母に話したかったことだと気づいた。
★見せたいのは、立派な母の姿ではなく、困ったら誰かしらが助けてくれるという信頼。人と人が親密になるのは、そんなときではないか。不得意なことや苦手なこと、弱みも開示していくしなやかさを伝えたい。
★家族だからこそ深く分かり合える半面、家族だからこそわかってほしいとぶつかり合う。
子の痛みがわかると言い切ることは、親の子どもへの支配であると思っている。だから、冷たいようだけれど、その痛みは自分で解決するしかない。隣にいて見守る。失敗したら、いつでも戻ってきてほしい。
★一人の人間として苦労を取り戻すことは、人生の主体性や自分らしい生き方を取り戻していく過程でもある。
家族はそっぽを向いていても、ただそこにいるだけでいい。痛みを見つめ合って話し合わなくてもいい。同じ山を見て、同じ歌を口ずさむことができればいいのだ。「安心して絶望できる人生」安心して絶望できる。それが家族。
★他人の痛みには鈍感で、自分の痛みには細心の注意を払う。
★出産も、子育ても、自分の思い通りにいかない日々を積み重ねて、それで人生も人も思い通りにいかないんだなというのを学んだし、それらの苦労があったからこそ、なんとかやってこれたと思う。そして改めて、人の温かさを知る。
★私たちは、不完全な母であり、不完全な娘であり、不完全な女であり、不完全な人間だ。母だからかくあるべきというところから自由になった方が母も子も幸せに違いない。
★子供は母と一体化した相手ではなく、自分の思い通りにならない他者である。もどかしく、時に喜ばしく思いながら、そのことを心から知ることで、互いの人生を認め合う関係が築けるのだろう。
◎読んでいて納得できるところも、んーってなるところも、励まされるところも、胸が苦しくなるところも、たくさん詰まってた1冊。
自分がいかに幸せか。平凡な家庭のようで、でもその「平凡」が当たり前でなくて、これが「平和」なんだと改めて感じられる。人生思い通りになんて行かなくて、それは子育てにも自分個人の人生にも言えることで、でもだからこそ、人はみんな弱くて、自信がない。それに気づけたとき、他人に手を差し伸べられると思ったし、素直に「助けて」って言えるのかもしれない。美咲ちゃんのお母さんの手記がすごく響いたし、強く生きなきゃと思った。
私は不完全な中でも不器用でどうしようもない人間だと思う。でもそんな面も志帆に見せながら、全力でひたむきに愛していきたいし、周りに頼り、感謝する姿勢も背中で見せていきたい。
癌になった時、あれやこれや詮索することもなく、ただ静かに見守ってくれていた親には感謝しかないし、その強さを見習っていきたい。
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Posted by ブクログ
子どもを持つ決意、持たない決意。そして、子どもを産んだ後の親としての喜び、哀しみ、悩み、後悔…
親となった今では、子どもに関する悲しいニュースを聞くのが辛く、涙が出てしまうのだが、この本はそのニュースの裏にある当事者の親の気持ちをリアルに綴っている。実際に起きた事件についての取材や、筆者の周りの人との会話に基づいて書かれているので、まるで自分の目の前でその人が語っているかのような臨場感がある。
子どもを育てる上で、「親は死ねない」というのは、本当にその一言に尽きる。法律上や経済面の責任だけでなく、愛情の面でも、「私はこの子が死ぬまで死ねないし、この子が私より先に死ぬことは決してあってはいけない」と常に(無意識に)気を張り詰めていたことを認識させられた。
そして、子どもを持たないという選択をした人の気持ちも、同時にわかる、と思ってしまう。子どもを育てることは、それほどに責任の重い仕事なのだ。
でも、母親はかくあるべき、という決めつけから、自分を解放することも、子どもと自分を幸せにするために必要なのだと思う。母も一人の人間で、決して強くはない。そして、子どもは母とは違う人間で、思い通りに動かすことは不可能だということ。それを大事にして、一人の人間同士として向き合えた時に、お互いに信頼し合える関係になれるのだと思う。