ニーチェのレビュー一覧
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前に読んだ泉谷閑示『「普通がいい」という病』でふれられていた「三様の変化」の話を、原著で読んでみたくて手にとる。
実際の文章(本書では「3つの変化について」という題)は、抜粋よりもさらに肉付けが豊かで、情景に迫力があり、読めてとてもよかった。
どの鱗にも「汝なすべし」が金色に輝く、「つくられたすべての価値」である龍に対し、ライオンの精神が「われ欲す」と言い、新しい創造のための自由を手に入れるーーここの描写が圧巻で、とても好き。
さいきん、なんとなく社会から「こうしろ」「ああしろ」と言われている気がして、それを受け入れてしまいそうになることが多々あるのですが、私の心にもライオンをすまわせて -
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下巻も引き続き難解でした。もっともっと大人になって読み直したりするかな〜しないだろうな。
とにかく2021年初頭に立てた目標のひとつ「ニーチェの『ツァラトゥストラ』を読む!」は達成できたのでよかった。
永劫回帰、【これが生きるってことだったのか? じゃ、もう一度!】ってすごい言葉だよなぁ。
〈 地上では、よいものがたくさんつくられてきた。役に立つものもあれば、気持ちがいいものもある。そのためにこの地上は愛すべきものなのだ。
非常によくできたものもある。たとえば女の乳房。役に立つし、気持ちもいい。〉
〈こんなことを言ってくれた女性がいる。「たしかに私、結婚を破綻させたけれど、でもね、まず最 -
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ようやく読み了える。三島由紀夫『花ざかりの森』を読んだ後は「もうどんな本でも読める」と思い上がったものだが、世の中には三島と違う難しさがあったのか。
ツァラトゥストラの従者みたいな鷲と蛇が人語を操るのに驚く。
福音書のイエスは滅多に笑わぬ印象だが、ツァラトゥストラはよく笑う。ダンスを好み、とりわけサイドジャンプが得意らしい。
自費出版でわずか40部しか印刷されなかったという第4部は、奇人変人が続々と現れいでてくるので、いくらか面白い。
大島弓子がマンガ化するとよい、と萩尾望都が主張していたけれど、ヴィジュアルが想像できない。
これより解説書をひもとく。 -
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登山家のような心理で「あの山にはまだ登ってないな」と、ツァラトゥストラ山の五合目まで登る。大好きな番組『100分de名著』のオープニングで本の見開きが大写しになる。選ばれた書物は『ツァラトゥストラ』だ。
特段これといって難解な言い回しではないのに、どうにも理解しづらい。
熱に浮かされて10日で書き上げたという第1部から圧力が伝わってくる。
引用したくなるくだりも多い。「趣味というのは、秤の分銅であると同時に、秤の皿でもあり、また測る者でもある」。荒巻義雄のSF短篇『大いなる正午』、タイトルの出典は第1部の終りだったのか。
上巻で判ったこと。ツァラトゥストラは40歳ぐらい。ひげをたくわ -
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ネタバレツァラトゥストラを分かりやすく書き直したというだけあって曙光よりだいぶ理解できた。と思う。すごくまじめに読んだら面白かった!ニーチェ先生が私たちのレベルまで降りてきてくださっているという感じ。
まず支配者の道徳と奴隷の道徳があって、奴隷=一般人はキリスト教程度で満足していればよいけど、支配者、新しき哲学者は奴隷も何もかも利用して高次の課題にあたり、新たな道徳価値を創造する。そういう人々が必要なんだ、ということ。
精神は自分の周りを同化し、征服し、わがものにすることで成長しようとする、これが生の本能、力への意思。キリスト教的道徳のもので、この本能は悪として否定され、支配者になるべき人を傷つけて -
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何かに対するアンチとして生まれる行動を批判し、ルサンチマン(怨恨の念)というシステムの起動を捉えていたニーチェ。
アンチ、つまり何かへの敵対や恨み及びそこからしか創造できないこと。
アンチから始まる道徳の究極の形態としての発展してきたものがキリスト教であった。
ニーチェ その名前だけならば知っている。
実際、ニーチェは特に日本では非常に有名な哲学者だ。
例えば出版点数で見ると以下のようだ。
「ニーチェの著作の出版点数は、出版国別では本国ドイツに次いで世界第二位、言語別でも、ドイツ語、英語訳、フランス語訳に次いで世界第四位です。日本は、世界一のニーチェ翻訳大国です。ドイツ語圏以外で、ニ -
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そんな時に読んだニーチェは僕を鈍器でぶん殴ったようだった。
ニーチェとのコミュニケーションで僕が学んだことは以下のことだ。
現生に希望をもてるよう向き合うことが人生だ。
虚栄心ではなくよく生きようとする情熱に生かされなさい。
しょうもない歴史が繰り返し、自分もその歴史の一部分だとしても、そのことを真摯に受け止め、そしてそれを超克しようとする人々を超人という。
かなり恣意的な解釈も含まれるが、こんな感じである
ニーチェの言っていることの9割は理解できていない、しかしその1割を理解するだけでも人生に大きな影響を与えるニーチェはやはり偉大なのだろう。 -
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この自叙伝が書かれたのは、ニーチェが44歳のとき。この年が彼の正常な精神活動の最後の一年だったらしい。
彼の精神活動の最後に遺されたこの自伝は、ニーチェの思考と著作の全体について自ら細かく解明していく構成になっている。
シニカルな余裕に満ちた箴言、大上段から一気に振り落とす傲慢な名句に心踊るニーチェ好きには、目次からどストライクかもしれない。
・なぜわたしはこんなに賢明なのか
・なぜわたしはこんなに利発なのか
・なぜわたしはこんなによい本を書くのか
言うまでもなく『この人をみよ』の「この人」とはニーチェさん自身のことである。
とはいえシニカルな余裕というよりは、自己欺瞞にすらも目を背ける、傲