ニーチェのレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
ニーチェが発狂する1888年の前年の秋に書かれた。
題名のラテン語“Ecce homo”は新約聖書『ヨハネによる福音書』19章5節から引用されてる。
各章の表題が笑わせてくれる。
◆なぜ私は、こんなにも賢いのか?
◆なぜ私は、こんなにも利発なのか?
◆なぜ私は、こんなにも良い本を書くのか?
◆なぜ私は、一個の運命であるのか?
もー、この表題見ただけで、好きになった。
だって、おかしい。
笑わせようとしてる?
これを書いたとき、すでに狂い始めてたのでは?と考える人もいる。
でも、たしかに彼は「こんなにも良い本」を書いた。
彼の苦闘し続けた人生を、こんなふうに表現できるなん -
Posted by ブクログ
生きているということは実はとんでもないことだったんだと思った。と言っても罪の意識なんかはまるで感じないのだが…
道徳には二種類あって、高貴な者の道徳と、奴隷の道徳。
高貴な者は強く、比類なき能力があり、自ら是とするものを「よい」こととなす。彼そのものが価値の創造者である。
奴隷は高貴な者に奉仕するために存在し、命令され、過酷で悲惨な生活を強いられる。彼らは、強いものを恐怖する。彼らにとって恐怖させるものが「悪」である。その反対である彼ら自ら弱いものが「善」となる。
ニーチェさんの時代、種々の要因から高貴な者の道徳が廃れ、奴隷的な人間が増大したため、危機感を抱いてこの書物を書いたそうである -
Posted by ブクログ
ニーチェ自身がニーチェについて語る。書名の「この人」とはニーチェのことであり、当時世間から理解されることが少なかったニーチェが「(愚民ども)この私を(もっと)見よ!」と言っている。(笑)
「解説」を読むとこんなにも深淵な大望が記されているのかと思いをいたすが、普通に読んでいると随所で笑いがこみあげてくる。(笑)
章立てをみると、
「なぜわたしはこんなに賢明なのか」
「なぜわたしはこんなに利発なのか」
「なぜわたしはこんなによい本を書くのか」
といった感じでこれだけでも抱腹ものだ。(笑)
「ひとにわたしのことを悪く思わせる技術を、どうしても身につけることができなかった」ニーチェさん。(笑)食べ物 -
Posted by ブクログ
ひゃっひゃー(・∀・)
おもしろすぎたww
真剣に「なぜ私はこのように賢明なのか」
「なぜ私はこれほど利発なのか」
「なぜ私はこのようなよい本を書くのか」
電車の中で笑いをこらえるのに必死でした。
この1,2週間電車で乗り合わせたたくさんの人の中でまさか19歳の女の子がニーチェ読んでると思った人はいないだろう。
途中からの著書の解説は元の本を読んでないのでよく分からなかったけど、一貫してたのは
ドイツ大っっっ嫌い!!ヽ(`д´)ノ
「飛びきりドイツ軽蔑者と見られることは私の野心でさえある」
どんだけ嫌うねん(笑)
よくもここまで嫌いである理由を書けるなぁと感心するほどです。
ドイツ生ま -
Posted by ブクログ
ネタバレ本書には第3部から第4部が記載されている。
第3部は、洞窟に帰る道すがら、自身の行動を振り返り、
永劫回帰の思想を完成させるまで。
振り返りということもあり、第1部、第2部で言及したことを
ツァラトゥストラ自身が解説している感じになっている。
よく、ニーチェを自己啓発本に仕立て上げたものがあるけど、
たいていはこの三部からの引用が多いと思う。
確かに処世術のように取れる言説が多いけど、
あくまでもニーチェが目指したのは超人であり、
人間とは乗り越えられるべきあるものに過ぎない。
むしろまったく逆のことを言っていることもあったりして、
あまりその手の本は読む気がしない。
永劫回帰については -
Posted by ブクログ
ネタバレ主人公であるツァラトゥストラが人々に自身の超人思想を
説いて回っているうちに永劫回帰という真理を見つける
という物語風作品。
ニーチェの代表的な作品。
ツァラトゥストラは好きで何回か読み返しているが、
読むたびに新しい発見があって面白い。
そもそも、ニーチェを初めて読んでみようと思ったのは、
発狂時の逸話がすごく印象的だったから。
同情を毛嫌いしていたニーチェが鞭打たれている馬を助けようとして、
そのまま昏倒し狂気の世界に入ったといわれる逸話。
本当かどうかわからないけど、確かドストエフスキーの「罪と罰」に
似た場面があり、それを日本の作家がエッセイで書いていたのを
読んだのがきっかけだっ -
Posted by ブクログ
ネタバレ『なぜわたしはこんなに賢明なのか』、『なぜわたしはこんなに利発なのか』、『なぜわたしはこんなによい本を書くのか』など「なぜ~」シリーズと『ツァラトゥストラはかく語りき』、『善悪の彼岸』など各著書の解説文を収録した本。
この本でも人々のルサンチマンの温床となる「道徳」を捏造してきたキリスト教に矛先を向けて筆を揮っている。これを読むとニーチェがやたらとポジティヴ志向であることがよくわからない。
「出来のよい人間は、堅くもあるが、同時に弾力性をもってよいにおいのする木で彫られているということ、これがその目安である。」という一節を心に留めておきたい。