笙野頼子のレビュー一覧
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ネタバレ全四章。なお、雑誌での掲載順でいうと、第一章と第二章が入れ替わる。
第一章 硝子生命論
第二章 水中雛幻想
第三章 幻視建国序説
第四章 人形歴元年
~簡単なあらすじ~
「死体人形」≒「硝子生命体」を作成し、そして失踪してしまったヒヌマ・ユウヒ。
彼女に取材という形で関わり、また「死体人形」の所有者ともなった私、日枝無性。
「死体人形」の愛好家達が集まり、失踪したユウヒを追憶する中で、やがて彼らは新しい国を幻視するのだった。
そして国が作られると同時に、”私”は一冊の本となる。その本の名前は「硝子生命論」。
硝子生命という存在は、自分を害さない自己から発した他者との関わりをもたらす物質で -
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笙野頼子の存在を知ったのは佐藤亜紀のHPからでした。
その直後に本屋で見かけた『金毘羅』>『水晶内制度』>『絶叫師タコグルメと百人の「普通」の男』と読み進めて、その流れで『説教師カニバットと百人の危ない美女』と『だいにっほん、おんたこめいわく史』を読むつもりだったんだけど、ついつい、ふらりと手に取ってしまったこの本。
「文庫で薄く」て「読み始めたらすいすい」読めてしまったからなんだけど、いやーまー…やっぱりすごいっ!笙野頼子!!文章は「すいすい」だけど書いてる内容はすさまじく深いっ!!なのに、この枚数で治まるなんてっ!ぎゃーはっはっはっはっ。
感想はもちろん◎!花丸つけちゃうぞ。
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サイードが『文化と帝国主義』の中で「帝国主義」という定義に触れ、領土を支配するイデオロギー的な理論と実践、またそれがかかえる様々な姿勢だって言っていたけど、日本風土の基層から笙野節でそのことが書かれているんだよ。サイードさんと笙野さんって結びつき難いようで奇妙な私の中の結び付きを感じた。
「日本国民の殆どはロジックに載せてまともに日本語を使う能力などありません。矛盾した事をころころいいながら自分の感情だけ身振りだけを表現するのです。職場ならば力関係で物事が決まります。家庭ならば言葉はただ身振りと感情でやりとりされて、愛情や調和があれば、それでいい」p121
「そんな私の、金毘羅の目から見 -
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とんでもねえなこれは。筒井御大以来の衝撃。甚だ乏しく偏った読書体験しか持たないわたくしではあるが、こういう作家は迷わず天才認定することにしている。何かしらどんよりとウーハーな通奏低音が響く中、金比羅として覚醒した私と天孫によってその座を収奪された宇佐八幡の王・亜知海(あちめ)の対話によってこの国の歴史を貫く権力と徴税の仕組みが暴き立てられる。死期の近い愛猫の看護、母の葬式、締め切りに追われる執筆、気の進まぬ講演といった日常に、絶えず現れて理不尽な干渉を繰り返すのは、亜知海に言わせりゃ天孫による徴税に他ならない。物わかりのいい諦めは相手の思う壺、と海の底から警鐘を鳴らす。権力による徴兵の手を逃れ
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女尊男卑の物語(?)
複雑でした。色々と。内容と設定がいろいろあるわりに、読めばわかるのですが軽く(むしろおふざけっぽく)書いてあるので、なかなか好悪の分かれるところ。
『きったないフェミニズム』
『うわーっ』
『原発(原は違う字)』
この三つはポイント。
主人公の女性は、この国の神話を作る作業に携わる。……なんで、彼女の世話役が「ウカ」なんだよ……。樓主はパズルの花紡ぐ姫の名前を「羽佳」にしたのに(涙)ま、いいけど。
月都市と似たような雰囲気かと思ったのですが、保護施設のあり方も、制度も違いましたね。なんだか異様にねじくれていました。
説明のしようがないんです。綺麗なのに、おちゃら -
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病気であったことがあとから分かった。今までなぜ人と比べて出来ないのだろう、苦しいのだろうと思っていたことは、病気のせいであることが分かった。
タイトルの通りの膠原病、混合性結合組織病である著者の病名の確定から安定した段階までの手記というか何というか。
もともと純文学で独特な表現として受け取られていた、表現が病状だったというのは腑に落ちる。その人にしか見えないものを書くのだろうから。しかし、この病状が安定しない時から安定したときまでを淡々と、己を他人のように突き放して表現し続ける著者の執念はどこから来るのだろう。遺伝子を持ったとしても発現は後天的なものだという。生きることは書くこととなる -
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冒頭のインパクトがすごすぎるし、テーマも話もすごい。ことばの使い方や比喩が特殊でちょっと読むのに時間がかかったけども。
もう、夢と現実の境界がわからなくなるとかそんなレベルの話じゃない。そういう二者を分ける概念はもはや無いような感じ。
あとがきの対談で、そういう世界「もう一つの世界」を掘り起こすために「私」を使うんやっていよった。作者自身っぽい「私」を使うのは(私小説とはまた違う)何かしらの目的があってするテクニックやと思っとったけど、そういうのん言ってくれるのもめずらしくて、対談も興味深く読んだ。
「シビレル夢ノ水」が猫小説かと思わせといて蚤でしたー三つの中ではいちばん好きやった。まじで蚤