笙野頼子のレビュー一覧
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ネタバレ全四章。なお、雑誌での掲載順でいうと、第一章と第二章が入れ替わる。
第一章 硝子生命論
第二章 水中雛幻想
第三章 幻視建国序説
第四章 人形歴元年
~簡単なあらすじ~
「死体人形」≒「硝子生命体」を作成し、そして失踪してしまったヒヌマ・ユウヒ。
彼女に取材という形で関わり、また「死体人形」の所有者ともなった私、日枝無性。
「死体人形」の愛好家達が集まり、失踪したユウヒを追憶する中で、やがて彼らは新しい国を幻視するのだった。
そして国が作られると同時に、”私”は一冊の本となる。その本の名前は「硝子生命論」。
硝子生命という存在は、自分を害さない自己から発した他者との関わりをもたらす物質である。
生きていて欲しい、けれど死んでいてほしい、そんな欲求を硝子でないのに硝子生命と呼ばれるその物質に託して、そんな存在と関わる物語を人形という形にする。
硝子生命には二つの存在的弱点があるように思える。
一つは、それは自己の中から発するゆえに、内側にこもる性質のものになる。けれど、存在感を保つために「他者」も必要ともしていたこと。
もう一つ。硝子生命≒死体人形には、「作者」がいること。所有の位置が定まらないこと。
第三章、幻視建国序説では、その弱点をもって、存在がゆらぎ、けれど最後にはひっくり返る。「作者」を貶める無遠慮な「他者」として現れる登場人物”電子子羊”は、硝子生命の存在を脅かす。硝子生命との生活には現れない明確な「敵」という存在。
その存在を、彼らは殺してしまった。一線を超えてしまった。彼らは他者に対して一つになり、守ろうとした「作者」は遠く離れた存在になってしまった。この辺りの心情は、創作者を「神」という別次元にして、神としての所有と人としての所有を分けてしまうことに似ている。
いろいろな性質の楽しみが混ざっているように感じて、自分はこの話が好き。
第一章の辺りの、硬質な概念を追う感覚。
第二章の辺りの、内に籠る性質に幻想が絡んで、沈んでいくような感覚。
第三章の辺りの、「他者」に対して対抗する感覚。
第四章の辺りの、変わってしまった世界でまどろむような感覚。
笙野さんらしいといえば、らしい本。ただ、国家建設という部分は共感が得られにくく、こんな展開なの? となることもあるのではないだろうか。
「男性の人形を作り、それを対象として恋愛や、ごっこ遊びをする」という状況に対する普通の反応というのはよくわからない。男性が自分の性別を冒涜されたかのように感じて、嫌悪感を持つ、という感覚ならわからなくない。
今回の話を踏まえて、もし男性が人形を作ったとしたら、と考えた。「死体人形」にならない可能性があるのではないだろうか。その人形は生きていて、「私、君のことが好きだよっ」と言う……のかもしれない。(この着想には、笙野さんの別の本に出てくる「火星人少女」のイメージがある)
男性優位だとか、女性優位だとか、そこに帰着しないものがあるとは思っていて、それが最後の建国となるのだと思う。「国」というのも笙野さんはよく使うモチーフだが、「建国」とはっきりなるのはこの本が最初ではなかろうか。「国」自体はレストレスドリームや、初期短篇集のうちにも存在するけれど、そこから一歩踏み出した、ということなのかもしれない。
※書いてから読みなおしてみたけれど、見なおしてしまうと語り足らない部分が多すぎる。いろいろと難しい。 -
Posted by ブクログ
笙野頼子の存在を知ったのは佐藤亜紀のHPからでした。
その直後に本屋で見かけた『金毘羅』>『水晶内制度』>『絶叫師タコグルメと百人の「普通」の男』と読み進めて、その流れで『説教師カニバットと百人の危ない美女』と『だいにっほん、おんたこめいわく史』を読むつもりだったんだけど、ついつい、ふらりと手に取ってしまったこの本。
「文庫で薄く」て「読み始めたらすいすい」読めてしまったからなんだけど、いやーまー…やっぱりすごいっ!笙野頼子!!文章は「すいすい」だけど書いてる内容はすさまじく深いっ!!なのに、この枚数で治まるなんてっ!ぎゃーはっはっはっはっ。
感想はもちろん◎!花丸つけちゃうぞ。
いやはや、笙野頼子の作品を読んでてつくづく思うのは、「大学のゼミでだったら、どう読んだだろう??」って事。なんでゼミで誰も取り上げなかったんだろ!?と思いつつ笙野頼子の経歴を見たら…ああああ、自分が学生の頃ってまだ笙野頼子はデビューはしていたけど、知られてはいなかったのね…。
特にこの『母の発達』は、ものすごくエキサイティングに読めちゃうような気がするなぁ。
おおいなる呪縛と化していた「母」を「縮小」し、解体再構成することによって「発達」させ「大回転音頭」する事で昇華してしまう…。
うー鮮やかだっ! -
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サイードが『文化と帝国主義』の中で「帝国主義」という定義に触れ、領土を支配するイデオロギー的な理論と実践、またそれがかかえる様々な姿勢だって言っていたけど、日本風土の基層から笙野節でそのことが書かれているんだよ。サイードさんと笙野さんって結びつき難いようで奇妙な私の中の結び付きを感じた。
「日本国民の殆どはロジックに載せてまともに日本語を使う能力などありません。矛盾した事をころころいいながら自分の感情だけ身振りだけを表現するのです。職場ならば力関係で物事が決まります。家庭ならば言葉はただ身振りと感情でやりとりされて、愛情や調和があれば、それでいい」p121
「そんな私の、金毘羅の目から見れば、例えば文学の世界で語るべき事が何もないと言っている人間は新しく語るべき現実から目をそむけているだけだと判りました。また『私などない』といっている人間は自分だけが絶対者で特別だと思っているからそういう負抜けたことをいう」p125
「金と科学の国、とはいえ金毘羅的なものをすたれさせる原因は別に戦後だけではなく明治も同じでした。そもそも国家の根源にキリスト教、もとい天皇という迷信があり、差別や非合理な制度が一杯あった。それを迷信と呼ばない以上、人々の理性は曇ったままなのです。そして理性の彼方で本来健全に機能するはずの信仰というものは、国家的迷信に洗脳された愚民の手で隠され、戦前は全部ヤマト系の神々の下に一本化系列化されていた。」p132
「それ故、インテリから『ないこと』にされ野放しにされた『心の問題』・信仰の方は結局迷信化し、お金と数字を伴う、けったいな理論を挟まれた偽科学に化けた。挙句、戦前、ただ一種類だった愚民は、二種類に分かれた。ひとつは国家的迷信に洗脳された愚民、もうひとつはその国家的迷信を信じている普通の愚民を冷笑し、しかしなぜ信じているかということを解析する能力はなく、ただ自分たちだけは違うとひたすら思い悩んで、そして贋数学贋科学の世界に逃げ込んでいる腑抜け的愚民だった。そういう人たちが宗教にハマると、『高級な』宗教的思想だけを問題にして祈らないのである。」p132-133
『金毘羅』の根底にあるもの、それは私小説という体裁をとりながら、人間嫌いな「私」の根源に辿りつこうとする地層を横断する試みであり、その姿勢が強烈過ぎる。
「仏教的な大きい世界観や来世観、個人の自我の要求に応じたものをとりいれてきた。しかし明治期の神仏分離で政府はそれらを全部無かったことにして、いきなり清潔な国家神を復活させたのだ。『わしら』の神であった。しかもそれは単なるでかい国家という『わしら』の神だった。」p295
「『日本人は不思議だ葬式は仏教で結婚式は教会、お宮参りは神社』不思議なんかじゃない。ただルーツが消されただけ。見えなくさせられただけだ。それが日本人だ。神仏習合の歴史が日本の祈りの歴史。神は仏なしには語る事ができない。」p295 -
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とんでもねえなこれは。筒井御大以来の衝撃。甚だ乏しく偏った読書体験しか持たないわたくしではあるが、こういう作家は迷わず天才認定することにしている。何かしらどんよりとウーハーな通奏低音が響く中、金比羅として覚醒した私と天孫によってその座を収奪された宇佐八幡の王・亜知海(あちめ)の対話によってこの国の歴史を貫く権力と徴税の仕組みが暴き立てられる。死期の近い愛猫の看護、母の葬式、締め切りに追われる執筆、気の進まぬ講演といった日常に、絶えず現れて理不尽な干渉を繰り返すのは、亜知海に言わせりゃ天孫による徴税に他ならない。物わかりのいい諦めは相手の思う壺、と海の底から警鐘を鳴らす。権力による徴兵の手を逃れてリゾームを跋扈する現代のノマドに託宣はあるのか──と意味不明に滑りながらスペクタクルに捏造したくなるほど、神がかりのエクリチュール。初期作品から全部読んでみようか。
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女尊男卑の物語(?)
複雑でした。色々と。内容と設定がいろいろあるわりに、読めばわかるのですが軽く(むしろおふざけっぽく)書いてあるので、なかなか好悪の分かれるところ。
『きったないフェミニズム』
『うわーっ』
『原発(原は違う字)』
この三つはポイント。
主人公の女性は、この国の神話を作る作業に携わる。……なんで、彼女の世話役が「ウカ」なんだよ……。樓主はパズルの花紡ぐ姫の名前を「羽佳」にしたのに(涙)ま、いいけど。
月都市と似たような雰囲気かと思ったのですが、保護施設のあり方も、制度も違いましたね。なんだか異様にねじくれていました。
説明のしようがないんです。綺麗なのに、おちゃらけて、下品なのに上品っぽくて、男性社会を風刺しながら、女を笑っているような。そんな作品。
子供の神聖みたいなものを言い出したりもしながら、残忍性も表に出して。
いろんな人にとって、読み心地の悪い作品じゃないのかな。樓主は勝手にこれに、「SPA!」的小説と名づけましょう。(あの雑誌は各週メイン企画で、たくさんの人間を貶しまくるから)
面白かったかどうかと言われれば、面白かった。ついていけない部分もあるけれど。
あと、表紙の絵がとても綺麗。タイトルもお気に入り。
耽美にも出来たのに、しなかったのはなぜか。作者に聞いてみたい気もする。 -
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病気であったことがあとから分かった。今までなぜ人と比べて出来ないのだろう、苦しいのだろうと思っていたことは、病気のせいであることが分かった。
タイトルの通りの膠原病、混合性結合組織病である著者の病名の確定から安定した段階までの手記というか何というか。
もともと純文学で独特な表現として受け取られていた、表現が病状だったというのは腑に落ちる。その人にしか見えないものを書くのだろうから。しかし、この病状が安定しない時から安定したときまでを淡々と、己を他人のように突き放して表現し続ける著者の執念はどこから来るのだろう。遺伝子を持ったとしても発現は後天的なものだという。生きることは書くこととなる性質は後天的なのだろう。すごい。
この人にしか書けないな、と思う本はたくさんある。けれども、もしかしたらすべての物語は、その人にしか書けないものなのかもしれない。 -
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冒頭のインパクトがすごすぎるし、テーマも話もすごい。ことばの使い方や比喩が特殊でちょっと読むのに時間がかかったけども。
もう、夢と現実の境界がわからなくなるとかそんなレベルの話じゃない。そういう二者を分ける概念はもはや無いような感じ。
あとがきの対談で、そういう世界「もう一つの世界」を掘り起こすために「私」を使うんやっていよった。作者自身っぽい「私」を使うのは(私小説とはまた違う)何かしらの目的があってするテクニックやと思っとったけど、そういうのん言ってくれるのもめずらしくて、対談も興味深く読んだ。
「シビレル夢ノ水」が猫小説かと思わせといて蚤でしたー三つの中ではいちばん好きやった。まじで蚤に取って代わられるかと思った。