篠森ゆりこのレビュー一覧
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「理由のない場所」で十分に衝撃を受けたので、次男のジェームズの自死のニュースには言葉もなかった。
そしてこのエッセイが世に出たと聞いてもすぐには読む気にはなれず。しんどすぎる、そう思った。
ピューリッツァ賞受賞と聞き、ようやく読んでみようかと手に取る。
搾り出した、全ての言葉が真実。
真実の言葉のものすごさに圧倒される。
全ての言葉に嘘がない。嘘や安易な言葉はジェームズの死への冒涜となるから。
今年ベスト、いや10年間でもベストの本かもしれない。
ピューリッツァ賞受賞も、イーユン・リーにとっては何の感慨も(もちろん喜びも)ないだろう。苦悩にはまだその底にも果てしない穴があり、そこで生きてい -
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間違いなく今年一番の本になると思う
あまりにも絶望する場面に直面した時人はどうなるなか、どう希望を見出して(または見出せず)これからの自分の人生を生きていくのか
何冊か読んでもしっくりくるものがなかったが、この本はちがう
受け入れる、いま、いま、足踏み、何もせず抗わず、けれども自分の意思で奈落の底に棲む
頭が良すぎると、それはそれで本当にしんどいんだなぁと陳腐なことしか思い浮かべない自分の脳みそのスペックを恨みつつ、ただ一方でそれはそれでしんどい人生を生き抜くための仕様なのかもしれないと思ったり
自然のものはただ育つ
素晴らしい視点です -
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『ヴィンセントが死んだ後、私は『グリーフ・レッスンズ』というアン・カーソン翻訳によるエウリピデスの戯曲集、それからシェイクスピアの『ジョン王』で玉座に続き人生も奪われた年若い息子アーサーを失ったコンスタンスの独白をくりかえし読んだ。古代ギリシャの人々は悲しみをこれ以上ないほど高らかにうたい上げる。カーソンが指摘するように、それは激しい怒りである。大きな悲しみや怒りの翻訳は不可能に近い。まるで極みに至った感情は肉体的な感覚でしかありえないかのように――その言葉はやけっぱちの手荒な勢いで読者に襲いかかる』―『2 事実関係』
イーユン・リーの手記「自然のものはただ育つ」を読む。この手記には息子を二 -
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『何年も前、友達になった年上の作家が執筆中の本のことを手紙で尋ねてきた。「小説はいかがでしょうか。人は病人のことを訊くようにそう訊きますが、まだ書き終えていない小説とはそんなものです。終わったら、それは死んでいるか、ずっと具合がよくなっているかのどちらか。死者をわずらわせてはいけません」』―『水曜生まれの子』
久しぶりに読む、イーユン・リー。もう、この作家を「千年の祈り」を読んだ時のようには読めないことを改めて意識してしまう。其処彼処に散らばる孤独、そして他者の死によってもたらされる喪失感。そこに作家の私生活における影を見ずにはいられない。
「理由のない場所」を読んだ時に、そこに長男の自死 -
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読みながら不安定な気持ちになる。
トワイラとロバータ、どっちが白人? 黒人?
それは最後まで明かされない。
もちろんそれが著者の狙い。偏見を招く構造への疑問。
そして施設での彼女らより「下」の位置にいる、施設で働くマギーはたぶん障がい者。これもまた二項対立。
全編示唆的なストーリーで、メタファーかなと思わせる会話や表現が山盛りもり。
作品自体は短く、大きめの字で56ページ。
それとほぼ同量(以上?)のゼイディー・スミスによる序文「実はあの中にちゃんとした人間がいた」があって、内容的にネタバレになるので、作品の後に移されている。
これがまた深い考察で素晴らしい。 -
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様々な年代の、様々な仕事を持つ人々の人生を、こんなにも物語れるなんてー。すべてのエピソードが本当にあったことのように息づいていて、なぜだか泣きそうになる。「列車の前に歩み出てきた」と言う鉄道職員。三十六個の植木鉢から流れ出る水。母親になるなんて、なんて向こうみずだったのだろう。こんにちは靴さん。さようなら靴さん。「くたばれ」。
イーユン・リーの作品を読むと、目の前が淡い寒色系のマーブル模様に染まっていくような気持ちになる。うっすらほのあかるい諦観。
登場する子どもの多くが、賢く繊細で生きづらそうにしているところに、筆者の長男の影を色濃く感じ、どうしようもなく悲しくなる。
あとがきで紹介され -
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僕のささやかな人生を投影して、共感したと言いたいわけじゃない。 イーユン・リー自身の人生と重なる箇所を探して、分かった気になれるわけでもない。
ここにあるのは、汎用性や互換性があるような、消化吸収しやすい感情ではない。
それなのに、どうしようもなく心が震える。短い物語たちに心が取り込まれてゆく。
外側から眺めるように読むことなどできず、登場人物たちの中から彼らの目を通して世界を見る。
そんな読書になる。
こんなに不完全な世界で、子供を産み育てると決めたとき、生まれてきた子に何がいえるだろう。
苦しみや悲しみにも不条理からも、目を背けなさい。喜びや明るい面だけを見て生きなさいと?
子供たちか -
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大人に可愛いげのない子どもと思われていた人に強烈におすすめしたい。
『悪童日記』シリーズとか、『夜が明けるまで』とか可愛げのない思春期の少年少女を主人公にした小説が好きな人なら、あるいはシャーリー・ジャクソンとかフラナリー・オコナーとかミュリエル・スパークとかのような人間性をクールに(皮肉に)描き出す作家が好きな人なら絶対好きだと思う。(よく考えたら女性作家ばっかり)
イーユン・リーは『千年の祈り』から3作までは欠かさず読んでいて、「中国のチェーホフ」と言われるのも納得だなあと思っていたのだが、久しく読んでいなかった。
今回読んでチェーホフとは違うかもなと感じた。じゃあ誰かと訊かれれば、イー -
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“ときには一人の人間の死が、別の人間を釈放する許可証になることがある。私は完全に解放されたわけではないかもしれないけれど、じゅうぶんに解放された。”
かつての友への手向けの言葉としては、なんと哀しいのだろう。
ただの子供時代の友というだけではない。
私と彼女 ーアニエスとファビエンヌという名の二人の少女ー は、アニエスの言葉を借りれば、一心同体のひとつのオレンジ。
“南を向いているオレンジの半分がもう片方の半分に、日差しがポカポカすると口にする必要はないだろう”
ファビエンヌに言わせれば、昼と夜。
“昼と夜でもない時間なんてある?あんたとあたしが一緒にいれば、時間を全部占拠できる。あたし -
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老いた主人公がかつて愛した人の日記に書き込みを入れながら過去を語る。夫のこと家族のこと、そして自死を選んだ娘のこと。
気丈な主人公はどの出来事に対してもきっぱりしているけど、歩んできた人生への深い諦念も伺える。強い人でも持つどうしようない諦念。
自らも同じようにして息子を亡くしたリーがどんな気持ちでこの小説を書き上げたのだろうと思わずにはいられない
主人公はリーではないけれど、言葉のひとつひとつに彼女の本心がどこかにないのだろうかとつい探ってしまう 彼女が小説を書き続けていること自体が奇跡だとそんなことは思いたくないけど
タイトル”Must I go”が家に来たお客を見送る時の”Must -
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『とはいえ、ここではささいな罪をとやかく言う者はいない。死に近づけば見えるものは減り、聞こえるものも減り、気になるものも減ることになる。気になるものが減っていき、ついに何も気にならなくなったあかつきには隣の建物へ送り出される。認知症対応施設だ』―『第一部 愛の後の日々』
献辞を読んで、はっとする。これは「理由のない場所」に続く物語なのか、と。その直感は第二部を読み終える頃にはほぼ確信となるのだが、そんな単純な続編をこの作家が書く筈もなく、もちろん主人公となるのは17歳の息子を失った中華系移民の女性ではない。本書の主人公は、どこかしらルシア・ベルリンの「掃除婦のための手引き書」の主人公を彷彿と -
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20年前に毒を飲んだ女が死に、残された3人の人生が語られ始める。
もう戻らない故郷、誰の人生にも自分が居ないようにと祈り選び取った孤独の淵、空白を他者で埋めようとすること。
共有した時間が落とした影は消えない。真実よりもはっきり見えるのは最高密度の孤独の形。
誰も心に立ち入らせなかった少女、常に他者を気にしていた少女、聡明ながらも恋に沈んだ少年、死んだ彼女。
人は本質的には孤独で、何を以ってしても埋められない空白を持っていて、だけどそれはそこに在るものとしてそれでいいのだと3人の人生を通してリーが語りかけてくる。優しさをも差し出して。
読んできたリーの小説の中でいちばんjust for m