篠森ゆりこのレビュー一覧
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様々な年代の、様々な仕事を持つ人々の人生を、こんなにも物語れるなんてー。すべてのエピソードが本当にあったことのように息づいていて、なぜだか泣きそうになる。「列車の前に歩み出てきた」と言う鉄道職員。三十六個の植木鉢から流れ出る水。母親になるなんて、なんて向こうみずだったのだろう。こんにちは靴さん。さようなら靴さん。「くたばれ」。
イーユン・リーの作品を読むと、目の前が淡い寒色系のマーブル模様に染まっていくような気持ちになる。うっすらほのあかるい諦観。
登場する子どもの多くが、賢く繊細で生きづらそうにしているところに、筆者の長男の影を色濃く感じ、どうしようもなく悲しくなる。
あとがきで紹介され -
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僕のささやかな人生を投影して、共感したと言いたいわけじゃない。 イーユン・リー自身の人生と重なる箇所を探して、分かった気になれるわけでもない。
ここにあるのは、汎用性や互換性があるような、消化吸収しやすい感情ではない。
それなのに、どうしようもなく心が震える。短い物語たちに心が取り込まれてゆく。
外側から眺めるように読むことなどできず、登場人物たちの中から彼らの目を通して世界を見る。
そんな読書になる。
こんなに不完全な世界で、子供を産み育てると決めたとき、生まれてきた子に何がいえるだろう。
苦しみや悲しみにも不条理からも、目を背けなさい。喜びや明るい面だけを見て生きなさいと?
子供たちか -
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大人に可愛いげのない子どもと思われていた人に強烈におすすめしたい。
『悪童日記』シリーズとか、『夜が明けるまで』とか可愛げのない思春期の少年少女を主人公にした小説が好きな人なら、あるいはシャーリー・ジャクソンとかフラナリー・オコナーとかミュリエル・スパークとかのような人間性をクールに(皮肉に)描き出す作家が好きな人なら絶対好きだと思う。(よく考えたら女性作家ばっかり)
イーユン・リーは『千年の祈り』から3作までは欠かさず読んでいて、「中国のチェーホフ」と言われるのも納得だなあと思っていたのだが、久しく読んでいなかった。
今回読んでチェーホフとは違うかもなと感じた。じゃあ誰かと訊かれれば、イー -
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“ときには一人の人間の死が、別の人間を釈放する許可証になることがある。私は完全に解放されたわけではないかもしれないけれど、じゅうぶんに解放された。”
かつての友への手向けの言葉としては、なんと哀しいのだろう。
ただの子供時代の友というだけではない。
私と彼女 ーアニエスとファビエンヌという名の二人の少女ー は、アニエスの言葉を借りれば、一心同体のひとつのオレンジ。
“南を向いているオレンジの半分がもう片方の半分に、日差しがポカポカすると口にする必要はないだろう”
ファビエンヌに言わせれば、昼と夜。
“昼と夜でもない時間なんてある?あんたとあたしが一緒にいれば、時間を全部占拠できる。あたし -
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老いた主人公がかつて愛した人の日記に書き込みを入れながら過去を語る。夫のこと家族のこと、そして自死を選んだ娘のこと。
気丈な主人公はどの出来事に対してもきっぱりしているけど、歩んできた人生への深い諦念も伺える。強い人でも持つどうしようない諦念。
自らも同じようにして息子を亡くしたリーがどんな気持ちでこの小説を書き上げたのだろうと思わずにはいられない
主人公はリーではないけれど、言葉のひとつひとつに彼女の本心がどこかにないのだろうかとつい探ってしまう 彼女が小説を書き続けていること自体が奇跡だとそんなことは思いたくないけど
タイトル”Must I go”が家に来たお客を見送る時の”Must -
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『とはいえ、ここではささいな罪をとやかく言う者はいない。死に近づけば見えるものは減り、聞こえるものも減り、気になるものも減ることになる。気になるものが減っていき、ついに何も気にならなくなったあかつきには隣の建物へ送り出される。認知症対応施設だ』―『第一部 愛の後の日々』
献辞を読んで、はっとする。これは「理由のない場所」に続く物語なのか、と。その直感は第二部を読み終える頃にはほぼ確信となるのだが、そんな単純な続編をこの作家が書く筈もなく、もちろん主人公となるのは17歳の息子を失った中華系移民の女性ではない。本書の主人公は、どこかしらルシア・ベルリンの「掃除婦のための手引き書」の主人公を彷彿と -
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20年前に毒を飲んだ女が死に、残された3人の人生が語られ始める。
もう戻らない故郷、誰の人生にも自分が居ないようにと祈り選び取った孤独の淵、空白を他者で埋めようとすること。
共有した時間が落とした影は消えない。真実よりもはっきり見えるのは最高密度の孤独の形。
誰も心に立ち入らせなかった少女、常に他者を気にしていた少女、聡明ながらも恋に沈んだ少年、死んだ彼女。
人は本質的には孤独で、何を以ってしても埋められない空白を持っていて、だけどそれはそこに在るものとしてそれでいいのだと3人の人生を通してリーが語りかけてくる。優しさをも差し出して。
読んできたリーの小説の中でいちばんjust for m -
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自らの少女時代、自らを育てた国を「想っている」物語たち。
リーの声には何も求めない静かな寂しさの弦が鳴っていて、ふとよぎる、全てを受け容れる優しさ、一瞬一瞬のその視線。物語たちはリーの声に語られるのを静かに待っている。彼女の声が聞こえるまで、静かに。
表題作と「獄」が好き。どの作品にも中国に深く根付いた家父長制や女性の結婚に対する伝統的な考えや、それから国外へ移住していく多くの中国人の思いがある。代理出産をテーマにした「獄」は、その重い選択ゆえに払う代償をそれでも淡々と描いている。リーがそっと包んだ悲しみから、誰も出られない。
リーの小説は比喩と、中国の古い言葉をリーの感覚で英語に訳し、そし -
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『その年配の男がお茶を飲み干してから、二人で少艾(シャオアイ)の火葬の書類を丹念に調べた。死亡証明書。死因は急性肺炎の後に起きた肺不全だ。それから、抹消の公印が押された黄ばんだ戸籍簿。身分証。受付係は泊陽(ボーヤン)の身分証も含め、書類を念入りに点検した。泊陽が記入した数字や日付の下に、鉛筆の小さな点がついていく』
火葬場の押し殺したような雰囲気の中で交わされる言葉の射程の短さ。何を言っても接ぎ穂が思い浮かばないような遣り取りの情景が、孤独、という状態の本当の意味を教えてくれる。それは身を守るための鎧であると同時に、他者に自己の内面に蠢くどろどろとした感情を吐きかけないための方法でもあるのだ -
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登場人物の孤独に長い時間取り囲まれて孤独感にひたった後に、最後少しそれがほどける兆しで緊張感が緩んで、読んだ後涙とまらない。
とても好き。孤独というテーマが響くのもあるけれど、登場人物や世界観が好きなのか、同じ作者の他の作品も読んでみよう。
存在の耐えられない軽さを好きなのと、独りでいるより優しくてを好きなのと、似ているかも。
誰かとの深い繋がり、心動かされる人間関係があることが幸せと分かりつつ、敢えて避けて孤独でいることで自分を守っている。後書きに、登場人物にとって孤独でいることは抗議と作者が発言したと書いてある。それはそれですごく良くわかる。うまくやれない、自分の幸せをかけて抗議した -
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物語は小艾(シャオアイ)の葬儀のシーンからはじまる。この章の視点人物は三十七歳の泊陽(ボーヤン)で、彼は小艾の母の代わりに火葬場に来ている。小艾は伯陽より六歳上だったが、誤って或は故意に毒物を飲んだせいで、二十一年間というもの病いの床にあった。その毒物は、泊陽の母が勤務する大学の薬品室から盗み出されたものだった。その日、彼と共に大学を訪問していた同級生の黙然(モーラン)と如玉(ルーユイ)の関与が疑われたが、はっきりした証拠といえるものがなく、解毒剤の投与で命はとりとめたこともあり、事件は有耶無耶のままに終わった。
年齢の近い四人の若者とその家族は、中庭を囲んで四棟が方形を描く北京の昔ながらの