藤本タツキのレビュー一覧
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チェンソーマン17巻は、第2部の物語が外側からの圧力と内部の葛藤が同時に噴き出す巻として構造化されている。公安がチェンソーマン教会の拠点を次々と制圧する状況の中で、教会の計画の核心が明かされ、それが物語全体の軸を大きく揺さぶる展開になっている。戦闘や混乱は単なるアクションではなく、登場人物たちの選択と価値観がぶつかる装置として機能する。 
この巻の中心にあるのは、「普通の暮らし」と「運命としての戦い」の対立だ。デンジは一時的に平穏な時間を過ごしているようにも見えるが、外部からの脅威と教会内部の力学が次第に彼を再び引き戻す。自分がチェンソーマンとして存在することの意味と、それを望む自分自身の -
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チェンソーマン16巻は、単純なバトル漫画の続きでも、本格的なクライマックスでもない。デンジが「チェンソーマンになる人生」と「普通の生活を送る人生」の間で揺れ動く姿を中心に据え、人生の選択と物語世界の「祭り」のような混沌」が同時並行で進む巻だった。公式あらすじでも、デンジが「普通の生活を続けるか、チェンソーマンとして生きるか」という究極の二択に向き合うことが示されている。 
巻の主眼の一つは、デンジの日常生活の描写だ。ナユタや仲間たちと過ごすシーンの中で、彼は“普通の幸せ”を享受しながらも、「これでいいのか」という自問を繰り返す。いわゆる戦闘展開は抑えられ、日常の中に侵入してくる外部勢力との -
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『チェンソーマン』第15巻は、物語の流れを一気に「日常巡りの延長」から「根源的恐怖との衝突」へと移す巻だった。冒頭から“落下の悪魔”と呼ばれる恐怖の悪魔が姿を現し、アサとヨルの関係に深刻な亀裂を生じさせる。この悪魔は対象の過去の嫌な記憶をフラッシュバックさせる力を持ち、戦闘における物理的な危機だけでなく精神的な揺さぶりをもたらす。これは単純な怪物との戦いではなく、人物の内面の脆さや関係性のズレを露わにする装置として機能している。アサはこの圧力の中で、これまで以上に自分自身と向き合う必要に迫られる構造になっている。 
デンジは依然として単純な欲望を軸に行動するが、この巻では“誰かを救う”とい -
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第14巻は、第2部の本筋を進めながらも、従来の戦闘中心の構造とは違う局面を描いた巻だった。まずこの巻の中心になるのは、アサとデンジの“水族館デート”という日常的なシーンを主体にしつつ、そこに外部の脅威が割り込む構造である。アサはデンジを武器化するために自ら惹きつけようとし、デンジはペンギンを見たいという単純な欲望を持ってそれに応じるという、噛み合わない二人の動機が並列して描かれる。結果として、二人の関係性が物語の主軸に据えられている。 
この巻で印象的なのは、“ラブコメ的なズレ”と“緊張の混在”という構成だ。水族館という一般的な舞台設定にもかかわらず、アサの計画性とデンジの無邪気な欲望は互 -
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落下の悪魔、こわっ!
ネガティブになればなるほど、
重く落ちていくって。
最初に団地から身を投げる人たちは、
天地が逆転してなかったけど。
そういえば、あんなふうにビルから次々に
人が身を投げる映画があったな。
植物由来のなんかの成分が、
風に乗ってきてそれを吸ったら、
希死念慮が強まるやつ。
それはさておき、
超高所恐怖症で、高いところから落ちる夢を
度々みてはビビりまくってる私にとって、
かなり上位ランクの悪魔です。
だから、映画の『フォール』なんか、
気になりつつも未だに観れてない。
悪魔の種類も、
何に人が恐怖心を抱くかという切り口が、
面白いですね。
支配の悪魔の自我が強くなっ -
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この作品も会社の先輩が貸してくれた。
そうだ。先輩と話してて、チェーンソーマンはルックバックと同じ作者の藤本タツキさんが書いたと聞いて驚いた。
この作品、以前ネットで読んだことを思い出した。
セリフの中の
「ベタだね。」は、最近見たあちこちオードリーで西加奈子さんが、
人間ってみんなベタが好きやねんなぁと話していた事を思い出した。
後は、家族が亡くなる話を見て、
よしもとばななさんの作品で、ある登場人物の男性が、
人に死にやたら巡り合いという言葉は変なのか、
そうゆうフレーズがあったのを思い出した。
なんなんだろう、ああゆう捻くれたファンタジーが無いと、人生持たないのかなぁと思った。