ルソーのレビュー一覧
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ネタバレ東浩紀さんの『一般意志2.0』を読んだ後、そのベースとなった本書を読んだ。当時は「一般意志」を実現できる情報インフラが整備されていなかったから、「一般意志」とは、あくまでひとつの思考実験に過ぎなかった。だけど、現代はSNSやTWITTERなど市井の人の声を拡散・収集するツールが揃いつつあるので、やる気になれば特殊意志(個人の自分勝手な意志)を吸い上げ全体意思(特殊意志の全部集めたもの)を可視化することはすぐできるし、また社会契約に基づく共同体の意志としての「一般意志」を表出させるのも、(いくつかハードルはありそうだけど)可能性はありそう。民主主義のあり方が根本的に代わるかもしれない今こそ読む価値のある一冊。抽象的な話が多くやや難しいが、翻訳が良いからか読みやすい。
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ネタバレ自然に育てるのが一番、であるとルソーはいっている。
若い時から、断片的な教養や知識、子どもからすれば「いつ使うのだろうか」と思ってしまうのも当然だ。若干中二病のような毛もする作品ではあるが・・。
確かに子供は自然な存在だ。本当にモノを理解してもらうには、部屋にこもって本ばかり読んでいるより、実際に体験するほうがいいに決まっている。また食に関しても、「肉食するための肉は、目の前にいる牛や馬を殺し、捌き、切り裂いている状況を目の前から覆いさっている結果であるともいえる。そんなものを目の当たりにすれば、とても食べられるものではない。自然に反する味覚、偽装である。」というのようなことをいっている。かなり極端であるが、そう云われればそうである。
これはあくまでも一例に過ぎない。冒頭でも解説で述べているとおり、訳者の解説にも、「すぐに応用することは難しい。」と。ただし概ね、当たっているような気がするのだ。
余談ではあるが、かのイマニュエル・カントは異常なまでに規則ただしい生活で知られた男であったが、ただ一度だけ時間を忘れて読みふけった本がある。それがこれだ。その時は周りの人間は大いに騒いだようである。
とはいえ、かなり難解で退屈ともいえなくもない・・・読み通すのに時間がかかった作品でもある。 -
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自然状態から社会状態へ移行し、利己心を持ってしまった人間たち。そこから、社会の成員全員の自由と正義が守られる理想政体を作ることは可能なのか? 前著の『人間不平等起源論』を受けて、この『社会契約論』ではその可能性が探られる。前著に引き続く壮大な思考実験だが、国家の規模や風土に応じて望ましい政体の幅を持つなど、現実を見据えた議論でもある。
さて、ここで理想政体を作るための鍵概念となるのが、「全員の、全権譲渡による社会契約」であり、「一般意志」(一個の精神的存在としての政体の意志)に基づいた徹底的な人民主権だ。高校の公民レベルの知識しかない僕には、これまでこの「一般意志」がひどく全体主義的なものに思えて仕方なかったのだが、初めて本書を手にとり、いくつか学んだことがある。
第一に、ルソーがこれによって「一人の成員も犠牲にしない」「正義と幸福が一致する」「存在と幸福を同胞と分かち合うことで、存在も幸福も強まる」社会を目指していたこと。第二に、その「一般意志」が形成されるためには、個人の多様な意見の違いが必要であるとすること。特に後者は意外だった。多様性に基づいてこそ一般意志が生まれるとは! 残念なことにそのプロセスがよくわからないのだが、少なくともルソーが僕のイメージしていたような全体主義者でないことは確実だ。
なるほど、利己心や個人の多様性からスタートして社会全員の自由・幸福・平等を追求するルソーの社会は、確かに美しい理想であるに違いない。しかし、まだ僕には釈然としない点も多い。例えば、一般意志を無謬とするルソーは、自分の個人的意志と一般意志が齟齬を来した場合に、自分の個人的意志が正しいということはありえないとする。
「もしもわたしの個人的な意志が、一般意志よりも優位に立つならば、それはわたしが自分の望んでいなかったことをしたことになる。その場合にはわたしは自由ではなかったのである」(215ページ)
これは、本当にそうなのだろうか? 僕はここには強い抵抗を覚える。この場合の「自由」とは何なのだろうか?これは拘束からの自由ではなく、アイザィア・バーリンの言う「積極的自由」なのかもしれないが、そうだとすると、僕たちが守るべき「自由」はそれなのだろうか? もやもやが残る。
と、まあ、自分の力不足で、まだ「読めた!」という感じにはならない本。しかし、ルソーの理想の美しさへの共感と、にもかかわらず僕の中に残った大きな違和感。これは大事にしていきたい。 -
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ほぼ3年?越しになった『エミール』下巻(第5編+付録「マルゼルブ」への手紙)。
上巻は、エミールの主題であり、最も有名な部分である自然教育について。幼児期から少年期のエミールへの接し方が事細かに示されていた。
理想状態でしかないとは思いますが、結構感動したような。
中は、社交界の風俗(特に男女間の乱れ)への批判ばかりで、
正直、面白くなかった記憶があります。
中の最後はパリを出て嫁捜しに旅立つところで終っていたはずですが、
下巻は、実際に嫁(ソフィーね。)を見つけに行くには、どのように旅すべきかという心得から始まり、
「理想の女性像」であるソフィーが、どのような家で、いかな性格に育て上げられているべきかが延々延べられるのが前半。
そしてエミールとソフィーの出会いの部分だけ読むと、ハーレクインも真っ青な。。
小説調で、恋愛に関しても理想を述べられるので。
ルソーの女性観×恋愛観が詰め込まれている感じ。
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余談ですが、エミールはソフィーとの恋愛中、農家でおやつ時の歓待を受けるのですが、
「エミールは御婦人方の好きなほうにまわって、ソフィーのさじがすくった皿のクリームをそっととろうとたえずねらっている。」231P
という一節があるんですね。
(まだ読んでないけど)『告白』のなかで、ルソーはド・ヴァラン夫人との恋を振り返った一節で、
「ある日テーブルについていたときのこと、あのひとが食べ物を一切れ口に運んだとたんに、私は、髪の毛がついていますよと叫んだ。
あのひとがそのひと口をお皿に戻すと、私はそれをつかんで、飲み込んでしまった。」
とういうところがあるんです。
(ちなみに、上の文章は孫引き。ジョナサン・カラーの『文学理論』で、
カラーは、これをデリダの「補遺の論理」の説明に引用します。
現前する夫人だけでは満足できなくて、代用品(記号)が必要になるっていう。
なんのこっちゃ。。。
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あまり巧くまとまらない。
ただ、ルソーの(理想の)女性観に、説得力を感じてしまう・・・
全面的な肯定は、当然のことながらできません。
女性に男性と同等の教育は必要ないとか、自然の観察(自然科学みたいな)に女性は本性として向かないとか。(私は好かなかったけどw)
(あ、あと文学談義する女はダメだ、みたいなのもあったわww)
特にルソーは、エミールに対し自然教育を施すことを望んだ際と同様、
男性/女性本来の「自然」に適した教育を探求する。
だからこそ、「女性本来は・・・」みたいな書き方に、カチンとくるところもあるのだけれど。
女性全般に対し、彼の言うところの女性の本性、自然が当てはまるとは思わない。
でも、自分自身の性格(アイデンティティというの?)に当てはまると感じた部分について、
それへの教育論、その上での男性(つまりエミール)との接し方を述べられると、
すごく説得されてしまうところがある。
つまり真摯なんですね。
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自分の国に負い目を感じない有徳な人間がどこにいるだろう。
それがどんな国だろうと、人間にとってなによりも大切なもの、その公道の道徳性と美徳にたいする愛を、かれはその国からうけているのだ。
どこかの森の奥に生れていたとしたら、かれはもっと幸福に、もっと自由に暮らしていられたかもしれない。
しかし、なにものとも戦う必要を感じずに自分の傾向に従っていられるかれは、よき者であってもなんの功績ももたないことになったろう。
有徳な人間にはなれなかったろう。
ところがいまかれは、自分の情念を克服して、有徳な人間になれるのだ。
秩序の見せ掛けでもかれにその秩序を認識っせ、好ませることになる。
公共の福祉は、ほかのすべての者にとっては口実として役立つだけだが、かれにとっては現実の動機になる。
かれは自分と戦い、自分を征服し、自分の利益を共同の利益のために犠牲にすることを学ぶ。かれは法律からなんの利益も得ていないというのは正しくない。
法律は、悪い人間にあいだにあってさえ正しい人としてふるまう勇気をかれにあたえている。
法律はかれを自由にしてはくれなかったというのは正しくない。
法律はかれに自分を支配することを教えたのだ。(334)
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ただ欠陥があるとすれば。
この教育はあまりにも清く正しすぎて。そしてルソー自身が孤独を好みすぎて。
いまの時代にあっては、どこにも行き着かない気がするのです。
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とにかく、わたしの力でできるかぎり、自分のために働きながら、わたしは、自分の能力に応じて、社会のためにできることをすべてしてきました。
わたしは、社会のためにわずかなことしかしなかったにしても、もっとわずかなものしか社会にもとめませんでしたから、わたしがおかれた状態にあって、社会にたいする責任を十分にはたしていると強い自邸増すので・・・」(406『マルゼルブへの手紙』)
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満ち足りている時代は、つまり、彼の理屈の上では、孤独であることの楽しみを許される時代にあるわけですから。 -
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やっと読めました。1755年!?本当に革命以前で貴族がいた時代とは思えない思想。神様です。現代に甦ってほしい本当に。今なお古さを感じない思想です。本当に素晴らしい。
関係無いですが翻訳本に星をつけるのはとても難しいです。特にこういう既に翻訳されている本の再訳。私はフランス語はできないのでもちろんこの本を原文で読むことはできないからルソーの書いた文章そのものを評価することはできないし、翻訳されると翻訳家の技術を通してこの本を読むことになるので果たしてこの評価はルソー自身についてなのか翻訳家を通じてなのか自分でも分からなくなります。少なくともこの翻訳では真っ直ぐにルソーの文章を受け取った感じはしなかったので星4つは翻訳家の分厚いフィルターを通じてのこの本への評価です。(別に翻訳が悪いとは言ってません。むしろ読みやすかったけど。) -
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前の日に「いい子で心配」症候群について書きました。
このことを書いてあと,思い出したことがあります。
ルソーの「エミール」です。うろ覚えの中で書いています。間違いは指摘してください。
「エミール」はだいぶ昔に読んだか,中途で放り出してしまったかです。ぼくの勝手な解釈もだいぶ入ります。
ルソーはフランスの啓蒙思想家。教育についても書いています。私生活の評判はよくないのですが。
彼は「自然に帰れ!」と唱えました。
そして,空想の中でエミールを育てます。エミールは子どもの名前です。
この中のテーマは,自然のままに育てればそのままいい子,いい人間になる,とうものです。悪い子に育っていくのは,親やまわりの大人の育て方が悪いからです。子どもの中にはいい芽があり,それを阻害しないように自分で育っていくのを見守ることが大切なのだとルソーは言います。
例えば,子どもの中には知的好奇心というのがはじめから備わっている。それを刺激しながら学習を行えば,その子は学ぶことを好きになり,さらに学ぶようになる。内発的動機付けですね。勉強が嫌いになるのは,分からないままに前に前に進む,他の子と比較する,無理な競争をさせるからなのです。
性格においてもそうです。その子の中にある芽を自然に出させる。その芽を素直に育てていけば「いい子」になり,「いい青年」「いい大人」になっていく。あくまでも自然のままに育てることが大切。周りの大人はその子が育っていくのを見守るのです。そしてその子が必要としているのを与える。植物に水や光,肥料が必要なように,子どもには愛情,適切な栄養ある食べ物,衣類が必要です。
無理にしつけるということをしなくても,その子の中のものをうまく出させることができればいいように育っていくのです。下手にしつけようとするから悪い子になってしまうのです。
このようにすべてうまくいくかどうかは,疑問です。
うまくいくケースもあるでしょう。その子を見守っていくと「いい子」のままで育っていく。でも,「いい子は危ない」と言われて,「いい子で心配」症候群になってしまう。
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Posted by ブクログ
古典が好きなので、近年の研究をもとに書かれた実用的な本よりはルソーが考えていた教育論の方に惹かれる。ルソーの本とか哲学っぽい本を読みたいというよりは、個人的に結婚を考える時期というのが読み始めた動機に大きく寄与している。
読み手に「こういう考え方が正しい」という主張をしたい場合は、研究データを持ってきてロジカルに説明するのが今や当たり前になっているのだが、本書は単にルソーの個人的な思想をぶちまけている感じがあって「いや、何を根拠に言ってんねん」みたいな感情をまさかルソーに抱くとは思わなかった。
しかも結構現代のコンプライアンスに引っかかりそうなフレーズが飛び交う。しかし、これくらい自分の感覚に任せた主張は清々しいし、自分も似たような感覚や主張もあるので「ふむふむ」と思うことももちろん多かった。
それにしても「教育」とか「育児」って本当に正解がない(結論が出ていない)分野なんだなと改めて実感した。
個人的には『ロビンソン・クルーソー』を素晴らしい書物として紹介していてちょっと気分が上がった。