【感想・ネタバレ】エミール 下のレビュー

あらすじ

家庭教師は凡人を自然という師に従っていかに導くのか―。教育思想史上不朽の古典。(全3冊完結)

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Posted by ブクログ

一人の人間を育て上げる仕事(子育て)がこの世で一番難しい仕事だと思うことを思い知らされる。子供を持つ親あるいはこれから子供を持つ人が読むべき本。

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2020年03月08日

Posted by ブクログ

『エミール』第5編および『マルゼルブへの手紙』を収録している。エミールの教育の締めくくりとして、エミールのみに似つかわしい女性とはいかなる人物であるべきか、という女性論が開陳される。その女性ソフィーと出会ったあとも、「市民の義務」を学ばなければならないと称して、『社会契約論』の思想を規準に諸国を遊覧し、どの国に居住すれば自由を維持することができるかを検討する。最終的には、この地上において自由を維持することのできる国家は存在せず、積極的に国家活動に関わることはないが「執政官」として必要とされた場合にのみ義務を果たせばよい、という『社会契約論』で提示される「市民」像とは真逆の、自然法に従う「人間」像が提示されて終わる。

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2014年02月21日

Posted by ブクログ

女の子の育て方についても書いてあった
エミールとソフィーの結婚から突然政府論になったの少し急だな!とびっくりしたけど、家庭は社会の最小単位の集合体だもんね

何でもしたいがままさせたいがままが自然じゃなくて、秩序も必要

ルソーの考えが好きだよ

最後の手紙を読んで、傷ついてる時や悩まされている時って自然を求めるというか自然に帰りたくなるよな。。。と思った
楽しみがたくさんある都会生活を好んで送っているくせに、飽き飽きしている私にグサグサ刺さりました

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2025年02月24日

Posted by ブクログ

エミール、上、中、下と改めて纏めたが、
「下」が、賛同という意味ではなく、
 ルソーの個性がとても色濃く出ているので、特に楽しめた。

本から
・プラトンは「国家篇」の中で、女にも男と同じ訓練をさせている。

・肉体はいわば魂に先だって生まれるのだから、最初の教養は
 肉体についての教養でなければいけない。この順序は男女に
 共通である。しかし、その教養の目的は違う。一方においては
 その目的は体力を発達させることであり、他方におていは魅力を
 育てることである。もっともこの二つの力はそれぞれの性に
 排他的にあるわけではなく、ただ順位が逆になっている。
 女性は何をするにしても優美に見えるように十分の力を必要と
 する。男性は何をするにしてもやすやすと出来るように十分の
 器用さを必要とする。

・服従は女性にとって自然の状態。

・女性の基本的な、そして最も大切な美点は、やさしくするという
 ことだ。男性という不完全な存在、しばしば多くの不徳をもち、
 いつも欠点だらけの存在に服従するように生まれついている
 女性は、正しくないことにさえ我慢をし、夫が悪い時でも不平を
 言わずに堪え忍ぶことご早くから学ばなければならない。

・男も女も自分の性にふさわしい調子をもち続けなければならない。
 やさしすぎる夫は妻をなまいきな女にすることがある。

・男性は話をするには知識を必要とし、女性は趣味を必要と
 する。一方は役に立つことを、他方は楽しませることを主な
 目的とすべきだ。双方の話は真実性ということの他には
 共通の形をもつべきではない。

・それぞれが相手の衝動に従っている。それぞれが服従しながら
 両者とも主人なのだ。

・実例を示さなければ子供に対しては絶対なにごとも成功しない。

・あらゆる罠の中で一番危険なのは、理性も避けることの出来ない
 ただ一つの罠は、官能のしかける罠だ。

・あらゆることで中庸を望むがいい。美しさということさえ、その
 例外ではない。感じがよくて、人好きのする姿、恋を感じさせは
 しないが、好意をもたせる姿、そういう姿の人を選ぶべきだ。

・人生は短い、と人々は言っているが、私の見るところでは、
 人々は人生を短くしようと努力しているのだ。人生を利用
 することを知らないで、彼らは時がたちまち過ぎ去ることを
 嘆いているが、私の見るところでは、時は彼らの意に反して、
 まりにもゆっくり過ぎていくのだ。めざす目的のことばかり
 考えている彼らは、自分達とその目的とをへだてている間隔を
 恨めしく思っているある者は明日になればと思い、ある者は
 ひと月たてばと思い、またある者は、今から10年たてば、と
 思っている。だれひとり今日を生きようとはしない。だれひとり
 現在に満足しないで、みんな現在の過ぎ去るのがひどく
 遅いと感じている。時はあまりにも速く流れていくと嘆く時、
 彼らはうそをついているのだ。彼らは時の流れを早める力を
 喜んでもらいたいのだ。彼らの一生を無駄にすることに喜んで
 彼らの財産を使いたいのだ。

・人生の無常を考え、特に現在を未来の犠牲にする間違った
 思慮を避けることにしよう。それはしばしば現在あるものを
 将来もありえないもののために犠牲にすることになる。
 全ての時期において、人間を幸福にしてやろうではないか。

・男性よ、君の伴侶を愛するのだ。きみの労苦をいたわるために
 きみの苦しみをやわらげるために、神はきみに伴侶を与えて
 いるのだ。これが女なのだ。

・人間はその願望のために無数のものに執着しているが、
 人間そのものはなにものにも、自分の生命にさえも、固く
 結びついているわけではない。人間は一層多くの愛着をもてば、
 一層多くの苦しみを招く。全ては地上を過ぎ去るだけだ。
 私達が愛しているもの全て、おそかれはやかれ、私達から
 遠ざかっていく。ところが私達は、全ては永遠に続くことになる
 かのようにそれを執着している。

・有徳な人とはどういう人か。それは自分の愛情を克服出来る
 人だ。そうすればその人は自分の理性に、良心に従うことに
 なるからだ。その人は自分の義務を果たし、正しい秩序のうちに 
 とどまって、なにものも彼をそこから逸脱させることは出来ない。

・人間であれ。きみの心をきみに与えられた条件の限界に
 閉じ込めるのだ。その限界を研究し、知るがいい。それが
 どんなに狭くても、そこに閉じこもっている限り、人は不幸には
 ならない。その限界を越えようとする時、初めて不幸になる。
 無分別な欲望を起こして不可能なことを可能なことと考える
 時に不幸になるのだ。自分の人間の状態を忘れて空想的な
 状態を作り上げる時、不幸になるのだ。

・傲慢な心から生まれる錯覚は私達の最も大きな悪の源だ。
 一方、人間のみじめさを深く考えることは賢明な人にいつも
 つつましい態度を取らせる。

・幸福に、賢明に生きようとするなら、きみの心を失われることの
 ない美しさにだけ結びつけるがいい。きみに与えらえている
 条件をきみの欲望の限界とし、きみの義務をきみの好みに
 先行させるのだ。必然の掟を道徳的なことにまで広げ、きみの
 手から奪われるようなものを失うことを学ぶがいい。

・死は悪人の生の終わりだが、正しい人の生の始まりだ。

・自由になるためにはなにもすることはないのだ、と私には
 思われる。自由であることをやめようとしなければ、それで
 十分なのだ。あなたは必然に従うように教えることによって
 私を自由にしてくれた。必然がいつやってきてもいい。私は
 なんの拘束も感じないで、それにひっぱられていく。そして
 私は必然と戦おうとは思っていないから、自分をひきとめ
 ようとしてなにかにしがみつくようなことはしない。

・人間には一生の間、助言と指導が必要だ。


 

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2013年01月13日

Posted by ブクログ

ほぼ3年?越しになった『エミール』下巻(第5編+付録「マルゼルブ」への手紙)。

上巻は、エミールの主題であり、最も有名な部分である自然教育について。幼児期から少年期のエミールへの接し方が事細かに示されていた。
理想状態でしかないとは思いますが、結構感動したような。

中は、社交界の風俗(特に男女間の乱れ)への批判ばかりで、
正直、面白くなかった記憶があります。

中の最後はパリを出て嫁捜しに旅立つところで終っていたはずですが、
下巻は、実際に嫁(ソフィーね。)を見つけに行くには、どのように旅すべきかという心得から始まり、
「理想の女性像」であるソフィーが、どのような家で、いかな性格に育て上げられているべきかが延々延べられるのが前半。

そしてエミールとソフィーの出会いの部分だけ読むと、ハーレクインも真っ青な。。
小説調で、恋愛に関しても理想を述べられるので。

ルソーの女性観×恋愛観が詰め込まれている感じ。

****
余談ですが、エミールはソフィーとの恋愛中、農家でおやつ時の歓待を受けるのですが、
「エミールは御婦人方の好きなほうにまわって、ソフィーのさじがすくった皿のクリームをそっととろうとたえずねらっている。」231P 
という一節があるんですね。

(まだ読んでないけど)『告白』のなかで、ルソーはド・ヴァラン夫人との恋を振り返った一節で、
「ある日テーブルについていたときのこと、あのひとが食べ物を一切れ口に運んだとたんに、私は、髪の毛がついていますよと叫んだ。
あのひとがそのひと口をお皿に戻すと、私はそれをつかんで、飲み込んでしまった。」
とういうところがあるんです。
(ちなみに、上の文章は孫引き。ジョナサン・カラーの『文学理論』で、
カラーは、これをデリダの「補遺の論理」の説明に引用します。
現前する夫人だけでは満足できなくて、代用品(記号)が必要になるっていう。

なんのこっちゃ。。。

*********
あまり巧くまとまらない。
ただ、ルソーの(理想の)女性観に、説得力を感じてしまう・・・

全面的な肯定は、当然のことながらできません。
女性に男性と同等の教育は必要ないとか、自然の観察(自然科学みたいな)に女性は本性として向かないとか。(私は好かなかったけどw)
(あ、あと文学談義する女はダメだ、みたいなのもあったわww)

特にルソーは、エミールに対し自然教育を施すことを望んだ際と同様、
男性/女性本来の「自然」に適した教育を探求する。
だからこそ、「女性本来は・・・」みたいな書き方に、カチンとくるところもあるのだけれど。

女性全般に対し、彼の言うところの女性の本性、自然が当てはまるとは思わない。
でも、自分自身の性格(アイデンティティというの?)に当てはまると感じた部分について、
それへの教育論、その上での男性(つまりエミール)との接し方を述べられると、
すごく説得されてしまうところがある。

つまり真摯なんですね。

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自分の国に負い目を感じない有徳な人間がどこにいるだろう。
それがどんな国だろうと、人間にとってなによりも大切なもの、その公道の道徳性と美徳にたいする愛を、かれはその国からうけているのだ。
どこかの森の奥に生れていたとしたら、かれはもっと幸福に、もっと自由に暮らしていられたかもしれない。
しかし、なにものとも戦う必要を感じずに自分の傾向に従っていられるかれは、よき者であってもなんの功績ももたないことになったろう。
有徳な人間にはなれなかったろう。
ところがいまかれは、自分の情念を克服して、有徳な人間になれるのだ。
秩序の見せ掛けでもかれにその秩序を認識っせ、好ませることになる。
公共の福祉は、ほかのすべての者にとっては口実として役立つだけだが、かれにとっては現実の動機になる。

かれは自分と戦い、自分を征服し、自分の利益を共同の利益のために犠牲にすることを学ぶ。かれは法律からなんの利益も得ていないというのは正しくない。
法律は、悪い人間にあいだにあってさえ正しい人としてふるまう勇気をかれにあたえている。
法律はかれを自由にしてはくれなかったというのは正しくない。
法律はかれに自分を支配することを教えたのだ。(334)
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ただ欠陥があるとすれば。
この教育はあまりにも清く正しすぎて。そしてルソー自身が孤独を好みすぎて。
いまの時代にあっては、どこにも行き着かない気がするのです。

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とにかく、わたしの力でできるかぎり、自分のために働きながら、わたしは、自分の能力に応じて、社会のためにできることをすべてしてきました。
わたしは、社会のためにわずかなことしかしなかったにしても、もっとわずかなものしか社会にもとめませんでしたから、わたしがおかれた状態にあって、社会にたいする責任を十分にはたしていると強い自邸増すので・・・」(406『マルゼルブへの手紙』)
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満ち足りている時代は、つまり、彼の理屈の上では、孤独であることの楽しみを許される時代にあるわけですから。

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2010年01月07日

Posted by ブクログ

「あなたがたが子どもや青年に付けさせたつもりでいる習慣は、たいてい、ほんとうの習慣ではない。」この一言は、まさに現代の教育にも繋がる恐ろしい言葉だと思う。

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2025年09月09日

Posted by ブクログ

生涯に一度は読んでおきたい・・・と、読後にこそ思った。
三巻は教育論というより、人生論のような。
部分的には楽しめて、部分的にはくどく感じた。
それでも、ツン読の多いことも理解できる。

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2015年09月20日

Posted by ブクログ

良き教育のあり方っていうのは時代によって違うってのはわかってるんだけれども、結局は嫉妬なのでしょうか。

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2009年10月04日

Posted by ブクログ

自然と社会との対立や、自然の優位についてルソーがその処女論文「学問芸術論」以来一貫して主張してきた考えを教育論において全面的に展開した著作。エミールなる人間の教育方法とともに、その妻たるべき少女ソフィーの教育をも加えて、小説形式で述べた教育思想史上不朽の古典。巻末にルソーがスケッチ風に自画像を描いた「マルゼルブへの手紙」を収録。

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2009年10月07日

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