あらすじ
家庭教師は凡人を自然という師に従っていかに導くのか―。教育思想史上不朽の古典。全3冊の第1冊。
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ルソーの考え方と似通っているところもあり、いろいろなところで引っかかってしまい、なかなか読み進むことができない。思わず納得させられてしまう指摘が多い。
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『社会契約論』とほぼ同時に出版された『エミール』のうち、第一篇から第三編までを収録する。「自然人」の教育こそが主題だが、それはまったくの無為を意味するわけではない。のちにヘーゲルが、「自然法」という言葉の二義性に着目して述べたように、ここでの「自然」はむしろ人間の「本質」を意味し、それを、社会から隔絶された人工的環境を作り出すことによって実現しようとする。したがって、『エミール』は完全な作為の立場に立っている。そうした本来的な人間を作り出すための予備段階として、まず感覚からある程度の推論=判断能力を育てることが、第一篇から第三編までの主題である。
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エミールは名前は知っていたけれども、なかなか手が出なかった。でも死ぬ前に読んでおかなくては(死ぬには遠いとおもうが)と頭にひっかかっていたので、おもいきって読んでみた。
おもしろかった!
ルソーが愛情をこめて子供を立派な大人に育てるにはどうしたらいいかということを事細かに記しているのである。それだけではなく、彼の考え方、勉強法、幸福論など、いっきょ大公開である。
たとえば、幼い子供には情緒を育てるため明るい色の服を着せたほうがいいといっている。また食べ物にも言及している。とても細かい。それだけ筆者のあたたかみが感じられる。読む本も、古典や評価が定まったものを読むようにといっている。悪書は読まないようにと。
叡智がつまった一冊で、ぜんぶ読まなくてもどこからはじめてもいいと思う。だまされたとおもって、ぜひよんでほしい。
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「エミール」は、副題にもあるのですが、教育論といった作品で、ルソーの息子(実在するのかは?)としてエミールを設定し、エミールを育てて行く過程を教育論として説いていくものです。
さて、内容ですが、上巻がエミールの幼年・少年時代についての教育論、中巻がエミールの思春期から青年期、下巻がエミールの青年期から恋愛・結婚についての教育論をまとめたものになっており、すべての教育の基礎には自然があるとの大定義のうえに論述が組み立てられています。
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ジャン・ジャック・ルソーの書いた名作。彼は理想主義者であるが一部の彼の発言には今の我々が共感すべきところがある。
エミールという少年が学校には行かず家庭教師と一緒に生活しそこから人間のありのままの道徳を教えられていく物語である。
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現代の感覚からすると差別的だったり、非科学的だったりする主張もありましたが、参考になる考え方も多かったです。
経験の伴っていない観念のみを教えても意味はないという主張には深く共感しました。ただ、観念を先に知っておいて、その後経験した出来事によってその理解を深めるといったシーンも、実際の人生ではありそうです。
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100分で名著で放送していたので久しぶりに読んだ。エミールとのやり取りの場面ばかりテレビでは取り上げられていたが、そうした場面は意外と少ない。
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本から
・人間はよい者として生まれているが、社会は人間を堕落させる。
これがルソーの根本命題。
・「子どもの発見」ということが教育思想におけるルソーの最も
大きな功績。
・ルソーはデカルト的な懐疑から出発して、まず認識論を展開し、
ついで唯物無神論の不条理を論じ、理性ではなく直接的な感情
によって、自然の光景と人間の内部に神を認め、全ての人に
与えられた良心の掟を高く掲げています。
・「あぁ徳よ、素朴な者の崇高な学問。これを知るにはそれ程の
労苦と道具が必要なのだろうか。その法則は全ての人の
心の内に刻み込まれているのではないか。だから、それを
学ぶには、自己をかえりみ、情念をしずめて、良心の声に
耳をかたむけるだけでいいのではあるまいか。これこそ本当の
哲学だ。私たち平凡な人間はこういうことで満足することに
しよう・・・。」
* *
・万物を創る者の手を離れる時、全ては良いものであるが、
人間の手にうつると、全てが悪くなる。
・教育は、自然か人間か事物によって与えられる。私達の能力と
器官の内部的発展は自然の教育である。この発展をいかに
利用すべきかを教えるのは、人間の教育である。私達を
刺激する事物について私達自身の経験が獲得するのは
事物の教育である。
・公共教育の観念を得たいと思うなら、プラトンの「国家篇」を
読むがいい。
・私達の中で、人生の良いこと、悪いことに最もよく耐えられる者
こそ。最もよく教育された者だと私は考える。だから、本当の
教育とは、教訓を与えることではなく、訓練させることにある。
・家庭生活の魅力は悪習に対する最良の解毒剤だる。
・子供に教える学問は一つしかない。それは人間の義務を
教えることだ。
・教えることよりも、導くことが問題。
・虚弱な肉体は魂を弱める。
・子供を助けてやる場合には、実際に必要なことだけに限って、
気まぐれや、理由のない欲望にたいしては何も与えないように
すること。気まぐれは自然から生ずるものではないから、人が
それを生じさせない限り、子供がそれに悩まされることはないのだ。
・苦しむこと。それは彼がなによりも先ず学ばなければならない
ことであり、そえを知ることこそ、将来、最も必要になること
なのだ。
・力、健康、自分はよき者であるという信念、これらを除けば、
この世でよいものとされているものは全て人々の臆見の
うちにある。肉体の痛みと良心の悩みを除けば、私たちの
不幸は全て想像から生まれる。
・子供を不幸にする一番確実な方法は何か。それをあなたは
知っているだろうか。それはいつでもなんでも手に入れられる
ようにしてやることだ。
・子供の先生になるためには、自分自身の支配者になれなければ
いけない。
・あらゆることにおいてあなた方の教訓が言葉によってではなく、
行動によって示されなければならないということを忘れないで
いただきたい。子供は自分が入ったり、人から言われたりした
ことはすぐに忘れてしまうものだが、自分がしたり、自分のために
人がしてくれたことは中々忘れないものだ。
・自分から学ぶことについては、他人に教えられて知ることに
ついてよりも疑いもなく、一層明確な観念を持つことになる。
・自由に生き、人間的なものにあまり執着しないこと。それが
死ぬことを学ぶ一番いい方法だ。
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自然に育てるのが一番、であるとルソーはいっている。
若い時から、断片的な教養や知識、子どもからすれば「いつ使うのだろうか」と思ってしまうのも当然だ。若干中二病のような毛もする作品ではあるが・・。
確かに子供は自然な存在だ。本当にモノを理解してもらうには、部屋にこもって本ばかり読んでいるより、実際に体験するほうがいいに決まっている。また食に関しても、「肉食するための肉は、目の前にいる牛や馬を殺し、捌き、切り裂いている状況を目の前から覆いさっている結果であるともいえる。そんなものを目の当たりにすれば、とても食べられるものではない。自然に反する味覚、偽装である。」というのようなことをいっている。かなり極端であるが、そう云われればそうである。
これはあくまでも一例に過ぎない。冒頭でも解説で述べているとおり、訳者の解説にも、「すぐに応用することは難しい。」と。ただし概ね、当たっているような気がするのだ。
余談ではあるが、かのイマニュエル・カントは異常なまでに規則ただしい生活で知られた男であったが、ただ一度だけ時間を忘れて読みふけった本がある。それがこれだ。その時は周りの人間は大いに騒いだようである。
とはいえ、かなり難解で退屈ともいえなくもない・・・読み通すのに時間がかかった作品でもある。
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3年くらい昔に買ったのに いまだに読み終わらない…
200年も昔に書かれた教育書なのに、現代にも使えそう。
これを読みはじめてから子どもがほしくてしょうがないのです!
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前の日に「いい子で心配」症候群について書きました。
このことを書いてあと,思い出したことがあります。
ルソーの「エミール」です。うろ覚えの中で書いています。間違いは指摘してください。
「エミール」はだいぶ昔に読んだか,中途で放り出してしまったかです。ぼくの勝手な解釈もだいぶ入ります。
ルソーはフランスの啓蒙思想家。教育についても書いています。私生活の評判はよくないのですが。
彼は「自然に帰れ!」と唱えました。
そして,空想の中でエミールを育てます。エミールは子どもの名前です。
この中のテーマは,自然のままに育てればそのままいい子,いい人間になる,とうものです。悪い子に育っていくのは,親やまわりの大人の育て方が悪いからです。子どもの中にはいい芽があり,それを阻害しないように自分で育っていくのを見守ることが大切なのだとルソーは言います。
例えば,子どもの中には知的好奇心というのがはじめから備わっている。それを刺激しながら学習を行えば,その子は学ぶことを好きになり,さらに学ぶようになる。内発的動機付けですね。勉強が嫌いになるのは,分からないままに前に前に進む,他の子と比較する,無理な競争をさせるからなのです。
性格においてもそうです。その子の中にある芽を自然に出させる。その芽を素直に育てていけば「いい子」になり,「いい青年」「いい大人」になっていく。あくまでも自然のままに育てることが大切。周りの大人はその子が育っていくのを見守るのです。そしてその子が必要としているのを与える。植物に水や光,肥料が必要なように,子どもには愛情,適切な栄養ある食べ物,衣類が必要です。
無理にしつけるということをしなくても,その子の中のものをうまく出させることができればいいように育っていくのです。下手にしつけようとするから悪い子になってしまうのです。
このようにすべてうまくいくかどうかは,疑問です。
うまくいくケースもあるでしょう。その子を見守っていくと「いい子」のままで育っていく。でも,「いい子は危ない」と言われて,「いい子で心配」症候群になってしまう。
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「万物をつくる者の手をはなれるときすべてはよいものであるが、人間の手にうつるとすべてが悪くなる」という冒頭の言葉が示すように、ルソー(1712‐78)一流の自然礼讃、人為排斥の哲学を教育論として展開した書。ある教師がエミールという一人の平凡な人間を、誕生から結婚まで、自然という偉大な教師の指示に従って、いかに導いてゆくかを小説の形式で述べてゆく。
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著書は、一人の架空の生徒エミールを自分に与え、生まれたときから一人前になるまで導いていく。
子どもの教育から人為を排除し、自然の歩みに任せるという考えは、
現代社会では難しいと思われるけど。
参考になる点がたくさんあります。
少々、男尊女卑なところも・・・
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ルソーの不朽の教育論。
当時の社会にあって、子供をより人為的な影響から避け、子供に自ずから備わる自主性だけに頼って、子供が理解しうる概念を用いて教育するにはどうすべきかを論じたもの。
社会の環境は短期間で変わり、親の価値観は子供にとって正しいものとは限らない。ルソーが、人為を教育から出来るだけ排そうとする理由の一つとしてとして挙げるこの状況は、今日にもよく当てはまる。
また、子供が概念を理解することなく記憶だけを増やして行くことの無為さは、われわれもよく知るところである。
ただし、彼もいうように、ここで書かれているような教育、およそ今日までたくさんの人々が理想と感じ、それによって古典となったこの教育論を、現実に行うことは難しい。
だからこそ、ここに書かれている教育の至上の理想を尊重しながら現実の教育を行うのがよろしい。いわばこの本は、全ての人に向けて書かれた、教育の羅針盤といえよう。
Posted by ブクログ
書物に対する評価とかを超えている、200年間読み継がれてきた本。
読みづらいですが、読み終えると、自分の子供対する教育姿勢に変化が見られます。底流する教育の本質のようなものがあるのでしょうね。
Posted by ブクログ
4年前、右も左も上も下もわからないで入学した教員養成系大学での初めての講義で、初めて読まされた本。当時は「消極教育」「不徳と誤謬から守るための教育云々」くらいしか理解できなかったが、卒業してしばらくして読み返してみると「お~」「なるほど~」と自分の成長が実感できた。…ような。…気がする。
更に4年後に読んでみたら、また違った観点、尺度で読めるんじゃないかと思う。上巻だけでかなりのウエイトがあるので、元気があれば中も下もいきたい。
自分に子どもができたらまた読めるかなとも。いつのことやら。
我が家の掘り出し物。掘り出し物なので今更レビュー。
とにかく教育原理のマスターピースってことで。(2010/06/09)
Posted by ブクログ
『エミール(上)』(ジャン・ジャック・ルソー、1962年、岩波文庫)
原典のタイトルは"Emile ou de l'éducation"すなわち『エミールまたは教育について』である。理想主義者ルソーの思い描く教育論。
教育論の読み物としては良いのだが、書かれていることをそのまま現代の教育に適用することはできないであろう。
長いのが致命的な気がしますね。4ヶ月かかってやっと上を読み終えました。
(2009年11月8日)
Posted by ブクログ
上中下巻
素朴な思想です。
山盛りの疑問点とともに読み進めた後が随所にあります。
でもこの「エミール」があって初めてフランス革命時に「教育は人が学校を卒業するその瞬間に、彼らを見捨ててしまってはならないと言うこと。教育は全ての年齢にわたって行われるべきであると言うこと」といわれるようになったのです。今でいう「生涯学習理論」の源流が生まれた端緒の作品。