伊集院静のレビュー一覧
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ネタバレ2016年、42冊目です。
このシリーズも6冊目になります。
毎回、読んでいますが、必ず、いくつか私の琴線にふれる文章がある。
最近、伊集院静が小説家になる時に、6年間のホテル住まいをしていた「なぎさホテル」という作品を読んだが、こんなに苛烈な前半生を生きた人なんだと改めて思いました。その上で、このシリーズ6冊目を読後見返してみると、その言葉に重厚感を感じてしまう。男尊女卑の考えとか、前時代的とか、いろいろ非難めいた評価をされる作家ではあるけど、私は彼の考え方が好きだし共感できる。
なぜかな?私が時代遅れの価値観を持つ人がんだからかもしれないね。多分間違いないな。それはいつどこで育まれたのか?そういう教育を公的に受けた記憶はあまりないで、父親をはじめとする家庭の影響を強く受けていたのだろ。伊集院静の考え方にも厳格な父親、人生の本質を見極めたような母親の教えが反映されていると推察できます。
本書は、「不運な人生などない」「切ない時がすぎて」「生きた証」「君が去った後で」の4章からなっています。
根底には、”人様の前で、”みっともない”ことをするものじゃない”という考えが、あると思います。 -
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ネタバレ本としてはかなり毒を吐いている部類です。
若者蔑視とか取られそうだけれども
一部だけですね。
というか、そういう人たちは行動がまずいのでは?
と思ってはいますが
2点ほどすっきりとしたのは
スマホに関する批判。
あれは正直同年代だろうが見ていて
気持ちいいものではないですよ。
目の前で事故起こしかけていた人もいますし。
それと成金に関して。
すべてがすべてでないでしょうが
得てして物を言わせる人間が多いこと。
まあ、某海外逃亡詐欺師がそうですね。
日本に帰ったら殺されますしね(笑)
評価は二分するはず。
ウッ、とは思ったけど気にするほどじゃなかったよ? -
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ネタバレ2015年の55冊目です。
大人の流儀シリーズは、最初からすべて読んでいるので、著者の考え方や表現方法には、全く抵抗感を持っていないと思います。
「大人の流儀」とありますが、「大人の男の流儀」が副題だろう感じます。
・大人の男が、行列をして物を買うな!
・大人は騒ぐな!
・男はやせ我慢
・男は、人前で腹が空いたと言わない
ここまで達観した考え方を通している大人も今は、ほとんどいないと思う。
彼の前半生は、挫折と放蕩みたいに思えるが、そこで人間の本性を知り尽くしたのかもしれない。また随所に、ご自分の両親の生き方が、今の自分に影響を与えていることを記されている。自分の生き方に自信が持てる男(人間)でありたいと多くの人が思っているが、叶うことは少なく、結果として自分人生を事後承認するという生き方をしている。やはり男としての人間としての”矜持”を抱き生きていく様にはあこがれてしまう。 -
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ネタバレ伊集院静の自伝的小説。
妻(夏目雅子)が壮絶な闘病の末亡くなり、その後アルコールやギャンブルに溺れ、心身ともに病み、2年も働かずに放浪している主人公サブロー。彼を心配したKさん(黒鉄ヒロシ)に「会って欲しい人がいる」と言われ、酒場で眠りこけている『先生(阿佐田哲也・色川武大)』に出会う。
ナルコレプシー(すぐ眠ってしまう病気)でどこでも突発的に寝こけてしまう先生。だらしなくて、大食漢で、ギャンブルに目がなくて。それでいて驚くべき記憶力を持ち、人に麻雀をさせている横で原稿を仕上げる。自分のことは大事にしないくせに、弱い人間にはどこかやさしい。先生の周囲にはどこからかそんな人間が寄ってきて、自分のそばに少しでも長くいて欲しいと願う。その現実離れした憎めない存在は、サリンジャーの「フラニーとゾーイー」での太っちょのオバサマのような、どこか神がかった愛すべき存在なのである。
主人公サブローと先生は、恐らくドラッグのフラッシュバックも関与しているであろう「発作(幻覚・幻聴)」に悩まされている。先生との「旅打ち(ギャンブル旅行)」で精神の安定を保っていたかのようなサブローも、たびさきでの映画館のポスターで妻の笑顔を見てから、その均衡が崩れる。
世間ではそれこそ神格化している、彼女の早過ぎる死。私も父親を亡くしてわかったことだが、愛する存在が消えたとき、その悲しみは何度でも唐突に甦り、何も手につかなくなってしまう。その時期をやり過ごすため静かに喪に服し、亡くなったことから目を背けようとしても、彼(伊集院静)はマスコミや興味本位のデバガメにに追い回され、何度もその現実を眼前に突き付けられたことだろう。
はじめは先生の面倒をみている主人公は、いつしか先生に心配される存在になっている。同じ作家として、小説を書かなくなった彼を憂い、どうして書かないのかと気にかけてくれる。弥彦(日本で唯一の村営開催による競輪場がある新潟県の村)に旅打ちに行った際、先生と主人公は妻子を事故でなくした男と酒を酌み交わす。そのうちに男が持っていたドラッグを、先生と男が飲んでしまう。薬が効いてきた男が、妻子の名を叫びながら棚田の中に入っていく。その彼を宥め止めようと泥まみれになる先生の姿に、主人公を発作から掬い上げようとする先生の姿が重なる。
私自身はギャンブルが苦手で、自分には才も運もないと思っているので単純なゲームですらのめり込めない。酒に弱い生前の父が「酒を飲めない者は飲める・飲みたい人の気持ちがわからない。だから宴席などでもてなす際には人の気持ちを汲め」と言っていたが、ギャンブルもそういうものなのだろう。そういうわけで私は子供にゲームをさせるのもあまり好きではないが、この本での先生の考えになるほどと思った。日本全国で同じような時間に子供たちがゲームをしていて、屋根をはぐって俯瞰してみると、ひとりではなく皆でゲームをしているのと同じだ、というのである。先生はギャンブルにそのつながりのようなものも求めているのでは、と思えた。
人間は弱い。そんな弱い人間同士だから救われることがある。私も父が死んで2年目に入るが、つらいとき、先生の丸い手が「大丈夫だよ」と私の前にも現れてくれないかなあ、などと埒もないことを思う。 -
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ネタバレ許すことができないと思った人はいます。そして、今でも”許せない”と思っている人もいます。
私は、いつも”許そう”いや”許すない”という気持ちの中で揺らいでいました。それは、相手に対する気持ちだったはずですが、次第にそれは”自分自身”に心を見ている気持ちに変わってきていました。(それくらいのこと)許せない自分は、ダメな自分だと考えることも多々ありました。
これに対し、著者:伊集院静の言葉は、やはり”大人の流儀”であろうと思った。「許せないものを持つことが人間なのだろうと思う。さらに言えば、人が生きていれば必ず。
2016/11/11追記
ここ3週間、ひとを許せないという思いに心が取りつかれています。
この本を引っ張り出して、何度も読み返している箇所があります。
うまく利用された。相手を心から心配し、その人の苦しみを拭い去るために、一生懸命考え、言葉を贈り、理解し、励まし、愛しんできたのですが、ご自分の幸せ追及のために、うまくこちらの気持ちを利用されました。腹が立つ、怒り、復讐をしたい、無視する、口きかない、困らせてやる、人前で罵倒したい、涙を流すぐらい悲しませたい、徹底的に心身ともに貶めてやりたい、私の前から消えてもらいたいとも思う、許せない気持ちが続いています。いつもその人は、傷つき苦しんでいるのは自分だけだと思っている人で、周りの人にも私にも感謝しない人です。時には、自分の不遇を嘆き、捨て鉢に人の悪口さえいいます。そのくせ、人に感謝される仕事がしたいので、一緒に働きたいですと大嘘をいう。それを受け止め、気持ちを整理させ、前向きにして差し上げたというのに、この裏切られた感は何だろう。ひどすぎる。
騙された。この人には想像力がありません。自分の言動が相手にどんな気持ちにさせるかなんて思いもよらんでしょう。本音で付き合えると感じていた、心情を吐露できると考えていた私がバカでした。一緒に働こうといった自分がばかでした。実はこの人は少しピントがずれている人で、今までの仕事でも思うようにいかないとトイレにこもってないたり、突然退社したりしました。心と体を痛めている様子を見て心底心配したのですが、こんな利用のされ方をするとはこちらも思いませんでした。
この人のために寝る間も惜しんで考えた上司との面談シナリオも、私が重視しているポイントを、自分自身の幸せ追及のためにすり替えてしましました。なぜそんなことをしたのか、その時はすぐには理解できませんでした。自分の幸せ追及のために、やったんですね。許さんぞ!
ジェリー・ミンチントンの本には、許しましょう。怒りはあなた自身に不利益しか生まないといったことが書かれています。どの自己啓発本にも、それにそった趣旨のことが書いて載っています。しかし、伊集院氏のこの本には、「私は許せないものを抱えたら、その大半は許さなくていいと思っている。許してあげられない自分を嫌いになる必要もない。」ただ一つ許せない”という考えに付帯条件を付けている。”許せない人”に関しては、それを口にしないことだ。
この考え方に今は、大きく傾倒している。
許せないと私が思っている人は、これで、2人目、いや3人目かな。 -
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僕はギャンブルをやりません。すごく弱いんですよ。パチンコも麻雀も、少しやってみたのですがビギナーズラックすらなくて、まったく勝てる気がしないんで、ハマらずに済んでいます。
で、博打打ちの話にはどこか憧れを抱いてしまうのです。自分にはないスケールの大きさとか大胆さとか。なんか自分がつまらない人間のような気持ちにもなるんですけどね。
妻を亡くした「ボク」は精神を病み、アルコールとギャンブルに溺れ、小説を書くのも辞めてしまいます。そんな時に出会った「先生」〜あの阿佐田哲也その人なんですが〜の魅力に惹かれていき、やがて二人で「旅打ち」と呼ばれる博打旅に出かけるようになります。その中で次第に明かされる「先生」の心の傷。同じ傷を抱えた二人はギャンブルの旅の中で癒しあっているような、哀しさとあたたかさがじんわりと伝わってきます。
久しぶりに、小説で心をぐっと掴まれた気がします。
僕の故郷の街の競輪場が出てくる場面もあり、そこの食堂の女将の一言が懐かしい尾張弁で。こういうの、ちょっと嬉しいですね。
読後感がとてもいい小説でした。 -
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伊集院静の自伝的小説。伊集院静の自伝というよりは、むしろ色川武大の知られざる人間的な魅力を描いた小説というべきかも知れない。
サブローこと伊集院静は女優の妻・夏目雅子を亡くし、肉体的にも精神的にも落ち込んでいた。そんな時、Kこと黒鉄ヒロシの紹介でサブローは、先生こと色川武大と交流を深めることになる。先生との交流でサブローは少しづつ快復して行く過程が良い。
何ともデカダンスで、奇妙な病気に悩まされながらも遊びも仕事も徹底する先生、多くの人に慕われる先生が魅力的だ。何かを教える訳でもなく、遊ぶ姿を見せることで、サブローに生きることの意味をも教えてしまう先生。本当に魅力的だ。
この作品の評判は以前から耳にしていたのだが、なかなか手を出せずにいた。読んでみると自分が住んでいる街と所縁の深い色川武大のことを描いており、非常に驚いた。読もうと思ったのは最近、能條純一の漫画化された作品を読み、非常に興味を持ったからである。 -
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いねむり先生こと、色川武大(阿佐田哲也)と、伊集院 静の旅打ちの様子が描かれています。
旅打ちの日の夜に、(最愛の妻の死に、小説が書けなくなった)静に対して、
> こんなふうに言うと…君は気を悪くするかもしれないけど
> 私には君の小説のよさがよぉく…わかります!!
と、武大が言います。
でも、それは、本当だけど、ほんとうではない言葉です。だから、二人は沈黙します。
そして、
> サブロー君…ごめん
> サブロー君…私は ただ
> サブロー君が小説を書いてくれたらいい…くれたらいい……
>
> そう…思ってることを…
> 言いたかっただけなんです
と。そんな、魂と魂が応えあうシーンがたくさんあります。