吉田健一のレビュー一覧
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戦後の非常に苦しい日本の再成長への道、その中で、食そのものを楽しみ、人々に興味と日本が古来から持つ食の素晴らしさを集めた珠玉の食に関するエッセイ集。丁寧に取材し、食し、語られる文章がネットも、Social Mediaもない時代に、唯一の情報源だった人たちもいただろう。それを考えると、写真のない、文章のみで構成された、インスタと言えるだろう。これを想像し、その時代の人たちの生き様を感じる非常に貴重で、非常に意義深い。苦しかっただろう世代、乗り越えていく高揚感、新しいものを取り込む粋な人生を思い描き、必死に戦っていた強いアイデンティティ。
特に、ワインを葡萄酒とし、赤も白もロゼも、とにかくブルゴ -
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あるとき朔太郎を読んでいて、文学とはまず第一に批評である、と書かれていて驚いたことがある。それまで文学といえば真っ先に思い浮かべるのは小説だったから、なぜ批評がその上に位置するのだ、と疑問に思ったものだ。当時、批評とは「他人の書いたものをあれこれ論じて価値を定めるその時々のジャッジ」のことだと思っていたからだ。しかし、それは文芸時評(review)というもので、批評(criticism)ではない、と解説を読んではじめて腑に落ちた。それでは批評とは何か。池澤によれば「批評は文学の原理を明らかにし、文学を導くもの」だそうだ。なるほど、それならよく分かる。朔太郎のいう批評とは、(criticism)
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#平凡社ライブラリー #吉田健一
「余生の文学」 言葉、批評、近代の豊富と無秩序をテーマとした文学論
「批評と文芸時評」
詩は、人間がいい気持ちになったから作る
小説は、人に話をして聞かせたいから書く
批評は、あることについて自分の態度を決めたいから書く
「文章論」
言葉は生きものであるから同じ一つの文章でも同じ顔つきをしているとは限らない
「時評」
人間は言葉を使って考える〜言葉と考えは同じ
文学で求められているものを一言で言い表すなら、真である
文学はもっと泥臭いもの〜人の心を満足させるもの
言葉が我々を動かし、揺さぶる時に〜何度繰り返し読んでも〜我々はその言葉を新し -
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吉田健一氏は日本では最後と言えるかも知れない古き良き時代の香り漂う文士である。「文化などということが念頭にないのが、英国の文化に一貫した一つの性格だ」とは大見得を切ったものだが、氏の見た実用主義という英国文化の特質は、実は取り立てて新鮮でもない昔からある観察だ。その実用主義が、人間はいずれ死すべき存在であるがゆえに束の間の現世をとことん味わい尽くすべしという、英国人の生き方に根ざすものだというのは確かにその通りかも知れないが、ではその現世志向がどこから来るのかということに氏の関心は向かわない。ウェーバー風の宗教社会学を奉じる講壇知識人なら物足りなさを感じるだろうが、社会科学的あるいは歴史学的な
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「ダニエル・デフォー」の冒険小説『ロビンソン漂流記』を読みました。
「高橋大輔」の著書『ロビンソン・クルーソーを探して』を読んで、久しぶりに『ロビンソン漂流記』を読みたくなったんですよね。
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ひとりで無人島に流れついた船乗り「ロビンソン・クルーソー」 ――孤独と闘いながら、神を信じ困難に耐えて生き抜く姿を描く冒険小説。
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初版の正式なタイトルは、
『「自分以外の全員が犠牲になった難破で岸辺に投げ出され、アメリカの浜辺、オルーノクという大河の河口近くの無人島で28年もたった一人で暮らし、最後には奇 -
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18世紀イギリスの文筆家ダニエル・デフォー(1660?-1731)による漂流冒険譚、1719年。子ども向けの冒険物語として知られるが、孤島に漂着して自活していくロビンソン・クルーソーは近代的な経済合理性に基づいて行動するホモ・エコノミクスの原型であり「資本主義の精神」を先取りするものであるとして、経済学者(マルクス、ヴェーバー、大塚久雄など)からも注目されてきた。以下、精神史上の観点から気になった点をいくつか挙げる。
□「中間の身分」
物語の冒頭、外国への冒険旅行を望む息子に対して、実直な商人である父親は「中間の身分」という興味深い概念を持ち出して、青年の向こう見ずな企てを思いとどまらせよ