吉田健一のレビュー一覧

  • 地球外少年少女 後編 ~はじまりの物語~

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    これは観なきゃと思ってNetflixで観た(1-6話)。
    特に前半の世界観がめちゃくちゃおもしろかった。お話の仕組みとしても、セカイ系の物語としても、すごく参考になったし、SFとしてもしっかり楽しめた。

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    2022年02月02日
  • 汽車旅の酒

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    英文学者にしてあの吉田茂の息子による旅と酒と食のエッセイ。東京駅からひたすら飲み続け(多くは夜行)、到着した街でも午前から飲み続ける。特に金沢がお気に入りだったようで、金沢のエッセイが多い。

    当時の文豪というか文士の飲みっぷりが良く分かる。不思議な魅力の作品。

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    2020年12月13日
  • 汽車旅の酒

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    収録されている最初のエッセイの書き出し。

    【引用】
    三ヶ月目毎に、或は大体その位の所で五、六日ずつ、或は一週間位、旅行が出来たらどんなにいいだろうと、思う。
    【引用終わり】

    まさに。
    この出だしに引き込まれた。
    また、こんなことも書かれている。

    【引用】
    全く、旅先で一晩旨い酒を飲むこと程、我々の寿命を延ばしてくれるものはない。後は寝るだけで、そう考えただけで夜はとてつもなく前方に向って拡る。その晩も、やがては寝たようである。
    【引用終わり】

    旅と食と酒。
    「汽車旅の酒」という題名だけれども、「酒と食の汽車旅」の方がぴたっと来る。

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    2020年04月04日
  • 舌鼓ところどころ/私の食物誌

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    東南アジア勤務の折、日本語書店でこの本を購入。異国の暮らしを送りつつ、あれこれ拾い読み、あれも食べたい、これも飲みたい、と妄想が広がる、楽しい本でありました。著者`吉田健一`のお酒を飲む楽しさ、嬉しさ等が、じんわりと伝わってくる、楽しい本であります。

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    2020年02月23日
  • ロビンソン漂流記

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    18世紀イギリスの文筆家ダニエル・デフォー(1660?-1731)による漂流冒険譚、1719年。子ども向けの冒険物語として知られるが、孤島に漂着して自活していくロビンソン・クルーソーは近代的な経済合理性に基づいて行動するホモ・エコノミクスの原型であり「資本主義の精神」を先取りするものであるとして、経済学者(マルクス、ヴェーバー、大塚久雄など)からも注目されてきた。以下、精神史上の観点から気になった点をいくつか挙げる。

    □「中間の身分」

    物語の冒頭、外国への冒険旅行を望む息子に対して、実直な商人である父親は「中間の身分」という興味深い概念を持ち出して、青年の向こう見ずな企てを思いとどまらせようと説得を試みる。

    「ここにいれば、私は然るべき後援の下に、努力によって出世し、安楽な生活を送ることができるのだった。外国に行って、各種の冒険をして普通の人間とは違った具合に名をなすのは、窮迫してどうにもならない人間か、あるいは非常に大きな野心を抱いた、優れた人間か、いずれかがすることだった。そういうことは、私には望めないことか、あるいは私には卑し過ぎることだった。私のはその中間の身分、あるいは下級の階級の上層ともいうべきもので、父は長い経験によって、それが一番いい身分であることを知っていた。それは人間が幸福に暮すのに最も適していて、その日その日の労働をして生活している人間に付きものの不幸や悲惨や労苦に脅かされることなく、また上流階級の弊風たる虚栄心や、奢侈や、野心や、嫉妬にも悩まされることがなかった。・・・。富も貧困も知らずにいることを願った賢人は、それによってこの中間の身分が、幸福の真の規準であることを示したのだ・・・」

    「注意して見ていれば、人類の不幸は人類の上層と下層に最も多いことが解る、と父は私に言った。しかしその中間にいるものはそれほどの転変に曝されることがなく、一方においては乱脈な生活と贅沢、また一方においては過重の労働、必需品の欠乏、また栄養の不足のために自ら生じる精神や肉体の苦痛を知らないのだった。この中間の身分はすべての徳行と安楽に適したものであり、平和と余裕に恵まれ、節制、健康、安寧、社交、またすべて望ましい快楽が約束されているのだった。この身分のものは安穏に一生を送って、何の心配もなく死ねるのであり、腕や頭の労働で苦しむこともなく、生きて行くために奴隷のように働くこともなければ、精神の平静を奪い、体を疲れさせる各種の複雑な事情に悩まされることもなかった。嫉妬や、偉大な事業に対する野心に苦しまされることもなく、安楽な境涯で一生を送り、生きて行くことの楽しさだけを実直に経験し、自分が幸福であることを感じて、一日一日とその真価を知って行くのだった」

    ここには、18世紀イギリスの中産階級(都市における有産の市民階級)が自らに対して思い描く理想像がよく表れているように思われる。彼らは、節制を旨とする勤勉実直な職業人たることを自らの規範とし、飽くまで現実的な日常生活に根差した堅実さを通して倹しい幸福を獲得しようと目指した。労働者階級のように、物質的な必要=欠乏に肉体が従属させられることもなく。上流階級のように、頽廃的な欲望によって理性が盲目になることもなく。いづれの方向であれ"極端"に傾くことを抑制し、精神的にも肉体的にも中庸たることに自分たちの階級の美徳を見出した。それは、現実の世界に対する明朗で健康的な肯定の姿勢であると云える。

    □「人類普遍の病」

    しかし、現実の世界を、"極端"に走ることなく中庸という位置において肯定することは、実は極めて困難な精神的営みである。それは、近代が更に深化してのちに、ロマン主義的感性(世界を虚偽と汚濁に満ちたものと見做し、世界との調和的な関係を断念し、世界を見捨て世界から見捨てられ、残された自己の内面という"極端"に沈潜することでそこに毀損されざる絶対的な真理と美を追求しようとする構え)というそれ自体ひとつの"極端"である精神の構えが精神史上の大きな事件として現れた、ということからも明らかであろうと思う。そして、ロビンソンがそもそも航海に出ようとした動機に、このロマン主義的感性と同根のものがあるように感じられる。

    「私は自分の生涯で、人間というものが最もかかり易いある病気に対する戒めの役を、いつも務めさせられてきたのであって、人間の苦労の半分はこの病気から生じると思われるのであるが、それは、神と自然によって自分が置かれた状態に満足しないということなのである」

    「しかしそういうことをするのが若いものの常であり、またその愚を悟るのは年取ってから、あるいは辛い経験に教えられてからであるのが普通である。私の場合もそうだった。しかも私はまだ病気が治らなくて、島での自分の生活に満足することができず、ここからどうして脱出しようかということを終始考えているのだった」

    ひとつの場所にとどまり続けることができない、ということが近代精神の本質ではないか。社会が近代的に再編制されていくにつれて、個人は交換可能なひとつの機能として断片化され、自分がいまここに在らねばならぬという存在の必然性を喪失する。そこから自分の存在理由を汲み取るべき土壌=故郷を喪失する。断片化された世界ではその意味連関が崩壊し、人間は存在の秩序から追放される。世界は人間にとって一顧だに値せぬ虚構となる。そのような世界が差しだしてくる尤もらしい理由はどれも、常に既に欺瞞であり峻拒すべき虚偽である。にもかかわらず/それでもなお/それゆえにこそ、人間は不可能にも自分の存在根拠を求めて現実に対して否定を繰り出さずにはおれない。否定を繰り出しては一時的に見出される土壌=故郷も、自らの存在根拠を徹底的に掘り崩していく否定精神の"極端"の前では、直ちにその虚偽を曝け出す。こうして無限の自己否定という"極端"の極みというべき運動が生起する。

    近代は、自己否定の無限運動という"極端"を内包している。「神と自然によって自分が置かれた状態に満足しない」のが近代人であるならば、彼らはいつもいまここからの「脱出」を企てているのであり、それは超越への志向に憑かれた存在と云えるのではないか。中庸の徳を内破するロビンソンの漂白への意志は、近代という時代の幕開けにあたり、とても象徴的なものであると思う。

    □帝国主義的・植民地主義的近代人の原型

    にもかかわらず、孤島に漂着したロビンソンは、「病的」(ゲーテ)と評されるロマン主義のイメージとは正反対に、陽光の下で生命力に溢れており、生存のための活動に精力的に従事する。そこでの彼は、近代西欧人のもうひとつの相貌である帝国主義者・植民地主義者の姿を見せる。当初は一切の生活手段を欠いた孤島で生き延びるために、彼は三つのことをした。則ち、「自然」「自己」「他者」の三者の支配=管理である。

    ○自然支配=管理

    原初の自然は、ロビンソンが漂着したときの孤島と同様に、人間存在の外部にunheimlichな世界そのものとして存在していた。そのような状況下でまず必要なことは、人間に対して疎遠な存在でありときに脅威ですらある自然を、人間にとっての生存条件=資源=手段として客体化し、heimlichな存在に加工することであり、それによって自然を人間世界の内部に人間に従属するものとして取り込むことである。自然を、そこから人間にとっての有用性や利益が上がるような資源へと改変するために、原始の人類と同様にロビンソンが必要としたのが、衣食住にかかわる日用品や農具など様々な道具である(ベルグソンは、道具を製作し使用するという点に動物から区別される人間の本質を見出し、人間を「homo faber 工作人」と規定したが、ここで重要なのは、その道具が自然支配の為の手段であり、自然そのものを道具化しようとする点ではないかと思う)。

    「・・・、ここで言っておきたいことは、理性が数学の本質であり、根源であるのと同様に、すべてを理性に従って工夫し、最も合理的な判断に基いて行動すれば、我々はどんな手工にも長じるようになるということである。私はそれまで工具というものを手にしたことがなかったのであるが、努力と、労力と、工夫によって、殊に工具があれば、必要なものはなんでも作れることを発見した」

    そうした道具類を使って自然を加工し組織化することによって、狩猟や採集だけでなく農業や牧畜というより安定的な生産活動が可能となる。さらに棚など家具も作り、次第に増えていく道具類や農産物をそこに分類して整理整頓することに満足を覚えるロビンソンの姿は、資源化された自然を合理的に再配置する管理者のそれであり、また同時に彼が自身の生活を合理的に組織化しようとしていることの表れでもあろう。

    「しかし今言ったような方法で板を作り始めてからは、洞穴の片側に一フィート半ほどの幅の棚を何段にも渡して、その上に工具や、釘や、鉄具や、要するにこれまで散らばっていたものをすべて別にして載せ、どこに何があるかすぐ解るようにした。・・・。洞穴はそのために、色々な必需品の倉庫と言った外観を呈してきて、なにか入り用なものがあれば、それを探して廻らずにすみ、すべてがそのように整頓されていて、殊に、何でもそのように豊富にあることに、私は非常な満足を感じた」

    このように、自己の存在条件を確保するために自然を資源として征服するという発想は、近代人の典型的な自然観であると云ってよい。

    ○自己支配=管理

    さらにロビンソンは、長期にわたる孤島生活を生き延びるために、自己の規律化・生活の合理的組織化を図る。まずは、日々の日課を規則的な時間割として編成し、計画的にそれを実行することによって、時間管理を行った。併せて、一日の活動を振り返り・反省し・翌日以降へ活かすために、日記をつけ始めた。「時間割に従わせる」「日記をつけさせる」、これらは、近代の学校が、生徒の生を資本主義社会における労働者として相応しい形に規律化させるために取る、常套手段である。

    「私は、一日のうちにしなければならない仕事の性質に従って、規則的な日課を立てて暮らしていた。その第一は神に仕えることと、聖書を読むことで、これは一日に三度欠かさずに実行した。次は銃を持って狩りに出かけることで、雨が降らない限り、普通この仕事に毎朝三時間を過ごした。第三は手に入れた獲物を選り分けたり、貯蔵用に加工したり、また料理したりすることで、以上のような仕事に、一日の大部分が費やされた」

    こうして、孤島という極限状態を生き延びようとするロビンソンの生活は、同時に、自然を効率的に搾取するのに相応しい実務的人間として、自己の心身を規律していく訓練の日々ともなる。そこでは、現状に対する絶望によって生活への意欲が消沈してしまうことは致命的であり、常に状況から積極的な意味を見出していく前向きで実際的な態度が、ひとつの"道徳"として要請される。

    「私は次のように、帳簿の貸方と借方と同じ形式で、私の生活で楽なことと辛いことを並べてみた。『悪いこと 私は救出される望みもなく、この絶島に漂着した。良いこと しかし私は生きていて、船の他の乗組員は全部溺死した。・・・。』とにかく私はこれによって、どんなに惨めな境遇でも、何かそこには積極的な、あるいは消極的な面で、有難く思っていいことがあるという事実を明らかにすることができた。そして私自身が経験したような、最悪の境遇でも、そこに何か我々を慰めてくれて、良いことと悪いこととの貸借表の中で、貸方の方に記入すべきものが必ず見出せるのである」

    このとき、世界に対する解釈は、生存にとって有用か否かという観点から査定されることになる。則ち、本来自由であり外部から統制されるべきものではないはずの、世界に対する内面の在りようを、有用性という特定の価値基準に従属させることを強いられる。世界は、質的な意味を喪失し、有用性という尺度によって比較可能な量的存在となる。

    こうした道徳による内面管理は、内面に対する植民地主義と云えるのではないか。道徳とは、個人をして支配権力に都合よく振舞わせる為の手段である(当人は自分の自由意思に基づいて行動していると錯覚させられているが)。これによって、支配権力は統治に費やすコストを低く抑えることができると同時に、個人をして支配層のために利益を上げる資源とすることができる。そもそも管理とは、何らかの目的を達成する為のヨリ効率的な手段・資源として他者を従属させ、それを利用することである。道徳による内面管理とは、自己の内面を資本主義社会における生存=労働のための資源として自ら植民地化してしまっていると云えないか。

    ○他者支配=管理

    孤島に侵入してきた「野蛮人」を物理的暴力によって排除したり、或いは奴隷として宗教的に教化しようとするロビンソンの姿は、まさに植民地の現地人に対する当時の西欧人の振舞いそのものであろう。キリスト教に基づく啓蒙思想は、植民地主義的な自然支配・他者支配を正当化するイデオロギーとしても機能してきた。

    以上のように、「自然」「自己」「他者」の三者に対する支配=管理というロビンソンの営みから見えてくるのは、道具的理性により他者(そこには自然だけでなく自己自身さえも含まれる)を搾取する植民地主義的な人間の姿である。

    □

    デフォーが描き出したロビンソン・クルーソーという人間は、その後の近代西欧がたどっていくことになる様々な相貌を、予め映し出していたと云えるのではないか。

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    2018年10月09日
  • わが人生処方

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    老年期に差し掛かった吉田健一さんの作品だが、人生の艱難辛苦や狂騒に明け暮れる世の中を観察して吉田さんらしい視点でわれわれへの導きを提示している。 よくよく味わいたい作品。

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    2017年09月18日
  • 汽車旅の酒

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    「酒が本当に上等になると、人間は余りものを言わなくなるものである。」そうですね(^-^) 酒は静かに飲むものだと思います(^-^) 吉田健一 著「汽車旅の酒」、2015.2発行、中公文庫です。一番心を揺さぶった箇所はw「人間は仕事が出来る間が花だ、と言うが、むしろ、したい仕事をしてしまって、天気なら日向ぼっこをし、雨なら小料理屋の隅で雨の音に耳を澄ましたり、家で読書に耽るとかする境涯こそ、人生の花と呼んでいい時期なのではないだろうか。」なんだか、読んでて無性に嬉しくなりました。

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    2017年08月11日
  • 吉田健一

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    小説やエッセイであれば、多少難しい内容で、知識が追い付かなくても何とか読めるものだけれど、評論となると知識がないと歯がたたない。本書に収められている二大評論のうち、「文学の楽しみ」のほうは半分くらいは何とかなったという感じだが、「ヨオロッパの世紀末」は歯が立たなかった。欧州の古典というのは全滅に近かった。悔しい。
    他に収録されているエッセイはとても味があり、楽しく読めた。

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    2016年09月15日
  • 東京の昔

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    国語辞典、漢和辞典、英和辞典で言葉を調べながら読みました(笑)。

    浅学な私としては、読み始めのころは、少々衒学的文章ではないかと思ってしまいましたが、日本とヨーロッパの文明・文化の比較を引き出すうえで、必然的にああいう書き方になったのだと途中から思いました。

    少ない登場人物のお酒を交えての他愛無い会話が、戦前の東京の風情をうまく醸し出されていました。

    効率・効果・成果主義と暮らしにくくなった現代人としては、こんな暮らしやすい時代が日本にあったのかと思い知らされました。

    講談社学術文庫の「あそびの哲学」で紹介されていた本ですが、吉田健一氏のあそびの本質がびっしり詰まった本を読むことが出来て幸せでした(笑)。

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    2015年03月04日
  • この情報共有が利益につながる

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    フレームワークとケーススタディの両方が満遍なく記載されていて構成良し。

    ただの理想論ではなく「あなたの会社も失敗したでしょ?」というところから話を進めていて実践よし。

    それでも!情報共有が上手くいく会社は、きっとみんな仕事にビジネスに真面目で真摯なんだろうなぁと思います。

    どうすれば自社群に展開できるか、思案のしどころ 絵を描いてとにかくやってみるのみです。

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    2013年05月18日
  • ロビンソン漂流記

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    児童向けに再編集されていないバージョンは初めて読んだ気がする。小学校の頃は無性に無人島に行きたかったなぁ。。。

    そもそもイギリスの中流階級だったロビンソンが船乗りになっていろんな大変な目にあって行くあたり、当時もノマド的なものへのあこがれがあったんだろうか。。。

    聖書が無茶苦茶出てきた。こんなに宗教的なこと意識するお話だっけ。。。

    人食い人種が出てきた。フライデーはもう少しで食べられてしまいそうになっていた人食い人種。こんな設定覚えない。。。!こら児童向けで削除されたんだろうな。

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    2013年04月05日
  • この情報共有が利益につながる

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    情報ではなく、人中心のナレッジシェアを掲げている。事例が多く、単にITだけでは運用がうまくいかないことが良くわかる。
    リアルコム社が、昨今のソーシャルメディア、取り分け社内SNSとして出て来ているセールスフォースのChatterなどについて、同社がどう捉え、同社の製品戦略に活かしてるのか興味あるところ。

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    2011年12月18日
  • ロビンソン漂流記

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    航海途中に船が難破し、無人島に辿り着いたロビンソンが誰の力も、有効な技術も持たずに、快適な生活を求めて悪戦苦闘するストーリー。
    帝国主義に象徴される、文明国と未開地の問題やカニバリズムに対する価値観、宗教の摂理について悩む場面など、ロビンソンを通じて、当時の世界観が感じられる興味深い一冊。

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    2011年10月13日
  • 東京の昔

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    問題が発生した。まさかの、小説、であった!
    読み終わって解説を読むまで小説だとは露ほども思わない。
    完全に随筆だと思い込む。
    ああ、これが「『私』小説」のトラップ!
    こういうの読んじゃうと、ホントどの「私」も信じらんない、私不信に陥ってしまいそうだ。
    また、このタイトルが。「東京の昔」って。完全にエッセイ臭を漂わせているじゃないか。トラップだよ、トラップ。

    随筆だと思って読んでいたので、この人(私が思い込んでいた吉田健一氏)のコミュニケーション能力の素晴らしさにあっけらかんとなってしまっていた。
    近所に住む自転車屋の勘さんや、自分より一回りも年下の仏文科の学生・古木君なんかと、ちょろんと出くわし、ぺろんと酒を酌み交わし、友だちとも知り合いとも違う、かといって呑み仲間でもない、なんとも言えない豊かな関係を築き上げる。
    そしてお金持ちで色々とやっている元雇い主(かつては家庭教師もしたことがある、『私』である)の川本さんにも勘さんの自転車の相談で会いに行ったり。
    気付いてみれば、季節の移ろいとともに、最後の方では彼ら四人で食事をし、酒を呑んでいる。豊かな関係。
    『私』が引き合わせ、広がっていく関係である。

    『私』たちは、人生を楽しんでいる。それもかなり意識的にだ。
    今を生きている、というようなフレーズが何回出てきただろう。
    『私』は仕事はしていない。時々コーヒーや紅茶を売りさばき、ちょっと前までは自転車を改造して売りさばいていた笑。
    羨ましい。
    何をするというわけでもない、「寂しかった池をもう一度見に行く」ことが予定になったりする。
    何をするわけでもない、けれど暇で退屈というのとは違うのだ。
    彼らは自分の時間を持っている。
    自分の人生の過ごし方をしっかりと心得ているのだ。

    すごく豊かな小説であった。
    吉田健一という人は吉田茂の息子だそうだけれど、何だか腑に落ちるような落ちないような感じ。
    「生活」が描かれていて、私はとても好きだ。
    こんな風に人の生活を感じたい。
    ので、吉田健一の戦後生活三部作的なもの(『瓦礫の中』『絵空ごと』『本当のやうな話』)を読んでみようと思い立つ。
    それから『交友録』というのも読んでみたい。
    マジコミュニケーションが分かるかも知れない。

    長い人生でちょいちょい付き合っていきたいと思える、良い作家に出会えたことに感謝!

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    2011年03月31日
  • ロビンソン漂流記

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    昔自分が読んだ子供向けものより宗教色が強い話だった。

    放蕩息子が困難にあって改心し、その後自分の生活の糧に感謝するというのらまさにそうであるし、神が与える生活の必然性と幸福を繰り返し説いているのは印象的だった。

    また、人を食べる黒人やそれを奴隷とし宗教を教え彼らを討ち滅ぼすことは、英国人がアフリカ大陸を占領しキリスト教を広めたことを連想せざるを得なかった。


    しかし、そういった宗教色が強い点を除いても、ロビンソンの島での生活や彼の考えの変化は昔と同じように非常に面白く、ポルやフライデーとの交流は心温まるものだった。

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    2010年10月26日
  • ロビンソン漂流記

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    冒険譚というよりは、一人の人間が如何にしてキリスト教徒となっていくかという物語、といったほうが正しいと思います。
    「罪の文化」や「神と向かい合う」というキリスト教的な道徳精神が理解し難い我々日本人にとって、主人公ロビンソンの心の動きは分かりやすい教材になるでしょう。

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    2010年10月15日
  • ロビンソン漂流記

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    3年前に読んだ時は、途中で飽きてしまったけど、今回再チャレンジして楽しく読めた。すごい冒険の世界。2度の遭難、救助、脱出、そして帰国・・・って、本当に波乱万丈。無人島での暮らしは、完全に自給自足だし、後悔したり、神に感謝したりの繰り返しで、想像を絶するものだった。

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    2009年10月04日
  • わが人生処方

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    「平熱のまま、この世界に熱狂したい」に何度か出てきたので。人生論と読書論。
    吉田茂の長男だそう。エッセイというか随想?
    正直ちょっと読みにくかったけど(ビミョーに旧仮名だし)本が好きなんだ~というのはわかった。物理の本へのフェティシズム。

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    2026年09月03日
  • ロビンソン漂流記

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    ネタバレ

    筆者の体験談でもないのにサバイバル描写が異常に詳しいのは、底本があったからのようです。
    私が読んだ文庫本(原作は1719年発表)は、1951年日本語版初版、2009年74刷という冒険小説の世界的ベストセラーです。
    内容は28年間に及ぶ無人島でのサバイバル生活が基本で、正気を保つ為の神との対話、野蛮人(人食い人種)との攻防などが描かれますが、一部人食い描写などグロもあり、人間の尊厳などという概念が存在しなかった時代(奴隷が当たり前)の産物でもあります。そんな中でも、困った時に親切で生涯約束を守る誠実な人間も多く登場し、人間の良心を信じさせる作品ともなっています。
    ちなみに、孤独なサバイバル生活の肝も読み取れます。「生きる為に今何をするか」が基本で、食料と安全な寝床を確保しながらなるべく1日の作業をルーティン化することで生活リズムを早目に作ること。小説舞台の無人島では、日中暑く、雨季も長いので、雨が降らなければ狩り(食料調達)は朝早いうちに出かけ、ねぐらに帰ってから昼まで3時間屋外作業を行い、午後は無理をせず日陰でできる仕事にあてる。また聖書(座礁船で見つけてから)は、1日に3度読む。また、毎日日付をつけるのも忘れずに。側にいた犬や猫やオウムの存在もあまり詳しく書かれてはいないが、安らぎとなっていたはず。
    とにかく本書以降のサバイバル冒険小説の元祖となった作品でもあります。冗長すぎるきらいがあるものの、先駆的作品に敬意を払い★1つサービス、しらんけど。

    【閑話休題】
    状況は違えど日本人のサバイバル先駆者も忘れてはイケマセン。
    ♦小野田寛郎さん(ルバング島・29年間潜伏)
    経歴: 陸軍中野学校出身の諜報員として、フィリピン・ルバング島でゲリラ戦を指揮。
    帰還: 1974年に上官の投降命令を受けて山を下りた。
    帰国後: ブラジルで牧場経営に成功し、後に「小野田自然塾」を開講するなど、青少年教育にも尽力。
    没年: 2014年に91歳で亡くなった。

    ♦横井庄一さん(グアム島・28年間潜伏)
    経歴: 陸軍軍曹としてグアムに配属され、終戦後も生き延びた。
    帰還: 1972年に島民に発見され、31年ぶりに日本へ帰国。
    帰国後: 「恥ずかしながら帰って参りました」の言葉は流行語になり、日本社会の「耐乏生活評論家」として活躍した。
    没年: 1997年に82歳で亡くなった。

    「ロビンソン・クルーソー」(英語: Robinson Crusoe)は、1719年にイギリスのダニエル・デフォーによって発表された小説でその主人公の名前でもある。
    あらすじ: 船乗りであるロビンソン・クルーソーが航海中に難破し、無人島に漂着。そこでの創意工夫に満ちたサバイバル生活を28年間送り、無事に帰還する物語です。
    無人島での自給自足生活を描いた冒険小説であり、近代的なリアリズム小説の元祖とも言われています。
    モデルはスコットランド人の船乗りアレクサンダー・セルカークの実話(漂流記)がモデルになっているとされています。
    なお、チリの沖合には、この物語の舞台にちなんで名付けられた「ロビンソン・クルーソー島」が存在します。

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    2026年04月25日
  • 赤い死の舞踏会 付・覚書(マルジナリア)

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    ネタバレ

    北山猛邦『神の光』で久しぶりにポオが読みたくなった。収録作は『ベレニイス』『影』『メッツェンガアシュタイン』『リジイア』『沈黙』『アッシャア家の没落』『群衆の人』「赤い死の舞踏会』『アモンティラドの樽』と評論2つ。あえてか?一般に流布されているタイトルと違うものが多い。やはり模倣した文体より原文の方が数段晦渋で、地の文は常に論考を読まされているみたいだ。
    某ポオオマージュ作品で『アッシャー家の崩壊』を犯罪小説としても読めるぞという評論を読んでから、注意深く再読したけど少し無理筋では…?ポオがそこまで見越して描いているとは思えない。
    『アモンティラドの樽』は地の分がほとんどを占めるポーにしては珍しく会話文が多く、比較的小説チックだ。2人の確執を描かないことに意味があるのだろうか。拘束した男の前で石材を一つ一つ設置していく過程がスリリングというかシュール。『黒猫』や『告げ口心臓』と違ってお咎めなしなのが今でも偏愛される理由か。
    小品の多い全集1に載っている中でも数少ない良作の『メッツェンガアシュタイン』もあるし、病死・美女の死と埋葬、蘇生、憑依などよくあるネタも満遍なく揃っているが、何かメインディッシュに欠けるようなラインナップだなあと。評論はわけわかめ。

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    2025年12月28日