土屋賢二のレビュー一覧
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読書録「ワラをつかむ男」4
著者 土屋賢二
出版 文藝春秋
p53より引用
“ わたしはなぜ一分一秒でも早くニュース
を知りたがるのだろうか。早く知っても、わ
たしにできるのは一喜一憂することぐらいだ。
寿命が限られているから早く知りたいのかも
知れないが、余命あと半年と言われたら、野
球の結果や政治の動きなどどうでもよくなる
のではないかと思う。”
目次から抜粋引用
“ダイエット理論の問題点
もしこんな偏向報道があったら
達観のいろいろ
本を出す理由
紳士の言い逃れ”
大学教授で哲学者である著者による、日々
の出来事を斜めから見たようなエッセイ集。
ダイエットについてから -
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時間の浪費と思いつつ読むのが、筆者の本。文体の特徴を知り尽くしながら、笑いに誘われる。内容も厚さも薄いので、一気に読めて何も得られない。と思ってたら、今回は違った。示唆に富む2点の含蓄。最初は物忘れの進化、第一に名前を忘れ、第二に顔を忘れ、第三にジッパーを閉め忘れ、第四にジッパーを開け忘れる。車内で吹き出してしまう。次はAI進化のあり方。IT技術が効率化の対象として人間から単純作業を取り上げる。本来IT技術は人間の弱点を補うべきであり、人間は単純作業は得意だが、高度の判断をするのは苦手で、人間でもできる作業は奪ってはならないというパラドックス。人間とAIの棲み分けに踏み込んだ意見?と言えなくも
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- カート
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試し読み
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著者が大学でおこなった哲学の講義をもとにした本です。ベルクソンの時間論やプラトンのイデア論、デカルトやフッサールの知覚論などを題材に、それらの問題がことばの誤りに基づいて生じていることを指摘しています。後半は、前半の著者の議論のバックボーンとなっていたウィトゲンシュタインの思想について解説がなされています。
おなじく著者のおこなった講義にもとづく『あたらしい哲学入門―なぜ人間は八本足か』(文春文庫)ともかさなるところがありますが、本書は哲学史上にじっさいに現われた思想を題材にしており、それらの思想についても学ぶことができます。ただし、どちらも著者の思想をつらぬいている根幹的な主張はおなじで、 -
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著者がお茶の水女子大学でおこなった哲学入門の講義をもとにした本です。
哲学入門とはいっても、哲学者の思想を紹介するのではなく、哲学の問題に対する著者自身の考えが語られています。それも、ウィトゲンシュタインが『哲学探究』で語ったような、「ハエにハエとり壺から出口を示してやること」、つまり哲学的な問題と思われているものが、じつはことばの使い方を誤っていたために生じた疑似問題にすぎないことを明らかにするという試みがなされています。
ユーモア・エッセイではなくまじめな哲学の議論が展開されていますが、それでも随所にくすっと笑ってしまうようなギャグが散りばめられていて、楽しく読むことができました。 -
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ネタバレ雑誌のコラムで読む土屋賢二のエッセイはおもしろい。
だけど、一冊の本にまとめた時、この本の中にも書いてあるけど笑いの畳み掛けがしつこくて、結構くどいのよ。
ところがこの本は、エッセイと言いながらも哲学的なエッセンスが今回は多くて、「ふむふむ」とうなづいたり、どういうことだろうかと悩んだり、それは違うのではと突っ込んだり、こらえきれずに噴き出したりしながら読んだ。
やっぱり電車の中で読むには危険な本である。
“人間性に反するようなことをすることもまた、人間性の一部である。実際、人間は、食べ過ぎる。過度に仕事を増やす。処理し切れないほど人間関係を複雑にするなど、人間性に逆らって、苦しみやストレ -
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こんな風に 屁理屈を 論理的に説明しているにも
かかわらず、情けなく やり込められてしまう
哲学教授 が 定年を前後の 心境を 論理的に
屁理屈を 組み立てる。
やはり、助手とのやりとりが 楽しかっただけに
それが なくなったことが なんとなく 寂しい。
それでも、屁理屈を 重ねつづける 意欲は
衰えていないのが 頼もしい。
その分だけ 奥さんが 悪妻ぶりを発揮して、
ますます 意気軒昂なようで いい感じである。
奥さんが 巨大化して、土屋名誉教授は
小さくなっていくのである。
責任をめぐっての考察が、自己責任を
叫ばれる中で 重要な考察と言えそうだ。
1944年生まれであるので、当分 -
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ネタバレこのスパーリングのような対談が、ある意味で最高レベルのパフォーマンスだと思ったのは、ここで語られている瑣末な話題の中に垣間見える論点が極めて哲学的であったから…
森博嗣先生のことについては、おおよそ1年間かけて、著書を51冊読んできたので、それなりに知っているつもりです。でも、土屋賢二先生のことについては、まったく存じ上げない状態で読み始めました。
最終章の「そこに論点があるか、あるいは何もないか」では、編集者らしき人物が二名登場し「テーマに沿ってお話をいただきたい」という発言もありますが、そもそもテーマらしきものの提示が認められず、最後までテーマが何か、それとも何もないか、解らない -
Posted by ブクログ
デタラメエッセイストのツチヤ氏によるエッセイなのか評論なのか。
雑誌のコラムらしく、4ページ足らずに落書き付きというエッセイで、大概は最近あった話などを面白く、デタラメに記されている。「我笑うゆえに我あり」が論文のパロディーだったのに比べると、本当に気楽に読めるボリュームである。
全体に、エッセイの途中にひねりがあるものは少なく、同様の作家で言うと、宮沢章夫などのように途中で怒りだしたかと思えば変なところに着地するようなことや、檀ふみのように書き始めと終わりが全く別の話になっているようなことはないので、途中をつい読み飛ばしてしまうのだが、読み飛ばしてもオチが分かるという点では良い。読み飛ば