土屋賢二のレビュー一覧
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大好きな噺家さんの一人に
桂南光さんがいらっしゃる
もう ずいぶん前の口座ですが
南光さんが 入院されたときのことを
「枕」で話されていた。
病名は失念してしまいましたが
かなり深刻なものであった印象だけは残っている
その時の闘病のお話を
微に入り細に渡り抱腹絶倒のお話で
あったことが強烈に残っている
土屋賢二さんのエッセイを
読ませてもらっていると
深刻な話であればあるほど
まことに面白おかしく綴らておられる
そこに「芸」を感じてしまうのです
はい、桂南光さんの時に感じた
同じ「おかしみ」を
土屋さんの「エッセイ」にも
感じてしまうのです -
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読書録「ワラをつかむ男」4
著者 土屋賢二
出版 文藝春秋
p53より引用
“ わたしはなぜ一分一秒でも早くニュース
を知りたがるのだろうか。早く知っても、わ
たしにできるのは一喜一憂することぐらいだ。
寿命が限られているから早く知りたいのかも
知れないが、余命あと半年と言われたら、野
球の結果や政治の動きなどどうでもよくなる
のではないかと思う。”
目次から抜粋引用
“ダイエット理論の問題点
もしこんな偏向報道があったら
達観のいろいろ
本を出す理由
紳士の言い逃れ”
大学教授で哲学者である著者による、日々
の出来事を斜めから見たようなエッセイ集。
ダイエットについてから携帯電話について
まで、ユーモアと皮肉に満ち満ちた文章で綴
られています。
上記の引用は、携帯でニュースをチェック
する著者が抱いた疑問についての一節。
手元にスマホがあると、ついつい何の気なし
に触ってしまいがちです。大事な仕事をする
ときなどは、スマホなどは遠ざけておくのが
いいかも知れません。本当は興味のないこと
でも、すぐ目につくところに情報が出てくる
と、神経を使ってしまうようですから。
著者は定年で、神戸に移り住まわれている
ようです。どのような土地に行かれても、本
人が面白い人物であるがゆえに、楽しく日々
を過ごされているようです。今後共末永く、
楽しい著作をお待ちしています。
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Posted by ブクログ
時間の浪費と思いつつ読むのが、筆者の本。文体の特徴を知り尽くしながら、笑いに誘われる。内容も厚さも薄いので、一気に読めて何も得られない。と思ってたら、今回は違った。示唆に富む2点の含蓄。最初は物忘れの進化、第一に名前を忘れ、第二に顔を忘れ、第三にジッパーを閉め忘れ、第四にジッパーを開け忘れる。車内で吹き出してしまう。次はAI進化のあり方。IT技術が効率化の対象として人間から単純作業を取り上げる。本来IT技術は人間の弱点を補うべきであり、人間は単純作業は得意だが、高度の判断をするのは苦手で、人間でもできる作業は奪ってはならないというパラドックス。人間とAIの棲み分けに踏み込んだ意見?と言えなくもない。
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哲学者にならない方法
- カート
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試し読み
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Posted by ブクログ
著者が大学でおこなった哲学の講義をもとにした本です。ベルクソンの時間論やプラトンのイデア論、デカルトやフッサールの知覚論などを題材に、それらの問題がことばの誤りに基づいて生じていることを指摘しています。後半は、前半の著者の議論のバックボーンとなっていたウィトゲンシュタインの思想について解説がなされています。
おなじく著者のおこなった講義にもとづく『あたらしい哲学入門―なぜ人間は八本足か』(文春文庫)ともかさなるところがありますが、本書は哲学史上にじっさいに現われた思想を題材にしており、それらの思想についても学ぶことができます。ただし、どちらも著者の思想をつらぬいている根幹的な主張はおなじで、ウィトゲンシュタインの哲学観の実践というべき内容になっています。 -
Posted by ブクログ
著者がお茶の水女子大学でおこなった哲学入門の講義をもとにした本です。
哲学入門とはいっても、哲学者の思想を紹介するのではなく、哲学の問題に対する著者自身の考えが語られています。それも、ウィトゲンシュタインが『哲学探究』で語ったような、「ハエにハエとり壺から出口を示してやること」、つまり哲学的な問題と思われているものが、じつはことばの使い方を誤っていたために生じた疑似問題にすぎないことを明らかにするという試みがなされています。
ユーモア・エッセイではなくまじめな哲学の議論が展開されていますが、それでも随所にくすっと笑ってしまうようなギャグが散りばめられていて、楽しく読むことができました。 -
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ネタバレ雑誌のコラムで読む土屋賢二のエッセイはおもしろい。
だけど、一冊の本にまとめた時、この本の中にも書いてあるけど笑いの畳み掛けがしつこくて、結構くどいのよ。
ところがこの本は、エッセイと言いながらも哲学的なエッセンスが今回は多くて、「ふむふむ」とうなづいたり、どういうことだろうかと悩んだり、それは違うのではと突っ込んだり、こらえきれずに噴き出したりしながら読んだ。
やっぱり電車の中で読むには危険な本である。
“人間性に反するようなことをすることもまた、人間性の一部である。実際、人間は、食べ過ぎる。過度に仕事を増やす。処理し切れないほど人間関係を複雑にするなど、人間性に逆らって、苦しみやストレスを招くような行動を繰り返してきた。人間は楽しみよりも苦しみを求めているのかもしれないとさえ思える。”
これは私も時々思う。
仕事の効率化を図って生まれた余剰時間以上の仕事がどんどん降ってくるというのは、一体どういうシステムなのか、と。
所有の概念というのも、面白かった。
たとえ自分に必要がなくても、超格安だったりすると争って自分のものにしようとする。
これは一体どういう心の働きなんだろうね。
“しかしそもそも所有者が自分であろうと他人であろうと、そこにどんな違いがあるのだろうか。自分が持ち主なら、税金を払ったり、管理したりしなければならないし、人に盗られないよう用心しなければならない。場合によっては、管理と防犯に追われる生活を強いられることもある。(中略)どうしても所有したいのなら、美術館の絵画や公共の庭園や大自然を自分のものだと思ってみてはどうだろうか。管理は他人にやらせていると考えればよい。このように簡単な思い違いをするだけで、所有欲は十分に満たされるのだ。”
ふむふむ。
そして、所有欲を断ち切るために貴重品を捨てるときには、ぜひ一報していただきたい、と。
様々な事柄が、このように考え方を変えるだけで脱力モードになる。
勉強になるなあ。
でも、やっぱり本を買いこんでしまうのはなんでだろう。 -
Posted by ブクログ
こんな風に 屁理屈を 論理的に説明しているにも
かかわらず、情けなく やり込められてしまう
哲学教授 が 定年を前後の 心境を 論理的に
屁理屈を 組み立てる。
やはり、助手とのやりとりが 楽しかっただけに
それが なくなったことが なんとなく 寂しい。
それでも、屁理屈を 重ねつづける 意欲は
衰えていないのが 頼もしい。
その分だけ 奥さんが 悪妻ぶりを発揮して、
ますます 意気軒昂なようで いい感じである。
奥さんが 巨大化して、土屋名誉教授は
小さくなっていくのである。
責任をめぐっての考察が、自己責任を
叫ばれる中で 重要な考察と言えそうだ。
1944年生まれであるので、当分 土屋エッセイは
紡がれていくと思われる。 -
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ネタバレこのスパーリングのような対談が、ある意味で最高レベルのパフォーマンスだと思ったのは、ここで語られている瑣末な話題の中に垣間見える論点が極めて哲学的であったから…
森博嗣先生のことについては、おおよそ1年間かけて、著書を51冊読んできたので、それなりに知っているつもりです。でも、土屋賢二先生のことについては、まったく存じ上げない状態で読み始めました。
最終章の「そこに論点があるか、あるいは何もないか」では、編集者らしき人物が二名登場し「テーマに沿ってお話をいただきたい」という発言もありますが、そもそもテーマらしきものの提示が認められず、最後までテーマが何か、それとも何もないか、解らないまま終了しました。
正直、あまり期待していなかったのですが、読んで楽しい内容でした。対談に限らず、インタビューでもそうですが、読者に紹介したい人物の魅力を引き出すには、対談する人物同士、あるいはインタビュアーが魅力的な人物でなければなりません。土屋賢二さんは、自虐的に自己開示するという「肉を切らせて骨を断つ」かのような必殺技で、森博嗣さんが普段見せない断面を見せてくれています。 -
Posted by ブクログ
デタラメエッセイストのツチヤ氏によるエッセイなのか評論なのか。
雑誌のコラムらしく、4ページ足らずに落書き付きというエッセイで、大概は最近あった話などを面白く、デタラメに記されている。「我笑うゆえに我あり」が論文のパロディーだったのに比べると、本当に気楽に読めるボリュームである。
全体に、エッセイの途中にひねりがあるものは少なく、同様の作家で言うと、宮沢章夫などのように途中で怒りだしたかと思えば変なところに着地するようなことや、檀ふみのように書き始めと終わりが全く別の話になっているようなことはないので、途中をつい読み飛ばしてしまうのだが、読み飛ばしてもオチが分かるという点では良い。読み飛ばさないほうが良いのだろうが、そこはね。
短い文章の中に、言葉をいじったギャグが結構な分量出てくるので、twitter等の参考になる本であり、ツチヤ作品の中でも読みやすいので、初ツチヤの人にもオススメの1冊といえよう。☆4つはさすがに大甘だと思うが。