土屋賢二のレビュー一覧
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人を愛するとはどういう事か。その人の何処を愛するのか、と言い換える事も出来る。それは、愛する人を本能で愛する事を越え、愛してない人をも人間として愛せる法則を考える事になる。あなたの愛の審級が試されているのだ。答えは具体的に出て来るものではない。愛する部分を指摘してしまうと、客観的には愛する人の一部分を見て愛している自分の浅薄さが自ずと証明される事に繋がるからだ。男は理屈を組み合わせて自分の抱いてるエロスを女に語って聴かせる。女には言葉の綾で論破される危険がある為にどんな褒め言葉にも裏があると必然的に警戒する癖が身に付いてしまっている。しかし人間の根源を何処に置くか、について深く考えていくと、人
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Posted by ブクログ
哲学者 土屋 賢二と小説家兼某国立大学工学部助教授 森 博嗣の対談本
タイトルは、哲学の名言「人間は考える葦である」(パスカル)と、森博嗣の代表作(兼デビュー作)の「すべてがFになる」からきたものだろう。
土屋 賢二の自虐と森博嗣の冴えた常識はずれの対談で、瞑想した対談。土屋 賢二の一貫したダメっぷりはいつものエッセイ通りなのだけども、森博嗣の饒舌ぶりはエッセイとは違って興味深かった。
森博嗣が土屋 賢二に小説の書き方をレクチャして、ふたりでそれぞれ短編小説(ミステリィとミステリ)を描くという体になっている。
土屋 賢二も小説は見事にダメで、おそらくこれはダメなものの集大成/具現化という -
Posted by ブクログ
面白すぎて続けて2回読んだ。きっとこの先この著者の本をむさぼる自分が想像つく。
不幸を軽減する方法は、当たり前のことを疑うこと。
1つの価値観を持つということは、それとは違う価値観を間違いだと考えること。自分とは違う価値観を排除すること。どんなものでも許容するなら、そういう人は、特定の価値観を持っているとは言えない。
価値観同士が食い違っているときに、一方から見て他方が間違っている場合、どっちが正しいかに決着をつけるのは不可能。しかしだからといって、相手を間違っているとして非難してはいけないということにはならない。実際に対立しているのだから尊重しあう必要はない。
人間は一面的になりやすい。ちょ -
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ユーモアエッセイで有名な著者のまじめな語り。本自体は薄いけれどもいろいろと考えさせられ奥が深い。緻密な思考とユーモアの2本柱がキーポイント。1方向から眺めるのではなく視点を変えて多角的に見る。ユーモアを交えることで苦難や不幸を和らげる。考えて考えて考える。ちょっと見方を変えてみる。深刻になり過ぎないためのユーモア。みんないろいろなことを経験し、いろいろなことを考える。そんなとき、人生を楽しく生きられるか、幸せに生きられるか、少なくとも不幸だと感じずに生きられるか。まじめで考え込みやすい人にこそ読んでほしい。人生を楽しく生きるとは人生を楽に生きることにもつながるのではないか。もちろん軽い意味では