玉村豊男のレビュー一覧
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目標に向かう道のりは途中の景色が楽しいのです。その景色が楽しめれば実現できるかできないかはたいしたことではありません。どうでもいい、とはいいませんが、おまけのようなもの、、と考えれば気がラクです。
私達は他人から見ればたいしたことのない仕事であっても自分にとっては面白い、他人から言われなくても自ら進んでやりたいと思うような、ほかの誰にもまかせることができない仕事を見つけてその仕事を死ぬまで続けたいものだと思います。
流木論
自分の人生を決定づける何かは流木のように流れてくる、というイメージを持っていました。
一生流れに身をまかせていれば誰でも二本や三本の流木はつかめるでしょう。流木をつかんだら、それがどんなサイズの流木であっても私達はそれを使って自分の人生を組み立てていかなければならないのです。
人生の中で自分自身で選べる要素は極めて少ないものです。自由な選択というのは幻想でしかありません。結婚にしても、職業の選択にしても、私達はほんのわずかしかない与えられた選択肢の中から消去法とまではいいませんが、少しはましな解答を探しているだけなのです。
私はどんな場合でもいま自分の目の前にある状況がベストである、と常に考えるようにしています。与えられた現実は動かしようがありません。
望みが叶わずちんけな流木がつかめなかったら、その流木でなんとかするしかありません。与えられた流木がその時点ではベストの流木なのです。問題はその流木を選びなおすことができるかどうかです。
私はつかんだ流木は離さずに自分の意思で選びなおし、それをどう利用するかを考えます。そしてその流木で家を組み立てているうちにもっといい流木が目の前に流れてきたら躊躇無く前の流木を捨てて新しい流木をつかむでしょう。 -
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また買ってしまった。
洒落た水彩画の表紙が目に留まってつい。もうパリ関連本は50冊を超えている。玉村さんの本も二冊目だし。
しかし、こういう「気になる」本は読んでみると必ず新たな発見やナルホドが必ずある。この一冊もやはりそうだった。
玉村さんは40年ばかり前、東大在学中にパリに留学した。以来毎年パリ東京間を行き来するような生活を送り、現在では著作者としても時々テレビに出る事情通としてもそこそこ著名で、信州ににワイナリーを、静岡にミュージアムを所有しているという、羨ましい限りの経歴の持ち主だ。
若かりし頃単身パリに渡った最初の晩、予約していたホテルに理不尽な門前払いを喰らい、カフェではクモの巣の張ったブドウを出され、ようやく泊まれたホテルのベッドで文字どおり情けなさに「泣き寝入り」したくだりなどは、華麗なイメージの羨ましいオジサンも最初はこうだったのか、と思えてなんかいい感じである。
玉村さんが世に知られるきっかけは、37年前に著した『パリ・旅の雑学ノート』がベストセラーになったからだが、この一冊は未だにパリの街案内本としてはいささかも色あせていない。特に半分以上のページをパリのカフェとは何か、そのカフェを知って楽しむにはという記述にさかれている。人さまはあきれるパリかぶれ(パリを偏愛し、とくにパリのカフェを盲目的に愛するという意味で)の私にとっては極めて正当な書き方であった。また、今回この『パリ 1968-2010』に寄せられた氏自身の手になる40枚余りのスケッチもいい。どこか回想の中の鮮明な光景のようであり、逆に今見ている幻想の様でもある。それは、書名が明示するように、今現在の街と人とを眺めながら42年間に移りかわり、消えていった街と人とについて回想する記述と見事に重なりあっている。
今、私は1968年という年号に注目する。
パリに5月革命が燃え上がり、東京に全共闘運動が勃発した学生運動の年だ。同時に中国では文化大革命が巻き起こり、ミラノの須賀敦子はこの頃から「コルシア書店」は過激な論争の渦に巻き込まれていったと語った、まさしくその時代、その年である。
当時まだ小学生だった私は、そんな時代の空気を吸ったという実感には乏しい。2011年2月の現在ただ今、チュニジアで巻き起こったIT政変の波が、次はエジプト、今度はリビアと燎原の火のごとく拡がるのを日々のニュースで唖然と眺めている。全く同様に68年の私は、東大から始まってあっちの大学、こんどはこっちの大学と拡がっていく学生運動の様子をテレビニュースでただぼんやり見ていた。「馬鹿どもが」と親父がつぶやくのを脇目で見ながら。
だから、68年に渡仏した玉村氏が閉鎖されたパリ大学に入構できず、周辺のカフェで時間をつぶすような過ごし方をするうち、大声で論議している学生に頷いたり声をかけられたりする、いつのまにやら活動学生の一員のようになっていくあたりの回想は生々しい。当時のパリや東京の学生やミラノの「コルシア書店」の面々が吸っていた時代の空気がありありと伝わってくる。
先日亡くなった立松和平は生涯栃木弁の抜けない人だったが、東京初体験の回想で、「早稲田の食堂にはいったのよ、一番安いメニューがオニオン・スライスでね。で、それを注文したら出てきたのは薄く切った玉ねぎだけなのよ。ごはんが出てこないのよ、いつまで待っても。オニオンス“ライス”だと思ってたのよね、だから待ってたのよ」と語っていた。
玉木氏のパリ初体験回想でも、初日ホテルで泣き寝入りした翌日、今度は食堂でオニオン・スープを注文しても言葉が通じなくて往生する。私は栃木弁の立松氏の回想記を思い出し苦笑する。と同時に、自分では経験したこともなくて想像もできない海外留学で出会うカルチャーショックも、田舎もんが東京で味わう赤っ恥も根は一緒なのかもと思えてわかった気になる。
パリを描いたお洒落な水彩画に目が留まって買ってしまった一冊だったが、結局、60年代末の時代の空気を知るという、思わぬ収穫がやっぱりあった(これで少しは「コルシア書店」の時代背景もわかった)。
それにしても、ホテルのフロントではなめられ、オニオンをフラン語でキチンと話せなかった小僧っ子が、歳月を経てパリのあちらこちらに馴染みの店と馴染みの友を持つムシュウ・タマムラに成長し、初めて入ったどんくさい客お断りの一流レストランで、音信不通だった何十年来の“友”と思わぬ再会をし、今は副支配人となって入店待ち客をさばいていた友と、がっちり抱擁しあう場面など、パリ偏愛者の私は感動に震えて涙まで流してしまった。
ただ、そういうのに憧れて、今更「アン・エクスプレス・シブプレ」とか覚え始めても、私なんかがムッシューになれるワケじゃないですけど。 -
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食に関する本。2010年。食を中心に日本の社会や文化を紐解いている。他国と比較して、特に、本書の場合はフランスと比較して、日本人の食事の時間は短いという。また、一人で食事をする割合も多くなっており、これらが現代社会を味気ないものにしている要因と説く。納得。
また、和食においては、いわゆる三角食べが行儀の良いマナーと教わっているが、コース料理をたしなむフランスなどでは一品ずつ平らげていくことがマナーとなっている。比較文化論ではないが、食事マナーひとつとってもまったく異なる作法が尊重されているところが面白い。
読んでいるといろいろなものを食べたくなる、そんな一冊。 -
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[ 内容 ]
この一冊で野菜通!
起源、伝播の歴史からおいしい料理法まで。
[ 目次 ]
第1章 赤ん坊はキャベツから生まれる
第2章 ジャガイモがタラと出会った日
第3章 トウガラシはなぜ辛いのか
第4章 ナスは貧乏人が食べる
第5章 サトイモのナショナリズム
第6章 テンサイがつくった砂糖
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ] -
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異色の料理エッセイ。というか出色の料理エッセイ。
ちまたの料理本はレシピばかり。
レシピを知ってることが料理上手みたいだ。
残念なことだけれど、レシピを集めてみても料理は上手くならない。
もちろん、いろんなレシピを参考にさせてもらうことは大切だけれど。
では、レシピ蒐集家から脱出するにはどうすればいいか。
その一つの切り口が本書である。
料理に対する根本的に大切なものをしっかりと認識するのに最適な本。
レストランのシェフではない、日常生活の料理人である我々にとっては
料理とはなんなのか。
1985年にこういった本が書かれていたことに驚く。
25年前から、変わらない世の中にも驚く。 -
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農産物の「ブランド認知」には同一作物の大量生産が必要なこと。
その一方で、本来その土地の農産物の「旬」とされる時期には別の土地からの農産物が流通されていること。
頭の中の疑問がくっついた本。
大きな利益は算出できなくても、自然と共存するための農産業。
そこに携わる人々の職人意識。
想いとビジネスとの線引きは、その人次第。
さぁ、自分はどの方向性に行くのかな?
と、視点が変わった一冊。
生活できなければ話にはならないのだろうけど、願わくば
「手作りの世界での自然な感覚」
興味を持てる仕事を、興味と集中力が続く限りやる。
それ以上やって、惰性になってしまうような無理な大量生産はしない。潤沢な利益はでないかもしれないけど、心は健全。
・・・。
理想論かな。
でも、これが理想。 -
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『料理の四面体』は、単なるレシピ本ではなく、「料理を構造で理解する」ための本だった。
普通の料理本は、「この料理にはこの材料、この手順」と個別に覚えさせる。しかし本書は違う。
料理を「加熱方法」「素材」「ソース」「調理の組み合わせ」といった“構造”で捉えることで、料理同士の共通点を見抜かせてくれる。
特に印象的だったのは、
「肉を焼き、ソースを作る」
という料理の根本構造。
例えば、アルジェリア式羊肉シチューでは、羊肉をソテーしてからトマトベースのソースで煮込む。(キャンプで作ったらとても美味しかったです。羊の匂い消しにローリエ、塩っ気追加、トマト缶すり潰しで代用)
一方、フランス料理では、肉を焼いた後にワインや出汁、生クリームを加え、鍋底の旨味を“デグラッセ”してソースへ変える。
つまり違うのは「料理名」ではなく、“ソースの設計”なのだ。
この視点が面白い。
ソースが変われば、同じ肉料理でも何百種類にも広がる。
さらに、
ソテー(フライパン)
グリル(網焼き)
煮込み
茹でる
など、加熱方法を変えるだけでレパートリーが増えていく。
料理を暗記ではなく、「原理」で理解できる感覚があった。
特に、自分の中で繋がったのが“生姜焼き”の構造。
豚肉を醤油・酒・味醂・生姜でマリネし、焼いた後、残った漬け汁でデグラッセしてソース化する。
これはまさに、ブフ・ブルギニョンなどの西洋料理と同じ構造だった。
和食とフランス料理は別物だと思っていたが、実は「肉を焼き、旨味を鍋から剥がし、ソースにする」という本質は共通している。
この“料理の翻訳”のような感覚はかなり知的で面白い。
また、ローストとグリルの違いの説明も印象的だった。
ロースト:火に直接触れず、熱線でじっくり加熱
グリル:火に近づけ、強火で手早く焼く
この違いを知るだけで、ローストビーフとステーキの関係性が理解できる。
さらに、「ローストビーフは焚き火でも作れるのでは?」と考えられるようになる。
つまり本書は、“応用できる料理脳”を育ててくれる本だった。
料理をレシピ通りにしか作れない人にとっては、少し難しく感じるかもしれない。
しかし、「なぜこの料理になるのか」を理解したい人には、とても面白い。
料理を「知識」ではなく「構造」で見る視点が手に入る一冊だった。