玉村豊男のレビュー一覧
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玉村さんには3度お会いしたことがあり、おかげでパリ渡航の後押しにもなった。20年以上前のこと。
時が経ちだいぶ意識が離れてたところで、ご逝去の報せが。。
かつてヴィラデストを訪ねたことなども思い出し、また著作を読みたくなり、こんな本があったんだと初めて読んだら、玉村さんらしい料理理解で、1980年の時世に30歳の若さでこのレベルに達されていたとは改めて脱帽。
最終章でそれまで紹介してきた世界の料理を構造的普遍性の観点から図式で明示する手腕は感動。(マイケルファラデー著『ロウソクの科学』ラストの感動を思い出しました)
人生の師と感じて来れたのは幸運でした。謹んでご冥福をお祈り致します。 -
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2010年刊の画文集。書名『玉村豊男 パリ1968-2010』は、個人的クロニクルのようにも読めるが、そうではない。
23歳で初めてパリの地を踏み、以来42年、足繁く通ったカフェ、ブラッスリー、レストラン、そして定宿のホテルなど、その移り変わりを回想する。そこに添えられているのが、自筆の水彩や鉛筆の画、48点。
1968年、自分の通う大学が紛争で騒然とし始めた時に、奨学金を得てパリに留学。留学先のパリの大学では、学生紛争(五月革命)はぼぼ終わっていたものの、まだ混乱状態は続いていた。そのため、授業がない。それがすべての始まりだった。テリトリーはパリ左岸、オデオンやサンジェルマンデプレ界隈。玉村の『パリ 旅の雑学ノート』や『パリのカフェをつくった人々』で見かけた店や人も出てくる。
玉村は41歳で絵を描き始め(高校時代にも描いていたようなので、正確には再開か)、50歳からパリの街並みを描くようになった(そういえば、父親は日本画の画家だった)。本書はその作品集でもある。 -
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読書録「料理の四面体」5
著者 玉村豊男
出版 中央公論新社
p25より引用
“ この料理は、その後しばしば再現を試
みた
もちろん再現にはハンデがある。
砂漠近くのオアシスのような木陰、小川
のほとりで鍋を囲む、豪快にして繊細な感覚
の美は再現することが日本では不可能だ。
この料理の美味のかなり多くの部分はそう
した舞台装置に支えられているのかもしれ
ないから、その欠如はほとんど取り返しが
つかない。”
目次より抜粋引用
“料理のレパートリー
ローストビーフの原理
てんぷらの分類学
刺身という名のサラダ
スープとお粥の関係”
エッセイストである著者による、料理の
レシピと方法論をまとめたエッセイ集。
他社刊行作文庫版。
旅先で教わった料理から家で手軽に作る
ものまで、日々の料理により一層の彩りと
味わいの変化をもたらしそうな考え方が記
されています。
上記の引用は、アルジェリア式羊肉の
シチューについて書かれた項での一節。
なにかの再現には、体を囲む環境というの
が、かなり大切なのでしょう。
今発展中のVRなどの映像技術も、どれほど
視覚情報が美しく現実的でも、自室の食べ
かけのピザやお菓子や脱いだままの服の臭い
の中では、再現度が下がりそうです。
個々のレシピと共に、料理のレパートリー
を増やすコツが盛りだくさん。
これから料理を始める人だけでなく、より
日々の食事を充実させたい人には、ありが
たい一冊ではないでしょうか。
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ネタバレ
料理の本質を見出せば、無限にレパートリー増えるのでは?
料理を理屈っぽく分類
I 料理のレパートリー
ソテー&ソース
油で肉or魚を焼く→鍋から出して、残り汁に具材と汁を入れて伸ばす(デグラッセ)→かける
煮込み
酒に漬け込んだ油で肉or魚を焼く(リソレ=旨みが後述のスープに逃げすぎないように)→具材と汁を入れて煮込む→味付け
→上記二つは本質的には同じ調理法。パラメータを変えるだけで無限のレパートリー
「ひとつの本質が時と場合に応じてさまざまに異なる姿を見せるだけ」
・カツレツ=コトゥレット(仏côtelette)。元々の意味は「骨付き肉」
・「ソース」の語源は「ソルト」。塩は原始のソース
IIローストビーフの原理
グリル
直火の近くで当てる
ロースト
直火のやや遠くで当てる
スモーク
直火から上る煙に当てる
天日干し
太陽という直火のかなり遠くに当てる
・ローストビーフの本場イギリスでは、ヨークシャープディングが付け合わせ出る。(味が想像できない)
Ⅲ
Ⅳ刺身というサラダ
・玉村さんの頭がいいということがわかる。理屈っぽい。organized でも無理がないか?サラダについて、野菜の話がドレッシングの話に飛躍してない?
料理(日本)…中国語由来。原義は材料に上手く手を入れる。日本で魚を切っただけの刺身も十分な料理。むしろ切れるひとが「板前」。生に近いものを、いかに美しく「料り理め」られるか。
COQUERE …ラテン語で、「火熱を加える」。cuisine(フランス語)cooking (英語)に表れるように、欧米では火を入れないと料理ではない。生ガキや生ウニ、サラダ、オードブル(仕事の外)は料理にあらず。シェフが担当しない。ただし、「ヌーベルキュイジンヌ」では、酢や油とスパイスで和えた生魚が見られる
膾(中国)…太古は肉魚を生食する習慣があったが廃れる。鉄器と石炭の普及が早かったから?文章が上手なので長いけど引用。
「大体13世紀の終わり頃には、既に中国人は生色の習慣を捨て、全く日本人とは逆の方向に、ひたすら火と油の営みの中に料理芸術の完成を目指そうとして突っ走り始めていた」
「鉄鍋とか強い火力とか、大量の油とか、それまでに知らなかった文明の力を手にするようになって、以前のあぶり肉だとか、膾だとか、怠惰なコックにも、無能なコックにもできそうに見えるシンプルな調理法が、古臭く原始的に感じられてきて、近代化の衝動が中国人の胸中をよぎったのかもしれない。そのエネルギーが、火と油を手品のようにる中国料理の技法を一直線に発達させていったのだろう」
ユッケ(韓国)
タルタルステーキ(欧)
→生肉を調味料と和える調理法。馬肉を食べた韃靼人(タタール人)の名残か
サラダ
仏では肉料理の後に食べるもの。料理前では「クリュディテ(生野菜)」
→近年はサラダの定義が広がりりつつある。サラダドレッシングの範囲も広い。(ナムルはサラダ?カツオのたたきはサラダ?おひたしはサラダ?ステーキはサラダでは?)混沌。
→サラダの語源はsalt=塩味のついたもの。この本では「具材を調味料と和えたものと定義」。火を使って具材を加工する=料理の前後に接続する状態のこと
料理とは
火
空気 水 油 からなる四面体。底は生もの(料理以前、手を加える前のもの)
既存の料理は四面体内に収まるし、パラメータをいじれば創作料理ができる。一度できた料理を底に持ってきて、さらに手を加えることもできる
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2026年始まりの一冊はブリア・サヴァランの美味礼讃。著書の名前も本のタイトルも知っているけれど、読んだことがなかった。いい意味で期待は裏切られ、想像以上に楽しく読んだ。それは編訳・解説の玉村豊男さんの力によるものが大きい。フランス人の一端も理解するのに役立つ本。食についての本なのに、女性のことがまぁまぁ出てくる。それは日本人の私にはピンとこないのだけど、なるほどフランス人にとっての食事とは恋愛、アムールも含めてのものなのだと改めて思う。また、フランス革命の及ぼした影響も存分に感じられる。まさにそれは革命だったのだと、食を通しても見えてきた。そして、歴史は移ろいでも、人々の食べる楽しみは変わらず、アムールも変わらず、美味を探求する人は探求できていたのだなとどこかホッとする気持ちになる。フランス革命、ジャコバン派の台頭、ナポレオンの登場と失脚という歴史の大波にのまれつつも、その変化さえも楽しみ、食を楽しんでいた人がいたことにホッとした。とにかく、面白かった。聞いたことはあるが、読んだことがない本にこれからもチャレンジしていきたい。かなりあるはず。
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ぼくのワインができるまで
- カート
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試し読み
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紙面の大部分を世界各地の料理の分析、共通点の探索に割いている。
そう聞くと、淡々とした文章で読み進めるのが苦のように思えるが、そこを筆者の軽い文体とジョークを交えることで気づいたら最終章に辿り着いていたという経験をさせてもらった。
最終章では、それまで紹介された内容が水、油、空気そして火という4要素に還元され、それらの関係性をひとつの図形で視覚的にわかりやすく説明される。
この図形のどこかに点を置くことで新しい料理ができると同時に、すべての料理が(底面変換を繰り返すことで)この図形に詰まっていると考えると、これから料理を食べるのが楽しみになって仕方がない。