あらすじ
日本人が食事にかける時間は、イタリア人やフランス人に比べて圧倒的に短いという。彼らは食事に時間をかけることで、会話を楽しみ、そこから様々なことを学んでいるのだ。翻って日本では、美味しい料理や雰囲気の良いお店を紹介する「グルメ本」は多いが、社会や文化といったその背景にまで言及した本は近年殆ど見られない。本書では、食をライフワークとする著者ならではの食についての「本当のウンチク」を学ぶと共に、「一期一会」とも言える、仲間と囲む食卓の大切さを語りかける。【目次】朝礼の挨拶――私たちが学びたいこと/第一時限 食の時間/第二時限 食の作法/第三時限 食の進化/第四時限 食の伝播/第五時限 食の禁忌/第六時限 食の仲間/放課後の雑談――まずい店ほど楽しめる
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Posted by ブクログ
食に関する本。2010年。食を中心に日本の社会や文化を紐解いている。他国と比較して、特に、本書の場合はフランスと比較して、日本人の食事の時間は短いという。また、一人で食事をする割合も多くなっており、これらが現代社会を味気ないものにしている要因と説く。納得。
また、和食においては、いわゆる三角食べが行儀の良いマナーと教わっているが、コース料理をたしなむフランスなどでは一品ずつ平らげていくことがマナーとなっている。比較文化論ではないが、食事マナーひとつとってもまったく異なる作法が尊重されているところが面白い。
読んでいるといろいろなものを食べたくなる、そんな一冊。
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玉村豊男さんの食に関する授業。
食べるという当たり前でいて、生きるには必要でなくてはならないこと。知っているようで、わかっていなかった事がたくさんありました。
いっしょ食いは日本人特有だという事。バイキングの食べ方。世界の人の宗教感による食事へのこだわり。
どんな料理でも、いかに楽しむか。
面白く、ためになる一冊でした。
Posted by ブクログ
ダイエットは女性の永遠のテーマらしいです。
ダイエットってようするにカロリーの入出力の関係を「入<出」にすればいいってだけ(想像)だから、実はそんなに面倒なことではない気がするけど違うんやろか。違うんやろね、
でもダイエットを気にしすぎるとごはんが憂鬱になっちゃう。それだけは避けたいもんだ。
僕たちは食べるために生きているわけではないけど、食べないと生きていけない。省略できないこの時間を豊かにすることは、人生を豊かにすることじゃなかろうか。
■「食卓は学校である」玉村豊男・著(集英社新書)
筆者は食に関する著作をたくさん著している方ですが、この本はわりと新しい、昨年の秋に出ました。
内容は最初から最後まで食べ物の話。この本を読んだいま、世の中のすべての事象の起因は食文化にあると僕は言い切っちゃうね。
恋も仕事も世界情勢も、すべての原因は食事にアリ。「美味しんぼ」の世界は骨董無形な嘘話ではなかった。あれこそリアルだったんだ。
食について、目からウロコがぼろぼろ落ちるうんちくがいっぱいです。
民族の性格や、キャビアがなぜ高級食材とされるか、現代日本家族崩壊の理由、フレンチのフルコースが一品ずつ出る根拠などなど。食の側から見た世界はこんな面白いのか。すごいよ。
でもこの本の本当の素晴らしさはそんなうんちくにあるのではないです。
うんちくが人生を豊かにするわけじゃない。
巻末近くにある、食卓という毎日の奇跡を綴った文書、これこそがこの本の魂です。
ちょっと長いですが引用します。
----------------------<引用 ココカラ>----------------------
たとえば食卓の上に一個のリンゴがあるとします。
そのリンゴは二日前に近所のスーパーで買ったものですが、信州の農園で一週間前に収穫され、農家のトラックに積まれて農協に出荷されたあと、運送会社によって青果市場まで運ばれ、仲卸し業者を経てスーパーの店頭にたどり着きました。
このリンゴが実っていたリンゴの樹は、今年で樹齢三十年を迎えます。三十年前にこの樹を植えた果樹園の主人は五年前に亡くなり、このリンゴを収穫したのは息子さんです。
三十年前に植えた百本の樹のうち、二十本は虫や病気にやられ、いま生き残っているのは八十本ですが、そのうちの半分は老齢化によって生産量が落ちているので、来年の春までに伐採して、新しい苗木に植え替える予定です。このリンゴは、その樹の最後の収穫になるでしょう。
(中略)
さらにいえば、三十年前に植えたこのリンゴの苗木は、県の育種場で栽培されていた樹齢二十年のリンゴの樹から、枝を取って挿し木で育てたものでした。五十年前にその樹を植えたのは・・・・・・。
つまり、ある一個のリンゴがいま自分の目の前にある食卓にたどりつくまでには、夥しい時間の積み重ねと、数え切れないほどの多くの関わりがあるのです。
そう考えると、あらゆる時間と空間の組み合わせの中で、膨大な数のリンゴの樹に実った無数のリンゴから、たったひとつだけ、いまこのリンゴが自分の目の前の食卓の上にあること・・・・・・は、まさに奇跡だとは思えないでしょうか。
(中略)
食卓の上の食べものだけではありません。
(中略)
友人や仲間といっしょに食卓を囲んでいるとき、私はときどき不思議な感慨にとらわれることがあります。
この何人かの人間は、どうしていまここにいるのだろう。
(中略)
私を含めて、いまここにいる人たちが、次にまた同じメンバーで集まれるという保証はどこにもありません。このうちの誰かが、近いうちに病気になるかもしれないし、ひょっとしたら明日死ぬかもしれないし、遠くへ行ってしまうかもしれないし、仲違いして二度と会わないようになってしまう可能性だってないではない。
そう思うと、きょうの会食は、唯一無二、空前絶後の出来事ではないか。
その上に、この会食の上にある食べものや飲みものは・・・・・・。
(中略)
これらのモノたちが地球上のある一点に集まって一堂に会することは、何億年の地球の歴史の中で、初めての、そして最後の機会であることは、誰も否定できません。
----------------------<引用 ココマデ>----------------------
昔よくばあちゃんに叱られた。
「アンタお米はお百姓さんが一生懸命つくんやき。88回も手間がかかっとるんよ。やけん(だから)残したらいかん。バチあたるよ」
ああ、ばあちゃん。今わかったよ。
※この文章は2011/3/29にmixi日記に挙げたものです。
2012年6月、この本のことを考えることが多かったので、ちょっと思い出してアップすることにしました。
Posted by ブクログ
・パリジャンの日常食。ウフ・マヨネーズとステック・フリット
>スモーガスボード(バイキング料理)というのは、自分で料理の量と種類を自由に選ぶことができる、というだけで、実質的には、きわめて整然と時系列で進行する、西洋式のフルコースなのです。
>アナーキーな日本人の行動に対して、フランス人なんか悲しいほど律儀です。彼らは、すべての料理が最初から並んでいる弁当箱のようなトレイを与えられても、ひとつひとつの料理を時系列のポジションに置き換えて、順番どおりに時間差で食べるのです。
>十六世紀になるまでは、インドのカレーも朝鮮半島のキムチも、いまのように辛くはなかったのです。同じように、イタリア料理にはトマトがなく、ドイツ料理にもジャガイモはありませんでした。
>「今夜はカレーにする? ハンバーグにする? それともスパゲッティにする?」
と、毎日の夕食を三つの異なる外国の食文化から選ぶ民族は、いまだかつて地球上に存在したことがありません。
>地球上で、菜食で生きることが可能な植生をもつ地域は限られます。宗教が先か風土が先かは別として、南インドがその数少ない地域のひとつであることはたしかです。
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食についての本を数多く書かれている著者の新刊。様々な観点から講義を受けるように楽しく読んだ。各国の文化・歴史・宗教と結びついて語られる事柄は素直に納得する事ばかり。学校といっても先生に教わるというより、経験や造詣の深い知人の会話を無心に聞き取るような至福の読書だった。興味深かったポイントは多数あったが、まず「日本人のいっしょ食い」この作者ならではの鋭い観察力で面白い。「白柔温甘」飽食の時代が頂点に達して折り返すと、それまでは貧しさの象徴であったものが豊かさの象徴に変換され、豊かさの象徴であったものが時代遅れの烙印を押されるという記述が面白かった。「肉食と禁忌」についても宗教や風土などの絡みがわかりやすくて頷くことしきりだった。 読んでいると豊かさについて考えるようになる。終盤の二十年食堂のはなしは感動的。食卓は語り尽くせない物語に満ちていること。ともに食べることは、ともに生きることである。本当のご馳走とは…時に自分も、ありふれた食事の向こうに広がる物語を思い描いてみよう。豊かな気持ちになってくるだろう。
Posted by ブクログ
花火大会で連れ合いと一緒に食べたタコ焼きが感動的に不味くて5年経った今でも話題になる。
「なにを食べるかより、誰と食べるか」が大事との意見にはまさしく同意。そして良い食事でその食卓につく人の仲を取り持つことが出来るなら、料理をする側からすればなおいいことだと思う。