原泰久のレビュー一覧
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『キングダム』73巻を読んだ。
読んでいるあいだずっと、「まさか王翦軍が負けるはずがない」と信と一緒に思い込んでいたし、敗走が決まった瞬間までどこかで逆転を待っていた。けれど、ページをめくっていくうちにじわじわと分かってくる。これは本当に“敗北が確定する巻”なんだ、と。
序盤で描かれるのは、李牧が青歌を訪ねた日の回想。
「他人の戦争」に巻き込まれたくない青歌の民に対して、李牧が言葉を尽くして参加を求める場面は、熱さと怖さが同居している。あの日の説得があったからこそ、いま目の前でジ・アガが死に、司馬尚がその責任を背負って戦っている。青歌軍の士気が一気に燃え上がる理由が、ここでストンと腑に落ちる。
そこからの王翦軍は、とにかくカッコよくて苦しい。
司馬尚めがけて突き進む青歌軍に対し、亜光・田里弥・倉央がそれぞれの持ち場で文字通り命を削りながら殿を務める。冷静沈着な田里弥が、最期の最期まで王翦と倉央の背中を押し、「本物の殿」として散っていく流れには胸が詰まった。普段はどこか余裕のある倉央が、糸凌の死を悟った瞬間に、王翦を逃がす判断と「彼女の後を追う覚悟」を同時に抱えてしまうところも、人間くさくてたまらない。
そんな中で亜花錦が現れて王翦をかっさらう「根を残す」のシーンは、絶望の中に差し込んだ唯一の光だった。王翦さえ生きていれば、もう一度立て直せる――亜花錦の言葉に、読んでいる自分まで救われる。倉央が戦場を振り返りながら「これが敗走の風景か」と噛みしめる場面で、ようやく自分も「本当に負けたんだ」と認めざるを得なかった。
個人的に73巻で一番刺さったのは、倉央と糸凌、そしてカン・サロのくだりだ。糸凌の亡骸に触れるためだけに、打ち首覚悟で敵陣に戻ってくる倉央。ジ・アガを討たれた側でありながら、狼血の契りを結んだ友の気持ちを汲み取り、糸凌と倉央を再会させて帰らせるカン・サロ。「戦争の輪」というタイトルどおり、憎しみも恩義も全部ひっくるめて回り続ける戦の輪の中で、男たちの筋の通し方だけは濁らない。その清々しさに、青歌軍まで一気に好きになってしまった。
その一方で、壁とキタリのパートはこの巻の救いでもある。番吾を落とせないと分かっていながら、それでも仲間と壁を助けるために剣を取るキタリ。ボロボロになりながらも立ち上がる壁と部下たち。ようやく二人が再会する場面は、この戦いで数少ない“心から良かったと言える瞬間”で、思わずニヤけつつ、「この二人は幸せになってくれ」と本気で願ってしまった。
戦場の物語がひと区切りついたあとは、舞台が咸陽へ移る。二度の大敗で30万の兵と桓騎、数多くの将を失った秦。普通なら中華統一どころではない状況で、それでも政は諦めない。昌平君に「もう一度統一を目指す道筋」を問い、その答えとして示される“三つの柱”――戸籍制度による兵力の底上げ、信・蒙恬・王賁の抜擢、そして韓攻略がここで一気に空気が変わる。戦場の血の匂いから、国家を動かすための知略の匂いへ。文官たちの戦いも含めて描いてくれるところが、やっぱりキングダムの醍醐味だなと改めて感じた。
最後に、敗走で心が折れかけている信を、羌瘣がちょっと意地悪に、でも優しく励ますおまけ。ここまで重い巻だったからこそ、いつもの二人のやりとりにほっとするし、「まだ物語は続いていくんだ」と自然と思わされる。
73巻は、番吾の戦いに決着をつける一冊であり、
王翦軍の敗北を真正面から描ききった巻であり、
それでも秦が“復活の一歩”を踏み出すまでを描いた節目の巻だったと思う。
勝ってスカッとする巻ではない。むしろ、読んだあとにしばらくモヤモヤが残る。でもそのモヤモヤこそが、信たちや倉央、王翦が抱えている感情に一番近いんだろうな、とも思う。ここから彼らがどう立ち直るのか、そして青歌軍と再びどう向き合うのか。74巻以降が怖くもあり、楽しみでもある。 -
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桓騎との死闘を終えた秦軍が、なおも趙北部に挑む「第二次北部攻略戦」。72巻はまさにその “再出発の緊張” に満ちた一冊だった。宜安を落として勢いはある。しかし巻全体に漂うのは、勝利の余韻ではなく、むしろ「これから本当の地獄が始まる」という空気。読んでいてずっと腹の底がざわついた。
秦軍は総大将・王翦のもとに総勢25万を集め、武城・番吾へ向かって進軍する。飛信隊、玉鳳隊、楽華隊も再び前線に並び、それぞれが桓騎喪失後の戦いに挑む覚悟を固めていた。信も王賁も、もう昔のような若々しい勢いだけではない。仲間を失い、重い現実を知り、それでも前へ進む“将としての顔”が72巻でははっきり感じられた。
一方の趙は、国としては混乱の真っ只中だ。李牧追放と復帰を巡る政争は激しく、無能な王は迷走を続けている。それでも戦場だけは異様なほど盤石だった。
李牧が配置するのは、国門・武城と番吾という二重の巨大な防衛線。そしてその奥には不敗の将・司馬尚率いる青歌軍が控える。李牧は焦らず、動かず、ただ「秦軍が疲弊するのを待つ」という恐ろしい戦略を敷いていた。
72巻で最も印象的だったのは、趙軍がまだ動いていないのに、秦軍がすでに“追い込まれ始めている”ことだ。敵が強いという以上に、李牧の布陣全体から漂う圧。静かで、冷たくて、逃げ場のない地形と城郭。「ここから先は、生半可な覚悟では死ぬ」
その緊張がページから立ち上るようだった。
秦軍側では、飛信隊・玉鳳隊・楽華隊の三隊がそれぞれの役割を果たしながら前線へ。特に、信と王賁の関係性が良かった。互いに言葉少なだが、確かな信頼と意地がそこにある。桓騎亡き後の秦軍は弱くなったのではなく、むしろ「新しい柱が育ち始めた瞬間」を見せられた気がした。
壁軍が補給や地形の不利に苦しみながらも戦線を維持しようとする場面も、戦争の現実を鋭く突いていた。華々しい武将だけでは戦は成り立たない。その重さも72巻は丁寧に描いている。
そして何より、72巻の核心は「李牧が敷いた巨大な守備網をどう突破するのか」という問いだ。宜安の勝利は入り口にしか過ぎず、本当の戦いはここから始まる。武城・番吾、そのさらに奥の青歌。
秦軍は、あまりにも長く、あまりに重い戦いへ足を踏み入れた。
読み終えた時に残ったのは、“高揚”ではなく“覚悟”。勝てるかどうかではなく、進むしかない秦軍の背中が焼きつく巻だった。
72巻は、番吾戦の幕が静かに上がる“前夜の緊張”そのもの。ここから始まる戦いは、桓騎戦とは別の意味で、秦軍の命運を揺るがす大勝負になる。
次巻が怖い──でも、ページをめくるのが楽しみで仕方ない。
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購入済み
非ぃ様見てますか・・・・(涙)
騰将軍がカッコ良過ぎる巻が出るなんて、王騎将軍の時からは考えられなかったのですが、まさにこの77巻がそれです。そして王騎将軍にもう一度会えたことも嬉しい。
戦についてというよりは、政治・王族・民・武人のそれぞれの立場で色々な人の考えが張りめぐらされ、リアルを感じました。
秦も韓も、誰も経験したことのない展開が77巻に詰め込まれているので、あっという間に読み切ってしまいました。
やっぱ天下の大将軍って強いだけじゃなくて、頭もよくなくちゃダメなんだな・・・・信大丈夫かな? -
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『キングダム 69巻』を読んだ。この巻は、桓騎という男の「生」と「死」、そして彼の中に燃え続けた“怒りの正体”を描いた壮絶な物語だった。
宜安戦の最終局面。李牧の包囲が完成し、桓騎軍はもはや絶望的な状況に陥っていた。味方は散り、黒桜や厘玉、ゼノウらも限界を迎える。それでも桓騎は、最後まで敵の首を狙う姿勢を崩さない。冷酷で、傲慢で、誰よりも人間を見下していたはずの男が、最後の瞬間まで背を向けずに戦い続ける。その姿に、思わず胸が熱くなった。
この巻で特に印象的なのは、桓騎の過去が初めて明かされる場面だ。飢えと暴力の中で生きた幼少期、砂鬼一家の子どもとして虐げられ、捨てられ、奪われてきた少年。彼にとって「奪う」ことは、生きるための唯一の手段だった。桓騎が残酷な将軍となった理由は、ただの快楽でも狂気でもなく、「奪われる側で終わりたくない」という強烈な意志の表れだったのだとわかる。その背景を知ったとき、彼の“悪”は一種の純粋さとして浮かび上がる。李牧に対して語る「中間の人間が一番悪だ」という言葉は、まるで現代社会への皮肉のようでもあり、戦国の理不尽を超えた哲学を感じさせた。
戦場では、桓騎軍の絆がまた深く描かれている。部下たちは命を賭けて桓騎を守ろうとし、「お頭と一緒に死ねるなら本望だ」と笑う。彼が作り上げたのは、恐怖による支配ではなく、奇妙な信頼関係だった。
誰もが破滅を知りながら、桓騎の背中を追い続ける。そこにあるのは忠義ではなく、“同じ地獄を見た者たちの共感”だった。
最期の対話で、李牧は降伏を促すが、桓騎は笑って拒む。「そんなダセェことするわけねぇだろ」と、いつもの調子で言い放つ。その姿は、狂気ではなく、むしろ清々しいほどの自由だった。奪われ続けた過去を抱えながら、奪う者として生き、最後には誰の支配も受けないまま死ぬ。それが桓騎という人間の本質だったのだと思う。
そして戦後、咸陽に届く報せ。桓騎の死を知った信たちは沈黙し、それぞれの心に彼の姿を刻む。敵であり味方であり、誰にも真似できない存在。桓騎の生き様は、戦の勝敗を超えて“人間の生き方”そのものを問うものだった。
『キングダム 69巻』は、ただの戦記ではない。それは、怒り・誇り・自由を描いた人間の物語だ。読むほどに胸が苦しく、そして静かな尊敬の念が湧いてくる。桓騎が去ったあとに残ったのは、敗北ではなく、「自分の信念を貫いた男の生き様」だった。 -
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『キングダム 第68巻』を読んだ。桓騎軍と李牧軍の戦いが頂点を迎えるなか、秦軍は完全に包囲され、まさに崖っぷちの戦いだった。それでも彼らは、諦めることなくわずかな希望を信じて動いていた。桓騎と李牧――天才同士の戦略のぶつかり合い。その中で、信たち飛信隊の戦いぶりがより一層際立って見えた。圧倒的不利の状況でも、策を練り、前に進む姿勢に心を奪われた。
趙軍の防衛線はまさに鉄壁。長城や狼孟の布陣は、突破不可能に思えるほど堅かった。敵陣を抜けるどころか、前に進むことさえ命がけ――それでも信たちは立ち止まらない。戦況は悲壮で、読んでいて息を詰めるような緊張感に包まれる。守備側の完璧な構成に、秦軍の焦燥と限界がリアルに伝わってきた。
その中でも印象的だったのが、飛信隊・楽華隊・壁軍の連携だ。それぞれが自分の役割を果たしながら、わずかな隙を突いて包囲を崩そうとする。飛信隊の突撃、楽華隊の支援、そして壁軍が側面から援護に入る瞬間――その一体感は、これまでの戦いの積み重ねが生んだ“信頼の形”のように思えた。単なる武力ではなく、想いで繋がる軍の姿がここにあった。
包囲の中で起きたわずかな反転攻勢。守勢から攻勢へと転じた瞬間の緊迫感は、この巻の最大の見どころだ。桓騎の罠に李牧がどう反応するのか、その一手ごとの駆け引きがまるで盤上の勝負のようで、読んでいて鳥肌が立つ。戦況は依然として苦しいが、そこに“希望”が見える。このわずかな光が、次巻への期待をさらに高めてくれる。
68巻を読み終えて残ったのは、単なる勝敗の興奮ではなく、“戦う理由”の重みだった。戦略と心理戦の奥深さ。力と策、信念と運命――それぞれの立場の人間が、背負うものを抱えて戦う姿に、改めてこの物語の深さを感じた。
この巻はまさに、戦国のリアリティと人間ドラマが交錯する一冊。次巻でこの戦いがどう決着するのか、胸がざわつくような読後感が残った。
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桓騎という男の異質さが、ここまで鮮明に描かれた巻はなかったと思う。67巻では、李牧の包囲網に追い詰められた秦軍の中で、桓騎が見せる不可解な布陣から始まる。まるで無意味に見える動き――だがそれは、敵の焦りを誘う巧妙な策だった。彼の戦は常に“常識の外側”で行われていて、何を考えているのか分からない怖さがある。だが今回は、それが戦術のためだけでなく、彼の生き方そのものと結びついているように感じた。
物語の後半では、ついに桓騎の過去が語られる。
砂鬼一家のもとで育ち、奪われる側の人生を歩んだ少年時代。捨てられ、売られ、見捨てられたその経験が、彼の“奪う者”としての哲学を形づくっていた。桓騎の残虐さは狂気ではなく、復讐と覚悟の裏返しだったのだ。読んでいて胸がざらつく。けれど、その過去を知ることで、彼の言葉が一つひとつ違う重みを帯びてくる。
特に印象的なのは、「中間の者たち」への怒りの場面。
強者でも弱者でもない、何もしない者たち――その無関心こそが世界を歪ませている、と彼は語る。その言葉は戦国の時代を超え、今を生きる自分たちにも突き刺さる。桓騎の“悪”は、社会への問いそのものだったのかもしれない。
そして包囲を突破する戦い。ゼノウ一家の突撃は、希望と犠牲が入り混じる壮絶な場面だった。味方の命を捨ててでも生き延びる。勝利というよりも、“生き残ること”そのものが戦の目的になっている。その中で、信たちは何を見て、何を感じたのだろう。理想だけでは戦えない現実を、彼ら自身が受け止め始めているようにも見えた。
読み終えたあと、胸に残ったのは「覚悟」という言葉だ。勝ち負けの尺度では測れない、人間の闇と信念。
桓騎という異端の将軍を通して描かれたのは、戦国という時代の残酷さと、そこに生きる者の強さだった。
67巻は“戦”よりも“人”を描いた巻であり、キングダムの中でも特に深く心に残る一冊だったと思う。