堀井憲一郎のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
近年クリスマスへの参加意欲が活発化してきている。自分は本書で言うところの、「古代の神の祭りを受け継いで、異教徒なれどもばか騒ぎを続ける」日本人そのものだ。
いきなり結論から述べると、本書ではそうしたクリスマスに浮かれる日本人を全く責めていない。むしろ、宣教師を送り込んで世界を統べようとするキリスト教の侵食をうまくかわし、日本独自のホリデー・シーズンの過ごし方を編み出した歴史に敬意を表しているようにも見て取れる。
尖っていた頃は「外国からの借り物の習慣で非キリスト教徒なのに、何であんなにはしゃいでいるの…」と訝しんでいたが、これで腑に落ちた。
「日本のクリスマスの受容の動きは、『西洋文化を取り入れつつも日本らしさを保とうとする努力の歴史』であり、日本人が世界を相手に生き抜く知恵だと見ることができる」(P 83)
1549年にザビエルが上陸して以来、クリスマスはキリシタンの間だけで祝われていた。
「キリスト教徒にとってのクリスマス」は聖書の話や祈祷など宗教的色合いが強いが、第三者から見れば、所詮お祭りの一種に過ぎない。(弾劾まではいかずとも)キリシタンとの関わり合いを避けていた戦国期の民衆も、クリスマスだけは「珍しい異教徒のお祭り」として外から見物していたと記録にも残っている。
秀吉や家康は日本がキリスト教国にならぬよう侵食を食い止めただけで、隠れキリシタンはちゃんと国内にいた。そしてクリスマスもイースター(キリストの復活祭)も細々とだが祝っていた。
そんな感じで日本のクリスマス草創期に始まり、近現代には100年分の朝日新聞を中心にクリスマスに関する記述を徹底調査。「新聞はいつまで経ってもおじさんのメディア」って言葉を裏付けるかのように、1970年代以降は若者向けの雑誌がメイン資料となっているのがまた面白い。
更に面白いのが、1906年(明治39年)から非キリスト教徒によるクリスマス騒ぎが本格化していたこと。(明治期に入ってもしばらくは「他者の祭り」だった) 日露戦争での勝利が今の馬鹿騒ぎの起源だったってわけだ。
当初はクリスマス会だったりと子供向けのイベントだったのが、やがてビアホールやダンスホール等で大人もパーティーを楽しむようになる。これって、元々子供向けのイベントだったハロウィンが、大人も仮装を楽しむようになったのと同じ原理…。「お祭り」なら、大人が祝ったってバチは当たらないってことか。
「祝祭に起源はあっても、意味はない。解放されている、という感覚だけが大事にされる。自分が生きていることの確認であり、自分がやがて死んで消えてしまう、という確認でもある」(P 183-184)
戦後は、独身なら恋人と、既婚なら家族と過ごす今の形態へと変化していく。(今ではそこに「ぼっち」のオプションも加わっている)この先も自分はこの時期特有の熱気に酔いしれ、クリスマスを無条件に受け入れ続けるだろう。
それに日本のクリスマスとキリスト教色はもはや切り離されたも同然だと分かったんだし、これで気兼ねなく自分たちだけのクリスマスを楽しめるってもんだ。 -
Posted by ブクログ
2023/12/14
日本とキリスト教の関わり方の歴史から、日本におけるクリスマスの形の変遷について考察した本で、内容がとても興味深く面白いと思いました。
安土桃山時代のキリスト教宣教師による布教に対する日本のスタンスや、その先の時代における為政者とキリスト教との関わり方の変化の理由、クリスマスが現代のように「恋人と過ごす日」のような雰囲気に形作られるまでの変化が、とてもわかりやすくまとめられていてとても歴史の考察本だけどそれほど硬くもなく読みやすかったです。
所々に入る著者のツッコミのような部分も、確かにそう思うよなーと言う気持ちととても重なるものが多く、端的ですが的を射た表現で各章が構成されているように感じます。
クリスマスについて考察してみたい人にはとてもおすすめですし、これまでの時代の変化も読み取れる面白い一冊です。 -
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とても面白かった。
キリスト教と日本の歴史的な考証が素晴らしい。
前半、現在のクリスマスと、戦国時代に日本で行われていたキリシタンの生誕祭には断絶があるということが考証される。この頃のキリスト教は、めちゃくちゃ怖い。キリスト教徒でなければ人にあらず、キリスト教の文化でなければ全て邪教の文化、破壊して、キリスト教式に塗り替えるべきということが書簡などから透けて見える。
一神教だから、日本の大らかな多神教では無理な感覚。日本なら、キリスト教も、いくつもある宗教の一つ。そんな神様もいるんだって感じだが、キリスト教を信じるってことは、それ以外の神様を一切否定する、また、それにまつわる習俗にも迎合しないってことだから、日本の風土と合わない。
結局はキリスト教の世界征服計画だから、看破した日本では布教自体をNoと言い続けてたけど、明治になって、あからさまにNoを言い続けるのも難しくなった。そこで、キリスト教?うん、一応受け入れてるよ、だってほら、うちの国でもクリスマスやってるから、という感じにするために異郷のお祭り(日本的軟化ver)として受け入れ始めた。毎年、新聞に、横浜なんかの居留地、もしくは元居留地での楽しげなクリスマスの状況を報道していた。クリスマスの成立自体が、ローマ帝国でキリスト教を受け入れるにあたり、これまでやってた他のお祭りに被せる形で、行われた。そのうえ、そのクリスマス(イエスの誕生日)もサンタクロースが贈り物をする日に取って代わられつつある。キリスト教の目立ったイベントでありながら、そのありようは、全くキリスト教的でないので、元々の意味を離れて、とにかく馬鹿騒ぎをする日として受け入れるのに都合がよかった。…というようなことが、歴史的な検証を踏まえ、考察される。
後半は、昭和、戦争を経て後の、恋人たちのクリスマスに至るまで。
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購入済み
堀井さん、流石です
膨大な寄席の経験とディズニーやスキーの調査能力を元に、また面白い本を出してくれました。感謝です。江戸の範囲を分かりやすく見せてくれたのも良いし、長屋の貧乏の説明も判りやすかったです。
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Posted by ブクログ
よい、よいぞ…膨大な数の登場人物の紹介、さくいん、家系図(!!)、各巻ごとの人物相関図もある。各地の地図も載っていて各巻の生活の様子がよりくっきり目に浮かぶ、垂涎。あらすじも人物紹介も、とても丁寧に触れつつネタバレには配慮している様子が伺える。
一番好きなのは、あえて「何度も登場しないが、印象に残る人たち」項を設けているところ。
好きな人物を索引で探すも良し、地図や人物相関図を改めて眺めながらストーリーをおさらいするも良し。最新刊が出るたびに毎回一巻から読んでいてそれも骨太さが再確認されて良かったのだが、途中からでも人物について索引で探せるようになったのはさらに素敵。 -
Posted by ブクログ
堀井さんの新刊は、ディズニーデートでのどうして?と思っていたことや、あるある話がてんこ盛りで、とても興味深く面白い内容でした。
今回は横書きじゃなかったです(笑)
混んでるし疲れるしで、ケンカしてるカップルや家族連れはよく見かける光景。それを長年にわたるTDRの調査結果を交えながら明快に読み解いていき、また楽しくランドとシーをまわれるおすすめプラン(超納得)が色々提案されていました。
男は全アトラクション制覇とか、効率&攻略ばかり考えてしまうけど、女は自分がかわいい姫になってる気持ちを楽しんでるのです!
楽しく過ごすには、理解不可能だけどそこのところお互いに譲り合って過ごせという…(笑)
確かにダッフィー選びの話は女子あるあるです。ぬいばの顔でもじっくり見比べちゃう…グッズもあれこれ見ちゃう…でもこれ男にはわからない超絶至福のひと時なのです。
男女の違いに関する話がTDR内の事例を絡めて説明してあるので読みやすくて面白く、頷けるものがありました。面白いけど、かなり鋭いところ突いています。
「ディズニーランドデートで別れるジンクス」への分析が納得でした。
せっかくの夢の国なんだから、ケンカせずに楽しく思い出を残したいですよね~カップルや家族でインパする前に、一読をオススメ。 -
Posted by ブクログ
堀井 憲一郎さんのファンなので、また買ってしまいました。前回から新しいアトラクション情報が加わっていますが、まあ今ではネットで何でも事足りる状況なので、この本に限らずガイドブックとしての必要性は感じないですね。
でも相変わらず切り口が面白いです。TDLを聖地として崇拝する私のような信者にはこうした辛口な分析は、色々考えさせられ歯止めになっていますww
読み物としてもとても面白くて興味深いです。
原作映画の完全紹介コーナーが好きです。どのアトラクションにもディズニー映画の原作がありますから、それを知って遊ぶのと知らずに遊ぶのでは面白さが段違いです。インする前に映画は必ず観るべきだと思ってます。ロジャーラビットと海底二万マイルは強力におすすめ。
「ワンス・アポン・ア・タイム」「ハピネス・イズ・ヒア」「ファンタズミック!」等のショーやパレードの見物位置取りも参考になります。
私的見解が強めなところが、この本の面白さだと思います。 -
Posted by ブクログ
自分は著者とは世代が異なりますが、ここ20年ほどのあいだにもやもやと感じていたことがちょっとすっきりしました。
ああ、自分が感じていたもやもやはそこからきていたのか…と。
20世紀後半(終盤)から現在に至るまでの世相というか、時代の雰囲気と流れをおもに若者の行動や考え方を中心に概観しています。
良きにつけ悪しきにつけの暴力の時代、父性と母性が共存して居た時代から非暴力、母性優位の時代へ。
表面的には「やさしい」時代になったのだけれど、その裏でかくされながら様々なものが消えていっていた。
私自身が深く関わっているサブカルな部分に関しては、どうしても外から見た方の評論だなーというところもありましたが、一般的なマスコミの見方に比べれば実際に足を運んでらっしゃることもあり、「こんな風に見えるのか」と受け止めました。
様々な関わりをもって殲滅されず、殲滅せずに生きていきたいと思いました。 -
Posted by ブクログ
「クリスマスが恋人のものになる」「みんながディズニーランドに行くようになる」「みんなが携帯を持つようになる」といった出来事をいろんなデータを集めまくって、著者の体験と実感混み込みで語っている素晴らしい本。
一番面白いのは2章のクリスマスと3章のディズニーランドの話。80年代以前が想像できないくらいライフスタイルが変わっている感じがするんだな。
同時代を象徴する人物は、この本では描かれていないけど、島耕作だよね。島耕作が課長になったのが1983年で、クリスマスを島課長は上司と居酒屋で過ごしたりしている。1980年代後半には授業参観で「将来の夢はディズニーランドになることです!」という児童が出てくる。
80年代は田中角栄が列島改造を終えて刑務所に入っている時代。フォーカス・フラッシュ・フライデーがスキャンダルを追いかける時代。日本が最も熟れている面白い時代なんだよね。 -
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ネタバレ江戸時代の価値観で現在を見直してみると、意外に面白い。
落語を聞いていて、どうしても現代の感覚からするとピンと来ない場合があります。
ちょっとしたことだと移動の距離感や貨幣価値、労働環境など。
そうしたこのと知識も得られて楽しいのですが、
中でもおもしろいのは「公」と「個」に関する観念の違いでした。
例えば「左利きの侍はいない」という話。
現代の我々の感覚では当然左利きの武士だっていただろうと思ってしまいます。
しかし、いない。日本刀の扱いはすべて右利きを前提に定められており、例外は認められないのです。
なぜなら生存をかけた争いが激しかった時代においては、少数派の存在を考慮する余裕がない。有無をいわさずその型に嵌めた方が効率が良い。ましてや侍とは「さぶらう」つまり貴人の側にいてそれを護る役割であり、あくまでも「公」の存在。個人の好みや個性などという「個」の要素とは最も遠い存在であったのです。
したがって左利きの侍は存在せず、左利きの落語家も、扇子を刀や箸に見立てるときは右利きとして演じる訳です。
ちなみに現代の剣道においても左利きであろうが右利きと同じ構えで教えられます。
あるいは結婚についての話。
庶民にとって結婚はああだこうだ言わないで勧められたらするもの。それ以上でもそれ以下でもない。恋愛なんてのはあるにはあったけれど、閑で金のある人間がするもの。まぁ吉原やら川崎やらでお金を払ってそれらしい遊びをするのがせいぜいで。ここでも「共同体の存続」を「個人の生き方」よりも優先するのが合理的であった時代であることが窺えます。
まぁそんな感じで、現代人からみたら堅っ苦しくて不自由で耐えられないと思いますが、なにしろそんな自由なんて概念すらなかった時代です。でもその中でけっこう泣いたり笑ったり、貧しいながらも人間らしく暮らしていたようにも見えますね。
けっして「江戸時代に戻りたい」という訳じゃなくて、こうした「200年前の今とは全く違う価値観の社会」での出来事がこうして落語というかたちで現在も語り継がれ、しかもその人間性に充分共感しうるという事実に驚き、なかなか素敵なことだなぁと思うのです。寄席に行ってみたくなりますね。 -
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「今は大変な時代だ」というのは、人である限り、普通に考えることだ。
東北で大地震があったから、原発事故があったから、ではない。
それとは無関係に人はいつだって、いまは大変な時代だと答えてしまう。
なぜならこれは、「自分が特別だ」「選ばれた」と思いたい自己愛の発露であるから。
しかし頭の奥底では、「そうとも言えないぞ」という視点、内なる他者性ももっておいたほうがいい。
いろいろ便利だし、時にはラクだし、ほんとに大変な時にはそれがまた有効な考えである、ということに気づかせてくれる本である。
「今は大変な時代だ」とはペテン師の常套句でもあるのだよ。
以下目次
第1章 歴史は繰り返し美しく歪められる
第2章 科学とはただの妄想かもしれない
第3章 19世紀的ハイテンション気分の果て
第4章 個性の尊重で世界はどんどん歪んでいく
第5章 子供の名前を自由に付けてはいけない
第6章 無縁社会はみんなの努力の結果である
第7章 政府も東電も「他者」ではない
第8章 だから、いつだってふつうの時代
終章 ほんとに大変なときのために -
Posted by ブクログ
北田暁大「嗤う日本のナショナリズム」で確か引用されていたので気になっていた。堀井憲一郎というと、僕には「テレビおじゃマンボ」でつまらないクイズコーナーを担当していた人、くらいのイメージしかなかったので、まさかそんな本に引用されるなんて思ってなかった。
読んだ。とても面白かった。良かった。別にアカデミックに裏打ちされた何かがあるわけではない。文体も軽快で、コラムみたいなものだ。ただ、1989年生まれの自分にはわかりえない生前から幼少期にかけての時代の「雰囲気」みたいなものはひしひしと伝わる。
クリスマスやディズニーランドが神聖化されていく渦中にいた人間の体験記として、平成生まれの人間が読んでおいて確実に損はしない。 -
Posted by ブクログ
著者は、1958年生まれのコラムニストで、週刊文春にて「ホリイのずんずん調査」を連載中とのこと。本書は、その連載をもとに、80年代から90年代にかけての若者と社会を論じたものです。
雑誌やテレビを丹念に調べ上げることから浮かび上がってくる事実と、実際に見聞きしたこととを重ね合わせながら、時代の風景や空気感をリアルに浮かび上がらせていくのが堀井氏の手法です。日常の些細な出来事の集積から、その底に流れる大きな潮流をつかみとっていく手口は見事です。一見、とるに足らないように見える情報もデータベースにして分析してみると、こんなに社会の実相を捉えることができるものになるのかと目が覚める思いがします。
本書で取り上げられるのは、「一杯のかけそば」、クリスマス、トレンディドラマ、連続テレビ小説、漫画、携帯電話、ビデオデッキ、アダルトビデオ、コンビニ、新幹線などなど。これらの変遷をデータで追いかけながら、背景にある事象や、その影響が分析されます。
1983年:クリスマスの恋愛化。ディズニーランド開園。おしん。
1989年:天皇崩御。天安門事件。宮崎勤逮捕。ベルリンの壁崩壊。
1995年:阪神淡路大震災と地下鉄サリン事件。
2001年:同時多発テロ。
こうやって並べてみると、1983年以降、ほぼ5年ごとに社会を揺るがすような大事件が起きていることに気付かされます。昭和天皇が崩御し、ベルリンの壁が崩れてから、社会は静かに、でも、確実に崩壊に向かってきたのだと思います。80年代は、崩れる前の最後の馬鹿騒ぎの10年間だったのでしょう。
著者は、社会の寿命も人間の寿命と同じようなものではないかと言います。だとすると、戦後に作られた社会のシステムは一体いつまでもちこたえることができるのでしょう?既に戦後65年たっています。男性の平均寿命は79歳、女性は86歳ですから、せいぜいもってあと20年というのが妥当なところではないでしょうか。
タイトルにある「若者殺し」とは、「若者」が消費社会のターゲットとして「発見」され、消費社会のシステムに組み込まれていった過程のことを指しています。システムに飲み込まれることで、一見好きなように生きている若者が、どんどん息苦しくなり、希望がなくなっていった。つまり若者は社会によって緩慢に殺されていったわけで、その端緒が80年代にあったというのが本書の主題です。
そして、こうなった状況下で若者にできることは、システムを壊すことか、システムから逃げることだ、と著者は主張します。
なるほど。確かに、いつの時代も若者は社会を壊そうとして、文化に逃げ道を見つけてきました。では、若者達が逃げる先にある文化とは何なのか?著者の最終結論には意見が分かれるかもしれません。
本書には、確かに80年代から90年代にかけてのリアルな風景が描かれています。そして、再現されたその風景は多くの気付きを与えてくれます。滅法面白い本なので、是非、読んでみてください。
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▽ 心に残った文章達(本書からの引用文)
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1989年。
僕は、この年は『一杯のかけそば』の年だったとおもっている。
1989年は80年代最後の年で、昭和最後の年だった。(…)
春にいきなり消費税が取られ始め、春の終りに中国の天安門で多くの若者が殺され、美空ひばりが死に、夏に宮崎勤が逮捕され、横浜の花火大会で花火が暴発し、総理大臣が竹下から宇野になったかとおもうと海部になり、秋の終わりにベルリンの壁が崩れ、カルト教団と戦っていた坂本弁護士一家の行方がわからなくなった。
たいへんな一年だ。いろんなことがこの一年に詰まっているとおもう。
クリスマスが恋人たちのものになったのは1983年からだ。
そしてそれは同時に、若者から金をまきあげようと、日本の社会が動き出す時期でもある。「若者」というカテゴリーを社会が認め、そこに資本を投じ、その資本を回収するために「若者はこうするべきだ」という情報を流し、若い人の行動を誘導しはじめる時期なのである。若い人たちにとって、大きな曲がり角が1983年にあった。女子が先に曲がった。それを追いかけて、僕たち男子も曲がっていった。
1983年4月15日金曜日。東京ディズニーランドが開園した。(…)
1987年、ディズニーランドが聖地化しはじめていた。ポパイがクリスマス特集を始めた年だった。
連続テレビ小説のピークは「おしん」である。
1983年のドラマだ。いろんなものが1983年に始まっている。
「おしん」の平均視聴率は52%だった。三百回以上放送されるドラマの平均視聴率が52%というのは、めちゃくちゃである。
80年代に目に見えて普及して、日本人の生活を変えたものは、ビデオデッキとコンビニエンスストアだ。(…)
ビデオとコンビニは、いくつかの楽しみを個人所有のものに変え、集団で行動する原理を解体し、家族を解体し、家庭をばらしていった。そのおかげで、女性は家庭からも家族からも自由になっていったのだ。
90年代は恋愛と携帯しか売られなかった。そして恋愛と携帯からは、何も生まれなかった。
空虚なドラマは、当時トレンディドラマと呼ばれた。88年からトレンディが始まり、1990年代の空虚な時代を支えていった。それ以前のドラマは家庭が舞台だった。ホームドラマだ。
90年代の女性の処方箋が恋愛ドラマなら、男の処方箋はヘアヌードだった。身も蓋もない。でもそうだったから仕方がない。
1991年11月13日、宮沢りえのヌード写真が新聞全面広告に載った。
日本中を衝撃が走った。
トップアイドルである。掛け値なしに一番人気だったアイドルだ。その彼女がヘアヌード写真集を出したのだ。おそろしい時代になった。日本史上、空前の出来事だった。
僕たちの社会がダイナミズムをなくしていく過程と、携帯電話が普及していく時期はちょうど重なっている。
たぶんベビーブーマーたちは、1968年に破壊できなかった何かを、もう一度、やんわりと破壊しようとしているのではないか。若者をゆっくりと殺していくことで、何かに復讐しようとしてるのではないだろうか。日本と、日本がもたらしたものと、近代のシステムと、そしてできれば近代そのものを、憎んでるだけではないか。
のぞみ、という命名には、いかにも90年代らしい気分が見てとれる。それまでの「ひかり」「こだま」というのは実にわかりやすいネーミングである。一番速いのが光速、次に速いのが音速。わかりやすい。
その光速より速い列車にどういう名前をつけるか。JRも悩んだのだろう。そこで、のぞみを出してきた。内的世界である。精神論だ。宗教的とも言える。60年代の科学的気分から大きく逸脱して、内側へ向かってしまった。
日本が近代国家を始めたのが1868年。そのシステムをやめたのが1945年。これは78 年もった。大敗戦後のシステムは1945年に始めて、さてどこまで延命できるだろうか。早いと2015年。もって2030年だ。
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●[2]編集後記
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先日、娘と宮崎駿のアニメ「となりのトトロ」を観ました。久しぶりのトトロです。この映画が上映されたのは、1988年のこと。バブルまっただ中の作品です。
明るい明日を皆が信じていた時代に、昭和30年代を彷彿とさせる内容の映画です。公開当時の配給収入は5.8億円、観客動員数80万人。興行的には失敗でした。トトロと言えば、宮崎駿監督の代表作の一つですから、今では信じられないことですが、当時の前向きな時代の空気とは明らかにミスマッチだったのでしょう。はっきり言って、貧乏くさい、単なる懐古趣味の映画に思われたのだと思います。
勿論、トトロは「昔は良かった」的な単なる懐古趣味の映画ではありません。描かれたのは、自然と人との交流であり、日本人の暮しに根づいた自然な霊性がテーマであったと思います。
例えば、主人公の少女・五月がお地蔵さんの祠で雨宿りするシーンがあります。五月は、お地蔵さんに手を合わせ、ここで休ませてください、と許可をとってから雨宿りをします。こういう暮しに根づいた自然な霊性、見えないものへのリスペクトが宮崎監督の描きたいものだったのでしょう。
それは、当時47歳の宮崎監督の、バブルに踊らされる社会に対する精一杯の違和感の表明だったのだと思います。そして、バブルが弾け、目が覚めるかと思いきや、自然とのつながりも、日々の暮しの中の霊性も、むしろどんどん失われていった。そのことに対する怒りが、その後の「もののけ姫」や「千と千尋の神隠し」に明瞭に表れているように思えます。
ちなみに、「千と千尋の神隠し」の興行収入は304億円、観客動員数は2,350万人でした。トトロが2000年代の映画だったら、どれだけ観客動員できたのか、興味深いところです。