堀井憲一郎のレビュー一覧
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社会の中に「若者」の居場所が無かった時代。
ボクの世代はベビーブーマー世代とベビーブーマーJR.世代の合間の世代。
物心つき始めた頃は、すでに社会はおもしろおかしい楽しげなモノ、はやく東京に行かねばっ!とまだハァ〜ハァ〜していた世代である。
本書を読んで、それがスーツを着た大人たちが社会の中に「若者」を取り込んでいった時代をまんま生かされていた感じた。
「おとなが若者のつもりのまま年をとっていき、その下の若者の居場所がないのだ。 となると若者は、自分の内側の世界を大事に生きるしかない。内側を生きる人たちは、世界に薄い膜をかけて見る。リアルに直視しても、何も幸せになれないからだ。その世界に生 -
Posted by ブクログ
00年代をサブカル的視点でどんな時代だったかを考察した本。
堀井さん、ファンなのですが。
なんだか今回はためいきが重たかった。独創的な視点と文章のキレも心なしか鈍い。なぜこんなに憂いているのか。結局2013年版にアップグレードした「昔はよかった。大事なものが失われた。今の若者はかわいそう」っていうことを言ってるだけの気もする。もちろん言ってる本人は本気なのだけどね。面白いな、とハッとさせられる部分もある反面、居酒屋でオッサンの愚痴をきいている気怠さ。
思慮深く頭のよい中年男性は皆、リリー・フランキーが提唱した通り「中年鬱」になって、村上龍のようにどんどん顔が険しくなっていく運命(と書いてさだめ -
Posted by ブクログ
ネタバレ若者は、「若者」というくくりをつけられた上で、ある一定の方向性に誘導させられ、搾取させられてきた。例えば、「クリスマスは彼女とリッチに過ごす(1983)」だったり、「バレンタインにチョコレートをあげる(1977)」などである。
これらは、1980年代に女性主導で起こった。ディズニーランドも1987年あたりで聖地化した。これらは、女性主導で行われた。ラブホテルから回転ベッドなどの面妖さが抜け、女性好みのシンプルさになっていったのも、その一環だと思われる。女性の要求は、洗練され細分化された形で事前に用意された。
1980年代後半にはコンビニが普及し、人々が「無駄な消費」を覚えた。水や茶の販売も -
Posted by ブクログ
以前、団塊の世代の方々とお話したときに、
「壊した後に何も作らなかったのがよくなかった」といったようなことをおっしゃられていたことを思い出してしまった。
若者であることはすばらしいとは、私は思わない。
「ぼくは二十歳だった。それがひとの一生でいちばん美しい年齢だななどとだれにも言わせまい」とポール・ニザンもいっている。ということを、子どもや若者がいいといわれるときによく思い出してしまう。
堀井さんはカルチャーと絡めて、どんどん若者が食い物にされていく様子を浮き彫りにしている。その視点が面白い。ただ、どんどん女の子がお姫様化、恋愛至上主義化していくというのは、どんなもんなのだろうと思う。ただ