堀井憲一郎のレビュー一覧
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いつだって大変な時代なのだ。
事後に大変だと塗り替えられることもあれば、突き詰めていくと実はぜんぜん違うものがみえることもある。
著者は、あれ?と思ったことをなぜ?に置き換えて、思索を続けるているのだろう。
梅雨入り宣言なんて大きなお世話だし、歴史的な転換点など当事者にはわからない。
いつのまにやら個人が尊重されていると錯覚してしまったことで世の中がねじれちゃった。
無縁社会を嘆くのはナンセンスでそれは団塊の世代が望んだことじゃないのか。それをいまさら大変だとは。
社会で起きていることへの人々のカンチガイを指摘する。
とはいえ、東日本大震災のときにツイッターは役に立ったかというくだりは、明らかに甘い。
ツイッターは生存確認で役に立っただけではなく、帰宅難民の情報収集にとても機能したのである。
ほかにも、若干、思考が浅いところがあるのがやや難。 -
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内容はまさにタイトル通りの本。
最近追い詰められて、神経過敏になっている社会や日本人や私のような人には、肩の力が抜けてしっくりくるものだ。
全9章あるタイトル、例えば「第5章 子供の名前を自由に付けてはいけない」や「第6章 無縁社会はみんなの努力の結果である」というのは本当に納得できる。科学に対する批判はパラダイム論とも違い、「正義を放棄してみよう」という程度の意見だとも思う。
日本の政治や外交が2流だとも3流だともいうのは、政治家個人の素質に依拠するのではなく、日本人の政治と外交の意識が2流であり3流である証左なのだけど、そうえいば、外交1流国というのは結局人情が死滅した世界に住んでいる国だなとも思う。
私たち日本人はこの列島に住んでから、ずっと大変な時代に住んでいる。そしてこれからもずっと大変な時代を過ごす。
ぼちぼちやるしかないな。 -
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ネタバレもはやインパクトのあるタイトルで勝負!ってのは新書界での常識なのでしょうか。
非常に社会学的で、各年代の若者たちを追った内容は単純に興味深かった。雑誌アンアンの1983歴史的宣言が、クリスマスを「パーティー」から「恋人たちの夜」とするクリスマス・ファシズムの走りだとか。ホームドラマが衰退し、トレンディドラマが台頭してきたあたりに若者はアウトドア派(サーフィン、スノボ)とインドア派(オタク)に二分されたとか。1997年、若者が携帯電話で覆い尽くされてしまったとか。例を挙げたらキリが無いのだが。
自分のお誕生日に、いったいいくつメールが来たか。そのメールの数で「いま存在する世界の中で、あなたの誕生日を覚えていて、祝ってくれる気持ちのあったすべてのひとの数」が示されるのだ。逃げようがない。来てない人は、誕生日を知らないか忘れたかどうでもいいと思った人なのだ。それがきちんと数字になって示される。
こういう考え方をすると本当に生きにくい感じがする世の中。携帯電話を破壊して、ようやく世界と繋がったってうたってたのは誰だっけ。
最後までしっかり読めば、何故「若者殺しの時代」なのかわかる。平易な文体なので読みやすい。首尾一貫しているとは言えないがそこはご愛嬌。最後に「戦う」か「逃げる」かという選択肢が提示されているが、「ニート」とは逃げようとして現代に捕まってしまった若者たちの総称らしい。この本によると。 -
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落語から覗える江戸の「気分」を追体験してみよう!という本。
一昔前に「週刊文春」を時々読んでいた(最近はほとんど買わないなぁ)が、この人の連載「ホリイのずんずん調査」は「はぁぁ」と体中脱力するほどクダラナイことを調べ、そのクダラナサのあまりについつい読んでしまう欄であった。「テーマパークのアトラクションの待ち時間」だの「チョコ菓子をいくつ買ったら当たりが出るか」だのをとにかくひたすら調べるのである。今でも連載は続いているらしい。ある意味、すごい欄なんである。
で、そんな「ずんずん調査」風のテイストもちょっと盛り込みつつ、数々の落語から、現代人がなかなか嗅ぎ取れない江戸時代の「空気」をすくい取ってわかりやすく説明したのが本書、となる。
これが予想以上におもしろかった。
身分の違う階級の住み分け、本当の貧乏とはどういうものか、火消しと鳶職の関係、蚊帳の話、富くじと無尽、米の飯、等々。話題は多岐に渡り、「へぇ、そういうものだったのかもしれないなぁ」と思わせる説得力がある。
あまり堅苦しくなく気楽に読めるところも、落語を踏まえた本書にふさわしい。
それにしてもホリイさん、相当の数の落語を聞いている。すごい。
ずっと東京の人だと思っていたのだが、京都の人だという。巻末の京都人から見た上方落語・江戸落語みたいな部分がおもしろかった。大阪と京都のビミョーな距離感というのも、京都に5年住んでみて、何となく頷けるところがある。
*江戸落語はそこそこ知っているが、上方落語ってほとんど知らない(『愛宕山』とか『三十石』とか『地獄八景亡者戯』くらい・・・?)。ちょっと聞いてみたくなった。
<2010.11.25追記>よく考えたら、一時、枝雀もよく聞いたし、上方を聞いたのも3つってことはなかった。でも、これを機に米朝のCDを続けて聞いたりして、なかなか楽しい♪ -
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ネタバレ堀井氏の著書は、他に『若者殺しの時代』を読んだことがあります。『若者殺しの時代』は、雑誌やテレビ番組の分析を通じて、80年代とはどういう時代だったのかを検証するユニークな一冊でしたが、今回ご紹介する『落語の国からのぞいてみれば』も手法は一緒。落語の作品を分析することを通じて、江戸時代とはどんな時代であったのかが検証されます。
堀井氏の真骨頂は、メディアの中身に分け入りながら、自らの身体感覚を通じて、その時代の空気感を浮かび上がらせていくことにあります。本書でも、縦横無尽に落語の作品世界に分け入っていきながら、同時に、実際に京都まで徒歩旅行を試みるといった身体を張った検証作業を通じて、江戸時代の人々の身体感覚や時間感覚、そして精神世界に迫っていきます。
私達は、ともすれば、今生きている時代の常識でしかものをみません。しかし、200年くらいさかのぼってみた時、同じ日本であっても、そこには随分と違う風景が広がっていることに気づかされます。昔は、もっと人の死が身近で、個性は今ほど重視されず、好き嫌いを言う前に結婚させられ、夏と冬とで一時間の長さが違い、日付はそのまま月の形を表していたのです。
本書を読むと、人が人である限り時代を越えて共通するものがある一方で、人の感情や感覚のあり方は、かなり時代の空気に左右されるものなのだなということに気づかされます。そして、ちょっと前の日本人はこんなふうに考え、生きていた、と思うと、現代の個人の生き方や社会のあり方が、それほど根拠のないものなのだな、ということにも思い至るのです。海外を見るのも大事ですが、こうやってちょっと前の日本人の姿を眺めてみるのも、自らを相対化し、客観視する上で有用な作業なのですね。
「落語は近代をすっと越えてくれる」というのは著者の言ですが、落語の世界に浸りつつ、気づくと今の生き方や社会のあり方を考えさせらている、そんな内容の一冊です。是非、読んでみてください。
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▽ 心に残った文章達(本書からの引用文)
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日本にはかつて誕生日はなかった。少なくとも誕生日の祝いななかった。
1950年に「年齢のとなえ方に関する法律」が定められ、満年齢で数えることになった。昭和二十五年のことだ。その時代から庶民にもお誕生日祝いがリアルに存在しはじめたのであろう。個人の時代、自由の時代が始まった。それは子供中心の時代の始まりでもあったわけだ。
落語をよく聞いていると、どうも「死をそのまま受け入れろ」と繰り返し教えてくれてるようにおもえる。
何が残ろうと、死んだらおしまい。そう送ってあげるのがいいんだよ、と落語は教えてくれています。それは残ってる者がしっかり生きろというメッセージでもあるわけで、動物としてはそういう生き方が正しいと思う。
「生まれたときの名」
「家を継いだときの名」
「隠居したときの名」
生涯に三つの名前を持つ。それぞれが正式な名前で、人は役割によって名前も違うのだという、前近代的な常識に基づいた方式です。
「銭金はおタカラだから大事にしないといけない」
「金銭は不浄のものであるから、固執してはならない」
お金に関しては、人は必ずこの二律背反なイメージを持っている。というか、この二点を子供のころから徹底的に教えこまれるのだ。
お江戸日本橋から、京の三条大橋まで歩いたことがある。21世紀になったばかりの頃だ。若者2人を連れてのべ23日で歩いた。これはちょっとゆっくりだったなとおもって、またそのあと、二年後に日本橋から名古屋まで7日で歩いた。東京から名古屋まで七日で歩くってのは、ほとんど走っているようなスペースである。
歩く旅に慣れると、里という単位がとてもありがたい。一里をだいたい一時間で歩きます。休憩なしですっと歩ける距離が一里です。
相撲とは何かって、興行です。見せ物でしかない。
相撲はむかしから、必ず人が見る前で取り組まれていた。客を選んだり制限したりしたことはあっても必ず客はいた。(…)相撲はスポーツではない。勝ち負けや記録だけ残しても意味はないのだ。
見世物小屋という世界があって、人の世界からはずれてしまうなら、そちらに身を寄せればいい、という知恵があったのだろう。いままでのように人がましくは生きられないが、でも何とか生きていけるという方法である。近代以前の弱者の方策だ。個性と人権を大事に考える世界に生きていると、人がましくなくても何とか生きていくというエリアが認められなくなって、こういう考えかたはできなくなった。
近代というシステムは何故か「すべてをクリーンにしたい」という人間の欲望をすごく刺激する。言い方を変えれば「世界を制服したい」欲望でもあるわけだけど、その欲望につき動かされて、近代の社会は端っこがなくなっていく。
大束に言ってしまえば、近代より前は、人は好き嫌いで生きていけなかった。好き嫌いは前面に押し出されることはなく、また好き嫌いで人生を決めてはいなかったんだろう。それはそれでひとつの見識である。人が人であるかぎり、さほどの横幅を取って生きていけるわけではない。欲張ったところで、自分以上の横幅を取って人生を歩めるわけじゃない。
近代より以前、人は夜になると月を見ていた。すべての人が月の形を意識して生きていたわけですね。そもそも暦が月の満ち欠けで決められていた。(…)大雑把に言ってしまえば、明治五年以前の暦は「その夜が明るいかどうかを示したもの」だったのだ。夜の明るさのカレンダー。
落語のえらいところは、二百年も昔の若い連中の姿を生き生きと見せてくれるところだ。(…)でも落語は遺跡ではなくて、いまでもエンターテイメントなんだな。いまこの瞬間もどこかで人を笑わせている。そのへんがすごい。
息苦しいなあとおもったときには、ちょっと江戸の気分になってみると、少し楽になるかも、ということです。落語は近代をすっと越えてくれる。
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●[2]編集後記
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まだまだ冷えますが、立春を迎え、暦の上では春になりました。
植物達は敏感に春を感じているようで、地べたに張り付くようにして冬を過ごしていた我が家の畑の作物達も、急に力を取り戻し、むくむくと起き上がってきました。
植物というのは、本当に環境の変化に敏感ですね。植物の特徴は、一度根を張ったところからは動けないことですが、動けないからこそ、全身の感覚器官を開いて、環境の微細な変化をキャッチできるようになっているのでしょう。「動けない」というのは、動物に比べると弱点のように見えますが、植物達はその「弱さ」故に、高い感受能力を発達させてきたのだ、とも言えます。
小さな子どもの感応力の高さも、やはりその弱さ故ではないか、と思ったりします。最近、娘は、こちらが何も言わないのに「春が来たね」と盛んに言うのですが、どうも大人にはわからない、微妙な空気や温度の違いに気づくことのできるセンサーが彼女にはあるのでしょう。
いつの間にか面の皮が厚くなって、どんどん鈍感になっているけれど、本来は、植物や幼児が持っているような感受能力というのが僕らにもあるはずです。世界を味わい尽くすためにも、そういう微細な感受能力というものを忘れないようにしたいものですね。 -
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[ 内容 ]
クリスマスが恋人たちのものになったのは1983年からだ。
そしてそれは同時に、若者から金をまきあげようと、日本の社会が動きだす時期でもある。
「若者」というカテゴリーを社会が認め、そこに資本を投じ、その資本を回収するために「若者はこうすべきだ」という情報を流し、若い人の行動を誘導しはじめる時期なのである。
若い人たちにとって、大きな曲がり角が1983年にあった―80年代に謎あり!
ずんずん調べてつきとめた。
[ 目次 ]
第1章 1989年の一杯のかけそば
第2章 1983年のクリスマス
第3章 1987年のディズニーランド
第4章 1989年のサブカルチャー
第5章 1991年のラブストーリー
第6章 1999年のノストラダムス
終章 2010年の大いなる黄昏あるいは2015年の倭国の大乱
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ] -
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[ 内容 ]
時間の感覚、死生観、恋愛と結婚、酒……
今の暮らしは、どこかヘン!?
江戸を向いて歩こう!
恋愛こそすべてという圧力、名前に対する過剰な思い入れ、死んだらおしまいと言えないムード……どこか息苦しくないか?
落語のなかに生きる人々の姿から、近代人のおかしさを撃つ!第1章 数え年のほうがわかりやすい。
[ 目次 ]
第2章 昼と夜とで時間はちがう
第3章 死んだやつのことは忘れる
第4章 名前は個人のものではない
第5章 ゼニとカネは別のものである
第6章 50両で人は死ぬ
第7章 みんな走るように歩いてる
第8章 歩くときに手を振るな
第9章 生け贄が共同体を守る
第10章 相撲は巨大人の見世物
第11章 見世物は異界の入り口
第12章 早く結婚しないといけない
第13章 恋愛は趣味でしかない
第14章 左利きのサムライはいない
第15章 30日には月は出ない
第16章 冷や酒はカラダに悪い
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[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ] -
Posted by ブクログ
「80年代、女の子がお姫様になった」
文章が軽妙で時代の軽さによく合っている気がする。そんな文体なのに、どこかバッサリと斬られるような感じがする。伸びよう、広がろうとするのにバッサリと斬られるような。読みながら、その時代の若者をイメージしながら読んでいると、確かに殺されているような気分になる。
バブルを通して、「若者」までもが市場として意識されたということだろうか、名前をつけられた途端にそれは世界の中に位置づけられて絡め取られてしまう。
バブルで生まれた金の多くが女性に捧げられ、女の子がお姫様にまつり上げられた。男の子はお姫様に好かれエッチできるように本を買い服を買い自分を磨いた。
大人が、若い大人を見つけ、「若者」という名前をつけ、意味を持たせた。 -
Posted by ブクログ
まず、文章が流暢で読み心地が良い。言い回しが面白い
>昔の雑誌を介して怒られるのは理不尽なのだが、怒ってる内容は正しい。
>女性に怒られるときは、いつだってそうだ。入り口は間違ってるんだけど、指し示しているポイントが恐ろしいほど正確なのだ。何も言い返せない。
>第一陣の逃亡者たちは、ほとんど捕まってしまい「ニート」という立派な名詞が与えられてしまった。いまは構成しろと監視されている。
>あきらかに逃亡する前よりも扱いが悪くなっている。次の逃亡は慎重にやったほうがいい。
とかね。
目の付け所が面白い。
多くの人が見過ごすであろう、社会の変化から独自の分析・持論を展開している。
・雑誌が若者をターゲットにし始めた
・トレンディドラマが女性の価値観を変えた
・単位は取るものではなく、来るものになった
とかね。
主張としては、社会の変化はどんどん若者を生きづらくしているということらしい。でそれを作っているのは、かつて若者だった大人たちということになるのかな。
別に、誰かが悪意をもって若者から搾取しているわけではない。
今の延長線上で、努力をすれば明日は今日よりきっと良くなる的な価値観がそうさせたのだと思う。若者は苦労しても、歳を取れば報われる的な固定観念がね。