クーン、ムオト、ゲルトルート、彼らの中で主人公であるクーンが正真正銘の芸術家であろう。
だが彼を取り巻く人々の苦悩や戦いは、まさにクーンよりもはるかに劇的なものに思われるのだった。
長く、苦しい嵐の只中でも、クーンには穏やかやさ真理に触れる機会がある。彼はとても賢い。
人を受け入れ、認め、自分の分を
...続きを読むわきまえている。
手に及ばないもの、しかし諦めないこと。それも分かっている。
そして、尽きせぬ欲求、あこがれ、死を考えるほどに愛することを知っている。
それでもとても孤独でつつましやかである。
芸術とは一時の情熱や日々の刹那ではない。
積み重ね鍛錬、つらく厳しい作業をこつこつとこなす上にあると彼は云った。
ヘッセの描く嵐は、ともすればわれわれの中ですぐに過ぎ去る嵐のようなものである。
しかし、確実に心に吹いた風を云うのである。
ヘッセという人は過敏であり繊細よりももっと繊細であるように思われる。
誰しもが恋をして、失恋をして、そしてまた立ち上がり忘れ、次の人をみつけるだろう。
ヘッセはそれでも最初の痛みを忘れない作家だ。
春の嵐が生ぬるく寂しいのは、雷の落ちるような嵐ではないからだ。
それでも、生きた苦悩の証であり、充実な日々の証拠を忘れない。
そう思わせてくれる。
ムオトのような魅力的な人物がヘッセ作品にはたびたびお目にかかれる。主人公とは雲泥の差なのに、どちらの人も真理までしっかりと描かれる。
ムオトを襲う悲劇は、クーンがいうように逃げの一種である。
だめだと分かっていながらも、それができずに、どうしようもない獣を飼い、生きる苦しみ。
ムオトと彼の関係がとても好きだった。
ムオトのほうがきっと、彼を必要としていたのは一目瞭然である。
ゲルトルートが、彼の想い人であったと知っていても、彼はゲルトルートを手に入れたのである。
ゲルトルート・・・は、正直好きではない。
苦しみのうちに、また立ち上がって生きている強い彼女は皇后しいとはおもう。けれども。どうしてもいつだって結局正しくみんなに同情される彼女である。
それよりも、不具の男をずっと静かに情熱的に、そばにいても触れることもせず、ただその芸術を崇拝し、自分を相手のために押さえつづけたブリギッテが好きだ。
彼女こそ女神だとおもう。奇しくも最初のお産で亡くなっている。
光とは、どんなに重い雲の中から出て来なければならないのかを。