高橋健二のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
人が苦しみの中にあるとき、救いというものは、それほど多くあるわけではない。家族や友人の励まし。信じる教え。あるいは、大好きな景色や音楽。そして、大切にしてきた言葉。私たちは、苦しみをどう抱え、向き合い、乗り越えていくのか。
もし一冊の本が、苦しむ誰かを支え、乗り越える助けとなるなら、本は、信頼する友人一人に匹敵する。その言葉は、自分の中で声となって響く。それは、ただの知識や語彙ではなく、人間の言葉として残り、私たちが生きることを肯定する。小説が、随筆が、詩集が、格言集が、私たちの中に感触となって残り、私たちは自分の人生をその感触に重ね合わせて生きる。
この小説のタイトルは、ブッダの出家以前の名前。そしてこの小説の中身は、ブッダが悟りに至るまでの、求道者としての体験を書いたものである。悟りへの手段である禁欲を目的化せず、自身の快楽への深い欲を見つめながら、一歩ずつ清澄な境地へ至るさまは、それが高い次元のことにもかかわらず、世俗に生きる私たちに共感を与える。それは私たちが、現実を生きながらも、内面では、澄み切った境地へ至りたいと願っているからかもしれない。とすれば、この小説は、私たちに寄り添う「友人」になり得るだろう。私たち自身の中にはシッダールタがいるのだ。(K)
紫雲国語塾通信〈紫のゆかり〉2011年4月号掲載。 -
ネタバレ
心の成長
一部ご紹介します。
・常に良い目的を見失わずに努力を続ける限り、最後には必ず救われる
・歴史を書くのは、過去を脱却する一つの方法である。われわれが歴史から得るところの最上のものは、それが引き起こす感激である。
三千年の歴史から学ぶことを知らぬ者は、知ることも無く、闇の中にいよ、その日その日を生きるとも。
・人間は現在がすこぶる価値のあることを知らない。ただ、なんとなく未来のよりよい日を願望し、いたずらに過去と連れ立って嬌態を演じている。
・われわれは愛から生まれてきた。われわれは愛無くして生きることはできない。われわれは愛によって自己に打ち克つ。われわれは愛によって愛を見出し得る。苦しみに耐えることができるのは愛による。われわれを絶えず結びつけるのは愛である。
・沈んでは行くが、いつも同じ太陽だ。年を取ると、時折、死について考えずにはいられない。死を考えても、私は冷静でいられる。というのは、われわれの精神は全く破壊されない性質のものだということを、私は確信しているからである。それは永遠から永遠へ働きかけるものだ。まさに太陽に似ている。われわれの肉眼にだけは沈んでいくように見えるが、実際には決して没することはなく、絶えず輝き続けているのだ。
・われわれのところでは、唱歌が教養の第一段階である。他のすべてはこれに関連し、これによって仲介される。楽しみも教えも、信仰や道徳でさえも。あらゆる利益がこれと結びつく。歌詞を書かせたり、書かせた歌詞を発声させたりして、子供たちの目や耳や口を同時に発達させるようにする。そのため、彼らは普通考えられるよりも早く、正しく美しく書けるようになる。そして、こういうことは、正しい尺度と、きちんと決められた数にしたがって練習され習得されなければならないので、測量と計算の貴重なことを、他のどんな方法によるより早く理解する。それ故、われわれはあらゆるものの中で音楽を教育の基本に選んだ。音楽からあらゆる方面へなめらかな道が通じていると確信したからである。
・人間の持つものの中で、自分自身に基礎を置かぬ力ほど不安定で、儚いものはない
・どんなつまらない雑草でも花でも、懐かしい日記の一片となり得る。それは幸福な瞬間の思い出を呼び返すものは、一つとして無意識ではあり得ないからである。 -
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ヘルマン・ヘッセの『メルヒェン』に収められている、「アウグスツス」に不覚ながら涙した。
アウグスツは、生まれた時に「誰からも愛さずにはいられないように」と母親から願いをかけられ、その通りになる。
子どもの彼には、天使の歌声が聞こえた。
しかし、誰からも愛されるあまり、彼は傲慢になり、
あらゆる富と名声を得て、堕落し、あらゆる悪事を尽くす。
あらゆる欲望に満たされても幸福になれない彼は、いよいよ自殺を図ろうとするが、
魔法をかけた名付け親が現れる。
そこで、アウグスツスは、
「それまでの人生にかかっていた魔力を取り消し、愛することができるように」と願う。
ラストシーンの描写があまりにも美しくて涙を誘う。
ヘッセの文章は、精神が実体を持った風景として、あたかも「美」そのものが内側から語らせるようだ。
実にシンプルで王道のおとぎ話だが、
手塚治虫が漫画で描いていそうな、
またディズニーが設定を変えて映画にしても面白いかもしれない。 -
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ネタバレ2019/2/17
翻訳 高橋健二先生
ゲルトルートはこの小説に出てくる女性の名だ。
ラストの数行でボロボロと泣いた。
歳をとってから青春を思い出すと苦いことも多々あったのに美しく感じる。
歳をとるということはそういうことなのかな。
主人公クーンは、ソリの事故で足を怪我し身体障害者となる。
それにより、自分は誰かと恋仲になることも結婚もできないと思っている。
そして、自殺まで考えるが、音楽が彼を救った。
彼は悩みながらも、現実を受け入れつつ生きてきた。
友人のオペラ歌手ムオトは、容姿にも才能にも恵まれ、どんな女も自分のものにできる。
ただ、精神面が壊れやすかった。それは自分の中から生まれているもので、改めることはできない。
ゲルトルートを通して、クーンもムオトも傷ついたが、現実を受け止める力と、自分の中のフィルターを通して見えてくるものの違いのため、生き方が異なってくる。
巻末は、翻訳した高橋先生がヘッセに会いに行った時の出来事が書いてあった。
“若ものたちは利己主義と独立心にかられて、観望が満たされないと生命を放棄するようになる。これに反し、自分の生命が他の生命と結びついているのを知るものは、自分の欲望のためにそんなにまで駆り立てられるにいたらないと、父は言った。”
以下がラスト。
高橋先生の訳はいいな。
“人はとしをとると、青年時代よりも満足している。だが、それだからといって、私は青年時代をとがめようとは思わない。なぜなら、青春はすべての夢の中で輝かしい歌のようにひびいて来、青春が現実であったときよりも、いまは一段と清純な調子で響くのだから。”
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人は誰しもいろいろな側面を内に持っている。ハリーはヘルミーネと出会うことで、自己の諸側面について気づき、洞察を深めていく。その中には、自身が否定してきたものと相反する矛盾した自身の姿もある。たとえば、反戦思想を唱え人道を叫びながら、裕福な身分のまま亡命し個人の活動に耽っている自分、自殺志願者である自分についてである。
物語で、ハリーの矛盾する己の存在への葛藤は、ヘルミーネによって解消される。
しかし、現実はそうした自己の存在に気づくことは容易ではない上に、気づけたとて向き合うことは非常に勇気のいることである。多くの人は気づいていなかったり、気づいても無意識に知らぬふりをしてしまうだけで、実は誰しもが、未だよく知りえない、向き合えない自身の側面を持っているのだと思う。この物語は荒野のおおかみに限ったものではなく、誰しもが持つ自身についての物語なのだと思う。 -
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この手の過去の偉人の格言集は、往々にして今の自分への戒めになる。
個人的には特に、
「自我と自由と節制について」の項目がガツンときた。
一つ格言を引用するとすれば、
「個人は何ものかに達するためには、自己を諦めなければならない、ということを誰も理解しない」P131より
だろうか。
自分の目指す「なにものか」、について。
そしてそのために自分が「諦めなければならないもの」とは何か。
これはこの本に収められた一つの格言に過ぎない。
あなたの心に問いかける多くの格言がこの書には収められている。
別の本の名前を出して恐縮だが、アランの「幸福論」のように、生活の中で折に触れて読み返したい一冊。
その度にきっと発見があるだろう。