佐藤朔のレビュー一覧
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西洋は贖罪と神の救済があれば、
比較的簡単にやり直すことが出来る世界と思っていたが
ファンティーヌもジャン・ヴァルジャンも
これほどまでの救いの無い・薄い状況を耐えなければ
望む世界に生きることが出来ないのだろうか。
宗教的/理想的背景な善の姿、と現実の社会で
存在・発生せざるを得ない悪、否「外れた者」の
必死に「生きる」姿、葛藤、悶え、足掻く姿が
時を超えて重くのしかかる。
スタートから100ページ以上とにかく長い。
じっくり描き込んでいるのだけど、ここまで必要か。
と、思ってしまうのは単に筋書きだけを追う
エンターテインメントに染まってしまったからなのか。
残り4冊。「ああ無情」というタ -
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アルベール・カミュの「反抗的人間」を
「現代」という雑誌(ジャン・ポール・サルトル)で
フランシス・ジャンソンが批判したことに端を発した、
「カミュ=サルトル論争」を収録した本。
ものすごく高度なんだけれど、
所詮は口喧嘩でしかないという印象。
サルトル側が革命に身を投じないカミュをフルボッコにしていて、
ちょっとカミュが可哀そうでなんか見てらんない。
いや、読んでらんない。
結局、
カミュもそこに乗っかって罵声を浴びせているので、
まぁどっちもどっちです。
カミュがハブられた瞬間、
という歴史的な意義は高いのだろうけれど、
それだけ。
勝者であるサルトルもそ -
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「本好きと言う割には読んでないなんてちょっと恥ずかしいんじゃない?的本をこの際だからまとめて読んでしまおうキャンペーン」第…いくつだっけ?
ストーリー自体は難しくはない…と思うんだけど。
途中途中で出てくる歴史だったり文化だったりが…おバカさんなんですごめんなさい。
教科書やらウィッキー君やらにこんなにお世話になった本はありません。
フランス人だったら面白く読めたと思うんだけどなあ。
読んでも読んでも先に悲劇や破滅の気配がして、手が止まる止まる。
まあラストは落ち着くところに落ち着いた感が。やれやれ。
章のタイトルやちょっと言い回しが洒落てて、フランスっぽいなあ、と。
原語で読めたらもっと楽 -
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ネタバレ第四部「プリュメ通りの牧歌とサン・ドニ通りの叙事詩」。「プリュメ通りの牧歌」には、マリユスとコゼットの毎夜の逢瀬を通して、純愛が書かれている。彼等をひき合わせたのは、テナルディエの娘、エポニーヌである。マリユスがコゼットの家のベンチにおいた手紙には、ユゴーの愛に関する思想がしたためられており、たいへん興味深いものだ。一方、「サン・ドニ通りの叙事詩」では、アンジョルラスら「ABCの会」の会が始めたバリケード戦が書かれている。とくに「象の腹」に住んでいた浮浪児、ガブローシュの役割がきわだつ。マリユスは、ジルノルマンに結婚の許可を得ようとするが果たせず、嫉妬したエポニーヌのため、コゼットの心が離れた
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第三部「マリユス」。例によって、ユゴーのパリ描写が多い。最初はパリの浮浪児の描写、そして学生たちがつくった共和組織、ABCの会の様子を描写している。マリユス・ポンメルシーは、テナルディエがワーテルローで偶然救ったポンメルシー大佐の息子である。王党派ブルジョアの祖父に育てられるが、やがて父の偉大さを知るようになり、ボナパルティストとなる。そして、弁護士となったマリユスは、謎の白髪の老人ルブラン氏を知り、その娘に恋するようになる。クライマックスは、ジョンドラッドがルブラン(実はジャンバルジャン)を待ち伏せし、娘(コゼット)を人質に脅迫しようとし、それが失敗すると、ルブラン氏を殺害しようとする場面で
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第二部「コゼット」である。とはいえ、ファンチーヌの娘、コゼットのことが語られているのではなく、二つの大きな挿話、というより、ユゴーの時代描写が大部分を占める。第一の挿話は、テナルディエを引き出すためのワーテルローの戦いであり、第二の挿話は修道院の制度や暮らしぶりである。ワーテルローでは、ナポレオンの天才が、堅実なウェリントンに敗れるところを詳細に描き、19世紀という理性の時代がナポレオンの独裁を許さなかったことを示し、修道院の話では、聖と俗の対比をめぐる思索が展開されている。フランス革命の理性主義は、信仰にも及ぶのであるが、ユゴーはなお「真の宗教」を認めている。しかし、修道院生活が自由をを圧殺