山内志朗のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
この本は新書の形式をとってはいるけれど,哲学書。決して読みやすいとは言えない。だけれども,だからこそ丁寧に読むことで得られるものが多い気が薄る。。ちょっとふと疲れた時に自分を見直すきっかけになる。
最近,本は目的を決めて読むことが多い。だけれども,目的外のことで思わぬ収穫が得られることがある。そのスコープの広さこそは集中とは反対の目的の無さ。自分はどちらかということ目的のないまま生きてきた。上手く行っていないことも多い。それは裏返せば器の広さと思えればまた悪いものではないのではないかと思う。
時々,物語の先を見たいんだけど,見たら終わってしまうというジレンマに陥ってしまうことがある。目的ってそ -
Posted by ブクログ
[ 内容 ]
中世哲学は、なぜ、トリビアルな問題の集積と見られがちだったのか?
この謎を解く鍵が「普遍論争」である。
「はたして普遍は存在するのか?」というこの単純な問いをめぐる一見煩瑣な論理をていねいに読み解くことにより、本書は、中世哲学のもつ豊穣な可能性を描き出す。
哲学入門としても最適の一冊。
[ 目次 ]
第1章 中世哲学を覆い隠してきたもの、普遍論争―中世哲学の仮面(偽装された普遍論争;アベラールの唯名論;その後の普遍論争;普遍論争の行方)
第2章 “見えるもの”と“見えざるもの”―記号と事物(“見えるもの”と“見えざるもの”;記号の問題;ものと記号;記号論と存在論)
第3章 煩瑣 -
Posted by ブクログ
散発的にいろんなことが少しずつ書かれているようで、読むのが大変だった。けして理解したとは言えない。スピノザなどの哲学者の考えを基にしているようなので、基本的な理解が必要かも。
拾って一番共感したのは下記。
> 何でもかんでも 、必死になってがんばることがよいことだと考えられていて 、がんばらない人は悪人であるかのような風潮になっている 。必死になってがんばりすぎていることは 、過剰適応といって 、ぎりぎりのところまで能力を使っているということだ 。それは 、非常口を玄関にしている家のようなものだ 。火事になって玄関から出られなくなると 、それ以外に非常口がないから逃げられない 。
ま -
Posted by ブクログ
前作の「小さな倫理学」が良くて、手を出した本。こちらの方がやや込み入っているが、基本同じ考え方。なるほど、そう言う見方もあるかと思うところが多数。同感というところも、多数。
TVのお笑い番組は権力を学ぶ為の家庭内学習、宿題みたいなもの。集団の中で1番大きな声で笑う者は1番権力を持っている者。
今ここにいて歩いている「私」は何者かの社、容器なのだろうか。社である以上、豪勢で威風を払うような容器であることを人は求める。人間は一人一人が神社みたいなもの。
目が利くが故に見誤る人が人生において少なくない。顕微鏡や望遠鏡の様に倍率を誤ると見えるモノも見えなくなってしまう。
人生の目的は何か?1つ -
Posted by ブクログ
新聞書評欄によると
生きる目的や悪に対峙(たいじ)する正義などを求めがちな私たちの心性は、どこかへエスカレートしていく危うさを秘めている。がんばらず、ぐずぐずに生きるのもありではないか。〈人生は意味だらけだと考えることが、足元をつまずきの石だらけにする〉〈「目的のなさ」とは、欠如や空虚ということよりも、むしろ自由な空間ということであり、器の大きさでもある〉と著者は説いているらしい。
人生にやたら生き甲斐を求める風潮に対し、ただ「ここに居る」という存在だけで充分であるということか。在ることは奇跡に近いのかも・・・。
硬く読みにくいのが難点。