あらすじ
人生を意味だらけだと思うと、「つまずきの石」につまずく。
死ぬまで競争? 勘弁して。自己実現など、小賢しい。終活、就活、余計なお世話。
それでも世間はやかましい。
社会に煽られ、急かされ続ける人生を、一体いつまで過ごせばいいのか。
「それは何のためだ、何の役に立つ?」世間は「目的を持て!」とうるさい。
しかし、人は生まれる前にその問いを立てたのか、死ぬ直前にその問いを立てるのか??
「人生に目的はない」。そう考えた方が豊かな人生を過ごせると、反倫理を倫理学者が真面目に提示する。
『小さな倫理学』を唱える著者が贈る解放の哲学。
■人生の答えはありそうだが、ないという形式でしか存在し得ない
■「幸せ」とは道路標識のようなものでしかない
■人生に目的があったら、生きる必要などない。「なぜ」なしに元気を出せることが大事
■権力好きの本質は、他者から評価されること、褒められることや意識されることを何よりも求めることである
■人生論にしても幸福論にしても、一枚からなる決定版の処方箋を求めようとしてしまう。そんなものはない、いやあっては困るのだ。
■後ろ向きに後ずさりしながら未来に向かおうとする
■<私>とは、光源ではなく、奈落、根底、暗闇、深淵なのだ
■友達の多い人は他人を攻撃することも得意な人だ
■現世において成功している者を来世においても成功させるために、つまり現実世界を二倍化するために宗教はあるのではない
■強すぎる感情は依存症だ。
■目的がないとは、予めないということであって、最初から最後まで、現実化しないということではない。目的は最後に現れるのである。
■目的は存在しない。目的は作るものだから。
■人生は評価されるためにあるのではない。それが「尊厳」ということの意味である
感情タグBEST3
Posted by ブクログ
倫理学の本。
東洋から西洋・イスラム思想まで、セネカから新海誠まで(特にスピノザに重きを置き)、縦横無尽に行来しながら「目的」「目標」に追い詰められない生き方について考える。
Posted by ブクログ
ひとつ前に読んでいた「本屋のパンセ」で何度も出てきた本。ちょうど「目的」を持たないことについて考えていたので読んでみることにした。
散文のような感じで、自分が読み取れていないからだと思うけど、話がどこからどこへいくのか、それこそ積み上げられていくような感じでもなくて、「目的を持つ持たない」ということの周りにあることを色々書いていっている感じ。それが読みやすい。ふと、心に留まる一説に出会う感じの読書で、たくさん付箋を貼った。
Posted by ブクログ
この本は新書の形式をとってはいるけれど,哲学書。決して読みやすいとは言えない。だけれども,だからこそ丁寧に読むことで得られるものが多い気が薄る。。ちょっとふと疲れた時に自分を見直すきっかけになる。
最近,本は目的を決めて読むことが多い。だけれども,目的外のことで思わぬ収穫が得られることがある。そのスコープの広さこそは集中とは反対の目的の無さ。自分はどちらかということ目的のないまま生きてきた。上手く行っていないことも多い。それは裏返せば器の広さと思えればまた悪いものではないのではないかと思う。
時々,物語の先を見たいんだけど,見たら終わってしまうというジレンマに陥ってしまうことがある。目的ってそういうもんだと思うと腑に落ちる。
Posted by ブクログ
倫理学、難解。何がいいたいのだろうかと探るが分かりそうで分からない。深すぎるということなのか、ただ伝える気がないのか。
人生に目的などなくていいのだ、努力至上主義で生きる必要はないのだ、今そこにあること、ただそれだけでいいということなのだろうか。
目的なく、ただ読んでみた。完全に理解しようという努力もせず、なんとなく読み流してみた。んー、複雑だ。
Posted by ブクログ
散発的にいろんなことが少しずつ書かれているようで、読むのが大変だった。けして理解したとは言えない。スピノザなどの哲学者の考えを基にしているようなので、基本的な理解が必要かも。
拾って一番共感したのは下記。
> 何でもかんでも 、必死になってがんばることがよいことだと考えられていて 、がんばらない人は悪人であるかのような風潮になっている 。必死になってがんばりすぎていることは 、過剰適応といって 、ぎりぎりのところまで能力を使っているということだ 。それは 、非常口を玄関にしている家のようなものだ 。火事になって玄関から出られなくなると 、それ以外に非常口がないから逃げられない 。
まさに自分が努力至上主義みたいなところがあって、良くないなあと思い返してみたり。
Posted by ブクログ
前作の「小さな倫理学」が良くて、手を出した本。こちらの方がやや込み入っているが、基本同じ考え方。なるほど、そう言う見方もあるかと思うところが多数。同感というところも、多数。
TVのお笑い番組は権力を学ぶ為の家庭内学習、宿題みたいなもの。集団の中で1番大きな声で笑う者は1番権力を持っている者。
今ここにいて歩いている「私」は何者かの社、容器なのだろうか。社である以上、豪勢で威風を払うような容器であることを人は求める。人間は一人一人が神社みたいなもの。
目が利くが故に見誤る人が人生において少なくない。顕微鏡や望遠鏡の様に倍率を誤ると見えるモノも見えなくなってしまう。
人生の目的は何か?1つしか目的がなければ、多くの個体をこの世に増殖させる必要はない。次々と新しい個体がこの世に現れ出てくることだけで目的が1つしかないことを否定するし、目的がないということを論理的に含蓄している。
人生において目的は分散し、迷い、見失う者が多くいなければならない。人生の答えはありそうだが、ないという形でしか存在し得ない。多様性というのが唯一の答え。
人間とは過つ者。失敗して価値が減るのはある特定の「役割」に関してであって、人間としてではない。
言葉は人間が世界と関わるための粗雑な道具。世界そのものをありのままに表現する道具ではない。そこが利点であり長所でもある。
p141悪意を醜くぶつけてくる人、自己と言う深遠の底からヘドロのように湧き上がってくる悪意をぶつける前にすると、心よりも肉体の方が先に反応する。言葉を武器として使う人々は、激しい言葉を使ってできるだけ深く心に傷をつけようと切り込んでくる言葉と刃物とどちらが鋭いのだろう。海馬は似たような記憶を取り出してきて他社の攻撃性に面した場合の心と体の構え方、つまり臨戦態勢を取るように体に命じる。言葉が傷として肉体に残る。しかし存在は傷の中に定着するのではなく、流れとして重く漂い続ける。
Posted by ブクログ
新聞書評欄によると
生きる目的や悪に対峙(たいじ)する正義などを求めがちな私たちの心性は、どこかへエスカレートしていく危うさを秘めている。がんばらず、ぐずぐずに生きるのもありではないか。〈人生は意味だらけだと考えることが、足元をつまずきの石だらけにする〉〈「目的のなさ」とは、欠如や空虚ということよりも、むしろ自由な空間ということであり、器の大きさでもある〉と著者は説いているらしい。
人生にやたら生き甲斐を求める風潮に対し、ただ「ここに居る」という存在だけで充分であるということか。在ることは奇跡に近いのかも・・・。
硬く読みにくいのが難点。