町田康のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
このレビューを読んで不快な思いをなさる方もいるかもしれません。
本編は非常に楽しめました。生き物を飼う大変さも再確認できました。
ただ、本編、解説の動物愛護団体さまになんだか釈然としないものを感じたので書かせていただきます。
まず、動物愛護の活動は素晴らしいことだとは思いますが、希望とは違う、それも病気であったり気性が荒かったりといった問題のある子をどんどん作者に押し付ける(という表現は適切ではないかもしれませんが)のは如何な物だろうかという感想を持ちました。
作者は引き取って大事に育てていますが、その善意につけ込んでいるような印象を受けてしまったのです。あくまでも私の感想ですが。
全員が全員、猫を救いたいからという理由「だけ」で里親募集に応募するわけではないと思うのです。
家族に迎え入れたいという理由がまずあって、その上で、どうせなら不幸な猫を引き取ろうと思って応募する人が多いのではないでしょうか。
飼う以上は家族ですから、できるだけ長く一緒に暮らしたいと思うのは当然のことです。
愛護活動をしている人からすればあまり好ましくない考えかもしれませんが、やはり健康な子が欲しいですし、希望の毛並みであれば嬉しいものです。
引き取った問題のある子が数ヶ月、数年で死んでしまった場合、恐らく一番悲しいのは里親でしょう。
それを「厄介な猫を預けられて激昂するような人には譲らないのが賢明だ」等と書くのはどうなのだろうかと思ってしまいました。
繰り返しですが、家族ですからできるだけ長く一緒に暮らしたいのです。
もちろん問題のある子を譲り受けてくれる方はより有り難い存在でしょうが、健康な子を望むのがそんなに悪いことなのでしょうか。
長々書いてしまいましたがエッセイ自体は素晴らしかったので★3つです。 -
Posted by ブクログ
戦国時代。江戸の士農工商というカースト制度が、各身分を分離する以前、このころは、農民が領主のためにいくさに参戦し、死に、あるいは手柄を立てて褒美をもらったものらしい。
この小説に出てくる農民の一族は、武田信玄の一族のために戦い、死ぬ。あるいは富裕になりすぎて妬まれ殺されたり。やがては武田氏の敗退とともに、追い詰められることになる。
それでも彼ら農民は領主にさからうでもない。黙々と肉体を捧げ、黙々と死んでゆく。この無限の繰り返しが、妙に日本人的であるとともに、不気味な生の成り立ちをイメージさせる。
最後の方で末子が
「この土地の者は、みんなお屋形様のおかげだ」
と言いだし、周囲の者たちはそれは逆ではないか、われら一族、お屋形様のせいで犬死にしていったではないか、といぶかる。
しかしこの<転倒>がこの小説の要であって、虫けらのごとき平民が殿様のためにひたすらに生命を捧げてゆくその円環を決して壊さないために、歴史は言い換えられ、<主人>の権力の強さへの盲目的な賛美を要求するのである。
かくして円環は永遠に回り続ける。生はそこに呑み込まれ、無言で従うだけだ。犬死にで終わる生のすべては再び、何度でも、繰り返される。永劫回帰である。
しかし小説としてはやはり冗長な感じがないでもなかった。土俗的な世界観は面白いのだが・・・。 -
Posted by ブクログ
『あはは。遊びのイロハもわかっとらん。ハンドルには左右に五度ばかり、きってもタイヤが動かぬ範囲があり、これを称してハンドルの遊びという。』
『財布と魂が連動してませんのよ。』
『すなわち、参る、というのは、「行く・来る」の謙遜語であって、そのアナウンスを聞く度、自分には、非人間的なスピードで疾走する巨大な列車が、謙遜しながら、もじもじホームに入ってくる姿が想像せられて、気色悪くてしようがないのである。』
『電車が参るとは何事だ。ふざけやがって。それを言うなら到着しますだろう、馬鹿野郎』
『なんかぁ、人殺し? みたいなことって、やっぱりやっちゃいけない? って感じ? だから獄門とかになって欲しい? みたいなぁ』
『なんの思案も浮かばぬばかりか、シアンの化合物をお椀で飲んだイワンの馬鹿、それっていやん。』
『そこで自分は、居酒屋に入り、〆鯖を食ってお酒を飲み、すっかり酔っ払って豊かな心でスタジオ入りした。みなの視線が冷たかった。歌うことがなにもないので鯖の気持ちになりきって海のことを歌った。リハーサルが終わって自分は家に帰り、眠り、遊び、怠け、そいで死んだ。』
『むかし流行った森進一の歌の一節に、襟裳の春は何もない春です、という一節があったが、JR南武線津田山駅駅前は春夏秋冬問わずなにもない。』
『つまり、ヘロインやLSDなどの薬品を摂取することによって、つまらぬ日常の風景や意識を変えてみようと思ったのである。ええっと、ヘロインはどこにしまったっけな、って、馬鹿、馬鹿、馬鹿。そんなものは家にない。』
『月にまあ一度。多くて二度。自分自身が、虫けら同様の、とるに足らぬ卑小な存在に思えてくる。情けなさのあまり、口惜しさのあまり、死にたくなる。』
『すいません、すべてわたしが悪いんでございます。はい、申し訳ございません。はっ、六尺の躰を七重にも八重にも折ってお詫び申し上げます』
『自分はいま心の底から反省している。しかし反省などということがいったい何の役に立つだろうか。』
『言葉は、音に、色に、そして、匂いにとけ込んでいるからね。』